20.Eternal〈エターナル〉


 紫の花が敷き詰められた畑へ。


 白いドレスのまま土の上へと、藍子は降り立つ。

 撮影用に畑の道にはビニールシートが敷かれていて、ドレスの裾が汚れないように支度してくれていた。


 まだ陽射しが柔らかいうちに。美瑛の夏空の青さがくっきりと映しだされ、朝のそよ風にラベンダーが揺れている。


 藍子が降りると、白い制服のエミリオも降りてくる。

 白い手袋を握りしめていた彼が、降りてすぐに両手にはめる。はめながら、翠の眼からの視線が畑へと馳せる。


「満開だな」


 満足げな様子の彼が、ドレス姿の藍子のそばに並んだ。


「俺の夢が叶うな。藍子のドレス姿とラベンダー畑。美瑛の青と紫、そして白い彼女。美しい光景だ。素晴らしい瞬間だ」


 ちょっと気障ぽい言葉選びでも、ぜんぜん違和感がないのは、気高く美しい男だからなのだろう。藍子もしみじみとエミリオを見つめてしまう。


「あなたの翠の瞳と、ブロンドの髪の色、それも忘れないで。その色は私が目に焼き付けておくね」


 そう伝えると、彼が嬉しそうに頬を緩め藍子を見つめてくれる。

 ずっと黙って藍子を熱く見つめてばかりいる。これ、さすがの彼も夢が叶った瞬間で感極まっているのかなと思えるほどだった。


「それでは、お好きに歩いてください。自然なかんじで、ふたりでお喋りをしながらお願いします」


 カメラマンも準備が整って、ふたりのそばでレンズを構え始める。

 いざカメラが向けられると、藍子もエミリオも一瞬躊躇ったりした。


「少し離れて写しますね。先にお二人だけで歩いてください」


 そのとおりに、付き添ってきてくれたエリーとサマンサが控えている畑の入り口に、カメラマンもしばらく佇んでいる。


「花を眺める気持ちで行こう」


 白い手袋の手で、エミリオが藍子の手を握ってくれる。藍子も頷いてそっと歩き出す。

 両脇をラベンダーに挟まれている土の小径、綺麗なビニールシートが続いているので安心してあるけるが、徐々に径が狭まってきて、いつのまにか花に囲まれていた。


「ふたりで自然に会話をしてくださーい」


 来た径のだいぶ離れたところから、カメラ構えたカメラマンが叫んだ。


 エミリオと顔を見合わせ、互いにクスッと笑いをこぼした。


「なにを話すかな」

「やっぱり、昨夜のユキナオ君かな」

「あれ、びっくりしたよな。落ち込んでいるユキナオを元気づけるのも大変だったけどな。これから毎日これの繰り返しかと……。でも憎めないんだよな。今回も俺と藍子のために、瑠璃ちゃんと一生懸命に動いてくれているし、海人の精神が弱った時も男だったからな」

「うん、わかる。男らしい教育、城戸准将と園田少佐のファミリーから英才教育されているよね」


 後ろからカメラのシャッター音が聞こえていたが、だんだんと気にならなくなって、エミリオと他愛もないことでクスクスと笑ったりしていた。

 そのうちに『自然』な心持ちでくつろいでいたせいか、ほんとうに自然にエミリオがドレス姿の藍子の腰を抱き寄せてきた。

 白い制服姿の彼とぴったりと密着する。なのにエミリオは自分が意図してそんなことはしていないような素振りで、藍子を見つめて微笑んでいる。


 彼の翠の瞳がじっと藍子を見つめて黙っている。

 ラベンダーの花々を撫でるそよ風が、ふたりを包む。

 周りの目がいつも気になるはずなのに……。もう藍子は、そっと近づいてくるエミリオの唇をそのまま受け入れていた。それでも人前なので、彼も深く愛してはこず、軽く押して、そのあとは頬に額にとキスをしてくれる。

 ほんとうに……。いつも自宅でふたりきり、誰もいない空間で彼が藍子をめいっぱい愛してくれるキスをそのまま、紫の花がいっぱい咲く中でしてくれる。もうなにも考えられないほどにうっとりと恍惚となれる瞬間。


