29.甘えちゃってください!!
当然、彼女も仰天した。
「え!! 御園のプライベートジェットを出してくれるってことなの!? 千歳までってことだよね」
「それはまだ。こっちの式の日取りが決まってから、押さえられる空港を探すとか言ってる。旭川空港もあるし、札幌には
彼女もくらくらっとめまいを起こしたように、目元を覆ってよろめき、すぐそばのテーブルに手をついた。
「待って。海人に連絡してみる……」
藍子がスマートフォンを手に取って、いつも相棒同士やり取りしているメッセージアプリを開いたところだったのに、ものすごいタイミングで電話がかかってきた。
「うそ、海人だし! 海人もお父様から聞かされたのかも」
御園家の事情を明かすことは、どうなってるのだろうかとエミリオも案じながら、それでも海人からコンタクトを取ってきたのでそっと見守ることに。
「海人? いまメッセージを送ろうとしていたんだけど。え、海人も聞いたの? そうなのよ、びっくりしちゃって!」
海人もさっそく父親の隼人さんから『美瑛の式に行くんだろ。お父さんが飛行機を出してやろう』と聞かされたようだった。
「え? いまから? かまわないけど……。夕ごはん食べた? まだなら、うちで食べる?」
海人がこちらに来て話したいと言っているようだった。そして藍子も、この家に相棒を今から招いてよいかというアイコンタクトをエミリオに送ってきた。もちろん『OK』というサインを返した。
「いまから来て話したいって」
今日は涼しそうなゆったりしたワンピースを着ている藍子。バックリボンスタイルのもので、大きく背中が開いているそこでリボンが結ばれていて、シンプルなのに彼女らしい色香が漂っていた。
相棒が来なければ、そこにキスをしてリボンをほどいて困らせてみたかったなという男の欲求が湧いたエミリオだったが、『着替えてくる』と彼女の部屋へと向かう。
いつものラフな部屋着に着替えたところで、すぐ近所に住まう海人がやってきた。
「おじゃましまーす。おふたりでお休みのところ、申し訳ないです」
なのにその手には保温バッグも持っていて、リビングまで迎え入れた藍子に手渡している。
「豚の角煮、たくさん作ったので、おつまみに是非」
「わ、いつもありがとう。海人の手料理はいつも楽しみ」
「俺も藍子さんの手料理、大好きっすよ。なにせ青地パパ仕込みですもんね。とかいって、お誘いうけて、ちゃっかりそれを楽しみに来ちゃったんですよー」
いつもの陽気なサニー君の様子で、藍子宅の整え始めたばかりのテーブルを覗いている。
エミリオがちょうど部屋を出たところで、海人が気がついて『お邪魔します』と挨拶をしてくれた。
海人は白いシャツに綿パンツだが、自宅でもラフながらも質が良さそうなものをさらっと着こなしているので、制服の時より品があった。
「うちの父がなにやらとんでもないことを言い出したみたいで。俺もさっき連絡があって目玉が飛び出ていたところですよ」
軽快なジョークに、藍子がすぐに『やだ、なにそれ。海人の顔で想像しちゃった』と笑い出した。
まだペアになって数ヶ月のはずなのに、空で毎日、事故にならないよう神経をすり減らす日々に息を合わせているせいか、すっかり馴染んだ相棒同士になっていて、エミリオも微笑ましく眺めていられる。
「今夜は、手羽先のトマト煮込みと、父が冷凍で送ってくれたとうきびのバターライス。それとセロリの浅漬けと……」
「うまそう~! なんか、すみませんっ。ご飯時にお邪魔しちゃって。とかいって、やっぱり藍子さんのメシ大好き」
フィアンセの男を目の前に、ちゃっかり言いのける海人の明るさを見て、エミリオもほっと微笑む。今日はちゃんと、いつもの海人だと感じられる。
藍子はまだ打ち明けられる内容を知らないから、明るい相棒を見てクスクス笑っているばかりだった。
「ビールにする? エミルのモヒートにする?」
「断然、エミルさんのモヒートですね。おかわりは、藍子さん特製の美瑛パパレシピ、プチトマトのコンポート入りの白ワインをソーダで割ったスプリッツァーかな」
「おかわりまで決まってるのか、海人は」
ほんとうにちゃっかりがっつり、藍子の家で食事をする気満々で、ついにエミリオも笑い出していた。
その場の空気をきちんと気にして作る。海人はこれを子供の頃から身につけてきたのだろう……。そうとも思いながら、彼がせっかく作ってくれた空気だからと、エミリオもそれに乗っかって、キッチンでリクエストのモヒートを作る準備を始めた。
藍子と海人は先に食卓について、銘々皿に食べたいものを取り会話を始めていた。
「びっくりしたでしょう。父がいきなり、うちの飛行機を出すとか言い出しちゃって」
