30.お日様サニー君


 瀬戸内の春の海は優しい色、岩国基地の滑走路から、ジェイブルー556が離陸する。


 操縦桿を握っている藍子は機首をあげ、上空を目指す。後部座席にはサニー、御園海人が搭乗している。


 雲の下は春の乱気流で機体が揺れたが、雲を抜けて上空へたどり着くと、穏やかな青空、真下は白い雲の絨毯になり静かになった。


「四方、確認できる機影はなし」


 海人の報告に藍子もラジャーと返答する。


 中央官制から定められた『本日のパトロールコース』を指令どおりに飛行する。


 その機体は徐々に対馬沖から五島列島へと南下する。


 水平飛行でエンジン音しか聞こえない機内は静かだった。


「カープさん、真っ青になってましたねー」


 二人で会話をするためのマイク音声が藍子の耳に届く。


 そのとおりで、あの後、河原田中佐と岩長少佐が揃っているあの場に、祐也もすぐに呼ばれていた。


 祐也は妻が撮影した画像で間違いないと、きちんと認めてくれたとフライト前に岩長少佐が教えてくれた。


『彼も従順に認めて、戸塚君と藍子が話したとおりの、同じ経緯を証言したよ。もの凄く落ち込んでいて、藍子にも戸塚少佐にも迷惑をかけたと言っていた』


 その後、あまりにも夫として動揺していたため、本日は早退させたとも聞かされていた。


「またシフトの組み替えにばたばたしているみたいでしたね。俺たちも夜間飛行が一本はいるかもしれないですね」


「そうだね。かまわないよ……。私が発端なんだから」


「また、そういう言い方。喧嘩両成敗かもしれませんが、やり方に限度てものがあるでしょう。あれじゃあ、カープさん、岩国から転属になりますよ。酷いとペアで組むようなジェイブルーパイロットではなく、他の機体に移行させられるかも」


 そんな困る。最高の相棒がそんなになるなんて嫌だ。私がいなくなればいい。もうすぐいなくなる、早く、早くそうなりたい。もうこのまま小笠原まで飛んでいきたい。


 こうなってみると、戸塚少佐が藍子がいない場でも『恋仲です』と嘘でも言ってくれたのはよかったと思っている。


 まだ嘘でも『もう夫に興味がなくなった女』として去ったほうがいい。ただ、里奈が『この女にはこんな男がお似合い』と思っていた男性ではなかったから、余計に火に油を注いでしまったかもしれないけれど。


 出来たら海人の予測も外れて欲しい。新人君にまで文句を言うような妻になって欲しくない。


 誰か、誰か、彼女を止められないの? 夫の祐也で駄目なら……。


 藍子の脳裏に、祐也の優しい母親の笑顔が久しぶりに浮かんだ。長く一緒に空を飛んでいる相棒として、彼の両親には何度も会った。食事にも良く誘ってもらっていた。


 いまあのお母様は里奈の姑……。いや、駄目だ。家族以外の者が首を突っ込んだら、嫁姑の仲を悪くする。里奈の子供は、お母様にとってもかわいい孫。仲を裂くような下手な手は絶対に打てない。


