42.ほんとうに、恋人だったんだ?


 やっぱりアグレッサーとかいう男に愛しぬかれると、さすがの女パイロットでも精根尽き果てる……と思った。


 窓からそよぐ渚の風。その中、汗ばんでいるエミルの身体に抱きついて藍子は眠っていた。


 白いタオルケットに二人でくるまって。彼がずっと藍子の黒髪を撫でてくれて。それがあまりにも心地よくて微睡んでしまっていた。




 時間は二十三時。だいぶ夜が更けた。


 藍子がうとうとと眠そうにしている時から、彼が『泊まっていくだろ』と耳元で囁いてくれていたので、お言葉に甘えてしまおうと彼の腕に抱かれて眠ってしまう。


 チャイムの音で微睡んでいた藍子は目が覚める。そして裸で寄り添っていた彼も起きあがった。


 チャイムは二度、三度。少し長い間隔を置いて鳴った。やりすごそうとしていたエミルが、さすがにベッドを降りて白いティシャツとスウェットの部屋着を身につける。


「藍子はそのままここにいろ」


 彼が一人でベッドルームを出て行ってしまった。


 誰なんだろう。まだ眠たい身体をそのままにして、でも藍子は少し不安に思う。


 緊急のなにかがあればすぐに電話か、それとも、こうして近所にいる先輩や上官が招集に訪ねてくることもある。それが軍人。


 藍子も不安になって、タオルケットを素肌に巻いたままそっと起きあがる。


『悪いな、深夜に』


 どこかで聞いたことがある男性の声。むこうリビングの灯りがついて、エミリオがいろいろと迎え入れる準備をする食器の音が聞こえてきた。


『ああ、ミミル。お構いなく。ちょっと気になって来ただけだ』


『いえ、隼人さんがわざわざ来るのだから、大事なことですよね』


 隼人さん。そう聞いて藍子は青ざめる。海人の父親、御園准将がこんな時間に彼の家を訪ねてきてしまった。


 どうしよう、このままここに黙っていていいのかと藍子は慌てる。今日のオリエンテーションで、海人のお父様として、奇妙な挨拶を交わしたばかり。ここに藍子がいると知られて、知らぬ顔は失礼? でも勝手に顔を出してもエミリオが困るのではと困惑した。


『でも、すみません。今夜、彼女がそこで眠っているので』


『え、彼女!?』


 藍子も『ええ!?』だった。そんなさらっと、准将殿に言っちゃうの! もう藍子の心は裸のまま大騒ぎ。


『知っていますよね。ウィラード大佐に俺は問いつめられたばかりですよ』


『あれ。本当だったのか』


『はい? なにを言っているんですか。隼人さんですよね、本部に俺と彼女の画像とクレームが届いて、双方に査問しろと指示したのは。俺の返答を嘘だと思っていたのですか』


『いや、接点がどうにも思い浮かばなくて。ミミルが岩国のペア問題を気にして、アイアイの立場だけが悪くならないよう、生真面目な少佐さんが頑張る女の子パイロットのために、仕事目線で味方をしただけかと。ミミルなら、ああいう自分たちの立場だけを守ろうと、相棒を無視してごり押しするヤツには黙っていない性分だろうと思ってさ』


 海人のお父さん、やっぱり鋭い! 藍子はまた血の気が引く思い。査問しておいて、クインがそうです恋仲ですと聞いた返答を、どこかで疑いながらも真実として聞き流していたその心が怖い。


『真実ですよ。彼女はずっと戸惑っていましたが、俺は最初から全力で彼女を落としに行きましたから』


『へえ、ミミルにやっと本気の恋か。ま、純情そうなあの子なら俺も納得だ』


 嘘なのは……。藍子だけだったのかもしれない。藍子はそっとタオルケットにくるまったままベッドの上で膝を抱えた。


 エミルにとっては最初から本気だったから真実。だから堂々と返答できる。


 藍子が孤独の世界にいる扉を開くまで、彼は『嘘の世界も、ちょっと覗いても良いだろう』と藍子を藍子の世界から上手に出そうとしてくれていたのかもしれない。


『だったら。気をつけておけよ、ミミル』


『わかっています』


『それならまた、改めて。明日、俺の管理長室に来られるか』


『はい。時間を見つけていきます。ああ、今夜は海人と一緒に彼女と夕食を。美味かったですよ、海人のカレー。さすがですね』


『さっき、聞いた。彼女も料理人のお嬢さんだとかで、コックピットもキッチンも相棒みたいな人と、あの息子が珍しくかわいらしく喜んでいてな』


『美味いですよ。本当に彼女の料理。俺、そこも凄く気に入って……。あったかいんですよ、彼女の自宅の雰囲気とか料理とか』


 その言葉に藍子は思わず、目元が熱くなる。私のどこが気に入ったのだろうと腑に落ちないところがあったけれど、少しでも藍子らしいなにかを気に入ってくれていたから。


『へえ、それは楽しみだな。今度、お邪魔するかな』


『どうぞ。海人と一緒に料理をするパーティーでもしますか』


『ミミルの男飯も美味いからな』


 では、また。


 御園准将の声はそれが最後だった。


 准将を見送った彼がリビングの灯りを消して戻ってきた。藍子は眠ったふりしていたのに、隣に戻ってきた彼が眠っているはずの藍子の耳元に何度もキスをしたからくすぐったくて声を漏らしてしまった。


「聞こえていたんだろ」


「うん、嬉しかった」


 彼の白い綿シャツの胸に藍子は抱きつく。


 御園准将はなにを伝えに来たのだろう。藍子を恋人にしたエミルになにを気をつけろと言いたかったのだろう。


 聞きたいけれど、藍子は聞けなかった。きっとまだエミリオも御園准将の話を聞いてからになるのだろう。


 エミリオは少し黙って、藍子を訝しそうに見つめていた。


「海人のお父さんとも仲がいいの? 知らなかった」


「飯を作る仲間かな。でも隼人さんはああやって、隊員の様子をこまめに確認しているから俺だけじゃない。確かに俺の飯をたまに食いたいと来てくれるけどな。この住宅地では准将じゃなくて、隼人さんだよ」


「私も男飯、食べたい」


 藍子はなにも感じていないよう、エミルに微笑む。『こんな時間に、准将ほどのかたが、なにを伝えようとしていたのか』なんて気にしないよう。


 少し強ばっていた表情をしていたエミルが、やっと優しく表情を崩してキスをしてくれた。


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