Fin3,パパは気高きパイロット

 常春の島で、愛する家族との生活の日々――。

 教育飛行部隊に所属するエミリオは、また安定した勤務時間生活に。シフト勤務となる妻の藍子の日常を余すことなくサポートしてくれるイクメン夫だった。


 藍子が朝のんびりできるシフトの時は、夫を見送る主婦のようにして息子と一緒にパパを見送る穏やかな朝でいられるが、夫妻共に朝から揃って勤務の日は多忙を極める。


「ほら、紫苑。ちゃんと食べないとダメだからな。はあ……」


 息子もパパと一緒に、スクランブルエッグを一生懸命に頬張っている。

 そんな紫苑が卵をもぐもぐしながら、ため息をついているパパに気がついた。


「はあ、今日は強敵と演習なんだよな」


 ファイターパイロットのパパが、無意識にふいに呟いただけなのに。紫苑は困っているパパの顔を覗き込む。


「パパ、今日、強いチームと対決?」


 小さな手にフォークを握ったまま、パパの翠の目をじっと見つめている。

 エミリオもレタスをフォークで頬張りながら唸って返事をする。


「そう。強敵」

「どこの基地の」

「……内緒だ」

「えーー! 教えて、教えて、教えて!!!」


 すごい癇癪を起こして藍子は焦った。たまに『イヤイヤ期』の名残がふっと湧いてくることも未だにあるのだ。

 しかし、エミルパパはまったく動じずに静かに息子に伝える。


「紫苑。軍隊の演習は作戦と一緒だ。対決する国に日本の作戦がバレてもいいのか?」


 また息子がハッとして、癇癪をおさめた。


「……だめ。作戦知られたら、パパとかママとか、カイ君とかユキナオちゃんがピンチになっちゃう」

「そういうことだ。パパのお仕事は全てが作戦のひとつだ。どこでどんな演習をしているのか、知られたらいけないんだ。それは家族にもだ」

「そっか……。情報が知られたらいけないんだね」

「でもな。ヒントをあげよう」

「ひんと?」

「今日か明日、英太おじちゃんが、会いに来てくれる」

「バレットが!? じゃあ……演習は岩国の、くうか・・ぃ」


 エミリオが笑いながら、息子の小さな口を手で塞いだ。


「おっと。ファイターパイロットの息子はお喋りになっちゃだめだ。シークレットだ。トップシークレットな」


 紫苑ももごもごしながらも、うんうんと小さな頭を上下に振って頷いている。


「じゃ、英太おじちゃんが岩国から今日は会いに来てくれるの」

「ああ。家族の海人に会いに来て、今日か明日、紫苑にも会いに来てくれるよ」

「やったー、やったー! バレットが帰ってくる!!」

「そう、あのバレットが部隊長の岩国空海と対決ということだ」

「パパ、言っちゃダメだったんじゃないの」

「英太さんが姿を現したら、小笠原の誰もが『空海が来ている』と、わかっちゃうということになるだろ。今回は特別だ」

「でもぼく言わない。バレットに会うまで知らなかったことにする」


 急に物わかりよく、しかも大人びた理解を一気に見せるので藍子も仰天する。さっき幼児らしく癇癪を起こしていたのはいったいなんだったのかと。

 なのに夫のエミリオは怒りもせずに、さらりと交わして、息子を上手く諭してしまうのだ。


 こんなエミリオを垣間見るとき藍子は思う。

 もしかして……。エミルも紫苑のような男の子で、時には自己を前面に出してはっきり声を上げる子だったのかもしれない。でも、あの弦士パパがおなじようにドーンと受け止めて、上手に諭して育ててきたのでは?              

 かわいい小さなエミリオが、紫苑のように自我を前面に出して『こうじゃなくちゃいやだ』と叫んでいた姿も想像できないが、いまの落ち着いている夫は、上手に育ててもらえたからなんだろうなとも思えるこのごろ。しかも紫苑を見ていると、エミリオもこんな子供だったのかなと、想像できなかった姿を息子を通して見せてもらっている気持ちになってくる。


・・・✈


 食事が終わっても親子三人慌ただしい。

 パパが先に制服に着替え、藍子は紫苑に動きやすいシャツにショートパンツを履かせ、ハンカチにティッシュを持たせて園児リュックを肩にかけてあげる。


 二階からパパが制服姿に整えて降りてくる。

 戸塚中佐になったパパが、元気溌剌準備万端の紫苑を見つけて目元を緩めた時の眼差し……。そんな彼の目に、藍子はいまも胸をときめかせている。男であって、愛ある父親の目をしているのだから。


 息子を愛おしそうに見つめて、今日もその逞しい腕に息子を抱き上げる。


「よし。支度はできたか。じゃあ、藍子。紫苑をキャンプの幼稚園に連れて行くな」

「お願いします、パパ。紫苑、いってらっしゃい」

「いってきます。ママ、今日は夜はおうちにいる日だよね」

「いるよ。またココちゃんも夕方に来るからね」

「うん! わかった。パパ、行こう!」


 パパの首に抱きついて、パパの腕の中でぴょんぴょん身体を動かしても、パイロットのパパはがっしりと抱いて楽しそうに笑っている。しかも愛おしさが溢れるばかりの笑顔で、エミリオは紫苑のぷっくりしている頬にキスをする。


