43.雪国初心者

 窓の下に広がる千歳市が真っ白に染まっている。

 雪景色におどろくエミリオを見た藍子と海人が『くすり』と笑っている。


「冬の間はずっとこんな感じですよね」

「うん。根雪が溶けないとね」

「ねゆき?」


 聞き慣れない言葉だったので聞き返すと、やっぱり北国生まれと経験者の年下のふたりが笑っている。


「春まで溶けない雪のことですよ。少佐」

「札幌だとだいたいクリスマス前に根雪になるわよね」

「そうそう。ホワイトクリスマスってやつ、北海道ではあたりまえ」


 そうそう、懐かしい! と、まるで本当の姉弟のように藍子と海人がはしゃいでいる。

 そのうちに地上が近づいてきたのを見たエミリオは、パイロットがアプローチ体勢に入ったと気がつく。


「なっつかしー。ガンさんとこの雪景色の上を飛んで、このあたりからアプローチ取っていたんだよな~」

「そうか。千歳基地は民間機と一緒に新千歳空港がベースだもんな」

「帰ってきた時に吹雪いていると、視界がわるくてやんなっちゃうんですけれど。地上の滑走路整備部隊がめっちゃ優秀で、あとガンさんのベテランの勘ってやつですか。Go Aroundゴーアラウンドはほとんどなかったですね。あれすごかったなー」

「岩国もたまに雪になるけれど、千歳だったらしょっちゅうよね。ホワイトアウトとか突然やってくるものね」

「そうそう。北国の飛行はそこらへんのさじ加減がやっかいなんですよねー」


 やっぱり北国体験者だけの会話になっていて、エミリオは入れもしない。

 やがて旅客機がスムーズに着陸。千歳の滑走路には小雪が舞っている。海人が空を見上げてため息をついた。


「レンタカー借りているんですけれど。急ぎましょうか」


 藍子も空を眺めて頷いている。


「そうね。吹雪かないうちに富良野に行っちゃおう」

「ちゃんと除雪されていますよね~。おっきい道路を選んで行きましょうかね」

「今朝、瑠璃に連絡したら実家の周辺はそれなりに除雪されていたみたいよ」


 もうエミリオはちんぷんかんぷんだったが、黙って藍子の荷物を一緒に取ってあげて、ただただ、婚約者の彼女と後輩パイロットの後を無言でついていくだけになっていた。

 飛行機の外に出てエミリオは震える。


「さ、寒いっ。え、ここ室内だよな??」


 ダウンジャケットを羽織って機内から出てきたのに、屋内の通路なのに、それでも一気にヒヤッとした空気を感じた。


「ここ暖房が入っている区画じゃないですからね」

「今日は千歳もマイナス8ですって。でもエミル、厚着をすると今度は室内の暖房で汗びっしょりになるからそのままね。すぐそこで暖かくなるから」

「はあ。そうなんだ……、いや、まて、マイナス8!?」

「美瑛はもっと寒いですよ」

「瑠璃に聞いたらマイナス12だって、でも大丈夫だから、エミル。そんな顔しないで」


 俺、どんな顔をしているんだと、エミリオはうっかりすぐそこにある窓に映る自分を確認してしまった。


 なのに海人と藍子は二人で並んで『正直、8も14も一緒ですよね。あそこらへんからわかんなくなる』、『わかるー。空気がカラカラになるよね~』と常に通じ合っているかのような北国トークをずっとしていた。


