Fin パパは気高きパイロット

Fin1,もうラベンダー咲いている?

 その場所に行くと、ほのかにラベンダーの香りがする。

 戸塚家リビングのサイドボードに、欠かさずに置かれているラベンダーのドライフラワーに、ポプリのせいだ。


 その場所がお気に入りの子がいる。

 今日もそこで、並んでいるたくさんの写真立てをじっと眺めている。


「ねえ、ママ。いつ、じいじのおうちに行ける?」

「そうねえ。この前行ったばかりだから、今度は夏かな。またラベンダーが咲いたらね」

「きっともう咲いているよ。だって、ぼくのおうちでは毎日咲いている」

「それはね。去年の夏休みに畑でもらって乾かしたものだからよ」

「ばあばに電話して。咲いているか聞いて。瑠璃おばちゃんにも聞いて、篤志おじちゃんにも聞いて。みどりちゃんにも聞いて」


 もう四歳にもなろうかという息子『紫苑しおん』から、毎日毎日、おなじことで質問攻めにされている。

 とにかく藍子の実家『美瑛』に行きたくて、しょっちゅう『もう花は咲いているはず。もう雪がつもったはず』と、夏の休暇と冬の休暇が明日にでも始まるかのように持っていこうとする。


 そのたびに、藍子は申し訳ないおもいがありつつも、美瑛の妹か義弟、手が空いていて出てくれそうなほうに電話をかけていた。


『紫苑、元気かなー。今日はどうしたのかな』

「瑠璃おばちゃん、もうラベンダー咲いたよね」

『んー。まだかな。美瑛はいま雪が溶けたばかりで、雪もないし、畑にもまだ緑の葉っぱもでていないのよ。土ばっかり、いまは茶色の美瑛だよ。これからだね。あ、そうだ。今度の夏休みは、温泉のプールに行こうね!』

「うん!」


 瑠璃もよくわかっていて、優しく諭しては最後に『おたのしみ』を約束して相手をしてくれていた。

 叔母ちゃんとのお電話も終わって、約束にうきうきしたものの、紫苑はまたすぐに、沢山の写真を眺めてため息をついている。


「ママ、土からラベンダーが咲くまでどれぐらい?」

「え……。あと三ヶ月ぐらい、かな。夏がきたらよ」

「はあ、春だよ、いま……」


 最近、この繰り返しに藍子は苦労していた。

 夏に行けば広い大地に花畑、おじいちゃんのレストランがあるおうちで、叔母ちゃん叔父ちゃんが手慣れたBBQを必ずセッティングしてくれ、出てくる食材は美瑛の豊富な上質新鮮な農産物ばかり。シェフのお祖父ちゃんが、どこにも負けないお料理を作ってくれ、美味しいもの三昧。

 冬に行けば、小笠原ではあり得ない真っ白な雪原の世界で、あったかい北国の家でお祖母ちゃんがおいしいホットドリンクを出してくれて、従姉の翠ちゃんと一緒に心ゆくまで雪遊び。スキー場に行けば、スリリングな雪遊び三昧。

 それはもう、パパ以上に『ママの実家大好き』になっているのだ。


「パパとママ、結婚したとき、ラベンダーいっぱい咲いていたんだね」

「パパがね。ママの実家、美瑛に初めてお祖父ちゃんのところまでご挨拶に行った時、夏の休暇だったの。パパ、それはもうラベンダー畑に感動して、お祖父ちゃんのお料理にも感動して、『結婚式は美瑛でしたい』とパパが言いだしてね。それで、ラベンダー畑で写真を撮ることにしたの」

「弦じいも、エレンママも、いる。ぼく、いない……。ぼくもこの時いたかったな」


 そこには、あの美瑛結婚式の時に撮影された写真がいっぱい。

 パパとママがおでことおでこをくっつけて、うつむいて見つめ合い微笑んでいる写真。海軍の白い正装制服と白いウェディングドレス、まわりは足下からラベンダーがいっぱいで、夏の朝早い優しい光彩の空が向こうまで広がっている丘。紫苑、いちばんのお気に入りの写真……。というか、パパがいちばん気に入っているブライダルフォト。


 パパがいつも『これ、パパが撮りたくて撮りたくて、ドレスのママをここまで連れてきちゃったんだ』と、息子をだっこして繰り返し聞かせていた。なので、紫苑はその話が好きになって……いや、すり込まれたと言ってもいい。

