6.女と仕事はしない
ジェイブルーとアグレッサー部隊サラマンダーとの飛行演習が始まったが、その減点方式にさっそく苦しめられることになる。
初日はいままでやってきたような演習だった。サラマンダーのパイロットが対国機と味方の同国機と別れて、いつも藍子たちが海上上空で不明機に遭遇した時のように、中央官制からの指示を受け不明機が出現したポイントまで飛ぶ、発見確認したら撮影、機体番号などを確認し映像解析から不明機の国籍と部隊名を特定、情報を管制へ送信する、スクランブル部隊を待つまで見失わない、スクランブル部隊が到着したら出来うる限りの記録を取る。いつもの任務業務の訓練だった。
小笠原のアグレッサーと訓練する時は、彼らが起こりうるだろうと予測をしたトラブルを想定して対国機を演じる訓練をしてくれる。
まさに『いままでのそれ』だった。
二日目の朝を迎えている。かねてより報されていた『翌日に減点数を通知』を受けた。
藍子と祐也のジェイブルー105は『マイナス10点、残り持ち点 40点』だった。これには驚愕した。
その通知票をもらい受け、藍子と祐也は顔をつきあわせる。
「どういうことだ。研修が十日もあって、50点あるなら一日5点の減点に抑えなくてはならないのに、一気に10点だぞ。これは最終日までに保たない。資料にあった減点対象はすべて気をつけてきたはずなのにどうしてだ」
まずい、非常にまずい。いつも通りの対処をしていたはずなのに、どこのなにが悪かった?
しかし青ざめているのは藍子と祐也だけではない。千歳から来ている御園ジュニアとオジサマも、藍子と同様の女性パイロットと組んでいる小松基地のペアも浮かぬ顔で相棒とひそひそと話している。
どうやらどのペアも想像以上の減点だったようだ。
「資料にあった減点項目だけが通知票に記載されていてそれらの合計減点は3点ぐらいだ。あとの7点は指揮官側の『非公開の減点』てわけか」
採点が不透明で誰もが納得できない顔をしている。だが藍子は黙って考える。でもやはりわからなかった。
いちばん落ち着いているのは、千歳基地のオジサマとジュニア。おそらくオジサマが年配だけあってうまく噛み砕いている気がする。元々落ち着きのあるジュニアだろうから、オジサマと一緒に静かだった。
そう、あのように冷静でいるべき。その時、藍子は戸塚少佐の言葉を思い出していた。『減点なんて気にするな。いつも通りに飛べ』。きっとそうであるべきなんだ。
「祐也、もう気にするのはやめよう。むしろゼロになったらどんな指示が出るか興味がある。さらに減点で底を突いてもマイナス点数も入るのかどうかもね」
「そういえば、ゼロになったらどうなるとか言わなかったよな、スコーピオンの大佐殿」
確かにそうだ。ゼロになったからどうなる、最も点数を残した者がどうなるとも言われていない。なにもかもが不透明だった。
予想外の減点を受けて二日目の訓練、演習に挑んだが、初日と同じく『いままでのそれ』と同じ、なんの変わりもないものだった。
それだけに減点の原因もわからないまま『いつも通りにしか飛べなかった』ため、また明日も10点という大量減点をされるのではないかと、藍子と祐也は怯えていた。
その日のランチ。訓練校にあるカフェテリアで祐也と向かって食事をしても、お互いにため息しかでない。
「俺たち、いつもどおり、なんの遜色もなく出来ているよな」
「出来ているよ。それでもあんなに減点されるということは、岩国で飛んでいる時から『こいつら研修で鍛え直すべき』と目をつけられていて、私たちも気がついていない重大な欠陥があるってことじゃない」
「だよな。でもよ、それならそれで実務に支障が出る訳だから、こっちの岩国の隊長から指導なり注意なりあるはずだろ。それをなんで、たった十組だけ研修にひっぱってきたんだよ」
非常に気分が悪い――と、普段は明るい祐也も不機嫌だった。
祐也だけではない。研修の空気も暗くなっていることに藍子は気がついていた。
私たちに欠陥があるということは、あの千歳基地から来ているベテランおじ様に御園ジュニアのペアも欠陥があるってことだよね――、藍子はつい彼らを基準にしたくていつも彼らを目で追ってしまっていた。
いつも落ち着いているし、でも父と息子のようにして穏やかな微笑みで会話を交わしている安心感が二人には見て取れる。
彼らはどれだけの減点だったのだろう? お互いの減点とどうして減点されたかその対象項目と持ち点など、さらには上空でサラマンダーとどのようなパターンで演習をしたかは、他の基地のペアには伝えない見せてはいけない決まりになっている。そのため、互いの情報交換も出来ずにいる。
だから余計に疑心暗鬼になって、どのペアとも会話ができない状態だった。
「一緒にいいかな」
「お疲れ様」
そう思っていたら、藍子と祐也が向きあっているテーブルに小松基地の男女ペアがやってきた。
男性も女性も藍子たちと同世代ぐらい。同じ男女ペアのためか彼らから声をかけてきた。
「是非、どうぞ。お疲れ様です」
二人だけの女性パイロットとあって、藍子も気をよくして隣の席に彼女を迎えた。
祐也も『お疲れ様』と挨拶をしながら男性パイロットを迎える。
「お互いの点数に演習内容は話せないことにはなっているけれど、岩国のそちらはどう。それにこの研修、なにかおかしいと思わないかな」
男性パイロットから切り出してきた。
それはきっと参加しているパイロット全員が思っていること、藍子と祐也も顔を見合わせ頷く。その話題に入ってみようという決意。まずは男同士、祐也が話を始めた彼に答える。
