5.気になる小猿ちゃん



 着替えてから城戸家へとバイクのロックを届けに行くと、園田少佐が玄関に出てきてくれた。


「ミミル、わざわざありがとう」


 制服ではなくシンプルなパンツスタイルにエプロンをしていた。


 いかにもこの家の奥様といったプライベートの姿が微笑ましく、彼女に似合っていた。


「心美からお祝いのバラをいただきました。いつもありがとうございます」


「ココったら、ほんとうにミミルが好きなのね。またシドが嫉妬しちゃうかも」


「アハハ……、それは怖いな。フランク中佐は心美に弱いから」


「そうなのよ。まさか、あのシドがあんな小さな女の子に弱くなっちゃうなんて。出会った時のやんちゃな王子だった姿を考えると予想もつかない状態になってるの」


 やんちゃな王子なんてどんな状態だったのだろうかと、彼の若い頃の姿を噂でしか聞いたことがないエミリオには逆にそちらの中佐が想像つかない。


「うちの連隊長、いえ葉月さんも、戸塚少佐と朝田准尉がパイロット同士で結婚すること応援すると張りきっているの。藍子さんには安心して結婚生活を楽しんで欲しいと言っていたわ」


「それを聞いて安心しました。彼女には、女性として得られるもののチャンスを持って欲しいと同時に、……男である俺の独りよがりですが、なにもかもを彼女に任せてしまうことになるのではないかと不安に思っていたものですから」


 園田少佐がはたと我に返った顔になった。きっとエミリオがこれから雷神というフライトチームに異動して、長く艦に乗り込む男にとなり留守がちになることに気がついてくれたようだった。


「そうだったわね、ミミルのところも奥様が陸で長く待っていることになっちゃうのね」


 それは艦長職を担う夫を持つ妻だからこその憂い顔だった。そんな奥さんの顔を見てしまうと、やはりエミリオは不安を覚える。


 でもそれは一瞬で、園田少佐はすぐにいつものかわいらしい笑顔を見せてくれる。


「大丈夫。私がなんとかなったのだから、朝田准尉とあなたもなんとかなるわよ。そうそう、それこそ葉月さんと隼人さんが放っておかない。だって息子の相棒だもの。あ、じゃなくて、海人君が放っておかないかも」


「そうでした。任せて安心の相棒がいました」


 園田少佐にバイクのロックを手渡して、エミリオは城戸家を後にしようと玄関ドアを開けたら、そこに人がいる。


「うわ、びっくりした。開けようとした開いたから。なんだ、ミミルか」


 城戸雅臣准将、こちらのご主人のお帰りだった。


「城戸准将、いまお帰りですか。お疲れ様です。そしてお邪魔しておりました」


 制服姿の城戸准将が、いつもの明るい笑顔をにぱっと見せる。


「あれだろ、あれ。うちの母親がまたバイクのロックを借りに行ったんだろ」


「はい。いま持ってきました」


「いつもありがとうな」


 皆を明るくする笑顔とは、この人のような笑顔なのだろうとエミリオは思っている。


 連隊長の御園葉月少将が冷たい月のようなアイスドールなら、その後を継ぐ後輩の城戸雅臣准将は真っ白な太陽の光の中をゆくソニックだと言われている。


 男共を熱くリードしていくみんなの兄貴と言ったところだった。


「ただいま、心優」


「おかえりなさい。臣さん」


 お互いににっこりと微笑み合うその姿、しばらくじっと見つめ合ってその日を労っている疎通を見ると、やっぱりご夫妻なんだなとエミリオも微笑ましくなる。それはまた基地で見せている顔とは異なり、これこそ『オンとオフ』が上手い夫と妻と思える憧れのご夫妻でもあった。


「あれ。静かだな」


「子供達は道場にお稽古で、アサ子お母さんは心美と一緒に、道場にお稽古見学に行っているの」


 ああ、それでこんなに静かなのか――と雅臣准将がちょっと驚いた顔をしていた。


「こんなこと珍しいよな。これでユキナオも遊びに来ていたら、うちは動物園かってくらいうるさいもんな」


「ほんとね。そういえば、私、今日はゆっくりご飯作れている……、ミミルともお話しできちゃった」


「はあ? ミミルとなにを話したんだよ」


「今後のこと。だって、ミミルだって結婚するんだもの。彼女の今後とか気になるでしょう。追跡隊のパイロットなんだからいろいろ女性としても大変だから心配してるの」


 あ、なるほど――と、城戸准将がエミリオへと振り返った。


 目が合い、恐縮して黙っていたエミリオを城戸准将がじっと見つめている。俺の妻とふたりきりでなにを話していたんだという男の目かと、これから自分の大ボスになるため、流石のクインもドキリと固まってしまった。


「もうすぐ雷神だな。待っている。やっとシルバーとクインを譲ってもらえたんだからな」


「は、はい。よろしくお願い致します」


「結婚を予定しているのに、地上にいられる部署から航海任務へとひっぱりだして申し訳なく思っている」


「いいえ。俺が空に行くことで、ジェイブルーも護れるかもしれない。朱雀の牽制は地上で仮想敵を担っているともどかしいばかりでしたので、戦闘機パイロットとしての使命が現場で自分の力で全うできると思っています」


 雷神に異動すると承諾した時にも、この准将にそう伝えた。


「それこそクインだ。だが、無理をするな。朝田准尉との結婚についても妥協はするな。最大限のサポートをする。なんでも相談をしてくれ」


 その言葉を聞けば、エミリオも心強い。『有り難いです』と笑顔になれる。


「ユキとナオのことも、よろしく頼む。いままではベテランのおじさんに厳しくも可愛がられ守られていたところがある、今度は年齢が近い兄貴、勝てない兄貴に食らいついてくるぐらいの闘志をリードして、なおかつコントロールしてもらいたいと思っている」


