25.最前線に行かなくなった母のこと


 食事の席が整い、海人は再度、話を続ける。


「銀次さんも、エミルさんも。なにもかもご存じのようですね。英太兄にも確認しました。小笠原のサラマンダー飛行隊に転属になるとき、横須賀の長沼さんから、御園の事情を聞いてから来られたと」


 本題の本題、ついに核心へと迫ってきた。エミリオも緊張してくる。


「だとしたら、母がどのような境遇の人であるかは、ご存じなのですよね。御園を標的にした殺人があったことも」


 銀次から答える。


「そうだな。どんなやつが犯人で、海人の伯母さまにあたる葉月さんのお姉さんがどう亡くなったかも……な」

「子供だった母がどんな仕打ちをされたかも……ですか」

「大佐だったころに、隼人さんとの旅行の帰り、横須賀で同じ犯人に刺殺されそうになったこともだ」


 銀次と揃って、エミリオも頷く。そこまで教えてくれたのは、葉月さんと寄り添って地位を得てきた長沼少将からだった。


 その話題が許される当事者一家の子息がいても、口にはし難いことばかりで、とてもではないが、エミリオはなにも言えそうにない。


「エミルさんの言うとおりですよ。母は、誰かに追われるように、自分を律するためにずっと過酷な環境に自ら飛び込んでいたんだと思います。子供の俺はなにも知らないで、そんな母のことは崇高なプライドで献身的に防衛をしていたと思っていたものですから、母が訓練校の校長に収まったことで、納得できないことがたくさんありました」


「いや、崇高なプライドで防衛職に勤しんでいる者も多いと思うけど、そうでない隊員だってたくさんいるさ。軍人になった理由も目的もそれぞれ。ただし責務は全うするのが使命だけれど、それは社会人になればどんな仕事もおなじだ。俺だって、ただパイロットという職にチャレンジしてみたらこうなっちゃっただけで、もちろん、やるとなったら責任を持ってやってやるというプライドかな」


 銀次が誰だって崇高な気持ちを持っているわけじゃない、お母さんの葉月さんも誰とも変わらないと諭そうとしたが、海人が首を振る。


「もちろん。成人した自分もそこはわかっています。母が自宅では精神を乱していることは、この目で見てきたので、父から実家の過去の事情を聞かされた時に、初めて腑に落ちました。母がそこへ向かって身を置くこと護ることで、足りなかったなにかを埋めようとしている。だから母を見守ってきた父が、そこへ送り出してきたんだって。母が生きていくために、必要だと思っていたんでしょうね。なのに、母があるとき、あっさりと陸に上がった。まだまだ艦長を続けられる年齢だったので、突然、期待を裏切られたようでショックでした。俺も子供でしたね」


「で。今回のソニックオーダーで、その真相を知ってしまった――ということか」


「ですね。母にとって集大成だったのかもしれないと……やっと、ここ二、三日で飲み込めるようになりました。あんなことをしてまで護ったのだから……、きっと、……」


 そんな海人を見て、エミリオはウィラード大佐の言葉を思い出す。『あの人が笑顔を見せれる時が、あの人にとって終わりを意味していた』というあの話。その笑顔で艦を下りたときは、彼女の中でなにかの区切りが付いた。しかし、息子はそれを受け入れてくれなかった。そして、その理由を軍人の守秘義務で言えず、未成年の息子にはお家の悲惨な過去はまだ話せずにすれ違ったということらしい。


 今回の演習計画のための資料で、息子は初めて軍人として、その事情を知る。すべてピースがかっちりと合ったものの、すぐには受け入れがたく、あのような反抗的な態度を緩和させることはできなかったのだろうと、エミリオは思う。


「母が裸になると、傷だらけなんですよ。でも、俺も妹の杏奈も、そんな母を普通だと思ってきたんです。父からは任務の功績だと聞かされていたから、軍人の勲章なのだと妹と思ってきました。でも……。夜も眠れずに、家の中をうろうろと歩き回って、時々息苦しそうにうずくまっている母を知った時、俺の母親は普通じゃないんだな。いや、これが軍人なのかなと思ってきたんです。だから母は、女の身体に傷を付けてまで頑張っているから、男達が付いてくる『女性将官』に上り詰め、艦長を任され、最前線を護っているのだと――」


 だんだんと話が生々しくなっていく。手元は聞きながら平静を保つために、惣菜を口に運んでいたが、味もわからないまま飲み込んでいる状態だった。


 それでもエミリオと銀次は先輩の顔を保って、海人の話を聞こうと努める。銀次とそう決めてきたのだ。今夜は海人が話すことの聞き役に徹しよう。彼にも話す相手が、家族以外でも必要になったのかもしれないと決めてきたのだ。