「自分たちも同じように思っていたところ。どうして十組なのかもわからないし、採点も不透明でなにをどうすればいいかわからないと彼女と話していたところです」
「俺たちもです。まさか、千歳の岩長・御園ペアまで来ているなんて」
あのオジサマ『岩長さん』だと藍子は知る。肩章は少佐だった。ジュニアはまだ若いためか二等海曹。イエティとブラッキーの城戸双子とおなじ。
「千歳のあのお二人をご存じなのですか」
藍子から聞くと、今度は彼女が教えてくれる。
「岩長さんは以前は戦闘機パイロットだったんですよ。ジェイブルーが設立された時にこの業務を牽引するために戦闘部隊から追跡隊に異動することになった方で、小松のスクランブル部隊では有名なベテランさんでしたよ。年齢のこともあって戦闘する部隊よりかは追跡飛行のみのジェイブルーに移行したとも聞いてますよ」
さらに男性が続けて教えてくれる。
「だから、教育係としていちばんのベテランがジュニアについているんじゃないかって話だね。あのミセス艦長と工学科を仕切ってきたオヤジさんの息子だもんな。大事に育てて、へんな虫も付かないように岩長さんが父親のように守ってるって聞いている」
へえ、やっぱりお坊っちゃま扱いなんだと藍子と祐也は唸った。
「でも、ジュニア君。やっぱり切れ者らしいですよ。若いのに感がいいんですって。彼は岩長さんの後部でデータマンをしているけれど、的確なデータ解析といい撮影をするという評判ですよ」
「でもまだ実務では数年だろ。なのにそんな腕前?」
「さあ、でも噂ですからね」
元々小松にいた岩長少佐のことは、噂に流れてくるとのことだった。
「岩国のそちら二人は恋人? それとももう結婚している?」
唐突な質問に藍子も祐也も食べていたものを慌てて飲み込み『まさか!』と揃って否定した。
「そうなの? 一緒に乗っていると毎日一緒でしょう。異性としても気になったりしないの?」
彼女が藍子を見た。もう藍子は頬が熱くなりそうだったが必死に騒ぐ血を鎮めようとさらに必死に否定する。
「異性という前に、斉藤准尉は結婚しているから」
「え、そうなの。ペアになるのと結婚するのとどっちが先だったの?」
『ペア』と答えると小松の彼女が驚いた顔になった。
「うそ、彼のことも彼女のこともちっとも気にならなかったの?」
気になった、藍子は気になった。でも祐也は違う。だから他の女性と結婚したのだから。
「俺は気にならなかった。むしろ仕事なのに女と見る方が怖いな」
いつもより真剣で堅い表情で祐也が答えた。そんな顔、久しぶりに見たと思ったぐらいに。
だけれど小松の彼と彼女は意外そうだった。
「そうかな。より絆が深まったり、呼吸があったりしないか」
「男と女になったことがないからその感覚がどうはか答えられないかな」
祐也のその返答を最後に、小松のペアは『そうなんだ』と黙ってしまった。
それで藍子も気がついた。
「もしかして……、お二人はお付き合いしているとか」
そう聞くと、彼も彼女もぱっと明るい笑顔になった。
「じ、実はそうなんですよ。婚約したばっかりで」
「来年、式を挙げるんです。これからも一緒に飛んでいたいねていつも話していて……。もしかしてそちらも男女ペアだから同じかなと思っていたんです」
藍子も祐也も眉をひそめた。男と女が一緒に仕事をしたら誰もが愛しあうわけじゃない――と互いに思っている。実際に藍子と祐也がそれ、仕事では最高に噛み合っても、男と女ではまったく噛み合わなかった。
それに祐也のはっきりした返答も藍子の心に突き刺さっている。『仕事なのに女と見るのは怖い』。それが祐也の本心で彼が女に見てくれなかった原因? じゃあ、藍子がパイロットでなかったら、やめたら好きになってくれる? そこまで考えて藍子は『私は馬鹿か』と自身に呆れる。きっとパイロットだったから一緒にいられたんだ。パイロットをやめてただの女になった藍子など、祐也はきっと見向きもしない。わかっていることなのに。だったら……、今日の今日までなにを期待していたの? 空を飛べればいいだけだよね? もうそれしか望みがない。
急に目が覚めた気がした。好きでいてももう無駄なんだということを。それでももう……、彼の妻とのことは手遅れかもしれないけれど。
彼らに『おめでとうございます』、『これからも仲良く飛んでくださいね』とひとまず祐也と一緒に祝福をして、あと訓練の疑問についての意見交換だけしてランチを終えた。
カフェテリアから講義室に向かうまでの小松ペアも仲睦まじく、本当に男と女の空気に包まれていた。
祐也がそっと呟く。
「そのうちに絶対に上手くいかなくなるに決まっている。男と女はこじれたら終わりなんだよ」
仕事に持ち込むんじゃねーよ、のろけかよ――と、本心は怒っているようだった。
「いいじゃない。いちばん幸せな時なんだし、充実しているんじゃないかな。奥さんが出産した場合の壁もあるけれど、結婚するならそれも話し合ってるよきっと」
「かもな。だったらそのうちペア解消になるってことじゃねーかよ。大事な相棒じゃねーのかよ」
藍子の胸がズキリとした。やっぱり女じゃなくて、祐也にとって藍子は『仕事で失いたくない相棒なだけ』だったんだと。
それでも嬉しい。やっぱり嬉しい。『大事な相棒は女には見ない』、藍子はどっちも欲しがったけれど、祐也はそうでなかったけれど、それでも『失いたくない大事な相棒』。もうそれだけでいい。
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