 しかもその隣には、ドレスアップしたエレーヌお祖母ちゃんを、弦士お祖父ちゃんが勇ましくお姫様みたいに抱っこしている写真。お祖父ちゃんお祖母ちゃんの背後には楽しそうに笑って寄り添っている花婿花嫁姿のパパとママ――というフォトスタンド。


 さらにさらに。その隣には、ふわふわの白いドレスを着て、花籠を持った妖精のようなフラワーガールのお姉ちゃんもいる。もう一押し、かっこよくスーツできめた当時海曹だった青年三人組もラベンダー畑で肩を組んで笑っている写真。ハマナスに囲まれたお祖父ちゃんのレストラン、ロサ・ルゴサでの、結婚式集合写真。


「ココ姉ちゃんに、カイ君、ユキナオちゃんもいるんだよ。ぼくだけいないのズルい……」


 いつも囲まれている人々がそこにはいるのに『自分はいない』と言い出す息子。

 ソファーで洗濯物を畳みながら、息子の話に受け答えをしていた藍子だったが、すぐに彼のそばに行き、小さな身体を抱きしめる。


「いたよ。ママのなかに隠れていたの。紫苑が美瑛を大好きなのは、きっとお腹の中から、美瑛を覗いていたからなんだね」


 妊娠なんてしていなかったけれど、彼が藍子の身体や意識の中に隠れていたのは本当のことだと思うのだ。

 ママのお話に納得したのか、息子の小さな顔に笑みが広がり、藍子に抱きついてきた。


 クォーターになる息子の髪も目も、黒色寄りだけれど、うっすらと褐色に透けて、なおかつ瞳の奥には翠色が混じっていた。まさにエミリオと藍子の間に出来た子で、その不思議な色合いはほんとうに、様々な色が混じった夜明けの『紫苑』そのもの。

 いろんな要素が溶け込んで、いろいろなことを理解できる、パパのように懐広い男になってほしいと藍子も願っている。


 息子の気持ちが落ち着いたところで、玄関チャイムが鳴った。

 インターホンのカメラをだっこしている息子と覗くと――。


『こんにちは、あいちゃん。紫苑』


 だっこしていた息子が藍子の腕から飛び降りて、玄関に元気よく駆けていく。


「ココ姉ちゃんだ!」


 藍子も息子を追って玄関まで。

 息子が待つ玄関ドアを開けると、そこにはギターを背負った黒髪の女の子。ショートボブカットの彼女が、彼女のママとそっくりなシュガースマイルでそこいる。


「ココちゃん、スクール終わったの」

「うん。今日もお世話になります」

「こちらこそ、お世話になります。シッターさん」


 学校のスクール鞄を肩にかけ、さらにギターを背負っている心美。彼女はいまジュニアスクールに通っている。日本でいうところの、小学生中学年になっていた。


 パパはついにこの基地の『連隊長』となり司令へ。

 ママも昇進して『中佐』に。こちらもついに新島の司令部へと、長年の上官で側近をしている御園葉月中将について単身赴任をしている。

 新島の基地町のマンション住まいで、数日に一度、島に帰ってくる。園田中佐はいま『御園司令』の身の回りを守る『秘書室室長』に昇格。どんと座って構えている夫の城戸少将より忙しそうにしていた。


 心美は小学生ながらも、小笠原の城戸家で、パパとお兄ちゃんふたり、男だけの家庭になっても、平気な顔で過ごしている。ママとの信頼関係もしっかりしているようだった。そして近所にいる藍子も目を配って面倒を見ることになっていた。

