44.お義兄さん、おかえり
吹雪の中、迎え入れてくれた義父が『ホットワイン』を作ってくれる。
藍子と海人も無事に荷物を車から屋内へと搬入し、濡れた髪をタオルで拭きながらリビングへとやってきた。
「大丈夫か? なにもかも任せてしまって」
「いいじゃない。エミル、少佐なんだから。普段だって准尉と海曹にやらせる仕事でしょ」
「そうですよ。荷物もって歩けるようなかんじじゃなかったっすよ。少佐」
「あ~、もう。せっかくの休暇だから『少佐』って言うなよ。しかも俺、北海道上陸してからずっと役立たずの少佐だって落ち込んでいるんだからな」
そこで海人と藍子が揃って笑い声を立てた。
「聞いた? 海人。演習相手を撃ち落としてきたクインが、落ちているんですって」
「わー、貴重なお姿だな。撮影しちゃおうかな」
海人がほんとうにスマートフォンを構えてレンズを向けてきたので、エミリオは顔を隠したがちゃっかりシャッターを切られてしまう。
でもそれも藍子が楽しそうに笑っているのが珍しくて、かえってエミリオも楽しくなって笑っていた。
そうこれから一週間、楽しい冬休みなのだから。少佐もクインも関係ない。アイアイも准尉も、サニーも海曹も横に置いて、エミルと藍子と海人で楽しみに来たのだから。
「楽しそうだな。ほら、ホットワインができたよ。これを飲んでひとやすみしなさい。クラブハウスサンドイッチやカツサンドをつくっておいたから、一緒につまんだらいい」
コックコート姿の義父、青地がダイニングテーブルにレモンの輪切りが浮かぶホットワインのグラスと、サンドの大皿を並べてくれた。
そして海人にも『おかえり、お勤めご苦労様』とエミリオ同様に抱擁して、義父の青地が迎え入れる。
「おじゃまいたします。お父さん。楽しみにしてきました」
海人も嬉しそうで、いつもとはちょっと違う少年のような柔らかい笑顔になっていた。
「お父さん、ただいま。ありがとう」
「藍子も、海人も、お勤めご苦労さま。さあ、今日からしばらくは仕事を忘れて羽を伸ばしなさい」
やはり父親の言葉には、藍子もちょっと泣きそうな顔になって、でもほっと安心した素の笑顔を見せている。
こんなとき、やっぱり彼女がいちばん頼っている男性は父親なんだなと、エミリオは感じてしまう。もちろん奪うつもりも上回るつもりもないが、同等ぐらいの安心感を持たせるのが夫になる男の目標だと心得たい。
「ゆっくり話したいが、瑠璃と篤志とスタッフに任せっきりにしているから、もう行くな。藍子、あとは頼んだぞ」
「はい。お父さん、待っていてくれてありがとう。サンドもいただきます」
青地義父は笑顔を見せると、そのまますっとリビングを出て行ってしまった。ほんとうにエミリオを出迎えたいためだけに待っていてくれたようだった。
ワインが冷めないうちにと三人一緒にテーブルについた。
甘いフルーツとスパイス、芳醇な赤ワインの香りが漂ってきて、それだけで疲れが癒やされる。
「わー、うまい! さすがシェフ」
「ふふ、お父さんがときどき作ってくれるの。でもひさしぶり、懐かしい」
「うん。寒くてびっくりしていた身体が温まる。気持ちもな」
そこで海人が少し口元を曲げて、なにかを思い出したのか緩い笑顔でホットワインをみつめている。
「どうしたの、海人」
「うちの父親もよく母に作っていたけれど、なんか夫婦の飲み物ってイメージであんまりもらったことなくて……」
「でも、御園准将、お父様らしいじゃない。フランス生活が長かったんでしょう」
「そうそう。ときどき、英語の発音でも父はイギリス式にこだわって、母はアメリカ育ちだから父にそこを言われるとむっちゃ怒るんですよ。で、杏奈と一緒にどっちの発音にしたほうがいいのかなと話し合ったことあるな。小さいときですけどね」
さすがの御園家での家庭内での様子が語られたので、エミリオは一瞬、気構えてしまった。だが、藍子は笑顔だったので、エミリオはいつの間にか彼女のほうが相棒の実家に対して『余裕ができている』と感じてしまった。
海人もそこに気がついたのか、エミリオへと目線を合わせてきた。
「あ、俺。クリスマスに実家に帰ってみたんですよ」
それは、母と息子の溝をありありと突きつけられる演習資料を知った者として、また結婚する彼女の親しい相棒の家庭事情として関わってきた者として驚きだった。そして、喜びでもあった。
「そうか。お父様とお母様と、家族でクリスマスを過ごしたのか」
「そうなのよ。エミルは航海中だったけど、やっと海人から実家に帰省できたのよ」
