39.俺のビーフカレー


「嬉しいなー、仕事の相棒が料理に理解ある人で、嬉しいなー」


 海人の家に一緒に帰宅。藍子も制服姿のままお邪魔する。


 二人でアメリカキャンプのマーケットで買い物をしてから帰ってきた。


 そのマーケットに寄ったら大変。海人の顔見知りのアメリカ奥様たちが『カイト、おかえり』、『まあ、立派になって』と彼を取り囲んだ。


 今度、俺と一緒の機体に乗ることになった藍子さん――と紹介されると、『お母様と同じ女性パイロットと仕事することになるなんて。素晴らしいわ、カイト!』なんて奥様たちがわいわいと、まるで海人の小笠原凱旋の如く賑やかになった。


「すごかったねー。マーケットでの奥様たち」


「俺が子供の時から知っている人もいるし、一度、アメリカへ転属して戻ってきた奥様もいたな。若い時は小笠原で実績を積んで旦那さんがフロリダで出世して今度は小笠原の幹部だって。あそこの子のシッターをよくやったんだ」


「シッター?」


「アルバイトですよ。アメリカではシッターのバイトは割とスタンダードですよ」


 この島で育つとインターナショナルで育つらしい。本当に岩国から急に違う国に来た気持ちに藍子はなってしまう。


 岩国よりもアメリカ人隊員が多かった。明るいブロンドに、エミリオ少佐のようなダークブロンドに、海人のような栗毛の隊員もいっぱいいた。


 基地内では英語と日本語があちこちで飛び交う。


「即席のピクルス作るね」


「漬け込むやり方ではないんですね」


「うん。甘酢で少しだけ煮るの。冷めたらもう食べられるよ。保存も利くし、市販のすし酢を使うと簡単」


「なるほど。メモっておこう! 朝田シェフ直伝ですもんね!」


「父のオーベルジュではやってないよ。忙しい私が少しでも作って食べられるように簡単な方法を教えてくれただけ」


「すごいじゃないですか! シェフの裏メニューみたいなもんでしょ! 俺、そういうの大好きですから!」


 美瑛の父をすごく崇拝してくれるようになって、藍子も困惑。でも海人はノートを持ってきて書き込んでいた。


 藍子も見させてもらったが、数冊ある中の最初のページは子供の字だった。この頃から父親に仕込まれていたんだと感嘆する。


 藍子も手伝って、エプロン姿のふたりの夕食の支度は進む。


「コックピットでも相棒なのに、キッチンでも相棒みたいですね、俺たち」


「ほんとうだね」


 まさかプライベートもこんなふうに気軽につき合える相棒が出来るとは思わなかった。


 こうして世界がわかるのに、どうしてあそこに留まりたいと掴まっていたのだろう。もう思い返すまいと決めていたのに、藍子は少しだけ振り返ってしまった。


 海人のカレーは、欧風ビーフカレー。隼人パパ直伝ということだった。


「いい匂い。おいしそう!」


「できましたね。では、藍子さんのピクルスも冷えた頃だと思うので食べましょうか」


 食卓を整える。


「戸塚少佐、遅れてくるようです」


 海人のスマートフォンにそんなメッセージがあったとのこと。藍子も確認すると【 遅れる。海人と藍子の手料理なら食べたいから絶対に行く 】とあった。


「先に食べましょうか」


「そうね」


 エプロンをしたまま、二人一緒に小さなテーブルに座った。


「千歳では宿舎だったの」


「はい。候補生から初めての勤務地だったので宿舎からです。独り暮らしが夢だったので今回叶いました。本当なら宿舎がいいんでしょうけれど、ここだと、ほら、周りが気遣って大変だから」


