19.フラワーミッション
これからラベンダー畑へと撮影に向かう。教会からそれほど離れていない畑で撮影許可をもらっている。
車で移動するための支度で忙しくなったころに、エミリオも外出準備のために部屋を出ていく。それでもまた入れ替わりで訪問者がやってきた。
「おねーちゃん、できた?」
ドアを開けて入ってきたのは瑠璃だった。
深いグリーン色のセットアップドレスに妹も着替えている。
控え室の真ん中でベールをつけたばかりの藍子を見つけ、瑠璃も目を輝かせ入ってくる。
「わー、やっぱり素敵素敵! 一緒に選んだラベンダーとカモミールの髪飾りもピッタリ!」
瑠璃が一緒に選んでくれたからだよとお礼を言おうとしたら、もう妹の目が潤んでいた。
そんな瑠璃の手元には、花束がある。
「これ。私が作ったの。ラベンダーは昨日、城戸家の皆さんと、湊君、弦士パパとエレンママが摘んできてくれたものだよ」
ラベンダーとカモミール、そしてハマナスと白いオールドローズでまとめられていた。
心美がリュックにいっぱい挿して帰ってきたことを思い出す。
「ミッションってこのことだったのね」
「うん。昨日のお花は会場の装飾にも使ったから、楽しみにしていてね」
瑠璃は、オーベルジュ経営の手伝いをする中で、施設内のフラワーコーディネイトを担っている。そのために資格も取得。実家のあちこちを可憐に演出してくれている花はすべて、瑠璃が手がけているものだった。
ドレスを決めた時に『妹の私が姉のブーケを作りたい。資格を取った時から夢だったの』と言ってくれたので甘えることにした。その約束のブーケがいま目の前に。
茎を長く残し揃え、束ねた花の下で大きなリボンを結んでくれていた。
『ぎゅっと花を掴む』という意味がある『クラッチ型』と呼ばれる、とてもナチュラルなスタイルの花束だった。
この美瑛の花畑から摘んできて、ほんとうにそのまま束ねたような。だが、そこはフラワーコーディネイトの手腕なしではとれない美しいバランスで整っている。
藍子の目にほんのりと涙が滲んでくる。
「素敵。美瑛らしい、とても自然な雰囲気の花束……。私、華やかで可愛らしすぎたりスタイリッシュすぎたりするより、瑠璃がいつもロサ・ルゴサを飾っているようなカントリーで可憐な雰囲気が好きだから、嬉しい」
「うん。きっとお姉ちゃんはこんなのが好きかなと思って」
さすが妹、姉の好みを熟知してくれていた。
グリーンのドレス姿の瑠璃が藍子に差し出してくれる。藍子もそっと受け取った。
ピンとまっすぐに伸びている紫色のラベンダー、そのまわりを小さな白い花、カモミールが可憐に纏っている。中央には白い薔薇が二種。一重咲きのハマナスと、ころんとしたオールドローズ。
「昨日、みんなが摘んできたラベンダーと、うちの庭のカモミールとハマナス。このオールドローズはね、城戸家で園田少佐がお世話している薔薇を持ってきてくれたの」
それにも藍子は驚き、目を瞠った。
「え、え。小笠原から持ってきたってこと?」
「うん。だって。城戸家の薔薇って、エミル兄さんとお姉ちゃんには馴染み深いものなのでしょう。ココちゃんのご要望で、御園家の輸送部隊が生花を大事に保存する容器を駆使して、昨日の飛行機で輸送してきてくれたの。それを、使わせてもらったの」
「ココちゃんが……? 御園家でそこまで……?」