「その節はいろいろとご迷惑をかけました。そして、見守ってくださって心強かったです。俺、いますごく満足です。少佐と藍子さんと一緒に仕事ができる巡り合わせに出会えて――」
見たことがないと思える海人の穏やかな微笑みだった。藍子とエミリオはそれに気がついて、一緒に目を合わせていた。藍子にとってもエミリオにとっても密かな驚きだったのだ。
いつもの俺なんでもないという軽く笑い飛ばす強気のお坊ちゃんでもなくて、ずっと隠し持ってきた辛い家庭事情を背負って苦悩してきた青年の顔でもない。
もしかすると海人も心の重りをのけて、やっと素の海人君になっているのかもしれない。
つまり、やはりこの美瑛という藍子の実家が、海人にとっては誰にも邪魔をされない軍人としてのしがらみもない、信頼できる相棒とその夫になる男とだけ分かち合える、セカンドハウスになりつつあるのだろう。
三人一緒においしい、おいしいと、身体がぽかぽかに温まってくるのとは裏腹に、このリビングの庭側の窓は、雪が叩きつけられガタガタと震えていた。まるで台風のようだった。
「すごいな……。こんなに激しいものなのか」
夏に庭から見渡せたパッチワークの丘も見えずに、とにかくこちらに吹きすさぶ風と雪で真っ白に隠されている。
「大丈夫よ。夜中か、明日の朝にはきっと去っているわよ」
ホットワインで身体が温まり、また到着して気が抜けたのか、海人があくびをしている。
シェフ特製のサンドは最高で、これまた三人揃って『おいしい、おいしい』と笑顔になっていく。
「俺、ちょっと眠くなってきました。お部屋で先に休んでいいですか」
「そうね。そろっての食事も遅い時間になるけれど、それまで休んだり、お風呂にはいったりしましょうか」
揃ってホットワインを飲み干した三人は、朝田家の二階にあるゲストルームへとむかった。
夏に使わせてもらったゲストルーム。海人には一部屋、藍子とエミリオで一部屋で別れた。
綺麗にベッドメイキングされている部屋で、藍子とそれぞれのベッドでくつろいだ。
北国らしいタータンチェックのベッドカバーをめくって、エミリオは荷物をとく。藍子は海人とおなじなのか横になるとすうっと寝息を立てたのでそのままにしておいた。
すっかり日暮れ、窓の外は暗いのに夜空も見えずにずっと雪が叩きつけている。
その窓辺に立ってみる。二重窓になっているが、外側の窓は叩きつけてくる雪がへばりついて外など見えやしなかった。しかも外窓の隅は氷の塊がみえる。
「すごいな……」
もうこのひとことしかでてこなくなった。
それでも部屋はぬくぬくと暖かい。休んでいる彼女をそっとして、エミリオはベッドに寝転がりながら、ゆったりと読みかけの文庫本を楽しむ。
途中でタブレットを出してネットを楽しんでいると、部屋のドアからノックの音がした。
ドアを開けると、義妹の瑠璃と義弟の篤志がエプロン姿でそこにいた。
「おかえりなさい、エミル義兄さん」
「まっていたよ、義兄さん」
任務もご苦労様でした。
二人がそろってお辞儀もしてくれたので、エミリオはかえって驚く。
「いや、だから、いつもちゃんと還ってきていると何度言えば――」
「それでも、だよな。瑠璃」
「そうよ。大変なお仕事なんだから。無事に還ってきてくれて……よかった……」
藍子よりも心配したような顔で義妹が涙を見せたので、エミリオは戸惑う。
「だって。最前線だって……お姉ちゃんが言っていたから……」
仲の良い姉妹だからこそ、藍子も心の不安を妹に聞いてもらっていたのかもしれないとエミリオは初めて知った。
「困るな。藍子は俺のことを、無敵のサラマンダーにいたクインで優秀なパイロットだと瑠璃ちゃんには教えてなかったのだろうか。これでも俺はけっこうな経歴を持ったファイターパイロットなのにな」
いつもなら絶対に自分からこんな自慢するような言い方はしないが、戦闘機パイロットのことをなにも知らない義妹を安心させるため、致し方なくエミリオも胸を張って言っていた。
それを見た篤志は、男だからなのか余裕で笑っている。
「ほらな。言っただろう。エミル兄さんは無敵なんだって。マリンスワローにいて、若手でサラマンダーに引き抜かれて、さらに最強飛行隊の雷神のサブリーダーだよ。そんな人が負けるわけないだろって。そのための最前線なんだから」
「男の人は強さで大丈夫っていうけど、女はそれでも心配なんだからね!」
「あー、はいはい。でも、ほら、本物のエミル兄さんだ。もう安心だろ」
「ほんとだー。お姉ちゃんが言っていたエミル兄さんの匂いがするーー」