 心が彼を愛していると叫ぶほどの胸の高鳴りを藍子は覚える。


「エミル、もうここで誓いたい。どんなことがあっても、あなたの妻でいますと」


 彼もこの花の中に包まれて高揚しているのか、うっとりと目を瞑って、額を藍子の額にくっつけてくる。

 白い手袋の手で、ブーケを持っている藍子の手を握ってくれる。


「俺も……。藍子の夫として生きてく。これから一生」


 その言葉を聞いて、藍子もそっと目を瞑る。

 これから教会で誓いを立てるが、それは神と家族と友人・先輩たちの目の前で。

 ここではふたりだけのラベンダーの誓い。『eternal《エターナル》だ』とエミリオがそう言った。藍子もそっと頷く。



『なあ、声かけづらいんだけど』

『しかも美しすぎて近づけない』

『しっ! おまえたち声でかい!』


 やっと二人だけの世界から我に返ると、いつの間にかカメラマンはすぐそばに来ていた。そこから数メートル離れたところ、ビニールシートの小径にスーツの男性が三人。ブラックスーツに銀色小紋ネクタイをお揃いにしている双子と、グレーのスーツに水色のネクタイをしている海人だった。


 あ、見られた――と藍子は一気に頬が熱くなったが、エミリオはなんのその。すぐに笑顔で後輩パイロットへと手を振った。


「海人にユキナオも来てくれたのか」


 基地では気高くお堅い少佐が笑顔で声をかけてくれたので、ほっとしたのか男子三人組が近づいてきた。


「本日はおめでとうございまっす。少佐、藍子さん」

「おめでとうございます。戸塚少佐、藍子さん。ふたりとも美しすぎて、近寄れなかったですよ」


 双子がお祝いを口にしてくれている横で、海人は無口だった。

 あれ、どうしたのかなとエミリオと顔を見合わす。気のせいか泣きそうな顔をしている?


「藍子さん、めっちゃ綺麗ですー。思っていたとおり!! うわ~涙でてきた、なんで~? こんなつもりじゃ~」


 いつもは双子よりしっかり者の海人が涙ぐんでいるので、双子とともに藍子もギョッとする。


「わ、おまえ。マジで藍子さんのこと姉ちゃんだと思ってんだな」

「あったりまえだろ!! エミルさんのことも兄貴だと思ってるよ!!」

「だよねえ。恋人なりたてのふたりのところに、ひょいひょい遊びに行っていたもんな。小笠原に帰って新婚さんの邪魔すんなよ」

「え、ひどいな、ナオったら。だめなのかよ……。ユキもそう思ってるとか?」

「当たり前だろ! おまえ、いつもはきっちり常識的なおりこうさんなのに、そんなことわかんねーのかよ」

「やめろ、ユキ。俺たちも人のこといえない……。海人のところ押しかけるから」


 いつもの賑やかさがそばで繰り広げられ、あっという間に藍子とエミリオは二人きり気持ちを高めていた心が、ふにゃっと緩んだようで笑ってしまっていた。


「ユキもナオも、ゆうべ焦げた前髪、なんとかなったのか」

「昨日の夜、寝る前にサリーがなおしてくれたんすよ。さすがメイクアップアーティスト」

「でもまだちょっと焦げ臭いかも~」

「あれな。良い思い出になるよ。ほんと、絶対に忘れられない前夜祭だったな」

「……今後、ずっと言われるんすね」

「……滑走路のように……」


 双子が面目ないとばかりに『しゅん』としたので、またエミリオが笑い飛ばす。


「いい思い出をくれたよ。ついでに、こっちに来いよ。一緒に雷神で飛ぶようになったチームメンバーとして、記念だ記念」


  少し遠慮する様子を三人男子顔を見合わせていたが、エミリオから歩み寄ってユキナオの腕をそれぞれひっぱりだした。


「カメラさん、おなじフライトの後輩と、妻の相棒パイロットなので、一緒にお願いします」


 カメラマンの男性が『お、いいです。ファイターパイロット男子たちなんですね』と近づいてきた。

 白いドレス姿の隣に海人が、エミリオの隣に双子が並んだ。藍子よりエミリオが後輩パイロットと並べて嬉しそうだった。


 咲いたばかりのラベンダーの花が揺れる中、栗毛の相棒と隣にして藍子もちょっと感極まる。


「藍子さん。おめでとうございます。よかったですね」

「ありがとう、海人。海人がいなくちゃ、私、小笠原にいなかったかもしれないから」


 いつも口が達者で快活な海人が黙ってしまった。やっぱり琥珀の瞳が潤んでいたので、藍子も込み上げるものがきて黙った。


「これからも、よろしくな」


 エミリオのそのひと言がシャッターを押すかけ声になったようで、いつの間にか二、三枚撮り終えていた。

 すると、また畑の小道で、こちらに歩み寄ってくる人たちが。


「エミル! ママも来たわよ」

「おお! なんて素晴らしい花嫁花婿。Great、Great!」


 エレンママと弦士パパだった。


「うわ、ほんとうに来た」


 途端にエミリオが顔をしかめた。

 父と母が目の前までやってくると、先ほどまでの楽しそうな笑顔はどこへやら。基地でいつも見せているお堅い表情にもどってしまった。こんなところ、息子というかパパママがいるときは『男の子』なんだなあと、藍子は笑っていた。