 その分、心美は、放課後は紫苑の面倒を見てくれるお姉ちゃんにもなっていて、シッターのアルバイトという形で戸塚家に来てもらっている。


 物心ついたときからそばにいたお姉ちゃんとして、紫苑も懐いていた。

 心美が来てくれたことで、藍子もホッとする。暇を持て余すとすぐに写真を眺めて『美瑛、美瑛』と言い出す息子の気が逸れたからだ。


 心美お姉ちゃんがシッターに来ると、紫苑は彼女のあとをついて離れなくなる。


「ココ姉ちゃん、今日はギターの日?」

「明日、レッスンがあるからちょっとだけ練習したくて持ってきたんだ」

「弾いて、弾いて」

「なに唄う」

「んーっとね、んとね」


 そのまま子ども同士、紫苑の子ども部屋へと向かっていくのもいつものこと。

 そこからギターの音が聞こえてくる。


 今日は懐かしいメロディーが聞こえてきた。

『君の空になりたい』――。

 心美がギターを弾き始めたキッカケになった楽曲だ。


 もともと、生まれた時から音楽を身近に過ごしてきた心美。

 浜松のお祖父ちゃんお祖母ちゃんは洋楽好きで、常に音楽を聴いているおうち。そのおうちで育ったパパと浜松のおばちゃん。その子どもになる双子の従兄、ユキナオ君たちも音楽好き。小笠原の城戸家でも常に、何かしらの洋楽がかかっていた。城戸家の翼、光、心美の世代になるとJ-POPも混ざるように。

 さらに、城戸家は御園家とも親しくしているので『楽器を弾く』という興味を持つことも身近なことだったのだ。

 それは杏奈のように本職のプロにはならなくても、葉月ママのように、また海人のように、お仕事を持っていても『プライベートのお楽しみで楽器を弾ける』という感覚で生きることも『ひとつの生き方だ』と、早い内から理解することが出来ていた。

 あともう一つ、心美がギターを選んだいちばんの影響は、函館・大沼でセルヴーズを極めながら、シンガーとギターも続けて極めている葉子からだった。

 美瑛の結婚式で目の当たりにした声量ある歌声、ギターの音。葉子の唄に感化された心美は、小笠原に帰ってくると『ギター習いたい』と言いだしたそうだ。


 いまは横浜のギター教室で、オンラインレッスンを受けているとのことだった。


 それがもう。大人顔負けの巧みさになってきて、最近はあちこちの結婚式やお祝い事、パーティーに、城戸司令お嬢様の演奏としてひっぱりだこ。

 心美曰く『べつにプロになりたいってわけじゃないけれど、なにかのお仕事をしながら楽器が弾けたらいいなって。杏奈ちゃん以外はみんなそうだよね。海人兄ちゃんみたいに、パイロットなのにピアノとか。葉子ちゃんみたいに、ソムリエなのにギターとか、かっこいいじゃん』とのこと――。まだたくさんの夢が見られるお年頃、城戸家もいまは、息子に娘が『やりたい』と言っていることを、とことんやらせてあげているようだった。


 そんな音楽ある日常が、心美のおかげで戸塚家にも流れてきている。

 夕、放課後、子どもたちの賑わいが聞こえてくる中に、ギターの音。子どもの歌声――。それが藍子の日常になりつつある。


 今日もカフェオレボウルを準備して、苺のフローズンヨーグルトを『おやつ』に盛る。


 夕方近くなると、さらに息子は美瑛のことを忘れていく。

 また玄関チャイムが鳴る。藍子がインターホンのカメラを覗くと、そこには無精髭の熊のような男性が映っていた。


『藍子ー、来たぞ。じいだ』

「パパ、いらっしゃい」


 夫の父親、弦士だった。


 また玄関を開けて迎え入れると、奥の子ども部屋から紫苑が駆けてきた。


「じい! 今日はいっしょのごはんの日?」

「おう。一緒にごはんだ。ママが夜中からフライトだからな。今日はエレンとエミルパパと一緒にお留守番だ」


 大きなお祖父ちゃんの身体に、紫苑が抱きついた。


 紫苑が『美瑛美瑛』と、藍子の実家ばかり行きたがる訳は、ここにもひとつ。

 弦士パパとエレンママはもう『藤沢のお祖父ちゃん、お祖母ちゃん』とは呼べなくなったからだ。つまり、義両親はもう『小笠原のお祖父ちゃん、お祖母ちゃん』。


 結婚して紫苑が生まれてすぐのことだった。

 どちらも防衛パイロット、夫は航海に出る任務がある部署にいて、妻はシフト制のフライト業務。子育てをするには負担が多すぎるだろうと案じた藤沢の両親が決意をしてくれたのだ。

『園田さんのように、私たちも小笠原に移住するよ』――と。

 そんな、まさかとエミリオと驚き、『湘南のバイク屋はどうするんだ』と問うたところ、『もう歳だから畳もうと思っていたところだよ。いま地価も売り時のようだから、この際処分して、小笠原に移住する』と言いだしたのだ。

