38.息子をよろしく


 親子なのに御園准将も海人もあっさりしていた。お互いに言葉を交わすことはなかった。


 研修のオリエンテーションが終了し、上官が退室した後、藍子と海人は一緒に講義室を出た。


 午後にもオリエンテーションがあるため、いまから高官棟の四階にあるというカフェテリアに行くことになった。


「海人は知っていたの。お父様が新設本部の総責任者だって」


 教育隊の講義室が並ぶ通路を一緒に歩く。


「まさか。息子だから余計に教えてくれませんよ。でも、なんとなく父のやり方を感じていたんですよね。ほら、研修の資料に総責任者の氏名がなかったでしょう。おそらく息子の俺がいるから考慮して消したんだと思います」


 ああ、なるほど。研修の総責任者が父親の自分だと知られると、判断の公正性を疑われると思ったのかもしれない。


「あと、俺にやり方を悟られないためだったと思います。確信はなかったけれど、ああいうえげつない設定、父さんみたいな男が考えそうだとは感じていたんですよ」


「うわ、やっぱり父子なんだね。お父さんやりにくそう」


「俺もですよ。ただ叔父がジェイブルー開発に関わっていたのもあるけれど、父はいま航空防衛関係のデータを集めるだけ集めて、今後に役に立てるような業務を促進しているので、ジェイブルーには深く関わってくるだろうなと思っていました」


「そうよね。ジェイブルーが空で起きたことを記録して帰ってくるんだものね」


「もしかすると艦載機として改良される日も来るかもしれないですよ」


 ジェイブルー機が艦載機に! 藍子は絶句する。となると、このまま藍子もジェイブルーを続けていくといずれ空母艦任務で航海にでるようになるかもしれないということだった。漠然としていてまだなにも考えられない。


「藍子さん、今夜、俺の家に来てくださいよ。独身で荷物が少ないのでほとんど荷ほどきも終わって、今夜、ビーフカレーを作るんです」


「おいしそうだね。だったらランチはカレーを避けないと」


 早速、海人から手料理をご馳走してくれるお誘い。


「エミリオさんも誘っておきますねー」


 なんて。既にスマートフォン片手にメッセージを打っている。


「ちょっと、なんで誘うのよ。しかも連絡先知っているの?」


「藍子さんより先に知っていると思いますよ。三年前に、あの人がアグレッサーに転属してきた時に、父を通じて会ったのでその時に。だってサラマンダーのパイロットなんてかっこいいじゃないですか」


 誰とも連絡先を交換するのは前からのようだった。


 そして藍子は三年前か……と、ふと気になることを考えてしまう。


「海人、聞いてもいいかな。戸塚少佐て、その前は横須賀のマリンスワローにいたんだよね」


「そうですよ。ソニック並の精密飛行と言われていますからね。サラマンダーの次期リーダーでしょう。有望ですよ」


 それは藍子もわかっている。気になっているのは『男喰いの元恋人』のこと。いまは横須賀にいる准将の妻だということしかわからない。


 あんなに拒否するほど倦厭しているところをみると、余程酷い目に遭わされたことに。しかも『酷い』と思うほどに至ったのは、逆にそれほど入れ込んでいたからだとも藍子は思っている。


 若い時に夢中になった女性だったはず。それがどうしても気になる。


「あ、そういえば。海人の実家でお父様の誕生日パーティーをするんですってね」


「ああ、まあ、毎年恒例になっていますね。今年はジェイブルーの新設部隊の仕事で当日間近のスケジュールが組めなかったということで、五月になってしまったみたいです」


「私、戸塚少佐に誘われたんだけど……」


「へえ、やっぱり誘われましたか。良かった。そのうちに藍子さんにも、俺の相棒として招待状が行くと思いますけど。戸塚少佐のパートナーとして行くと返答しておいたほうがいいですよ。そういう気構えで皆が迎えてくれると思いますから」


「でも、どのような方々がいらっしゃるのかわからなくて。やっぱり小笠原はアメリカ色、強いよね、いきなりパーティーだもの。横須賀からも准将クラスの方が来られるんでしょう」