藍子に似ても彼女より愛らしい雰囲気の義妹が、エミルの匂いをくんくんかいでいる。そんなことまで、藍子は妹に話しているんだと思いながらも、一気に和ませてくれる瑠璃にエミリオももう笑っていた。
「ただいま、篤志。瑠璃ちゃん」
ふたりがそれぞれ、エミリオの手を握って『おかえり』と微笑んでくれる。
「お姉ちゃんと海人は? もうご飯の支度ができるの。遅くなったけれど、いまからみんなで食事にしましょう」
妹の声が聞こえたのか、藍子も目を覚ましてドアまで出てきた。
姉妹で『おかえり、ただいま』の微笑ましい挨拶をすると、篤志が海人をお越し行き、夕食へと向かう。
まだ外は荒れた天候で激しい風の音が聞こえるが、朝田家のリビングは温かな料理と穏やかさに包まれる、優しい食卓になっていた。
テーブルには朝田家特有のメニューが並んでいて、まずは海人が歓喜の声をあげた。
「わー! ビーフシチューだ! これも青地お父さんが?」
「うちではちょっとした賄いだよ」
「これが賄い!? 生ハムのおつまみも、めっちゃ綺麗」
「はい! それは私、です!」
瑠璃から手を挙げて主張してきたので、海人も面食らっていたが『瑠璃さんもさすが!!』という言葉に、瑠璃も嬉しそうにしているので、エミリオは藍子と一緒に笑っていた。
「では、みなでいただこう」
藍子の母親、真穂もワインを開けてくれ、共に席に着いた。
「エミル、海人、そして藍子。おかえりなさい。三人とも、日々の防衛最前線でのお勤めご苦労様。そして、美瑛にいらっしゃい。いまからは仕事を忘れてくつろいでくれ」
青地義父の音頭で乾杯をした。
賑やかな食卓になったが、冬の北海道らしい温かさにエミリオも溶け込んでいく。
まるで、季節遅れのクリスマスを迎えているような気分だった。
義父に義母、義妹の瑠璃に義弟の篤志は、翌日も仕事なのでそこそこの時間までしか語らえなかったが、久しぶりの再会にまた男同士の語らいに盛り上がることができた。
海人は夏とおなじで、女性たちのお手伝いでキッチンでお茶をしながら楽しんでいるようだった。
また明日――とリビングでの語らいがお開きになる。
部屋に帰ると、藍子はもう、ひと足先に眠りについていた。
そして気がついた。吹雪が止んでいる。窓辺へと立ってみたが、やはり凍りついていて夜空がよく見えなかった。
航海から帰還してすぐに、北海道へと旅立ったので、エミリオはやっと安心をして眠っている。
航海中はシフト制の勤務形態になっていて、きちんと眠れる時間割があったとはいえ、久しぶりの航海復帰に銀次とともに異動したばかりの飛行隊を牽引するという初仕事にも気が張っていた。
ここでは、もう……。なにも……、なにが起きるかと……気にしなくて、いい……。
あっという間に微睡み、深く深く、眠りに落ちていくのが自分でもわかった。
……はずだったのだが。
ゴウゴウ――と迫ってくるような騒々しい音で、エミリオは目が覚める。
あまりにも大きな音で驚き、エミリオはついに起き上がる。
ここは二階だったが、窓辺にチカチカとした黄色の灯りが見える。しかもこの家の玄関ともなっているロサ・ルゴサの裏庭になにかが侵入しているとわかって、今度はベッドからエミリオは飛び降りる。
まるでこの家に押し迫ってくるような音! いったいなにが起きたのかと、つい軍人気質に戻ってしまい状況確認へと窓辺へ出向いた。
吹雪が止んで窓に張り付いていた着雪も溶けて無くなっている。紺碧の色を湛えているガラス窓から見えたものにエミリオはさらに驚愕した。
「え、なんで、重機――」
大きなホイールローダーが、ロサ・ルゴサの裏庭でくるくると回って尖端のショベルをぐんっと跳ね上げている。それがこの二階まで届きそうでさらにエミリオはどっきりとしてしまう。
急いで眠っている藍子へと向かう。深く寝入っている彼女を起こすのは忍びないが、背中を揺すって声をかける。
「藍子、藍子」
「ん? なに……?」
彼女もシフト生活が身についている軍人だ。すぐに目を覚ます習慣がついている。
「玄関前に重機が来ているんだ。こっちに向かって――。こんな夜明けだぞ。工事するような予定でもあったのか? そうでなければあれ不法侵入だぞ。なにかの脅しなのか」
「脅し?」
流石に藍子も実家でなにか起きたのかと、ふっと黒髪をかき上げながら起き上がった。
エミリオが見ろ――と指さした窓へと藍子も視線を向ける。
まだ、ガアガアと唸りを上げながらショベルをくるくる回し、黄色の光をチカチカさせて去って行こうとしない。
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