 海人は海人で久しぶりの北海道が嬉しくてしかたがなく、藍子も信頼している相棒と婚約者の男との帰省で嬉しそうだった。

 そしてエミリオも。既に冬一色になっている北海道に気圧されながらも、見たことがない世界にやってきたと胸躍らせる。


 いまからは、空へ向かう覚悟もプライドもいらない。ただのエミリオになって、念願の美瑛ホワイトステイを楽しもうと、藍子と海人の後を追う。





 新千歳空港はたくさんの人で溢れている。そして、この空港自体が北海道物産展のごとく、道内から集められた特産品のショップが集結している。


 目移りするエミリオだったが、また最初からあれこれ買い込むと荷物が膨れてしまうので帰りまで我慢我慢と素通りをする。


 海人が前もって契約してくれていたレンタカー乗り場へと手続きへ向かう。既にミニバンの車が準備されていて、そこで荷物を後部に積み込む。


 そこはもう屋外だったので、一気に吹きさらしの風雪にさらされ、エミリオは震え上がる。


「エミルはまた後部座席ね」

「俺も運転してもいいんだぞ。海人にばかり運転させるのは申し訳ない……」


 海人ばかりと気遣ったつもりだったのだが、藍子と海人が思いのほか驚きの顔を揃えて目を見開いているので、エミリオは我に返る。


「なに言ってるの、エミル。冬の道を運転したことないでしょう」

「そうですよ。少佐! いくらアグレッサーのエリートでも、雪道は無理! 初めてですよね! ダメですよ、そんな! 俺、大丈夫ですから! 去年までこの道を運転したりしていたんですよ!」

「あー、わかった、わかった。北国の怖さも知らずになんとなく言ってしまった。大人しく後部座席に乗っているし、海人と藍子にお任せだ」


 これは雪国では、あちらの二人が上官だぞ――と、エミリオは心にしっかり刻んで、後部座席に乗り込んだ。


 やっぱり藍子が助手席、海人が運転席で並んでしまった。


「さーて出発! やっほー、ひっさびさの千歳~」

「私もこの季節に帰省するのひさしぶり」

「あー、あそこのラーメン食べたいけど、青地パパのご飯が食べられなくなっちゃうかな~」

「到着する時間に合わせて、カフェめし作っておいてくれるって」

「わー!! シェフのカフェめしって興奮しちゃうな。やっぱ、ラーメンはまた今度!!」


 空港正面玄関から海人が運転するミニバンが発進する。空港内の道路は雪がなかったのに、海人が一般道へと出ようとしたそこはもう真っ白な雪に囲われた道だった。


 そんな雪の道でも海人は臆せずに、行き交う車列の中へとすっと入っていった。


「……ほんとうだ。これは俺には無理だ」


 ふと呟いたひとことに、前列座席にいる藍子が振り返って笑っている。

 その時だった。バリバリと雷のような震える音が千歳の空を駆け抜ける。

 だがエミリオにはその音には慣れていた。それは藍子も、海人も。


 藍子が助手席から空を見上げる。


「千歳基地のホットスクランブル……ね、きっと」

「戦闘機が二機だからそうですね、きっと」


 エミリオも見上げる。真っ白に染まる雪原と雪雲、小雪を纏ながら、白い戦闘機が二機、空高く昇っていく。


「負けるな、無事に還ってこい」


 いつもはあそこにいるのは自分だった。青い海の上でつい二、三日前まで。エミリオは同志の無事を祈り見送る。雪原が広がる千歳の高速道路を走り出した車で、美瑛へ向かう。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 どれだけ走っても真っ白。いつか藍子が言っていた。『他の色を探すのが大変かもしれない』と。本当にその通りだと、エミリオは始終、車窓に流れる『白』に釘付けだった。


 また美瑛に入ってからの丘と丘が重なる丘陵が、どこまでも真っ白なのも壮観だった。

 夕が近づいてきているのか、少しだけ差し込んできた光に輝く丘の美しさは、夏の爽快さとは異なりどこか静粛な厳かさを見せてくれる。


 時計を見るとまだ十五時だと知り驚く。


「まだ三時なのに、もう薄暗くなっていくんだな」

「こっちの日の入りは十六時ですからね。夏は日の出が早い分、冬は日の入りが早いんですよ。道東の釧路とか網走になるともっと日の入りが早いですよ」


 なんとも早い夕暮れがまた、北国の冬らしさとして、エミリオの心の奥に刻まれていく。


 しかもそれまでキラキラした丘を見ながら走っていたのに、懐かしいロサ・ルゴサに到着しようかというときになって、細い農道を走っていたミニバンの真っ正面が吹雪で真っ白になって驚く。