 エミリオは育った実家がなくなるので戸惑っていたのだが、両親の手がそばに来ることは望むことだったので、『パパとママさえ良いのならば』と了承した。


 ところが、小笠原に移住したらしたで、じっとしていないのも活発な弦士パパらしい。最初は老後の楽しみとして、海辺でサーフィンを楽しんでいたのに、凝り性のせいか、今度は小笠原で『サーフィン専門店』の経営を始めてしまったのだ。


 これがまた観光客にも基地の隊員にもウケて、大繁盛。さらに、藤沢でもバイク仲間がたくさんいたように『サーフ仲間』を小笠原で増やして、いつのまにか顔が広くなっている。

 エレンママも女手として息子夫妻を助けつつも、夫のサーフショップのお手伝いも楽しんでいる。

 バイクも健在で、こちらは夫妻の趣味でつづけている。

 そんな悠々自適の島ライフを堪能しつつ、息子夫妻と孫と楽しく過ごしているのだ。


 もちろん、藍子とエミリオも大助かり。

 いまは、パパママがそばにいるのもあたりまえ。紫苑にとっては『日常のじいじとばあば』なので、一緒にいるのがあたりまえ。故に、遠くにいる美瑛の親戚は特別な時にしか会えないので、『いつ行けるの』と切望しているのだ。


「弦パパ、こんにちは!」

「お、心美もいたのか。じゃあ、今日は心美も一緒にごはんだな。おお? 今日はギターも持参か。なんか弾いてくれよ」

「弦パパのリクエストだと、浜松のお祖父ちゃんお祖母ちゃんとおなじ世代の洋楽になるよね」

「おう。アメリカに住んでいたからな。思い出の曲がいっぱいある」


 弦パパが孫の紫苑をだっこして、リビングへ。紫苑もお祖父ちゃんに甘えるように首に抱きついている。

 そのあとを心美がギターを抱えて、ソファーまで。そこでまた演奏が始まり、藍子は準備したカフェオレボウルのおやつを届ける。


「エレーヌはいま、キャンプのフラワーアレンジメントのサークルにでかけているんだ。帰りにマーケットで買い物してくると言っていたから、あとでくるよ」

「エミルも、夕食ごろには帰ってくると言ってましたから、今日も夕食はその時間ごろでいいですよね」


 軍人を続けていると、特に母親はその時々の状況に合わせていくことに苦心する。子どもたちの環境を考慮して、諦めねばならない状況もあるかもしれない。なるべくそうならないようにと、特に御園葉月中将と、御園隼人少将と、園田中佐が、いま新島でその制度を整えるように頑張ってくれているところだった。


 だから、御園家、城戸家、戸塚家、まるごとファミリーのようにして協力しあっている。


 藍子もいま『少佐』になった。

 そして相棒の海人も、快進撃の昇進を遂げて『大尉』に。ちかいうちに、おなじ階級に並びそうだった。彼がジェイブルーのまとめ役へと頭角を現してきたからだ。

 それは、藍子もおなじ。逆に藍子は女性パイロットが増えてきたジェイブルーでの『教育係』的な役割を担うことが多くなってきた。男女の働き方を双方で理解し合うようにという意識を変えていくための役割。


 そして夫のエミリオはというと――。


 リビングから見える海は夕の色に移ろい、でも、優しいギターの音に包まれている。

 ラベンダーの香りがするサイドボードにある、様々なフォトスタンド。

 その真ん中に、ブロンドの男がフライトスーツ姿で戦闘機と共に映っている写真がある。


 紺と黄の迷彩でペイントされた『ネイビー・ダークネス』と呼ばれる機体。

 その色彩の機体はリーダーエレメントの二人しか操縦することができない。

 夫がいま身に纏うフライトスーツは、濃紺。腕には真っ黄色のワッペン、黒く描かれたイラストは火蜥蜴。サラマンダー。


 戸塚エミリオ中佐。再度、アグレッサー飛行部隊『サラマンダー』に配属されたばかり。

 柳田大佐と共に、ついに、アグレッサーの『リーダーエレメント』を務めるようになっていた。


※次回、戸塚中佐で登場😎

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