8.戸塚家アシスタント

 お出迎えの波が今度は基地の外へと流れていく。

 そのまま基地の空港から小笠原へと家族と飛行機に乗って帰宅する波と、新島にできた割と大きな街中へと、家族と食事をしてから帰宅する波へと別れていく。


 藍子とエミリオは『一緒に街で食事をする』ことにしていた。

 ただし二人きりで。なので、そばにいた海人が藍子に挨拶に来た。


「では藍子さん、俺は双子と一緒に城戸家の食事会に連れて行ってもらいますから、ここで。お疲れ様でした。また明日」

「お疲れ様、海人。また明日」


 エミリオと二人きりにしてくれたのか、城戸家の輪は少し離れた向こうにあり。海人はそちらへ向かっていく。

 海人が到着すると、彼を真ん中に双子が挟んで肩を組んで連れ去っていく。同時に、城戸ファミリーが動き出す。

 そこでエミリオが気がついた。


「あれ、ココと会えなかったな」


 パパとほぼ同時に下船したのに、いつもは『ミミ!』と駆け寄ってくれる小さなお友達が会いに来なかったことに、エミリオは気がついたようだった。

 藍子も苦笑いをして伝える。


「ほら。チーム瑠璃のメンバーは、いまは私たちを避けているじゃない。平気で一緒にいられるのは海人ぐらいなものよ」

「あ、そういうことか。俺も今回の航海では、双子になんか避けられていたな」

「でしょう。ココちゃんも『ミミに喋っちゃいそう』って小さなおててで口を塞いでいたのよ。園田少佐が『だったらミミと当日までお喋りしなければいいじゃない。我慢できるの? ココったら』と笑っていたけど、『わたし、もうミミと結婚式まで喋らない』ってムキになっていて面白かったの」

「そんなことが。そうか……なるほどな」


 美しすぎるパイロットがシュンとしている姿を見てしまい、藍子は笑いが抑えられなくなる。

 城戸家の輪が移動していく様子を、彼が寂しそうに遠い目で見つめている。すると、パパにだっこされていた心美がちょこっとパパの肩越しに顔を出し、こちらにむける。エミリオの目と合ったようだった心美が、そこでバイバイと笑顔で手を振っている。それを見てエミリオもホッとしたように手を振り返している。


「ほら、ココちゃんも会いたいけど我慢しているのよ」

「仕方がない。瑠璃ちゃんが仕切っているチームの一員だったら情報管理厳守、漏洩禁止だもんな」

「実際、守っているココちゃん凄い。園田少佐がママとしても凄いというべきか」

「瑠璃ちゃんの統率力恐るべし……。軍隊にいたらどんな役職を持っていたことやら」

「あはは。案外気が強いからね、瑠璃。わたし、そんな妹にうんと守られてきたところあるから」


 デカ姉妹と言われてきたころから、男子に言い返してきたのは妹。藍子はいつだって引っ込み思案になってしまってうじうじしてしまう性格。そんなだから、岩国勤務時代に慣れ親しんだ同期生によりかかってしまっていたのかもしれない。そんな藍子を閉じこもっていた世界から、この夫になる少佐が連れ出してくれた。彼から実家がある美瑛で挙式をしたいと願ってくれて、さらに日々を共にしている同僚に上官に親しい人々から祝福される。ほんとうに、もうこれだけでも幸せな日々――。


「さあ。俺たちもまずは腹ごしらえかな」


 エミリオが白い制服姿で藍子の手を握ってくれる。


「うん。新島で人気の和食店、予約しておいたの」

「たのしみだ。やっと会いたかった婚約者と美味いモノ食べて、俺たちの家に帰ろう」


 藍子も彼の手を強く握り返す。

 城戸家と海人が加わったファミリーたちも、どこかで食事をしてから島に帰るのだろう。


 こちらは、婚約者ふたりきりで、しっとりと向き合える大人のお店で、まずは再会の食事を楽しむ。

 フェリーで総合基地がある島に帰ったら、結婚式の準備――と言いたいところだけれど。たぶん……、今夜は……。彼とずっと見つめ合って、熱い肌がいつまでも離れないまま、ベッドルームですごすことから始まるのだろう。



✈・・・



 本当に任務に出かける前と、帰ってきた時の彼ときたら……。

 エミリオと共に休暇に突入して数日、今朝も藍子は男が抱きついたままの状態で目が覚める。

 彼も自分も素肌のままで、いつだって彼の腕が自分の身体のどこかを抱きしめていて、少し汗ばんでいる。すうすうと寝入っているブロンドの彼を起こさないよう、いつもそうっとそうっと彼の腕を除けて藍子は起き上がる。