「ココちゃんと園田少佐から聞いたんだけど。お庭の薔薇って、いつも義兄さんにご挨拶みたいに持っていくお花だったんでしょう。『ミミはココのおうちのバラが好きだからお祝いに持っていくんだ』と言い張っていたんだって。でも大人たちから『そんなことは無理。お店でちゃんと管理されたお花ではないと、大事なお祝いの日にはダメ』と諭していたみたいなんだけど、それを聞いた『シー君』? ええっと金髪の中佐さんが『じゃあ、シー君に任せろ』とが言い出したみたいで。御園家でお勤めとかいう、お母様の輸送部隊を動かしてくれたみたいなのよ」
と、園田少佐『心優さん』から聞いたと瑠璃が教えてくれた。
そこで藍子はハッと思い出す。
御園家のジェットに乗り込んだ昨日の離陸前のことだ。心美がエリーのところまで駆け寄ってきて、心配そうに彼女を見つめていた。あの時、エリーは『万全でございますからご安心ください。シー君のママさんは運送のプロです』と答えていたが、このことだったのか――と藍子は知る。
しかも小さな女の子の『こうだったらいいな』というささやかな願いに、おおがかりな輸送をけしかけて実現させたのは、心美を可愛がっている『強面の警備隊長さん』だと知って、さらに藍子は驚いている。
でも。そのおかげで……。親しみ深い城戸家のオールドローズが藍子の手元にある。
しかし。心美がこの白薔薇を捧げたいのは、藍子よりも先に親しくなったエミリオのほうでは? 新郎が持てない分、新婦に持たせてくれたのだろうか。藍子がちょっと躊躇っていることも、瑠璃はすぐに察したようだった。
「あ、エミル兄さんの分もあるの。これね、新郎用のブートニア」
さらに瑠璃は小さな花束を見せてくれた。
新郎が胸につけるという小ぶりの花束だった。
藍子の花束とお揃い、彼が好きなラベンダーと、可憐なカモミール、でもメインは城戸家の白いオールドローズだった。
「これも素敵。それに、この薔薇……。いつもココちゃんが『ミミ』と笑顔で駆け寄ってくるとき、手に持っていて……」
もうそれだけで泣きそうになってくる。
彼と小さな彼女が紡いできた交流には、このオールドローズが必ず存在していたから。彼と小さな彼女にとっては大事な絆を象徴するものでもあった。
「白い軍服の胸元には挿せないのではと思ったんだけれど。園田少佐が『身内だけの式だから大丈夫。娘の気が済むように受けと取ってくれたら嬉しいと夫の准将も考えている』と教えてくれたから。昨日、食事の前にココちゃんと作ったの。あとで、ココちゃんからエミル兄さんに渡してもらうの」
「いいわね。エミルもすごく喜ぶと思う」
こぼれそうになった涙に気がついた妹が、化粧崩れを心配してすぐにハンカチで目元を拭ってくれる。
「すごい保存ケースで運ばれてきて、ほんっとに摘み立てみたいに綺麗に持ってきてくれてびっくりしたの。いっぱい摘まれてきた城戸家の薔薇は、今日、ココちゃんがフラワーガールになって、お姉ちゃんとお兄さんの歩く道に撒いてくくれることにもなっているんだよ」
そこでさらに藍子は思い出したのだ。
出発前日に、園田少佐に『こんな服を選んだけど、北国の気候的に大丈夫かな』と相談を受けたので、城戸家まで出向いた。その後、城戸家の庭で心美と園田少佐と一緒に庭の薔薇を摘むお手伝いをした。
『あいちゃんパパのおうちのバラと、バラ比べするから持っていくの』と言われて、父・青地へのお土産なのかなと思いながら花摘みを手伝った。その時に『瑠璃ちゃんとも約束している。ミミにはナイショだよ』と聞いていた――。あれって、もしかしてこのための花!?
ミミが好きなおうちのバラをフラワーガールになって、いっぱいまいてあげる!
