41.お花の町で待っている

 藍子の手元に届いた『かわいい招待状』は、一般的な封書サイズよりも大きく、写真撮影をしたときの四つ切りサイズぐらいの大きさだった。


 表紙はラベンダーの丘のイラストがかわいらしくあしらわれている。

 現地にいる妹の瑠璃がオリジナル招待状を作る手伝いをしてくれたとのことだった。


 開くと、そこにはエミリオも見覚えのあるものが背景に使われていた。ハマナスが揺れるロサ・ルゴサのレストラン玄関と、その向こうに広がる美瑛の青々とした丘陵の景色だった。


「うちのレストランの入り口と、そこから見える美瑛の丘の景色を使ってみたの。心美ちゃん、うちのこと、お花のレストランと言ってくれるから、ハマナスが咲いているうちに瑠璃に玄関を撮影してもらったの」

「うん、いいな。心美にもひと目で通じると思う」


 あとはかわいいドレスを着た女の子と、ウェディングドレス姿の女性が並んでいるイラストもあった。

 文字はひらがなカタカナだけ。大きく『ミミとあいちゃんのけっこんしきにきてください。おはなのレストランでまっています』だった。


 さらにもう一文。『ここみちゃんに、ふらわーがーるをおねがいしたいです。あいちゃんといっしょにおはなをもってあるいてください』と、お願いの文章も綴られている。


「ドレスのカタログもラッピングしてくれたの」


 ウェディングらしい白い封筒に、花のエンボス加工。水色のリボンがプレゼントのように結ばれていた。


「心美がよろこびそうな女の子らしい仕上がりだな」

「でしょう。こういうのは瑠璃が得意なの。すごい張り切って作ってくれたのよ。瑠璃も篤志君も、御園のご両親が来る、海人が来るってすごいわくわくしているみたい。特に篤志君、ソニックが来るって大興奮だって」

「あはは。なんか妬けるな。篤志には義兄さんすげえ人っていつも言ってくれるのに。もちろん、雅臣さんには敵わないけどな」

「今度は……、久しぶりの航海が終わった二月に帰省しようね。冬のお父さんのご馳走もおいしいから」


 急に藍子の瞳が翳った。エミリオも数年ぶりの実務航海が迫ってきている。初めて藍子をひとりおいて留守にする時がくる。


 そんな藍子を抱き寄せる。そのまま、新居に新しくいれた、ゆったりとした大きなソファーに一緒に座った。

 彼女とぴったりと寄り添って、彼女のおでこに自分の額をあてて、エミリオはじっと藍子の黒い瞳をみつめる。


「冬の美瑛か。たのしみだ。絶対に帰ってくる」

「うん。一緒にスキーしよう。あ、できるの? エミル」

「あー、実は初体験だ」

「うっそ。バイクも乗りこなして、なんでもできそうなのに」

「だからこそ、チャレンジしたいんだよ。絶対に一日で滑れるようになってやるからな」


 藍子がムキになるエミリオを見て、くすくすと笑って、おでこを離してしまった。


「やっぱりね。エミルは、弦士パパとおなじ、なんでもチャレンジ精神を持っているのよ」

「楽しみだ」


 来月には出航をする予定だった。

 そんなエミリオの膝の上に、藍子が横座りで乗っかってきた。そのままエミリオの首に抱きついてきて、そっとキスをしてくれる。


「私も、それを楽しみにして待ってる……」

「藍子――」


 自分から男に乗っかって来た柔らかな彼女の身体、引き締まっているウエストを撫でながら、エミリオも笑いながら藍子のキスをそのまま受け入れる。


 温かいというより、最近の藍子は熱い。抱きついてくる身体の体温も、キスも、眼差しも。エミリオと揃えた香りも濃厚に彼女から漂ってくる。


 もう躊躇いがちで遠慮がちな慣れていない女の子ではなくなっている。そして、そんな藍子にしたのも、そんな藍子を知っているのも、エミリオだけだった。


 最後に彼女の黒髪を撫でたところで、藍子がやっと離れていく。エミリオの膝に乗っかったまま、藍子が色っぽく黒髪をかき上げて笑う。


「はやく届けてあげなくちゃ」

「ああ、そうだった。心優さんに連絡してみる」


 最後にエミリオ自身から藍子にキスをして、やっと離れて一緒に立ち上がる。

 まだ着替えていなかったが、エミリオはそのまま制服姿で、藍子はいつものシンプルなシャツとスリムなパンツスタイルででかける。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 日暮れが早くなってはきたが、まだほんのりと茜が残っている薄暗い空の下、藍子と一緒に花の匂いがする住宅地を往く。