「ギリギリだったわね。危なかった」

「千歳空港でうろうろせずに正解でしたね。今夜は吹雪くと言っていたから、またホワイトアウトになるかと思っていたらやっぱり」


 千歳空港でうろうろしたかったエミリオだったので、北国体験者のふたりの『雪国の勘』が当たっていてひやっとさせられる。


「こんなに天候がすぐに変わってしまうのか……」

「たぶん今夜は吹雪くと思って、それで海人と急いでいたの。都市部の幹線道路ならいいんだけれど、ここみたいに農道が多い田舎道だとホワイトアウトに巻き込まれるとにっちもさっちもいかなくなるの。救助がすぐに来るとも限らないからね。早め早めに行動をするか、無理をしない移動があたりまえになってくるの」

「そうなのか……。うん、やっぱり海人と藍子に任せて正解だったな」


 空港で買い物したいと思った自分を、エミリオは反省したりする。今後も北国の者に従おうと心に決めた。


 急に吹雪いて、先ほどまで壮大に見えていた美瑛の丘が一切見えなくなったのにも驚きながら、エミリオは車を降りる。

 夏に来た時はここから美瑛のパッチワークの丘が一望できたのに、真っ白、本州なら霧で見えないと言いたいところだが、横殴りで流れていく雪で見えない!

 荷物を降ろす手伝いをしようとしたが、履いてきたブーツがつるつる滑って歩けず、車体に捕まったままになって焦った。


「だからエミル。こっちの冬靴じゃないと歩けないよと言ったでしょ。ここはいいから、先に玄関に行って」

「俺と藍子さんで荷物を降ろしますから」


 ふたりは凍った地面の立ち方に歩き方がわかるらしい。

『ペンギン歩きですよ、少佐』と海人が教えてくれたので、そのとおりに、とぼとぼちょっとずつ歩きながら、なんとか吹雪の中、玄関へ向かう。


 情けない。まさかのサラマンダーにいたクインが、雷神でサブを務めている俺が――。北国ではペンギンのよちよち歩きしかできず、彼女と後輩になにもかもしてもらってるだなんて!

 いちばん兄貴で上官で少佐で気高いクインが手も足も出ない。

 でもここはもう、北国を知る者の言うとおりにしようと、夏に覚えた玄関先へとエミリオは急ぐ。


 藍子と海人が頭を真っ白に雪で濡らしているのを見てしまうと、エミリオもここでじっとしていていいのかと落ち着かなくなる。


 だがハラハラしていたその時、後ろの玄関のドアが開いた。


「エミル――!」

 コックコート姿の青地だった。

「お父さん――」


 いつも迎えはないよ、お店優先。藍子からそう聞いていたし、夏に初めて訪ねた時もそうだった。なのに自宅側の玄関で待ち構えていたかのように、彼女の父親が笑顔でそこにいる。


「おかえり、エミリオ、待っていたんだ。よく帰ってきた。お勤め、ご苦労さまだったな!」


 コックコート姿の義父が、そのまま笑顔でエミリオに抱きついてきた。

 こんな人だったかな……とエミリオは思ったが、それでも本当の父親のように帰還を労ってくれて、出迎えてくれただけで……、エミリオの目頭が熱くなってくる。


 そんな待ち構えてくれていただろう義父をエミリオも抱き返す。


「還ってきました。航海から。ここに来ることを楽しみにして」

「よかった、よかった……」


 ああ、やっぱり。彼女と結婚をすることにしてよかった。エミリオは青地義父の背を抱きしめながら、上空と海上で保っていた『クイン』という縛りがほどけていくのがわかった。


 ここは間違いなく、俺のもうひとつの実家になると確信した。

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