24.男子の反抗期



 この日は、燃えるような夕焼けだった。どこまでもオレンジ色に染まっている。

 バイクに乗って、久しぶりのその店へ向かう。まめに料理をする恋人ができたので、ふらっと外食に頼ることもなくなってしまった。


 銀次はマイカーのワゴン車で到着。二人一緒に駐車場で落ち合って、店の中へとはいった。

 天井に大きなシーリングファンがゆっくりと回っているアメリカンな造りの店内には、洋楽が流れていることが多い。


 今日、エミリオが店に入った時には、『The Rubettes』の《Sugar Baby Love》が流れていてた。両親が好きで子供の頃からよく聞かされていた曲だった。


「めっちゃ久しぶりだな。たまに家族三人で日曜のランチとかに来るくらいだから、平日の夜はまた雰囲気違うな」


 ああ、そうか。夜だから、甘い曲が流れているのかと気がついた。家族連れが多い時間帯と独身の隊員が多い時間帯と流す曲を分けているようだった。


 そのせいか。確かに若い隊員が多い。古参の高官もたまに顔を見るが、きっと銀次同様に家族で休日のランチか週末のディナーとして来ることが多いのだろう。やがて、若い隊員に気遣わせたくないと平日の夜は、連隊長の御園少将行きつけの幹部が集まるショットバーへと通う店が変わっていくと聞いたことがある。


 さて、海人がどこかと見渡したのだが、まだ来ていないようだった。

 そのうちに、この店のオーナーである『秀太郎』がエプロン姿でこちらに向かってきた。


「いらっしゃい。久しぶりだね。クインにシルバー」


 四十代のその人は、この店の二代目オーナーだった。父親が初代でいまは息子に経営を譲り、厨房を手伝うのみで店内にはほとんど出てこなくなったらしい。それでも、古参の幹部がやってくると惣菜がならぶガラスケースまで出てきて、久しぶりの会話を交わしてオーダーを取ることもあるとか。しかしエミリオはこの二代目の秀太郎オーナーとのほうが馴染みがある。


「お久しぶりです。オーナー」

「聞いたよ、エミル。おめでとう。婚約したんだってな。どうりで最近、ここに来なくなったと思ったよ。そうして家庭が出来ると自宅で食事をするようになるもんな。それはそれでめでたいことだと、独身隊員が見えなくなるとそう思っているんでね」


 まったくそのとおりだったので、エミリオもぐうの音もでない。それにいま気がついた。そういえば俺、ここのところ、外で食事をしていない――と。


「俺、まだそのフィアンセを一度も見かけたことないんだよな。つまり、彼女のメシで事足りちゃっているってことだよな。なかなか強敵だな。今度、つれてきな」


 そういえば、藍子もここに連れてきたことがないということまで、エミリオはいま初めて気がついた。

 ほんとうに、ほんとうに、彼女の家で過ごすことだけで非常に満足している自分がいたことを改めて痛感してしまった。


「小笠原の隊員になったらまず、うちの店を紹介してくれるもんだと思ってたらなあ。これだもんなー」


 初めての離島基地勤務になって、どこで食事をするんだろうと戸惑う新入隊員たちに教えるとなったら、キャンプのダイナーか、基地の外ならこのアメリカン惣菜カフェなのは確かだった。


「近いうちに彼女も連れてきます」

「そうか、楽しみにしているな。海人からも聞いたけど、彼女、シェフの娘なんだってな。オヤジさんが美瑛で人気のオーベルジュを経営しているって、本格的じゃないか」

「はい。どの料理も最高でした」

「なんか嫉妬しちゃうな~。クインが俺の店に来なくなったのは、シェフ譲りのメシが作れる彼女のせいか~」


 もう、どうしようかなと言うくらいに、ご無沙汰になったことを責められているのか、婚約したことをからかっているのかわからなくなるのだが、これが二代目オーナーの気質みたいなものだった。


 なにせこの二代目オーナーは、あの英太先輩と仲が良く、プライベートでもよく会うようで、あの素直じゃない英太さんに対してずけずけものが言える一人。そのため、口がすこーし悪いけれど、隊員をいつも気にかけてくれるみんなの兄貴でもある。