 でも。エレンママがすごく綺麗だったので、両脇にいる二十代パイロット男子ズが呆然としていた。


「わ、エレンママ。めちゃくちゃ綺麗」


 海人が目を瞠るほど、ドレスアップをしたエレンママは年齢など不詳になるほどの美魔女っぷりで、ほんとうにハリウッド女優みたいだった。


「パパと一緒に選んだドレス、どう? ラベンダー畑に合うようにしたの」


 濃い紫のラベンダーとグラデーションになるような、ピンク寄りの薄いラベンダー色のマーメイドドレスだった。

 スタイルがいいから、マーメイドのラインがすごくセクシーで、なのに愛らしい笑顔だから品があって凄く素敵と藍子も感激していた。


 でも、エレンママはそれまではしゃいでいた可愛らしさを急になくして、今度はエミリオを静かに見つめて微笑んでいる。


「エミリオ、おめでとう。小さくてかわいかったあなたが、私が愛した男性のように、人を守る強い男性になって、優しく女性を愛する夫になれて。お母さん、感激よ。しあわせになってね。本日はおめでとうございます」


 楚々と母親の顔で、エミリオにお辞儀をしたのだ。

 エミリオが真顔で黙っている、じっと。わかっている翠の瞳が潤んで濡れている。言葉を発すれば、藍子と後輩たちの前で号泣してしまうからどうにもできなくなっているのだ。なのに――。


「うわ~、なんて感動的な! なんで俺たちがクインさんからもらい泣きしちゃうんだようぅううう」

「少佐が涙なんて見せるからいけないんっすよ。うわーーん」


 ユキナオが先に大声を張り上げて涙を流してるので、またもやエミリオと藍子は一緒にギョッとした。

 でも、そのおかげで、エミリオは涙が止まってしまい、急に笑顔をみせた。


「もう。なんだよ。おまえたち……。ほんとっうに」


 いつもそばで騒々しいけれど、ほんとうに憎めない。そう言いたそうだった。

 そこで気を取り直したエミリオが、土の道の上にいる母親へと白い手袋をしている手を差し伸べる。


「ほら。母さんも来いよ。息子と嫁と、パパと撮りたかったんだろ」


 エレンママがにっこり愛らしい笑顔を取り戻す。あっというまに逆戻り、きゃっきゃとはしゃぎだした。


「パパ、エミルが一緒に撮ってもいいって。はやく、はやく」

「こらこら。そこから先は花の中で土の上だから、靴を汚すなよ。ドレスもだ」

「藍子がドレスであまり動けないから、俺たちは後ろでこのポーズでいるからさ。父さんと母さんはそこで好きにしたら」


 今日は素敵な黒いスーツでダンディにキメている弦士パパとエレンママが顔を見合わせ微笑み合った。


「では、遠慮なく。エレーヌ念願の撮影をしますかね」

「パパ、落とさないでよ!」

「カメラさん。うちの両親と一緒にお願いします」


 カメラさんが若干苦笑いをこぼしているように思えたが、花の中から小道へと戻った男子三人が『まさかのお姫様だっこ!?』と目を丸くしつつも、いいねいいねと賑やかにしてくれる。


「では。新郎新婦に、お父様お母様、いきますよー」


 その声を合図に、弦士パパが逞しくエレンママを腕に抱き上げる。足が宙に浮いてママがきゃーといいながらも嬉しそうにパパの首元に抱きついた。


 カシャっと聞こえたシャッター音。


 真っ白なドレスの藍子と真っ白な海軍正装をしている息子の目の前、抱き上げられて嬉しそうなラベンダー色のママと、かっこよく抱き上げる逞しいパパという構図。

 あとでどんなふうに撮れているのか、やっぱり藍子は楽しみで仕方がなかった。

 なんだかんだ言っていたエミリオも、そんな仲睦まじい両親と一緒に撮影できて嬉しそうだった。

 ほんとうは。あんなにラブラブなご両親を見て育ってきたんだもの。負けないような夫婦になりたいのだろうな。藍子はそう思っている。



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