彼女がそう張り切ったこともすぐに目に浮かぶほどだった。
「……ありがとう瑠璃。いろいろ準備してくれたんでしょう。海人にユキナオ君、ココちゃんとも」
「うん。お姉ちゃんのためもあるけど、美形のかっこいいお兄さんができたから、嬉しくて嬉しくてはっちゃけてるだけ」
少しずつわかってくる『ナイショのお祝い』。
まさか城戸家の薔薇が美瑛までお祝いとして届くとは思っていなかったが、エミリオの心には深く響くお祝いだと藍子も感動している。
だが、涙を拭いてくれたその目を開けると、目の前にいる妹の目も潤んでいることに藍子が気がつく。
「やだ、瑠璃まで……」
「だってだって。お姉ちゃんが結婚する日が来たんだよ。心配していたんだよ。ほんとうに空ばかり飛んでそればっかりでいいのかなって」
閉塞感に押しつぶされそうになっていた自分を藍子は思い出す。
一年半前は岩国で項垂れる日々を過ごしていたのに。エミリオと海人に出会って世界がぐるっとひっくり返るように変わった。すっかり充足した日々を過ごして満たされていたが、そう、妹が言うように空を飛ぶだけの毎日を送っていた。
「国境を脅かす変なニュースを聞く度に、お姉ちゃんもう軍隊を辞めて帰ってくればいいのに、家族みんなでオーベルジュ経営をしていけばいいじゃんって思ってた。でも、エミル義兄さんや、ユキナオ君のふたりも、お姉ちゃん以上に防衛の意思を強く持って国境に行くんだよね……。その道を、防衛の道を選んだ人たち。しかもお姉ちゃんは自分だけではない、夫を見送って帰還を祈る妻になると決意したんだよね。お姉ちゃんだけじゃない、エミル兄さんに海人、ユキナオ君に出会って、わかったの。信じて見送って、待っている家族になろうって――」
瑠璃の目から涙がこぼれ、目線がおなじ高さになる姉をまっすぐに見つめてくる。
「心の隅に『いつどうなるかわからない仕事』と置きながらも、信じて待っているよ。いつどうなるかわからないから、でも……、『この日があってしあわせだった』と思える日にしてほしかったの。お姉ちゃんとエミル兄さんにとっての最高の日にしたかったの。見送ることしかできない妹としてやらせてほしかったの」
ああ、もう。ボロボロと涙を思う存分こぼしたい、流したい。藍子はそう思いつつも、言葉を返せないまま喉を詰まらせ、ぐっと涙を堪える。綺麗に整えたばかりのメイクが崩れたりしたら台無しになりそうだったから。
「あ、ありがとう……瑠璃。ここまでしてくれて……。姉として、なにもしてこなかったのに……」
「デカ姉妹で支え合ってきたじゃない。それに、お姉ちゃん、オーベルジュが軌道に乗るまでの少しの間、仕送りもしてくれたじゃない。私、仕事を辞めて美瑛に来た時に役に立たせてもらったよ」
妹がOLを辞めて実家手伝いをすると聞いたので、その補填のつもりで一時期の援助をしただけ。それだって、大事な妹が実家を支えてくれる決意をしてくれたから、姉として遠い基地から力になりそうなこととして思いついたのが仕送りだっただけだ。ただ、金銭的なことしかできず……。
「お姉ちゃんが、身体を張って空を飛んで得たことで支えてくれたから……。防衛をする人たちが、どんな想いで、同じ世界を生きているか知ったから。だから、素敵な日にしたかった私の願いなの」
妹がつくってくれたブーケを握りしめ、さらに藍子は瑠璃の両手を強く握った。
「瑠璃、ほんとうにありがとう。エミリオと一緒につつがない日々を送るから。美瑛にも何度も彼と帰ってくるからね」
「うん。絶対だよ」
姉妹で涙ぐみながら抱きあっていると、またドアが開く。
白い制服姿のエミリオだった。姉妹が静かに向き合っている様子を知って、入室を躊躇っている。
だが、そんな義兄を見つけた瑠璃が、あっという間に涙を拭いて目を輝かせた。
「わ! エミル兄さん!! わーわー、ほんっとうに素敵!!」
ブロンドの美しい男が真っ白な海軍制服姿でそこにいるので、瑠璃が飛び上がった。
エミリオも照れて戸惑っている。
「ねえねえ、義兄さん。約束してたでしょ。私と写真撮って撮って。あ、お姉ちゃんと一緒で、私、二人に挟まれて写りたーい」
またまた積極的な瑠璃が、ドアを開けたまま佇んでいるエミリオへとすっ飛んでいき、腕を掴んでぐいぐいと藍子のそばへと連れてきた。
「わあ……。ほんとうにエミル義兄さん、綺麗だね。美しすぎるってほんとうだね」