「浜松の宿舎に訓練生としてあの実家を出る時でした。父が、いままで子供として不思議に思っていたこと、胸に溜めてそのまま聞けずにいたこと、全て教えてくれました。俺が、御園の長男でこれから先、御園を背負っていく男だから知っておいて欲しいと言われましたが、自分は疑問に思っていたモヤモヤがすべて晴れるのと同時に……、やはりショックでした。皐月伯母は俺が生まれる随分前に亡くなっていたけれど、母が大好きな歳の離れた大人のお姉さんだったと、いつも明るく話してくれていたし。従兄の真一兄さんも父子家庭で育ったと思っていたのに……。いろいろと、複雑な環境で母が生きていたことを知って、さらに父が献身的に支えてきたことや、その覚悟が並大抵ではなかったことも。でも十八の俺には背負いきれませんでした。母は精神的に苦しくなっても艦長を続けてきた人だと思っていたんです。母が艦長を辞したことへの不満もあって、俺、逃げたんです。あの実家から。母から」


 そんなの、誰が聞いても、海人の心境が理解できるだろうから、逃げたなんて思わないとエミリオは言いたかったが、軽々しく言える気持ちにもなれず、言葉が出てこない。


「それからなんだか、母を避け気味になっています。自分一人になった浜松では、ユキとナオが、さりげなく付き合ってくれましたし、千歳では岩長中佐がご家族で良くしてくれました。息が出来た気持ちでいました」


 そこでレモネードをひたすら飲んでいた銀次が挟み込む。


「だったら。今年の新部隊新設で、小笠原部隊に抜擢されたのは驚いたってことだよな」


「もちろんですよ。ガンさんだって気がつかなかったほどの、陥れるみたいな研修をさせられて合格だから新部隊に来いなんて言われて。でも岩長中佐に言われたんです。この仕事をしていくなら、どこに親がいるか関係ない。どの部署でもジェイブルーパイロットとして勤めるべきだと。今回でなくとも、いつか小笠原のどこかの部署に行くこともあるかもしれない。その時に親がいるからと避けていくのかと、叱られました」


 さすが、彼のお目付親代わりとして選ばれた人だけあるようで、海人は家族ではない年配者に諭され、仕事として生まれ故郷の島に渋々ながらも戻って来たということらしい。


「ですが――」


 さきほどまで重苦しそうにしていた海人が、残り少しのライムソーダを飲み干した。その時の彼の表情はすっきりしたようにエミリオには見える。


「戻ってきて良かったです。そうでなければ、アグレッサーの演習として、あの資料に会うことはジェイブルーパイロットとしてなかったことでしょう。ずっと……、ガキみたいな息子だったかもしれません」


 それと同時にちょうど、秀太郎オーナーが、海人が頼んだおかわりのライムソーダを持ってきた。


「灯りをつけておくな」


 燃るゆ海の夕焼けが、美しい紅色の日暮れへと色が変わっていた。薄暗くなってきたオープンテラス席に、秀太郎オーナーがもう一つと、ランプを追加して置いていく。

 優しいピンクトルマリンのような色合いの空と海と渚で、海人がやっと惣菜を手にして口に運んだ。


「うっま! 俺、子供のときから、このポークサンドが大好きなんですよ~。空手教室の帰りに、迎えに来てくれた母がよく連れてきてくれました。海野家の晃と一緒に食べさせてくれて」


 いつものお日様サニー君に戻ったようだった。子供のころの思い出を、楽しそうに話してくれ、エミリオもほっとする。隣にいる銀次もそのようで、彼もひといきついて、手元のローストチキンを頬張っている。


 そんな海人が、ほっとした少佐二人を目の前に唐突に言い出した。


「で、ですね。心の整理もついたので、俺から藍子さんにいままでのことを伝えたいと思っています」


 安心をしてパスタサラダを口に運ぼうとしていたエミリオの手も止まる。


「そうか。藍子に、海人から話してくれるのか」

「はい。相棒ですからね。長くお付き合いもさせてほしいと思ったら、避けて通れないと思いますから。俺から御園の話をするのは藍子さんが初めてなんですよ」


 それにもエミリオは銀次とともに驚き、ふたり揃ってぎょっとした。


「そうだったのか。ユキナオには海人から告げていたのかと」

「まさか。父から聞いたばかりの話を、まだかみ砕けていない成人前だった浜松時代に、人にほいほい話せないですよ。ユキナオはたぶん雅臣さんから聞いたんでしょうね。うまい距離を取ってくれて気兼ねがない先輩でいてくれたことには、いまでも感謝しています。それで、その、」


 海人が口ごもり、しばらくして、エミリオと銀次に深く頭を下げてくる。


「その、フォローをお願いします」


 初めて自分から同僚に自分の事情を話すという海人。それはもちろん、藍子にも関わる話なので、エミリオは『協力』するに決まっている。

 ただし重たい事情ではある。それでも、藍子ならきっと……。オーキッドのような紫に変わり、夜のとばりが降りてくる海を見て、エミリオは確信する。


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