「アイアイさん、なにを考えているんですか。ちょっと指定軌道から逸れていますよ」


 後部座席からの声に、藍子ははっとしてレーダーを見る。少しだけ対国側へとずれていた。でもまだ大陸国指定ADIZではない。


「ごめん。集中するね」


「なんなら、俺が操縦申請して交代をしましょうか」


 海人がどのように操縦するか興味はある。でも。


「だめ。それは訓練で意思疎通を合わせてからね。いまは業務中」


「イエス、マム。了解です」


 穏やかな春の西海飛行、対馬海峡から五島列島付近に到達、ゆったりと飛行する。


 やがて『ピコン、ピコン』と管制からの通知音。


『国籍不明機の接近を確認』


 管制からの通信。だがそれはいま各管轄で上空パトロールをしているジェイブルー機すべてに届けられる通信。


 レーダーを確認。また五島列島沖だった。


「俺たちの管轄内ですね。いまフライトをしている西国担当のジェイブルーだと、俺たちの556が近いです。たぶん、来ます」


「どうかな。同じ岩国の108も飛んでいる。私たちはまだ組んで日が浅いから避けられるかも」


『こちら中央官制。ジェイブルー556に追跡指令』


 来た。まだ新しいペアの556に指令が来た。二人でペアを組みフライトを開始してから、初めての追跡だった。


「カメラ機動、衛星送信オンライン接続、データベース照会解析へアクセス開始」


 藍子がこうしてと指示をする前に、海人はてきぱきとデータ取得の準備を始めている。


「11時の方向、進行方向、西南10マイル、7分程度で到着予定」


 サニー、海人からの情報報告。お日様君の時は、軽快な男の子のように感じていたが、任務業務に入ると落ち着いた男性の声になった。


 藍子もHMDヘッドマウントディスプレイの目視で情報を確認しているが、口頭で欲しい情報をすぐに伝えてくれると聴覚的にも、客観的にも助かる。


 すぐに旋回し不明機確認上空へと向かう。


「あと1分、そろそろ目視で機影が確認できます。カメラ機動OK」


「ラジャー。正面に目視で確認」


「こちらもカメラにて機影確認、右翼左翼のフロントカメラにて、追跡撮影を動画モードで開始」


「尾翼のペイントを確認。赤い鳥……、朱雀と思われる」


 藍子は目視で判断。海人も解析へと移行する。


「接近をお願いします。尾翼のTAIL NUMBERの撮影、解析に入ります」


「ラジャー」


「そのまま併走で、30秒ぐらい対象機に寄ったところでステイ、機体を対象機側へと片翼を傾けての飛行を望む」


 どのような飛び方をして欲しいか、こちらも的確な希望を伝えてくれる。


 慎重に接近してきた対国機へと近づく。


「TAIL NUMBER撮影完了。14時23分、中央官制へ送信。解析開始、データベースアクセス中――」


 緻密な報告だった。同期生の阿吽の呼吸は最高だったかもしれないが、マニュアル通りの作業確認のみ。海人の細かな報告は綿密でマニュアルから一歩踏み込んでいるものだと藍子は感じた。その分、余計な感情やいまの彼の気分というものが一切感じられない。完璧なロボットと仕事をしているかのような錯覚が藍子に起きている。


「解析、照合完了。データベースより、大陸国機、通称、朱雀3、朱雀2、朱雀6、朱雀7と判明」


『こちら中央官制、解析確認。スクランブル部隊到着まで、そのまま追跡せよ』


 いつのまにか四機いっぺんに撮影していた。手前の二機だけ解析できれば充分のはずなのに。


「早いね。操縦しているこちらへの情報伝達も聞きやすかった」


「アイアイの機体操縦も的確でした。情報伝達については、ガンズさんに教わりました。誰と組んでも飛べるように、その為の対話ケースもガンズさんが構築しました。自分はそれに従っただけです。あと、やっぱりアイアイの飛行は撮影向き追跡向きで、細かな機体角度の操作も的確。ガンズさんに似ています。やりやすかったです」


 誰でも組めるように。ジェイブルーは常にペア。今回のようにいざこざで突然飛べなくなることもある。あの岩長少佐はそれを既に見越していたようだった。或いは、年齢的に自分の引退が視野に見えてきた時に、若い相棒の行く末を思っての対策だったのかもしれない。


 そして藍子も確信した。新しい部隊長になる岩長少佐は、きっとジェイブルーをもっと良くしてくれる、ジェイブルーのための指揮官、ボスになってくれると。


 その後、スクランブル部隊が到着し、ここ最近、頻繁に起きている光景のまま、朱雀への警告。本日は警告のみでさっと朱雀が撤退していった。


 築城基地からやってきた戦闘機部隊と別れ、岩国へと帰投する。


「あれが朱雀かー。初めて見ました。俺のカードに仲間入りだな」


 夕の茜が差してきた帰りの飛行中、海人が興奮気味にそんなことを言った。


「なに、俺のカードて」


「子供の頃から作っているんですよ。この目で肉眼で見た戦闘機や航空機はぜんぶパソコンソフトでCG作製して、カードを作るんですよ。俺の宝物です」


 なにその趣味! キラキラの王子の顔をしてけっこうオタク!? 先程までロボットのようにクールな相棒だったのに、また急にかわいいお日様君に戻ってしまった。


「自分でCG化しちゃうの?」


「俺の叔父がそういうソフトを作れちゃう人で、誕生日プレゼントにくれたんですよ」


「おじさんて、不動産関係じゃなかったの?」


「不動産は母方で、工学系は父方。ソフト作っちゃうのは、父の弟のほうです。あ、ついでに言うと、このジェイブルーのデータ解析オンラインとかのシステムとジェイブルーに搭載するシステムのハードは、叔父の会社も提携していてるんです。だから俺、ジェイブルーに乗って叔父さんと一緒にこの飛行機を作っていきたいと思ったんですよ」


「待って、待って。なに、その親戚関係!」


 不動産の次は理工技術会社の親戚まで! まさかの自分が乗ってきた航空機を作っている人の甥っ子だったと解って、藍子はまたとんでもない親戚が出てきて目が回りそうになる。


「あれ、知りませんでしたか。澤村精機て、父の実家で、いまは叔父の会社で、澤村の祖父が創設者なんですけど。父も機械とか強いんで、チビのころからいろいろ教わってきたんですよ」


 ああ、そうだった。この子のお父さんは御園の婿養子で、旧姓は澤村。そう澤村精機の長男だったと藍子も思い出す。しかも工学科科長の経歴もあった。根っからの理系家族で、海人もその影響を受けているようだった。そういえば、このジェイブルー開発の参入企業に澤村精機も並んでいた。


「そうなのね。もう、びっくりよ。そのカード、今度見せてよ」


「もちろんですよ! ガンズさんも良く見てくれるんですよー。二人で酒を飲みながら当てっこクイズするんですよ!」


 なんだろう。だんだんお坊っちゃんの子守り姉やの気分になってきた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る