37.パパは全部お見通し


 どうやら『本物の恋人』になってしまったらしい。


『これからお互いに忙しくなる。落ち着いたらゆっくり過ごそう』


 約束のキスをもう一度して、その日は彼と別れた。


 彼が気遣ってくれたのには訳がある。彼だけじゃない、藍子も忙しい。新部隊に入隊するというのはとても神経を使うことだった。





 新部隊ジェイブルー900隊が始動する日。小笠原基地の中にある工学科という教育隊がある部署へと向かう。


 そこにある講義室が集合場所だった。オリエンテーションから始まることになった。


「藍子さん」


 講義室に入るときらきらの栗毛ジュニアを発見。藍子もほっとする。


「お疲れ様。引っ越し終わったの?」


「一昨日、ガンズさんと奥さんとギリギリ移転でしたけど、なんとか」


 海人が取っていた席に一緒に座ると、目の前には見覚えのある中年男性が二人。沖縄のジェイブルーパイロットの先輩だった。


「初めまして、岩国から来た朝田です」


 研修で一緒だったので初めてではないけれど、言葉を交わすのは初めてなので挨拶をする。


「初めまして、アイアイ。沖縄から来た菅野です」


「これから同じ部隊だね、城田です、よろしく」


 落ち着いた男性ふたりだったので、藍子も安心する。菅野大尉が年上でタックネームは『カノン』、城田中尉は菅野大尉の後輩でタックネームはキャッスルだったのに言いやすくされてしまい『キャシー』になったとのことだった。


「ガンズさんが引退して指揮官に昇格、御園海曹が一人になってしまうのではと思っていたら、岩国のアイアイが新しいペアとして選ばれたと聞いて驚いたよ」


「アイアイのペアだったカープはどうなってしまったんだ」


 率直に聞かれ、藍子は戸惑う。だがそこはお日様君の出番。


「そのうち聞こえてくると思うので言っちゃいますが、奥さんが大変で地上勤務に移行しちゃったみたいですよ」


 地上勤務!? 沖縄の兄さん達がギョッとした顔に。


「それ、奥さんが大変ということはなにか具合が悪いとかそういうことか」


「そうです。とーっても具合が悪いんです。朝田准尉とのフライト調整のために、自分も岩国で勤務したんですけれど、俺の目から見ても深刻な問題のようでしたよー」


「家庭がしっかりしていないと俺たち飛べないからな。そうか、上手い具合に片割れになってしまって、合格者同士、組めることになったのか」


 納得――と、兄さん二人が頷いた。


 間違ってはいない伝え方だけれど、諸事情の詳細を気にされないよう、海人が上手く回避をしてくれて藍子はハラハラしながらも胸を撫で下ろす。


 他にも三十名ほどのジェイブルーパイロットが集まっていて、ペアは十五組。どのペアもあの減点方式の研修で合格した者たち。女性パイロットはやはり藍子だけだった。


 壇上の周りに補佐官たちが集まり、準備を始めている。講義室のドア付近にはまたいくつかのパイプ椅子。


「はあ、やだな」


 海人が溜め息をついた。


 どうしたのと藍子が聞こうとしたら、講義室前面の入口から上官が何名か入室。


 先日、研修の責任者だったアグレッサー部隊長のウィラード大佐、そして今回昇進した岩長中佐が入室。最後に補佐官と一緒に入ってきたのは、白髪混じりの眼鏡の男性だった。


「ほーら、来ると思った」


 海人が不機嫌になる。藍子もその訳を知った。さらにその男性が誰よりも先に壇上にあがった。ウィラード大佐と岩長中佐はパイプ椅子に座る。


 講義室のジェイブルーパイロットも僅かにざわめいていた。


「各基地から、ジェイブルー新部隊900隊へようこそ。先日の研修と新部隊設立を指揮していた責任者の御園です」


 海人の父親、御園隼人准将だった。


 彼が責任者だった? それにもパイロットたちが驚きの息を揃える。いままで研修に選ばれた時点から、研修での結果のなにもかもをこの准将に確認されていたことになる。


 それがわかっただけで藍子は血の気が引く思い。きっと祐也とのいざこざや、こちらから生意気にペアを組み替えて欲しいなんて申し出も全てこの准将に知られていたことになる。


 新設部隊の本部は小笠原空部大隊本部にあったことは研修資料に示されていたが、だとしたら責任者は大隊本部の中佐クラスの科長が責任者ぐらいにしか思っていなかった。


 眼鏡の准将がにこりと笑う。その微笑みがやはり海人に似ていると藍子は感じた。


「各席に置いてあった資料を元に説明をしていく。確認をするように」


 すぐに本題に入ったため、皆が慌てて資料を開いた。


「まず明日から、新しい部隊のためどのようなシフトを組んでいくか模索するための研修を開始する。中には新しいペアもいるため、確実な業務へ移行するため、あるいは新部隊のジェイブルーパイロットの全てが息を合わせて業務に取り組むための、フライト調整として『アグレッサーと他部隊の演習』と合同の訓練を行う」