 エミリオもそれを聞いて初めて悟った。朱雀との接戦戦力がほしいだけではない。若手のリードと育成、しかもあのユキナオを育て上げることも任務に含まれていると自覚した。


 そうしてエミリオに告げる城戸准将の眼差しに気圧されるのも、こちらも絶対的なボスの貫禄を放っているからだ。


 なのにまた一瞬にして、にこりとした愛嬌あるソニックの笑みに戻る。


「今度、アイアイと一緒にうちに来いよ」


「そうね。柳田少佐とミミルの雷神入隊歓迎会で、また臣さんの男カレーパーティーでも開く?」


「そうだな。そうしよう!」


 雷神のパイロットになると、男カレーパーティーなるもので城戸家に招待されるのも有名な話。ついにエミリオもそのパーティーに呼ばれることになるらしい。


「楽しみにしています」


「あ、アイアイの飯が美味いて聞いているんだよ~。お父さんがシェフで娘も料理が美味いって」


「はい。お父さんがおいしく簡単に作れるレシピをよく食材と一緒に送ってくれるそうで、彼女もそれを作るのが休暇の楽しみなんです。本当に美味いですよ」


 そんなエミリオの顔を城戸准将がじっと見つめる。


「あの……」


「いや、クインもそんな幸せそうな顔をするんだなと思って」


「そんな顔していましたか?」


「してた、してた。そういう顔て無意識に出るモンなんだよ。でも安心したな。きっとそれがクインを支えていくよ、今まで以上に」


「わたしもそう思うわよ、ミミル」


 城戸夫妻が慈しむ笑顔を揃えてくれた。エミリオは気恥ずかしいながらもちょっと照れ笑いをして、お邪魔しましたと玄関を後にした。


 後にしたのはいいのだが、ドアを閉めてしばらくそこでひと息ついて落ち着いていると――。


『ただいま心優、子供達がいないなら一緒に風呂に入ろう。いまのうちだぞ』


『もう、臣さんったら。子供がいないとすぐにお猿さんになる。って、やめて、もう……、もう……』


 うわ。あの准将殿がそんなすぐに奥様に飛びついて熱くなるだなんて? いつもの頼もしい男らしいソニック先輩からは想像ができなかったエミリオはびっくりしてすぐにそこを立ち退いた。


「はあ、そうか。城戸准将は心優さんに支えられているってことか……」


 家を守っている信頼できるパートナーがいる。だから思い切って最前線で力を発揮できる。そして必ず還る。


 城戸准将の口癖は『必ず護って、必ず還る』だった。それは彼の師匠でもある御園葉月少将の思想でもあったからなのだろう。


「俺も、護って、必ず還る」


 藍子だけではない。エミリオも家族の元に還って、護っていきたい。そんな夫で父親で息子でありたい。








 ―◆・◆・◆・◆・◆―








 ひとりきりの夕食も終え、エミリオは願い通りに藍子のベッドの上で日課の読書を楽しむ。


 読みかけの文庫は、男と男が違う業種ながらも経済界の中で切磋琢磨する物語だった。


 パイロットとして、軍人として生きてきた男としては、離島であったり基地の中で機密のある世界に身を置いていると、民間の男たちの生き様はとても新鮮なものであって、常日頃、前線防衛に勤しんでいる世界から逃避できる最上の娯楽でもあった。


 男たちの駆け引きは、エミリオの心を躍らせる。上空であっても、地上の民間の世界であっても、誰もがそこに置かれた世界で身を挺して使命を果たそうとしている。そう思える。


 でも、小一時間もすると、やっぱり頭が疲れてくる。独りだったときはここでシャワーを浴びたり、ちょっとしたカクテルを自分で作ってアルコールを少しだけ嗜み眠りにつくところだった。


 今夜はもうシャワーも浴びた。アルコールは……。ぐっと飲み干して眠ってもいいが、エミリオは彼女を待っている。


 いま寝転がっている頭のすぐ隣は彼女のピローがあって、そこには朝、藍子が脱ぎ捨てた黒い部屋着のワンピースがある。


 そこはかとなく、彼女の肌の匂いがするようで……。黒いワンピースのはずなのに、海辺の夜明かりに照らされていると藍の色にも見えてくる。藍子の藍……。


 文庫本を身体の上に読みかけて開いたまま乗せ、エミリオはその青黒いワンピースに手を伸ばした。


 やっぱり彼女の匂いがする……。


 無事に早く帰宅してほしい。いつもそう思っている。


 ワンピースを元に戻して、エミリオはまた天井を仰いで寝転がる。文庫本は身体の上に開いたまま。でも続きは読まずにそのまま。


「あの藍子と、……アイアイを待っている俺になるなんて、」


 思わなかったな――。心でそう呟いて、エミリオはふと笑う。それと同時に、古傷にうっかり触れてしまったような妙な痛みも感じた。




 アイアイは相棒しか見ていないから、どの男も対象外だってよ。




 いつかの銀次の声が蘇ってくる




  藍子と初めて会ったのは、エミリオが小笠原のアグレッサー部隊サラマンダーに転属してきた頃だった。


 まだ設立して数年であった『追跡隊 ジェイブルー』の演習をサラマンダーが受け持つ研修に、岩国基地から藍子がやってきた時が最初だ。


 いまはもう周知のところだが、エミリオが童謡に登場するお猿のかわいいアイアイではなく、本物の害獣である狂暴な顔つきのアイアイをリアルに思い浮かべて、興味本位で彼女の顔を見に行ったのが初めて藍子を見た時というのは自分から告げている。


 その最初の研修、演習でもエミリオはパイロットとして忘れられないことが幾つもあった。

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