 まるでもうハネムーン休暇みたい――。

 彼が帰還してきて二日ほどはそんな甘い夜を重ねたが、昼間はもう休暇に入るために、部隊での休暇前の引き継ぎに荷造りにと勤しむ。

 あっという間にその日がやってきた。




 その日は早朝からの出発になっている。

 新居の窓から見える海に日が差して、夜明けの茜が青色に輝き始めた時間だった。


 新居になった一軒家に住み始めて半年以上、その家を二人揃って初めて長く空けるので、念入りに戸締まりを確認する。

 互いの荷物を手にして玄関に立つと『あ~、いよいよか~』と、エミリオがそんなため息をついたのだ。


「もう休暇に入っているのに戸塚少佐ったら。そんな緊張しちゃってるの?」

「緊張というより、無事に終わるのかというドキドキ感というのか。なんだか周囲が俺と藍子よりも落ち着かない空気があると思わないか?」


 エミリオが愛用しているコンバースのジャックパーセルを履く姿を見つめつつ、藍子もそう聞いておなじくため息をついた。


「わかる~。海人も急に瑠璃側に行っちゃって、なんだか口数少なくなっちゃたの。美瑛でまた――とか言ってかわしていくの。昨日からはココちゃんも、あいちゃんも美瑛までバイバイって言われちゃって」

「いまから乗る飛行機も一緒なのに、おしゃべり大好きココがどこまで黙っていられるか見物だな」

「久しぶりに、意地悪な戸塚少佐ぽい顔になっちゃってるんだから」

「藍子はどんな俺の顔がいいのか? クイン、戸塚少佐、エミル、ミミ……」


 変なことを言い出した彼の真顔が、結局は『基地で生真面目にしいてる戸塚少佐』だったので、藍子は玄関を開けながら大笑い。


「やっぱり……、クインがいいかなあ……」

「フライトスーツを着ないとダメだな。新郎の衣装はフライトスーツでいいということになるんだぞ」


 休暇に入ったせいもあるのだろうが、普段はあまりはしゃがないエミリオが、あんまりにもウキウキしているのが伝わってきて、藍子も笑みばかりが浮かぶ。

 あ、いま彼はとても楽しんでいて、仕事の心はどこかに置いてきたんだなと初めて藍子は思う。


 ふたりそろってスーツケースを引きながら玄関を開けると、そこには黒スーツ姿のエドとエリーが揃って並んでいたので、ぎょっとする。


「おはようございます。お迎えにまいりました。ご準備は万端でしょうか」


 御園家からそれぞれ迎えが来ると聞いていた二人だったが、まさか玄関の正面で待機されているとは思わず、気が抜けた会話をしていただけに余計に驚かされる。


「ミ、ミスター・エド。エリー。おはよう。自分と藍子のための結婚式なのに、いろいろと世話になります」

「おはようございます。ミスター・エド、エリー。朝早くから、ありがとうございます」


 藍子はいまも『どうしてこうなったのかな』と思うほどに、御園家に仕える彼らがなにもかも手伝ってくれた幸運に、未だにおののいて恐縮してしまう。海人曰く『新郎新婦だけじゃない、上官同僚知人友人それぞれの願いが入っていて、うちの父親が言い出しっぺだから乗っちゃって乗っちゃって。気にしない気にしない。いちばん楽しんでいるの隼人さんとエドだから。エドはいっぱい仕事をしたい人なの』ということだったので、ほんとうに甘えてここまで来てしまったのだ。


 そうして『ほんとうにいまから新郎新婦、小笠原招待客大移動するんだ』という実感が湧いてきて、藍子も気が引き締まってくる。


「お荷物を預かります。手荷物は別にしてお持ちいただきましたか。以後はこちらのスーツケースは貨物に入ります。ご注意いただきたいとお知らせしたものは入っていませんでしょうか」


 まさかの自宅前が搭乗手続き&保安検査場かと、藍子はまた目を丸くするばかり。

 こんな時、エミリオはきちんと落ち着いている。これが少佐の風格というべきなのか『大丈夫だよ』とミスター・エドに微笑み返している。


「お荷物、預かります」


 出発の高揚にあてられて呆然となってしまった藍子のそばにエリーがやってきて、大きなスーツケースを細身の身体でひょいっと持ち上げた。そのまま、さっと道脇に控えていた黒いピカピカのワゴン車へと運んでいく。藍子はそれもぼうっとして見送ってしまう始末。


「これからお式での藍子様の介添えも含め、戸塚ご夫妻のアシストはエリーが担当いたします。ブライダルでは何度も担当しているプロですので、存分に甘えてくださいませ」

「え、そんな……。式の間だけで結構ですから。ね、エミル……」

「そうだな。そこまで御園の方にしていただくわけには……」

「隼人様と海人様から、くれぐれもと言われております。おまかせくださいませ」


 ご当主一家の旦那様とお坊ちゃんに言われているから、やらせてくれないと困ると迫られたような気もして、藍子もエミリオも『では、よろしくお願いいたします』と素直に受け取った。