 きっとこの花の匂い、城戸家の庭のバラから香ってくるのだろう。


 園田少佐に連絡をすると『ちょうど主人も帰宅したから、心美と一緒にバラを摘みながらお庭で待っているわね』という返事をもらった。


「ほんとうに、いい香り。園田少佐のお庭はほんとに素敵だものね」

「お母さんの美香さんが、元々住んでいた沼津の家の庭で咲かせていたらしいんだ。心優さんもご実家のお庭のようにするんだと決めていたようだよ。お母さんと一緒に庭の手入れをよくしている」


「それで。マーガレットのかくれんぼで、心美ちゃんと出会ったんでしょう」


 その時のことを思い出すと、エミリオは何度でも笑ってしまう。


「そうそう。フランク中佐がさ、あのエリート海兵隊員の中佐がさ……、見つけられないんだよ、心美を」

「もう、何度話しても、エミルは笑ってばかりで、うまく話せなくなっちゃうのね」

「いや、もう、その時の心美もさ、あんなちいさい子だったのに、賢くってさ」


 あの時の愛らしい彼女を思い出すと、ほんとうにエミリオは笑みがやまなくなる。

 あれから三年、まだ小さいながらも、心美はますますおませさんになっていくのが、またエミリオにも楽しく微笑ましいのだ。


 そのうちに、バラの香りが強くなってきた。城戸家の華やかな花の庭へと辿り着く。

 柔らかい茜に染まる庭で、心美がママの園田少佐と一緒に、今日は八重咲きのオールドローズの樹を見上げて、花を選んでいるところだった。


 その後ろには、エミリオと同様、まだ帰宅したばかりで制服姿のままの城戸准将もいた。


「こんばんは」


 エミリオから声をかけると、なにも知らない心美がこんな時間に訪ねてきたエミリオを見てびっくりした顔を見せた。


「ミミ!」


 すぐに満面の笑みを浮かべて、心美が一生懸命に庭の柵へと走ってきてくれる。

 そう。ここで彼女と出会った。あの日から、かくれんぼのお手伝いをした日から、エミリオと心美はなにかで通じた『友人』になっていたのだ。


 あの時はまだ、膝を抱えて丸まっているだけで、ほんとうに猫のようにちいさく見えていた心美。その彼女がしっかりした足取りで元気いっぱいにエミリオへと駆けてくる。


「こんばんは、心美」

「ミミ、あいちゃんも! どうしたの? デートしているの?」


 いつものおませなご挨拶に、エミリオと藍子は一緒に顔を見合わせて微笑んだ。


「あたらしいおうち、もうきれいになった? ちかくにきてくれて、心美、嬉しい!」

「ミミも藍子も、うれしいよ。窓を開けると、ここの花の匂いが入ってきて気分がいい」

「いま、ママとパパとお花えらんでいたの。もってかえって、ミミ。あいちゃん、あのきれいなボウルに飾ってね」


 藍子も嬉しそうに『うん。ありがとう』と微笑み返している。


 挨拶を交わしていると、こちらもラフなパンツスタイルの園田少佐が、庭に入るための柵のドアを開けてくれる。


 エミリオと藍子は一緒に、そのドアから庭へとお邪魔する。

 そこで、藍子と頷き合い、彼女から託されたものを小脇に抱え、エミリオは心美へとそれを差し出した。


 彼女も、きょとんとしている。


「心美。ミミと藍子の結婚式に来てほしいんだ。これは、心美への招待状だ」


 ラベンダー畑のイラストがある招待状と、水色のリボンを結んでいるドレスカタログの封書を一緒に、彼女の目線へとさらに差し出す。


「あいちゃんの、パパのおうち、レストランで結婚式するの?」

「そうだ。来年の夏、こんなふうに紫の花がたくさん咲いている時に、あいちゃんパパのレストランで結婚式をするんだ。心美、来てくれるよな?」


 彼女が笑顔になり、それでも簡単に受け取って良いかどうか迷ったのか、そばにいるママとパパを見上げてうかがっている。


 園田少佐が娘のとなりへと、目線が合うように座り込んだ。


「ココ、すごい綺麗ね。パパとママも一緒に行くよ。あいちゃんお姉さんの、パパのレストランに一緒にお祝いに行きましょう」


 それでも心美はまだ信じられないのか、制服姿のパパをもう一度見上げている。

 城戸准将も妻と同様に、娘の目線へと座り込み、彼女の肩を優しく抱く。


「ココ。ミミは大事なおともだちなんだろ?」

「うん。うんとだいすきなお兄さん」

「だったら。お祝いしにいかないとな」


 城戸准将の諭しを聞いて、エミリオも割って入る。


「心美は、俺の、いちばん小さな大事なお友達だ。美瑛で待っているよ」

「びえい?」

「あいちゃんパパがレストランをしている、北海道の町の名前だ。お花の町だ」

「お花の町!」


 さらに驚きの顔を見せた心美だったが、今度はいまなにが起きているのか理解してくれたようで、手元にあるラベンダー畑の招待状をじっと見つめている。


 そこで藍子も、ひざまずいているエミリオの背後から身をかがめて招待状を指さす。


「ココちゃん、開けてみて」


 カタログも抱えている心美のかわりに、そばにいる園田少佐が招待状を開く。

 そこにハマナスに囲まれているレストランと美瑛の丘陵風景の写真が見えるようになる。


「私の、パパシェフがやっているレストランなの。結婚式のころには、このお花がレストランとおうちのまわりに咲くの。ハマナスといって、レストランの名前にもなっているの」