「なるほど。大変だね。って、すっごく美味しい!!」


「藍子さんのピクルスもうまっ!」


 お互いに絶賛して笑いながら食事を進めていると、庭から妙な音が聞こえてくる。


 誰かがキッチンの勝手口になる細長いドア、そこのガラス窓をこつんこつん叩いていた。


 しかも黒髪の頭が二人分、ごそごそと曇りガラスに透けて動いている。


 藍子は不審者かとドキリとして食べている手をとめる。藍子の怯えた顔を見た海人がキッチンのドアへと振り返る。


「海人、なにあれ」


「でも制服ぽいですね。大丈夫ですよ。俺、空手もやっていたから任せてください」


 うわ、男らしい。年下のお日様君がすごく頼もしい。しかも空手やっていたってなんなの。さすがお坊っちゃんと怯えてきた気持ちに安堵感が広がる。


「おーい、海人。カレーの匂いがする」


「あれだろ、あれ、ビーフカレーだろ!」


 『食わせろ、食わせろ』と遠慮のない声が聞こえてくる。


 どうやら知り合いらしい。そして海人もその声を聞いて顔をしかめた。


 しかも対応もせず、テーブルに戻ってきた。


「無視しましょう」


「え、知り合いでしょう」


「いいんです。関わるとろくなことありません」


「え、でも」


 まだ男ふたりがドアを叩いている。


 しかもどんどんと音が大きくなってくる。


 海人も諦めたのか、再度、テーブルから立って勝手口に。とうとう水色のドアを開けた。


「うるさい! 雅臣叔父さんに通報するぞ!」


 そこには夏制服姿のそっくりな青年がふたり。体格が良くて、しかも二人とも顔がそっくり。そして海人の言葉。


 藍子も誰かわかって思わず立ち上がる。


「もしかして。イエティとブラッキー!」


 城戸家の双子だった。


 藍子が叫ぶと、彼らも家の中を覗き込んで気がついた。


「うわ、まじかよ。海人、こっちに戻ってきていきなり女を連れ込んでいるのかよ」


「しかも大人っぽい女……」


 だけれどその青年二人、藍子が着ている制服の肩章に気がついて少し青ざめている。


「准尉……て、俺たちより上官じゃねえかよ」


 海人もしらっとした眼差しで、自分より少し背が高い二人に告げる。


「そうだよ。俺の新しいボスで相棒だからな」


「相棒!? ガンズさんが引退して、おまえの新しい相棒って……、ん? 泣きぼくろ……」


 だがそこで双子が、准尉でジェイブルーの女パイロットというキーワードに気がついたのか、また驚きの顔をそっくりに揃えている。


「まさか、まさか……岩国の、せ、制服でわからなかったけど、」


「え、も、もしかして」


『アイアイ!?』


 二人が声を揃えた。その声もそっくり、仕草もそっくりで藍子も唖然とする。


「初めまして、ですよね。城戸雅幸海曹、城戸雅直海曹。上空ではよく会いますけれどね」


 勝手口でそっくりな二人がびしっと背筋を伸ばして敬礼をしてくれる。


「城戸雅幸です」


「城戸雅直です」


『いつも上空で追跡と解析ご苦労様です』


 いつになく神妙に挨拶をしてくれた。


 だがそれも最初だけ。


「あがらせてもらうぞー、海人」


「カレーだろ。俺たちにも食わせろ」


 革靴を脱いで、海人の新居に遠慮なくずかずかと上がり込んできた。


 藍子は眉をひそめる。この子たち、ほんとうにあのソニックの甥っ子? それともそれだけ海人と親しいの? そう思ったが海人はすごく嫌そうな顔をしている。


 しているのに、海人はエプロン姿のままキッチンのコンロまで行ってしまう。


「せっかく藍子さんと相棒記念で親睦を深めていたのに。相変わらず空気をぶっこわしてくれるよな」


 ほら手伝えよ――と、嫌な顔をしつつも、カレーを温めなおしている。


 城戸の双子も『やったね、海人のカレー久しぶり』とよく知った顔できちんと手洗いをしている。慇懃無礼のようで、お行儀はきちんとしているようで、初めて双子を目の当たりにした藍子には不思議な光景だった。


 きちんとそれぞれお皿を持って、海人の横に図体大きな青年が並んでいるので、だんだんと藍子も笑いがこみ上げてきた。広報誌ではとても大人の男の顔でカッコイイ青年として紹介されているのにこのギャップ。


 なんか子供みたいなんですよ。竹原氏の言葉を思い出していたが、本当にそのとおり。空ではダイナミックな機動をワイルドにこなしているのに、あんなふうに可愛げがあるだなんて。なんだかんだ言って海人も憎めない友人なのかもしれない。


「准尉、お邪魔します」


「失礼致します」


 藍子と角合わせの席にイエティの雅幸が座った。弟の雅直は少しマイルドな雰囲気で海人と仲がいいのか、結局二人で微笑みあって揃って座った。


 『いただきます』と二人が目をつむって合掌。しかも時間が長い。感謝をしているのが通じてくる。なんだいい子たちみたい? 藍子はそう思えてきた。


「さっさと食えよ」


「あー、ほんっとに海人のビーフカレー久しぶりだなあ」


「おまえ、千歳に行っちゃうからさ」


 そんなに接点あったの? と藍子は不思議に思った。基地勤務になってから二、三年のはずだから、ずっと離れていたはずだった。


「あ、俺と双子。年齢がいっこしか違わないんで、浜松で一緒だったんですよ。同期じゃないけど宿舎が一緒で」


「あー、なるほど。そういうことね。懐かしい。私も浜松航空学校卒業だから、宿舎暮らしだったけど、時々共同キッチンで料理はしていたもの」


「俺もなんですよ。たまに自分の家の味が恋しくなるじゃないですか。俺は作れるので休暇にそうしていたら、宿舎の同期に先輩に後輩がこのように匂いにつられて……。あっというまに空っぽですよ」


「すげえ評判だったんですよ。海人のビーフカレー」


「最後は教官まで食べにきていたんですよ」


「そうなの。それは凄いわね。でもこれなら、一度食べたら、また食べたくなっちゃうわね」


「隼人さん直伝だから間違いない」


「間違いない!」


 兄か弟がなにかを言うと、必ず同じように同調して同じ言葉が返ってくる。


「おい、そのピクルス。准尉のお手製だからな」


 既にもぐもぐ食べている双子が目を見開いて藍子とピクルスを交互に見た。


「美味しいです」


「絶品です!」


 ほんとうかなと即答過ぎて藍子は苦笑いを浮かべてしまう。


 そうしたら、イエティの雅幸が急にコップの水を飲み込んで、藍子の方へきちんと向き直った。


「准尉、いえ、藍子さん。あの、もし、よかったら、俺とつきあってくれませんか」


「え?」


 藍子もだが、海人も途轍もなく驚いた顔で静止している。弟の雅直は知っていたのかニヤニヤしている。


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