9.あなたと目が合った、上空で


 もう操縦桿を握っている手の力が抜けそうになった。祐也の絶望の声も届く。


「そういう訓練だったということだな……」


 撤退しろと言われた時に撤退をしていれば。ほんの少しの減点で済んだかもしれなかった。あまりにも毎日、一気に点を減らされていたことで焦ったのだと藍子も自覚する。


 あと残ったのはこれを回避して『侵犯はせずADIZで回避、帰投』して少しでも減点へ抑えること。


 藍子は再び操縦桿を握りしめる。


「この包囲網から抜ける」


「ラジャー、いいぞアイアイ。四機の位置確認は俺に任せろ」


「クイン側、機体上方に回避する」


「マジか。ひっさびさにめっちゃGが来るってことか。おっしゃいいぞ、藍子。おまえに委ねた!」


 大好きな相棒とひとつになれると感じる瞬間。藍子にも闘志が宿る。


『ジェイブルー105、状況を報告せよ』


 管制から再々声が届くが、藍子はもうそれどころではない。


 戸塚少佐の機体方向へ翼を傾け機体を半回転、クイン機の真上へ。半回転した機体のキャノピー真上には、正確には真下にはコックピットにいる戸塚少佐が見える。彼もヘルメット姿でこちらを見上げている。


 その目が合った気がした。でもいつものこと、気がしただけでシールド越しの視線はわからない。


「ぐっ、いいぞ……、藍子」


 180度の回転は6Gかかることがある。藍子も当然だが祐也も声をくぐもらせる。


 機体が一回転した時には、四機の囲いを抜けていた。戸塚少佐の機体が左側にある。


「よし、藍子。このまま逃げろ!」


 撤退! 囲いから抜けてそのまま本国側の領空に帰投しようと機首を向けた。だが、撤退しようとした途端、今度はコックピット内にピーピーとけたたましい発信音!


 藍子と祐也は『あ』と声をあげる。


「藍子、ロックオンの照準にされたぞ」


 さらに無駄な抵抗だった。あっという間にクイン機とシルバー機がぴったりと真後ろを追跡してくる。今度は『逃げると撃ち落とすぞ』と言わんばかりの脅しをかけられている。


 ロックをされたまま二機に追いかけまさわれている内に、本国とは違う方向へと向かわされている。これもサラマンダーの巧みな誘導。


「スクランブル部隊はまだ?」


「まだだ。到着まであと3分」


 また逃げ道だった左側に戸塚少佐のクイン機が、今度は『俺を本気にさせたな』とばかりにギリギリに接近してきた。


「うわ……、もうダメか。めちゃくちゃ素早い、しかもすげえぶつかりそうな距離詰めても同じスピードでの飛行を揃えている」


 それがどんな機体もコーチングできるサラマンダーの腕前。なんでもかんでも強さを見せつけるだけが彼らの役割ではない。相手のレベルに合わせて、そしてこの訓練の意図をわからせるための飛行をする。そういう相手を見ての判断と、どんな敵機も演じられる飛行テクニック。それを持つのがアグレッサー、小笠原サラマンダーだった。