「彼女の父親がもし島に来てくれることがあるなら、絶対にここを紹介しますよ」

「おう、楽しみにしている。まずは彼女を連れてこいよ。負けないもん、食わしてやるから」


 相変わらずの兄貴顔だったが、その彼がふっと表情を和らげた。


「海人なら来ている。事情も聞いているから、今夜は平日で人も少ない曜日だから、テラスを貸し切りにしてあるよ」


 外のテラス席はこの店の人気のテーブルだった。そこに座れたらラッキーと言われているほどだ。

 だから予約を取って座れるテーブルを二代目店長の秀太郎がつくった。そこでサンセットが美しい海と浜辺があるテラスでプロポーズをする隊員をみるようにもなったし、結婚記念日を予約席で祝う隊員もみかける。


 そんな人気のテラス席をすべて貸し切りにしてくれたというから、エミリオは驚いた。

 そのとおりに、いつもオープンになっているテラスへのドアは全て閉め切られ、海人がいると教えてくれたのにその姿もみえないように衝立が置かれていた。


「ゆっくり話したいというから、そうしているから。ここなら母も父も今夜はこないだろうってね」


 御園家の事情など既にすべて飲み込んでいる民間人のひとりだとエミリオは知った。


 それもそうか。初代のオーナーは、御園葉月少将がこの離島基地の隊員になった頃から行き着けだったとのことで初代オーナーの顧客という括りになっている。いまは秀太郎オーナーが築いてきた客層が多い。御園少将は、いまでもたまにふらりとやってくるというが、連隊長になってしまったため、隊員が多い時間帯にくることはほぼないと聞いている。


 だから海人がわざと、独身隊員が賑わう時間帯、平日に指定してきたのだとわかった。


「先にオーダーを取っておこうか。あとでテラスに持って行くから」


 海人が既にオーダー済みだということで、エミリオと銀次は一緒に大きなガラスケースへと、秀太郎オーナーと一緒に向かう。


「ひっさしぶりだなー。やっぱここにきたら、ローストチキンだな」


 銀次からサクサクと注文を始める。終わったらエミリオも。


「俺はポークリブと、ジェノベーゼのパスタサラダと……」


 アメリカンな惣菜と名物のサンドをひとつ、そしてジンジャーエールを頼んだ。


「持って行くよ。海人と待っていてくれ」


 秀太郎オーナーと会計を済ませ、銀次とふたりでオープンテラスへと向かう。


 ラタン織りの衝立で目隠しをされているテラス席へ行くと、渚へと降りる階段がすぐそばにあるテーブルで、海人がひとり座っていた。  しなやかな栗毛が潮風で揺れていて、いつになく寂しげな眼差しで波打ち際をみつめている。その表情だと遠目に見ると、母親にそっくりの雰囲気をまとっていた。


 ライムソーダを飲んでいた海人が、エミリオと銀次が到着したことに気がつき、席を立った。


「お疲れ様です。わざわざ来てくださって、申し訳ありません」


 丁寧なお辞儀をするところに、育ちの良さが垣間見える。

 いつもの軽快な明るさも抑えめだった。


「いいんだよ、いーんだよ。御園の坊ちゃんから誘ってくれるなんて、嬉しくてさ、エミルと即了解の返信しちゃったぜ」


 こんな時はこの先輩が軽快にしてくれる。こんな男だからリーダーになれるのだと、エミリオも思っている。


「俺も久しぶりにここに来た。すっかり藍子の食事が日常になってしまって、いまそこで秀太郎さんに散々言われてしまったよ」


 エミリオなりの冗談も付け加えながら、サラマンダーの二人一緒に、海人の向かいへと座った。


「海人も座れよ。なんだよ、そんな丁寧にしなくっても。今日は上下関係なしの、近所の兄貴と後輩で行こうぜ」

「ありがとうございます。柳田少佐……、ではなく、銀次さん」


 やっと海人がいつもの明るい微笑みを見せてくれ、エミリオもほっとする。


「とは言え……。やっぱ、あれだよな。家族ではない俺たちですら、あんな衝撃的な事件の真相を見せられちゃショックしかないわ。当時、両親ともに現場にいて、あ、兄貴の英太さんもか。あそこに海人の家族が揃っていて、あのような状況に遭遇していたと知ったら、そりゃびっくりするよな」


 しかも銀次からさらっと本題に切り出した。そのせいか、かえって海人がほっとした顔をしたのだ。銀次のこういところ、エミリオも頼っているから安心をした。


 海人も、そっと眼をつむってひとこと呟く。


「知りませんでした。母が自分の地位と引き換えに、クルーを護っていただなんて」


 ウィラード大佐が教えてくれたとおりに、息子であるが故に、母親がどうして歴任してきた艦長任務を辞したのか、その経緯を初めて知ったということだった。


「いえ、どこかでわかっていたんです。いざそうなれば母はなにかも投げ出せる人だと。この人は……、自分を常に追い込まないと生きていられない人なんだって。ジュニアスクールの高学年ぐらいからふとそう感じていました」