「ここ、あいちゃんパパのレストラン!? おうちなの?」

「うん。結婚式の時には泊まってね」


 心美だけでなく、園田少佐も『素敵』と、城戸准将とにこやかに目線を合わせて微笑んでいる。


 その園田少佐がまちきれないとばかりに、招待状に書かれている『おねがい』を指さした。


「ココ、なにかお手紙が書いてあるわよ。読んでみて」


 心美が、ひらがなの印字を目で追っている。ちいさな娘を挟んで見守っているママもパパも待ちきれない顔をしているのをエミリオは見る。そんなエミリオと藍子も顔を見合わせて、心美を見守る。


「ふらわーがーる……、あいちゃんといっしょにおはなをもってあるいてください……」


 ゆっくりと読み終わった心美の目が見開いた。そして、そばにいるママを見て、パパを見上げて、きらきらした瞳で笑顔になる。でも驚いているのか、言葉が出てこないようだった。


「ココちゃん、そのリボンの封筒の中に、ドレスを選べるごほんを入れておいたから、北海道の雪がいっぱい積もる冬までに、ゆっくり選んでね」

「ドレス!?」

「うん。フラワーガールをしてくれる女の子用のドレスなの」

「ママ、開けて、開けてっ」


 園田少佐がはいはいと笑いながら、リボンをほどいて開封をする。城戸准将もすっかりパパの笑顔で、こちらも娘がなにを選ぶのかわくわくしているような目を輝かせている。


「心美、これよ。見てみようか」

「うん!」


 ママと一緒にドレスのカタログを開いて一ページ目、白いドレスの女の子が花籠を持って芝生の上を花嫁と一緒に歩いているページが開かれる。


「ココが、これするの!?」

「そうよ。できるかな、ココ」


 娘とママの会話に、エミリオと藍子も息を揃えて入る。


「心美、ミミの奥さんになる藍子と歩いてくれるかな」

「ココちゃん、お願いします。好きなドレス、ママと選んでね」

「あいちゃんのドレス、白だよね?」

「え、うん。そうね。ウェディングドレスだから白になるよ」


 まだ1ページしか開いていないのに、心美がはっきりと言い切る。


「あいちゃんとおなじ、白いドレスにする!! お揃いにする!!」


 まだ一ページ目しか見ていないのに即決した心美にびっくりして、ママとパパが慌てている。


「心美、まだまだいろいろなドレスがあるかもしれないぞ。あとでママとゆっくり見て決めような」

「もう白にする。あいちゃんとおそろい!!」

「そうね。ママもおそろいが素敵だと思うな」


 でも、最後まで見てみようねとママがいうと、心美もひとまずは頷いたようだが、もうその一ページ目の白いドレスしか見えてない瞳をいつまでもキラキラさせている。


「ミミ、お花の町、お花のレストラン、あいちゃんといっしょにお花の籠を持って、フラワーガールするよ! 」


 しゃがんでいるエミリオに抱きついてきたちいさな彼女を、エミリオも笑いながら抱きかえす。


「ほんとか。心美。遠いけれど、頑張って来てくれよな。海人のおうちの飛行機で来てもらうことになったんだ。パパとママとお兄ちゃん、ユキナオとシー君とみんなで来てくれよな。ミミのだいじなお友達だから絶対だぞ」

「うん! 絶対に行く!! ミミ、あいちゃん、ありがとう!!」

「レストランのおうちにいる、私のパパもママも、妹も妹の旦那さんも待っているからね。美瑛のお花の季節、お花を持って一緒に歩こうね」

「うん。あいちゃんと一緒に歩くの、たのしみ。絶対に白にする!」


 最後、心美は藍子にもぎゅっと抱きついて離れなくなった。


 おにいちゃん二人のための招待状も、子供同士兄妹でということで一緒に渡しておく。

 大人の招待状はこれからだったが、城戸ファミリーからはフランク中佐も含めて、出席OKの返事をもらうことができた。



 その翌月。エミリオは、城戸准将が艦長を務める周回警戒任務へと旅立つ。

 出航前は、藍子とこれから夫と妻になった後も、この仕事とどうつきあって、どうやって生活をしていくかじっくり話し合った。


 北海道に雪が降ったと聞いた頃。エミリオもちょうどオホーツク海にいた。

 見上げる空は澄んでいて、空気は凍っている。

 でも。あと一ヶ月と少ししたら、もっと澄んでいる夜空を地上から見ることを楽しみにして。

 オホーツクの北斗星を胸に、空へ往く日々が始まっていた。

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