 藍子が予想したとおり、愛情深いパパになってくれていた。


 そんな夫と息子を玄関まで見送る。

 見送ったら今度は藍子が急いで支度をして出勤となる。


「いってらっしゃい」


 靴を履く前、まだ息子を抱いているエミリオが、藍子のこともあの翠の目で見つめてくれる。

 だっこしている息子を一度見て、紫苑の目元を手のひらで隠した。ちょっとびっくりした様子の息子だったが、その隙にエミリオが藍子の鼻先まで唇を近づけてきた。


「行ってくる。アイアイも気をつけて」

「……中佐もね……」


 そっと囁いてくれた彼が、妻の唇へとキスをしてくれる。

 ちょっと押すだけのキスではなかった。少し吸ってくれる熱いキス……。


「ぼ、ぼくわかるんだから。パパとママ、キスしてるんでしょ!」

「してない、してない」

「してる、してる! 見えないけど見えてるんだから」


 パパの手の目隠しが取れてしまったので、エミリオが笑いながら藍子から離れた。


「じゃあな。藍子」

「お願いします。いってらっしゃい」


 不惑の年齢を迎えても麗しい匂いをふりまいて、パパになっても彼は『美しすぎる男』だった。


 エプロン姿、妻の顔で藍子は夫と息子を見送った。


「中学生ぐらいになったら……。さすがのエミルパパも、息子に避けられちゃうかも? 血は争えずかな」


 エミル自身も『いちゃいちゃすんなよ』と、いつも密着していた両親に怒っていたらしいから。いまから息子の目の前であんなに愛してくれていたら、もう誤魔化せないよね……と、最近の藍子は思っているのだ。


「さあ。私も支度をしなくては」


 ママから『朝田少佐』へ。制服を身に纏うと、藍子の心は妻から『アイアイ』へと気持ちが切り替わっていく。


 毎日、エミリオと結婚をしてからも、紫苑を産んでからも、ずっとそう。



・・・✈



 今日もアイアイは、コバルトブルー色のフライトスーツに身を包み、耐Gスーツをまとってジェイブルー機へと乗り込む。

 本日も後部座席にいる相棒は『サニー』、御園海人大尉。


「いやー、今日は良い天気で、違う意味でよいフライトになりそうだなあ」

「ほんとね。見晴らしがいいと視界良好になるから、心にも余裕ができるものね。綺麗な海も空も、勤務中に不謹慎だけれど癒やしになるもの」

「確かに。俺は未だに北国の風景に空が懐かしいですけどねえ。はー、紫苑じゃないけれど、はやく美瑛に行きてえ」


 相変わらずのお日様君で、藍子は操縦席で笑った。


 ハンガー前にスタンバイしていたジェイブルー機の発進前チェックを済ませて、ヘルメットやベルトを装着してキャノピーを締めたときだった。


 目前の滑走路に現れたのは迷彩柄の戦闘機と、尾翼に雲と菊の花が描かれた戦闘機。


「あ、今日は俺らの前に、サラマンダーと空海くうかいが離陸か」

「クインさんったら、朝からため息ついていたのよ。それが紫苑に見抜かれちゃって……」

「あらら。さすがのクインさんも、無敵のバレットが指揮する空海だと思うと、気構えが違うんですね~」

「そう。だって、鈴木大佐が空海飛行部隊長になったとたんに、それまでも守人職人と言われてきたフライトチームのレベルが、さらにさらにもの凄くあがったわけでしょう」

「そうそう。しかも岩国基地の司令殿が、バレット相棒の『スプリンター司令殿』だもんな。クインさんとシルバーさんが敵わなかった『ミニッツキラー』の先輩ふたりですもんね。元より精鋭チームの『空海』でしたけど、いまじゃあ、雷神に匹敵する飛行部隊と言われるようになりましたもんね」


 鈴木大佐と、その相棒であるクライトン准将。ふたりはいまも揃って岩国基地に勤務中。クライトン准将は基地のトップの司令官に。鈴木大佐は精鋭飛行部隊『空海』の部隊長になっている。

 どちらも現役のファイターパイロットから降りたが、鈴木大佐はまだ指導官として現役パイロットのまま。いまも変わらずに空を飛んでいる。

 そんな最強エースパイロットがアラフィフになっても空を飛んでビシバシと岩国のファイターパイロットを育てているのだ。

 その影響で成果がでてきているため、小笠原の精鋭パイロット達は戦々恐々。気高きパイロットのクインもその一人というわけだった。


「お、カーキー×イエローのネイビーダークネスだ。ユキナオも今日は演習に参戦か。すげえな。シルバー&クインのリーダーエレメントと、絶好調双子エレメントのイエティ&ブラッキー、そして、バレット率いる空海飛行隊か。すっげ!」