 スケジュールがあるので確認をするように――。眼鏡の准将がなんの前置きもなく淡々と進行していく。


 藍子やほかのパイロット達に、この雰囲気や周りを模索する隙も与えられない。もうこの部隊は始動しているのだと痛感させられるほどの迅速さだった。


 スケジュールを確認すると、アグレッサーの演習と寄りそう日程になっていた。


「この基地でアグレッサー部隊と各基地のスクランブル部隊のフライトチームが仮想敵の模擬戦を演習としているわけだが、ジェイブルーにはその演習を元に普段の業務と同じことをしてもらう」


 つまりアグレッサーが対国敵として、他のフライトチームとドッグファイトをする時に、ジェイブルーはいつもどおりの記録撮りの訓練をするということらしい。


「この訓練研修を一ヶ月。来月初頭から小笠原ジェイブルーとして東南海域上空の業務を開始することになる」


 御園准将が資料をたたんだ。


「さて。ここで君たちに肝に銘じておいて欲しいことがある」


 海人も父親でありながら、准将として立ち回る父親をしっかりと海曹の顔で見据えている。


「この新部隊に選ばれた君たちの誰もが、先日の研修にて持ち点がなくなる中での演習を実施し、侵犯かキルコールかの状況に追い込まれ、やってはいけない侵犯を果敢に選んだ者たちだ」


 それが合格の条件だったため、ここにいる誰もがそのやってはいけなかったはずの侵犯をしている。


「先日の研修の意図は、侵犯をしても良いということではない。そこは君たちも重々承知だと私も思っている。本来ならどっちを選んでもキルコールだ。対国側の戦闘機が退路を断ち、撤退を試みようとするものならロックオンのままキルコールと脅していた。逃げ道は侵犯をして対国の領空を使って回避をすること。アグレッサーにそういう道筋を残してもらって、君たちが殉職を選ぶのか、なんとしてでも生きて還ろうとするのかを試させてもらった。しかし本来なら、領空侵犯をした時点でどんなに誘導されての侵犯だったとしてもそこが相手の狙い目。侵犯した時点でも、本当ならば撃墜という理由で撃ち落とされている可能性も大きかったわけだ。それでも君たちは一縷の望みが残っている相手国領空を使っての回避を選んだ。それも正解だろう」


 だが――と、そこで御園准将が教壇にて手をついて身を乗り出した。


「どちらも選べない状況は作らない。これが本来の正解だ。そして侵犯をすることはどんなに誘導をされたとしてもあってはならない。過失という意味でない、撃墜の危険性があることを重々考慮して欲しい」


 先日の訓練は御園准将がつくり出した訓練方法ということらしい。その罠にここにいる者はアグレッサーの成せるワザもあってまんまとはまってしまったわけだが、本来ならば命を失う状況だったことを再確認させられる。


 合格といっても、それはあのテストのような研修の時のみ有効な手段であったに過ぎない。


「しかし、それでも君たちにはどうあっても生還することを第一に望む。今後の東南海域の防衛は君たちにかかっている。期待している」


 そこで御園准将の話は終わった。


「では新部隊長の紹介をしたいと思う」


 ガンズさんが壇上に呼ばれる。


「第四回の研修で一緒だった者も、元は戦闘機部隊にいた者もよく知っていると思うが、岩長武史中佐だ。操縦士引退を表明されたため、今回は指揮官としてこちらの業務に携わってもらうことになった」


「岩長です。パイロットとしてホーネットに長く搭乗しておりましたが、数年前より千歳にてジェイブルーへ移行。追跡業務をしておりました。 今後も君たちと共に領空を護っていきたい。より良いジェイブルーの任務と業務を模索していきたい」


 岩長中佐らしい挨拶だった。


 その後も御園准将の進行にて今後のスケジュール確認が行われる。アグレッサーとの訓練についてはウィラード大佐から。


 アグレッサーとの合同演習。これを聞いて、藍子は理解する。これがあるから落ち着くまでは仕事優先にしようともエミリオ少佐は思ってくれたようだった。


 藍子も助かる。これから新部隊の業務が落ち着くまでおそらく二ヶ月三ヶ月かかる。その間に新しい恋に没頭することも、相手を気遣う気持ちも激減してしまうはず。それはきっとアグレッサーのプライドを持っている彼もだった。


 それまではまだ、いままでどおりの『恋人のふり』ぐらいの心持ちが良さそうだった。


 きっと。溺れてしまう。だって、あの人。藍子を凄く女らしくしていくから。愛する心も女が占めてしまう。


 ここに来て藍子はふと祐也を思い出してしまっていた。『男と女になったら仕事は成り立たない』。その気持ちがいまは良くわかる。


 同じ空で同じ演習をするのならばなおさら。あちらはサラマンダーの上級パイロット。こちらは戦闘能力を持たない機体の女パイロット。きっちり線引きしてお互いの任務を全うせねばならないと、藍子は言い聞かせる。


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