「いや。だから、そのキャッチは広報が勝手につけただけで」
「ううん。義兄さんの心も綺麗だって、私、知ってるよ。お姉ちゃんを幸せにしてね。お姉ちゃんもきっとエミル兄さんを幸せにしてくれるよ。私と篤志君も、姉夫妻と一緒に」
「もちろんだ。これから家族だからな。よろしくな、瑠璃ちゃん」
いつも以上にきらきらとした容姿になった『美しすぎる義兄』に上からじっと見つめられ、さすがの瑠璃も『はあ、素敵』と頬を染めていた。
「あ、篤志もそこにいたから、撮影してもらおう」
再度エミリオがドアへと向かう。彼がドアノブを掴もうとしたのだが、その前にドアが勝手に開いた。また新しい訪問者が姿を表す。
「ミミと藍ちゃんは、ここ?」
開いたドアの隙間から、ちょこんと顔を出したのは心美だった。
ショートボブの黒髪に、たくさんの飾りピンをつけている。その飾りが藍子と同じ、ラベンダーとカモミールの花だった。
「ココ、来てくれたのか。こんな朝早く、眠くないのか。大丈夫なのか」
「うん! いっぱい寝たよ。ロサ・ルゴサのお部屋、とっても綺麗でかわいくて、ベッドもふかふかだったし、お風呂もいい匂いだった」
ドアからひょいっと姿を現した心美も、既に真っ白でふわふわのドレスを着ていた。
にっこりとエミリオを見上げる小さな彼女。またエミリオは茫然としていた。
それでも、いつもの優しい大人の微笑みを浮かべ、エミリオが心美の目線へとひざまずく。
「ココ、素敵だな。うん、かわいいな」
「えへへ、あいちゃんとおなじ白いドレスにしたよ。着たらね、すぐにパパがいっぱい写真を撮っておもしろかった」
「あ~、きっとそうだろうな。パパ、心美が美人さんになって嬉しかったんだよ」
「ママと結婚したときのドレス、思い出したって、こんどは泣いていた」
「あはは。あ~、そうなんだ。うん、さすが、ママが大好きパパさんだな。髪の飾りは藍子とお揃いなんだな」
「あいちゃんと、スマホでいっしょにドレスを選んだときに、瑠璃ちゃんとママが一緒がいいって言ったの。かわいいお花だったから、あいちゃんと選んでお揃いにしたの」
いつものふたりが、お互いに白い衣装で向き合っている姿も微笑ましいばかりだった。
藍子と瑠璃もそっと見守っていると、心美が急にハッとした顔になる。
「あ、瑠璃ちゃん。ミミのお花」
俺のお花? エミリオが訝しそうにしている。瑠璃も気がついて先ほど見せてくれた『ブートニア』を、心美へと持っていく。
瑠璃から受け取ると、向き合っているエミリオへと心美が差し出した。
「瑠璃ちゃんとつくったの。ミミのブーケだよ。昨日、お花畑で心美がとってきたお花だよ。ちいさいけど、お嫁さんとお揃いなの」
ひざまずいているエミリオが、藍子が持っているブーケを見た。そして、小さな手で差し出されている自分のブーケを見る。
「薔薇があるな」
「これ、藍ちゃんパパのお店のバラと、いつもミミにもっていく心美のおうちのバラ」
一重咲きの白いハマナス、ころんとした八重の白いオールドローズ、それを彩るほんの少しのラベンダーとカモミール。ちいさくまとめられているが、そこには『エミリオと心美の思い入れあるもの』が揃えられていた。
「小笠原から?」
「うん! エリーちゃんとお仕事一緒の人たちが、しおれないように持ってきてくれたの」
それだけでエミリオも察したようだった。御園家の輸送部隊が、心美の願いに全力で協力してくれて、なおかつ、それをエミリオに届けてくれたということに。
エミリオの目も潤んでいた。心美を見つめたまま……。
「ココ……、ありがとうな。うん、俺は心美が持ってくるバラが大好きだ」
「パパがね。きょうは、海軍でも胸につけておっけーって言ってたから大丈夫だよ」
そういって笑った心美が『はい』と、目の前に見える胸ポケットへと差し込んだ。
白い制服に白薔薇だと目立たなかったかもしれないが、ラベンダーの紫が白い薔薇を引き立ててくれていた。
「ありがとう。フラワーガールさん。嬉しいよ。ほんとうに嬉しい」
「結婚、おめでとう。ミミ」
あ、もうクインさん。あっという間に涙腺崩壊だったようで、涙ぐみながらも微笑んだまま、ずっと心美の黒髪を撫でていた。
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