 海人のわくわくする声が聞こえるたびに、藍子は苦笑い。そんな藍子も、目の前の滑走路に次々と名高いトップパイロットの機体が並んでいくのでドキドキしてきた。


 最初に離陸体制入ったのは、カーキ×イエロー迷彩の機体。イエティ&ブラッキーだった。


「ユキナオからか。あれやるなきっと――」


 藍子の脳裏にある日の光景が蘇る。


 カーキー迷彩の二機がともに滑走路を発進、『VR』、機体が浮く。『V2』……と心で唱えた途端、二機の機首が揃ってあがって、そのままぐんぐんと上昇していった。


「でた。相手チームへの牽制開始、ユキナオのハイレートクライム!!」


 双子の息が合った急上昇。小笠原の青い空、真上へと突き抜けていく。轟音を響かせて雄々しく昇っていく。


「ということは……。負けちゃいないよな」


 海人の呟きどおり。次に離陸するのは『雲に菊の花』を尾翼に描く空海機。


 こちらも負けじと離陸直後、すぐさま機首を上げて急上昇していった。

 いつかと同じだ。強敵同士、ライバル同士。離陸するときから対決する闘志を燃やしてぶつかり合う。ファイターパイロットたちのプライドの見せつけあいだ。


 次に飛び立とうとしているはネイビー×イエロー迷彩、サラマンダーのリーダー機二機。柳田大佐と戸塚中佐の機体だ。


 クイン、飛んで――。

 負けないで――。


 心の中で藍子は唱える。


 濃紺と黄色、これは『危険』だと知らせるための色合い。俺たちに近づくものは、危険を顧みない者として容赦なく撃ち落とす。そんな威嚇とも思える色合いの迷彩と言われている。


 その濃紺と黄色。目を瞑る藍子に、もうひとつ浮かぶ、とても身近な色彩。


 黒に近い濃紺のフライトスーツ、腕には黄色のワッペン。イラストは黒いサラマンダー。翠の眼に、輝く濃いブロンド。

『美しすぎるパイロット』と呼ばれてきたクインの姿が今日も目に焼き付いている。


 藍子にとって、夫がいちばん輝いている姿――。

 そんな夫を思い描いて、再び目を開けると、ネイビー×イエローのサラマンダー機も滑走路で発進を開始している。


俺のプライドは、空を護ること、家族と藍子を愛しぬくこと。


 藍子の耳に、夫が操縦する機体の轟音が届く。

『VR』、『V2』――。

 夫『クイン』の機体が機首を上げて、まっすぐに空へと突き抜けていく。


「さすが! サラマンダーのリーダーエレメント!! めっちゃ高く行った!!」


 人は彼のことを『美しすぎるパイロット』と呼んできた。

 でももう容姿のことではない。

 彼は『美しく飛ぶパイロット』だ。気高く飛ぶ美しいパイロット。


 彼のプライドを乗せて、今日も空高く高く、吸い込まれるように轟音と共に上昇していく。


「いや~。さすがの美しさだったなあ! やっぱり王者……。もうクインじゃなくてキングにすればいいのになあ」

「ええ? キングさんってこれから呼ぶの? なんかもう違和感しかないわよ」


 待機中のコックピットでトップパイロット競演の興奮冷めやらぬ中、海人と笑い合った。


「さて。俺たちの番ですね」

「行きましょうか、サニー。アイハブ」

「ラジャー、アイアイ。ユーハブ」


 藍子のジェイブルーも滑走路へ発進――。


 先ほど華やかな競演があった滑走にて、ジェイブルー機も離陸体制に入る。


 ――発進。


「V1――VR……V2――」

「V2 OK」


「テイクオフ」


 今日もアイアイは追いかける。操縦桿を傾け、空へと追いかける。

 空より遠くまで行ってしまうあの人を、彼を、夫『クイン』を。


 でもいまはもう。空より遠くても愛せる。


【 空より遠くて愛せない 終 】





◆初出2018年12月 他投稿サイトでの連載開始からほぼ四年。

長い期間の連載に最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございました😌



★ 海軍シリーズ 次作 予告 ★


【 ノアの艦~疫病女が女神になる日~ 】 


船舶が損壊した際に浸水することを防ぎ、艦のバランスを保ち沈没を防ぐ『ダメージコントロール』。

損壊修理、防災、消防、爆弾処理を受け持つ、艦の最終守護部隊。ダメコン。

ヒロイン『乃愛ノア』はそのダメコン DC部隊の隊員です。

海人との出会いと恋の行方、海軍ファミリーのその後をお楽しみに♪

蒼い月から懐かしいあの人たちも再登場予定です。


しばらく準備期間に入りますので、お時間をいただけたらと思います。

連載はカクヨム先行の予定。おしらせをお待ちくださいませ。


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空より遠くて愛せない 市來 茉莉 @marikadrug

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