「海人のおうち、すごいね。わかっていたけど、そんな一隊員のためにプライベートジェットを出すなんて言えるおうちで、あらためてびっくり」
「ジェットを持っているのは谷村の伯父なんですよ。あ、俺が生まれる前に既に亡くなっていた母の姉の旦那さん、になるはずだった人。歳が離れているので母が子供の時に亡くなっているんですけどね。その時の、婚約者が伯父だったんですよ」
さらっと御園のタブーの根源である『葉月さんの姉、皐月伯母』に触れてきて、エミリオはどっきりしながらモヒートをつくる手が止まった。
「海人の伯母さま、そんな前に亡くなっているの?」
「若かったみたいですよ。えーっと、従兄の真一兄さんがお腹にできたので、結婚するところだったみたいですね。でも、伯母が不幸なことで亡くなっていましてね」
藍子が黙った。キッチンから彼女の顔は見て取れるが、明らかに気がついた顔をした。でも、そっと笑みを浮かべて『そうだったの』とその場を流そうとしたのがエミリオにもわかった。
「そのあと伯父はイタリアを拠点にして欧州で仕事をしてきたんです。俺の曾祖母ちゃんがスペインの資産家のお嬢様で、資本をいっぱい持っていたので伯父が引き継いで経営をしてくれたとかで、その中で航空製造会社をもっているんですよ。で、ジェット機もパイロットもすぐに調達できるってやつです。もちろん、伯父が権限をもってるんですけど、父と仲が良いので、義弟の父がお願いすればだいたい聞いてくれるんです」
「どう聞いても、海人のご実家……凄すぎ。でも……、」
「でも、じゃないですよ。これを断ったら、心美を美瑛に連れて行くことはできないですよ。ここから横須賀に出て、そこから羽田に出て、そこから千歳便にのって。新千歳から車でさらに三時間、列車でも乗り換え込みでそれぐらいですよ。心優さんも大変かもしれないけれど、小さな心美が大変ってことです」
また藍子がしゅんと黙ってしまう。安易なお願いをしたかもしれないと思ったのだろう。
「はっきり言いますよ。心美のフラワーガールを頼むなら、美瑛なら父に甘えて御園ジェットを出してもらう。それを断るなら小笠原でフラワーガールをしてもらうの二択ですよ」
「……そっか。そうよね。エミルとも話していたけれど、移動するのがきっとご負担だろうと思って……」
「心美が知らないうちに撤回するのもアリですけれどね」
はっきりとどう決断をするかを突きつけてきた相棒の進言に、藍子も思いあぐねて俯いている。
そこでエミリオもできあがったモヒートを持って、テーブルについた。海人と藍子と自分の前へとグラスを配る。
「藍子より、俺が心美に来て欲しかったんだよ」
「仲が良いですもんね。エミルさんと心美。それだったら、父に頼ってください。三十人ぐらい乗れますから、城戸家まるまる乗せても、負担にはならないと思いますよ」
「どうする、エミル……」
心美が来てくれることが、エミリオと藍子の願いだった。負担にならないように叶えるなら、そこは本当に御園に甘えるのがいちばんだった。
「俺も乗ってくるから、いちおう名目あるじゃないっすか。御園の息子が楽してお家ジェットを動かしてもらうってならいいでしょ。甘えてくださいよ。本当は、藍子さんと一緒に美瑛入りしたかったんですけどねー」
モヒートを呷りながら、海人が笑う。
「海人、ほんとうにいいのか」
「こんなとき、俺って御園に生まれて良かったなーって思ってますよ。相棒の結婚式のお役に立てるなら、坊ちゃん権限使っちゃいますよ」
それも海人が笑い飛ばした。藍子はまだうんと言えずに、どこか緊張したように固まっている。
「そんなに困られると、俺が困っちゃうな。だって、俺、これからきっとこういうことを御園から引き継いでいくから……。藍子さんには、そんな俺でも普通に接してほしいというか……」
御園の長男であることを自分から滅多に言わない海人だったので、また藍子が驚いた顔をして戸惑いを一気に抑え込んだのがエミリオにもわかった。
「海人がそこまで言ってくれるなら。甘えちゃおうかな。それで、心美ちゃんに招待状を作れるものね」
「俺が父だったら、おなじことをきっといいますよ。藍子さん、俺がジェット機を準備するからみんな乗せて行っちゃいましょうって。あ、どうせなら乗れる分、ご招待を増やしたらどうですか。もちろん、なるべく親族だけも素敵だと思いますよ。そこにちゃっかり入り込んじゃっている親族でもない俺って凄いラッキー。青地パパの結婚式特別メニューをフルコースなんて、めっちゃ楽しみぃ!」
いつもの調子だったので、ついに藍子が笑い出す。エミリオもおなじだった。
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