31.この子はデビル


 戸塚少佐と恋仲であるのかどうか、少佐が隊員の家族を脅したのかどうか。その査問があってから祐也を見なくなってしまった。


 心配になって岩長少佐にこっそり尋ねると『休暇を取っている』と聞かされ、ますます驚いた。


「藍子さん、マズイですよ」


 デスクワークをしていると隣のデスクに座るようになった海人が話しかけてきた。


「なに。今日のフライト日誌つけているんだけど。海人がやってくれてもいいんだよ」


「やっぱり、新しい相棒君もカープさんの奥さんに散々やられたみたいですよー」


 『え』と藍子は彼へと顔を向けてしまう。


「そんな話、どこから聞いてきたの」


「本人から。俺たち同世代ですもん。お互いにまだ新しい相棒で慣れるまでいろいろあるよね――と話しかけたら、ぶわっと愚痴が出てきましたよ。先輩にも上官にも言えない状況でしょ。だったら同世代の同業でしょ」


 御園のぼっちゃんが優しく聞いてやるよなんて、上手いこと引き出したに違いないと藍子は思う。


「俺が思った通りでしたよ。小笠原に行けなくなったことをなんとか新しい相棒に期待して挽回して、藍子さんと俺を小笠原枠から外そうなんて思っていたらしいですよ。でも新人君でしょ。藍子さん以上のレベルになんかすぐになれないわけですよ。そこを奥さんが歓迎の食事会で家に誘った時に、新人君に散々文句を言って煽ったらしいですね」


「家に誘った?」


 藍子が相棒だった時には一度もなかったことだった。初対面で嫌われてしまったからあるはずもなかったが。夫の仕事相手をもてなす気持ちがあったんだという驚きと、自分との扱いの差があからさますぎる。


「そう。新しい相棒を歓迎したいと、官舎のご自宅で奥さんの手料理を振る舞ってくれることになったとかで、出向いたらそんなかんじ」


 藍子は額を抱えて唸った。


「カープさんも男同士の相棒だからと喜んで、ご家庭に誘ったみたいでしたけど、まさかの奥様が新人君に言いたいことを言いたいお食事会になってしまい悲惨だったらしいです。ちゃんと飛べる実力がないなら夫の相棒から降りると部隊長に申し出てちょうだいってせっつかれたみたいで、藍子さんの時と一緒ですねー」


「それ……、同世代の男の子同士しか知らないってことよね」


「いいえ~。ガンズさんに話しちゃいました」


 海人がにっこりと微笑んだ。逆に藍子は真っ青になる。この子デビルだ。こんなキラキラ笑顔の下に悪魔を隠し持ってる!


「わざと岩長少佐に話したでしょう」


「俺とガンさんの仲ですよ。世間話大好きですよ、俺もガンさんも」


「でも、そういうことを知らせたら、また斉藤准尉の立場が悪くなるでしょう」


 でも急に海人の琥珀の目が鋭く光った。


「だって。そうじゃないですか。また新たな被害者ですよ。藍子さんは大人で同期生という絆があってぐっと我慢できたかもしれませんが、新人の操縦士に業務以外でストレスを持たせるのは上官としてどうなんですか。あんなことされたら、奥さんに言われなくても新人のこっちから願い下げ、相棒解消したいですよ。でも彼ら新人から言えるはずないでしょう。カープさんが上官であるわけだし、やっと得たジェイブルーのコックピットですよ。新人だって捨てたくないですよ」


 海人が言っていることは合っている。危機管理の問題だ。そう思って藍子はまた頭を抱えてる。そう、もう危機管理という問題対象に元相棒がなりつつあることを。


 海人が堂々としているのは、やはり背後に司令と准将の両親や有力な親戚がいるからだ。この子はそこを上手く使っている。コネのある自分なら多少強気に出てもリスクはない、だから弱い立場の新人たちを守ろうとしているんだとわかってしまう。


「カープさん、いま奥さんと一緒にご実家に帰られているそうですよ。新人の彼、いまは他のジェイブルーの先輩が臨時で組んでくれることになったそうです」


「待って。じゃ、あ、祐、…… 斉藤のペアはいま誰もいないの」


「業務どころじゃないでしょ。まずは家庭の中のことを整えないと、もう誰とも飛べないでしょう。おかげで彼は清々したみたいで、やっと明るい顔でコックピットに乗っていましたよ」


 嘘――。藍子の頭の中が真っ白になる。


「あの奥さんの望むところってなんでしょうね。自分の視界に入った人に全勝ちすることかな? 苦しい道っすね。しかしカープさんも危機管理能力が甘いな」


 全勝ち。その言葉を聞いて、藍子は里奈と初めて会った日のことを思い出してしまう。


 藍子を見た途端、彼女の表情が曇ったことを。一緒にお茶をしている時、ひとことも話してくれなかったことを。あの時から藍子は里奈の敵になってしまったのだろう。


 その日から藍子に勝つこと。夫の中で第一の存在であること。仕事も家庭もひっくるめて全て。それには藍子に勝たなくてはならなかった。藍子だけじゃない。官舎の周りにいる誰よりも。夫のスペックも高くしていかねばならない。そのために新人の相棒が巻き込まれてしまった。


 きっともう。夫の中から、藍子という存在と記憶を消さないと、彼女はおなじことを繰り返す気がする。


 もう二度と、祐也には近づかない、会わないほうがいいのかもしれないと思うほどだった。


 海人とのパートナーシップの調整は順調で、小笠原に転属する日も近づいてきた。


 藍子はいま引っ越しの準備を始めている。海人の紹介で住まいも確保した。


   早くここから去って、祐也には新しい日々を迎えて欲しい。




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