 こちらもいきなり本題に触れてきた。


「でも。最前線を護っている母であることが俺の自慢であって誇りでした。それをいきなり奪われた気がして、母に怒って怒って、反抗をして、はやくあの家を出て行こうと思っていたんです」


 エミリオは初めて気がついた。いつものお日様サニー君の明るさと調子の良さは、こうした彼の影を隠すための、またはそんな自分を知られたくないがための虚勢であったのではないのかと。


 銀次も同じようだった。


「でも、それって当たり前の子供のあり方だよな。うちの息子もいま盛大な反抗期だぜ。なにを言っても聞いても怒っていてさ。司令部本部の秘書官だった奥さんも、めちゃくちゃ手を焼いているよ。親が仕事出来れば、子育ても上手なんてことない。御園家も同じ。海人も俺もエミリオも同じ道を辿ってきているんだ」


「そうなんですね。ですけれど。俺の場合、母とのわだかまりを持ち続けた年月が少し長くて……。候補生として浜松へと実家を出られたときは、少しほっとしたんです。遠い北海道の基地へと希望したのも、実家から離れたかったからです。もちろん、島育ちなので、北国への憧れもあってのことでしたけれど」


「ふつう、普通だって。なあ、エミリオもさ。パパママと仲が良いけれど、多少はあったんだろ」


「もちろん、ありましたよ。うちの父と母は始終いちゃいちゃしているので、思春期のころはそれが嫌で『恥ずかしいからいい加減にしろ』と怒鳴ったこと何度かあったかな」


 海人が驚いたのか目をい開いて、エミリオを見た。


「えー! そちらのほうが信じられないですよー! 藍子さんから聞きましたよ。仲の良いご夫妻で、いつまでも恋人同士のようで、エミルさんもそんなご両親を自然体で接して大事にしているって」


 さすが相棒、彼女も素直に話しているんだとエミリオは笑う。


「だから。思春期の『このやり過ぎパパママ、くたばれ!』を通り過ぎてきたからだって。そんな両親であって欲しいと思えるようになったのは……」


 またエミリオはそこで嫌なことを思い出したから、一時言葉を止めた。そう……。烏丸夫妻、女のほうに友人ともども弄ばれたころだった。


「あの女と烏丸が、俺たち若いパイロットを無碍にして、自分たちだけ、いいとこ取りをした後だ。訓練は過酷、任務も非情。すり切れ始めた心を癒やしてくれたのは、やはり父と母だった。夫と妻の時はいちゃいちゃしているが、父と母の顔になった時の頼もしさ――。だからだ。俺はこの空を護って、国を護って、父と母にはいつまでも幸せに暮らしてもらおうと思って空へと向かえるようになった」


 そうだったなと、エミリオは思い出したのだ。

 それをそのまま、海人に話していた。きっと銀次にも話すのは初めてだ。


「父と母がいなければ、俺は自暴自棄になって、どこかで事故を起こしていたかもしれないし、人を踏みつけてでも復讐をしてやろうと躍起になっていたかもしれない」


「戸塚少佐が……、そんなふうに……? 知りませんでした」

「なるほど。気高いクインは、弦パパとエレンママの愛から培われてきたわけか。両親に恥じぬ気持ちで、クインであれ――と言ったところか」


「だから。葉月さんの、絶対に許せない悪がある。あるならそこへ向かわなければ生きていけないという気持ちは、俺もわからなくはないな……。息子の海人には、海人の望みがあったとは思うけれど」


 話が始まったところで、秀太郎オーナーが三人分のオーダーした食事とドリンクを持ってきてくれる。

 エミリオには自家製ジンジャーエール、銀次はレモネードが目の前に置かれる。


「シュウ兄、俺にはおなじライムソーダをおかわりで」

「オッケー、海人。子供のころから、これが好きだな」

「ここの自家製ドリンクは大好きだよ。俺の地元の味。こればっかりは、千歳にいても懐かしくて、恋しくなったりして。また飲めるようになって嬉しいよ」

「俺も。海人が立派な防衛パイロットになって戻って来て、軍人として客になってくれて嬉しいよ。では、ごゆっくり」


 子供のころからの顔なじみなのだろう。海人は安心しきって、この場を選び、秀太郎オーナーに頼ったのがわかる雰囲気だった。


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