 車内も綺麗で高級感満載、ゆったりシートの後部座席へと案内されてエミリオと一緒に乗り込んだ。

 他の誰もいなくて、二人きりだった。


「他の皆様も、それぞれの迎えでセスナを置いている民間空港まで向かっております」


 運転席にはミスター・エドが、助手席にエリーが座った。黒スーツの二人は始終無言なのに、アイコンタクトだけで仕事を進めていることに藍子も初めて気がつく。

 親世代とおなじ年頃だろう男性と、藍子よりちょっと年上かなと思える若い彼女は、出会った時からいつも一緒にいる。


 藍子がそんな二人を初めてまじまじと見つめていたからなのか、エンジンをかけたミスター・エドの目線と藍子の目線がフロントミラーでかっちり合ってしまった。

 藍子もさっと視線を外して、シートベルトを締める。


「ご存じかもしれませんが。エリーは私の実の娘です。以後、お見知りおきを」


『え!?』

 藍子だけでなく、隣のエミリオも初めて知ったのか仰天している。

 なのにミスター・エドは何食わぬ顔で車を発進させる。

 その驚きは黒ワゴンが海岸線の道路へ走り出しても続き、藍子とエミリオはそろって絶句したままの状態になっていた。


 車が住宅地から海辺の道路へ出てしばらく、エミリオがやっと口を開く。


「いや、よく一緒にいるなと思っていたら。そうだったんだ」


 運転席にいるミスター・エドがそっと肩越しに会釈をした。


「海人様からお聞きかと思っておりました。わたくし、独身として通してきたので、たまに娘のことを『気に入っている女性』として側に置いているのかと、ここ数年、誤解されることもままありまして」


 それを聞いて藍子は頬が熱くなる。そこまで思い及ばなかったが、それに到達しそうな不思議に感じている視線を見抜かれていたのだとわかったからだ。

 やっぱり御園家の黒猫さんたちの目は鋭いんだなと痛感すると同時に、だからこそ頼もしくもあるのだと思い改める。


「うわー、知らなかったな。俺なんて、エドとエリーが一緒にいる姿を、小笠原に来た時から見てきたのに。手元に置いて厳しく鍛えている女性部員かと思っていたんだ」

「まあ、合っておりますよ。厳しく鍛えているところです」

「海人が言うところの『谷村のおじ様たち』は、お三方独身かと――」

「独身でも子は持てますからね。といっても、ボスが真一様を、ジュールは不明、私は結婚はできませんので、内縁で子を持ったことになりますね。ちなみにこの子の国はアメリカで、マイアミ近辺に母親と暮らしておりました」

「知らなかったー。海人もなにも言わなかったよ」

「いずれ伝えてくれていたかもしれませんが、海人様も小笠原にお帰りになって一年ほど。最近、お子様である海人様と杏奈様をサポートする若いチームを結成しまして、エリーがそこの筆頭の一人となっております。ですので、海人様と懇意にしてくださる戸塚少佐と藍子様とは、これから娘とその部員がよく顔を出すと思いますので、親しんでいただければ、私もボスとしても父親としても嬉しいです」


 美瑛出発当日に、まさかの父娘です発言。美瑛に帰省、そして結婚式へと向かうわくわく感を上回った衝撃に、車内が再び無言になり静寂が訪れたほどだった。


 それでも、小さな民間空港へ到着するまで、夏の早い朝の爽やかな海を見つめていると、ついに結婚式へと出発するという気持ちで晴れやかになってくる。


「いい天気になりそうだな。北海道も天気が続くようで安心した」

「うん。帰省と結婚式が一緒で、もう気持ちがまとまらなくていま困ってる」

「二度目の夏の美瑛だな」


 そんな会話をしていると、父親に許可を得なければ決して言葉を発しなかったエリーがスマートフォンを片手に、後部座席へと振り返ってきた。


「富良野・美瑛地方のラベンダーも満開を迎えているようですね。明日は早朝からの撮影、素敵なものになるよう、私も努めさせていただきます」

「よろしくお願いいたします。エリー」

「私も夏の美瑛は初めてです。ラベンダー畑も初めてですので楽しみです。藍子様のご実家とお式のおかげです」


 エリーが肩越しに会釈をしてくれるのも恐縮の藍子だったが、彼女がこんなに喋るのは初めてだった。しかも表情が優しいお姉様になっている。

 そして、ミスター・エドもふっと口元をほころばせているのは、今日は父親としてもボスとしても、彼女に『気さくにしなさい』と許可をしてくれたのかなと感じる変化だった。

 お父さんのエドは栗毛に栗色の瞳だけど、彼女は黒髪に青い瞳。マイアミにいるとかいうママ譲りらしい。


 そんな話までしてくれて、エミリオと一緒に打ち解けられたところで、島の小さな民間空港へと到着。

 車を降りると、滑走路には既に小型ジェット機が待機していた。

 機体前方で開けられている扉に低めのタラップがかけられていて、それを昇って搭乗する城戸家の姿も見つけた。


『ミミー!!』


 金髪の男性にだっこされて手を振っている心美がそこにいた。フランク中佐の腕の中から、元気いっぱいに手を振っている。あんまり元気に動くから、あの強面のフランク中佐があたふたして困っている姿まで見えた。何故か藍子のそばにいたエリーが『ぷっ』と噴きだしている。


「いえ……、私、彼とは同年代で、子供のころから知っているので……」


 まさかの、シド=フランク中佐の幼馴染みでもあったらしい。

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