「いや、どうでしょう。妹が主催をしているので、彼女が持っている名簿を見ないと俺はわからないですね」


 さすがの海人でも、その女性のことは知らないだろうと、藍子は上手く聞き出せなかった。


「昨日は久しぶりにアメリカキャンプのスーパーマーケットで食材を揃えたんですよ。準備万端、藍子さん、来てくださいね」


 なんてキラキラ笑顔で言われてしまい、藍子も先の不安は奥に仕舞う。海人の料理の腕を拝見だった。


 そうして通路を歩いているといきなり壁から『海人』と聞こえてきて、藍子と海人は驚いて立ち止まった。


 明かりが消えている使用されていない講義室のドアがそっと開いていて、その隙間から眼鏡が見える。


「海人、こっちだ」


 その眼鏡を見ただけで海人が呆れた顔をした。


「准将ほどの方がなにをされているのですか」


「うるさい。いまは父さんだ。こっちにこい」


「いやです」


「なあ、海人。おまえが帰ってこないから、葉月がうるさいんだよ。頼むから一度でいいから夕食を一緒にしてくれよ」


「連絡したでしょ。ギリギリスケジュールで移転してきたんだから。あ、そっちが詰め込んだスケジュールに合わせたんだからな」


 あくまで准将として接していると思ったら、急に息子口調になったので、藍子は後ろに控えつつハラハラ。


「悪かったよ。こっちもスケジュールに追われていたんだよ。わかったからさ、近いうちに来てくれよ」


 あの御園准将が困り果てた夫で父の顔になっていて、藍子はまた目を瞠る。


「あいつ、自分から動けないから海人の様子を見に行くことも出来ないとイライラしているらしくて、連隊長秘書室が大変らしいんだよ。園田が必死で抑えているんだぞ。園田のために来てくれ」


 隙間からずうっと眼鏡が見えるだけ、囁く声が聞こえるだけ。そんな父子のやりとりに、藍子は控えて唖然と眺めているしかない。


「ずるいな。心優さんを出されるとさ。わかったよ、明日にでも行くから。それより、父さん、どう。家事に疎い女二人といつまでも悪ガキパイロットの世話、大変じゃない?」


「それは慣れている。杏奈の家事の腕もあがってきたことだしな。最近は母さんと杏奈が仲良く夕食をつくってくれている。悪ガキについてはいままでどおり、なんら問題はない」


「ならいいんだけれど、あ、そうだ。こちら、新しく相棒になった朝田藍子さん」


 え、ここでそんな紹介されるの――と、藍子はたじろいだ。


 ちょっとしか開いていないドアの隙間へと藍子も近づく。


「研修ではよくお会いしておりましたが、初めまして。岩国から参りました朝田藍子です。ご子息の……」


「そんな堅くならなくていいよ。私はいま海人のただの父親です。ませた口を叩く息子ですが、まだ若いところがあるので、大人のお姉さんがそばに付いたと知って安堵しております。よろしくお願い致します」


 ドアの隙間から深々とお辞儀をした准将の白髪頭が見えた。藍子も恐縮する。


「それにしても。岩国では大変だったね」


 祐也と決裂したことを、やはり総責任者の准将も知っていた。藍子は恐れ入りますとうつむくしかできない。


「軍人を支える家庭も大事だからね。家族も大事だ。彼にはそこからもう一度、始めてもらう必要があるだろう。家族に任務の理解がなければ失格だ」


 急に手厳しい言い方、そこだけ威厳ある准将の声だった。


「海人をよろしくお願いします。母親の葉月も貴女に会いたいと何度も言っているのですが、なにせ連隊長室にいるものですから。今度、行われるパーティーで是非」


「そのつもりです。私もご挨拶をしたかったとお伝えください」


 ドアが閉まった。それから講義室が静かになる。


「行きましょう。藍子さん」


「でも、お父様……」


「俺たちが去らないと出てこられないんですよ。気を使っているんですよ。研修の総指揮官と新人みたいな一パイロットが親子として話しているだけでも不信感を煽りますからね」


 辛いね。父と息子なのに。藍子はそう思って、閉まっているドアに一礼をしてそこを離れた。


「気にしなくていいですよ。俺、子供の時から慣れていますから」


 まるで海人の呪文のようだった。子供の頃から慣れている。言い聞かせているように藍子には聞こえてきた。


「ところで、悪ガキパイロットて誰のこと?」


「え、知らないんですか。サラマンダーのバレット、鈴木英太少佐ですよ。あの人、俺の兄貴みたいな存在。小笠原に来た時、すげえ困らせる悪ガキだったらしいんですよ。いまは大人になったみたいですけど、たまに子供かよって俺でも思う時ありますからね。ま、だからいつまでもあの威勢で飛べているんだと思います」


 え、あんな凄いパイロットのことを悪ガキパイロットとか言っちゃうおうちが凄いと、藍子はまた言葉を失う。


 しかし、そろそろ慣れなくてはいけないのかも。ガンズさんが気にしなくなったようにと藍子も心に決める。


「私もカレーつくるの手伝うね」


「副菜を手伝って欲しいです」


「うん。任せて。父に教わったレシピがあるから」


「マジですかー、うわー楽しみ。俺にも教えてください!」


 その日の夕、藍子は海人の新居にお邪魔することになった。


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