 背後には飛行隊長、サラマンダーの長、スプリンターがロックオンがいつでも出来る状態で追ってくる。


 特に逃げ道だったクイン機側はもう隙も作ってくれない。こっちに逃げようとしたら俺と接触して、俺もおまえも終わりだ――とばかりに向こうも捨て身覚悟の防御をしている。


 元のピンチだった状況に戻る。ジェイブルー105はあっというまに本国の領空を離れ、対国のADISも通過し、対国の領空ギリギリに連れ込まれていた。


「この訓練だったのか。確かに俺たちには滅多にあり得ないが、スクランブル部隊にトラブルがあればなくもない」


 そして藍子は判断を迫られていた。二つにひとつ。


 コックピットにはまだロックオンされたままの警告音が鳴り響いている。


 逃げ道はない。このまま連れて行かれて侵犯をしてしまうか、侵犯をしたと同時に撃墜をされるか……。


『こちらサラマンダー、そちらの機体は本国の領空へ接近している。ただちに飛行経路を変更せよ』


 クライトン中佐、スプリンターの冷たい声が聞こえてきた。


「経路変更したのにそっちが囲い込んで動けないようにしているんじゃないの」


「落ち着け藍子。さっきから囲い込まれた映像を撮影して記録している。もしものことがあっても俺たちの意志ではなかったと証明は出来る」


 彼らは『退け』と形式的なアナウンスをしておきながら、行動は『侵犯しろ。おまえたちも間違いを犯せ』と誘い込んでいる。しかもこちらの思うとおりに動かねば、撃ち落とすという脅し付き。


「どうする藍子。このまま包囲して飛行を続ければ侵犯だ」


「でも、ちょっとでも回避しようと動こうとすれば撃墜されるってわけね」


 侵犯で15点、撃墜のキルコールで10点。持ち点は20点。本日も幾分か減点されているだろうが、キルコールならまだ点数が残る可能性がある。


「藍子……、これは訓練だ。死ぬわけじゃない。減点方式で研修をされている以上点数が残るようにしよう」


 藍子も考えあぐねている。点数が減点方式である以上、ゼロになったらこの研修の成績に響くのだろう。ただまだその目的と主旨は知らない。


 でもこれは実務の時に役に立つよう、自分たちの身を守るように施される訓練だ。これがもし実務ならばキルコールなんて選べば本当に『死』に直結する。


 侵犯は罪だ。だがこれは向こうが仕掛けてきたことだ。藍子たちの意志ではない。


 重大な間違いを犯すのか、決して犯してはいけないからと命を捨てるのか。


「祐也、奥さんと息子ちゃんのこと、愛しているよね」


「は? なんだよ。こんな時に……!」


「これがもし本番だったら! 侵犯しないと死ぬことになるんだよ!」


 祐也が黙った。彼にもこれが本番だったら減点云々なんて関係がなくなるほどに切羽詰まった選択になることが通じたのだろう。


「愛しているまま死ぬのか、愛したまま帰るのかって聞いてるの!! でも祐也の答えわかってる!」


 藍子は操縦桿を動かす……、それは『罪』へと。


 ぴたりとひっついて本国側に帰してくれない戸塚少佐がいない、『対国領空側』へと藍子は旋回をしてロックオンを回避する。


「藍子……、おまえ……」


「責任は私がとる。操縦をしている私が……」


『こちら訓練管制スコーピオン。ジェイブルー105、領空侵犯。訓練終了、小笠原基地へ帰投せよ』


 その指示を戸塚少佐も聞いたのか、その途端に藍子のジェイブルーの真横からすうっと綺麗に降下していった。


『こちらクイン。アイアイ、残念だったな』


 そんな通信が聞こえてきた。なにが残念だったよ、卑怯な囲い込みでこっちに侵犯をさせておいて! 彼らが指揮を受けて敵役をしていることはわかってはいても、ほんとうに腹が立つほどにリアルなヒール役を担ってくれる。


 悪気はないのに、ほんとうに意地悪。藍子の脳裏にまだ戸塚少佐の容赦ない囲い込みと追跡が焼き付いて悔しくて悔しくてしようがない。


「終わったな、この研修。でもな……、藍子、ありがとうな」


 祐也の声を聞いて、藍子は涙が滲んだ。


 でもいま泣いたら視界が悪くなる。だがぐっと堪える。こんな時に素直に泣けないのもパイロット。


 私たちは死を選べない、罪を選んだ。でも命は残っている。相棒は死んだらいけない。大事な夫で大事なパパなんだから。そして私にも大事な相棒だから。




 帰投後、その日の訓練を終えたが、講義室でのミーティングでスコーピオン大佐は『明日、減点を知らせる』といつもの終わりの一言の後に付け加えた。


「岩国のジェイブルー105の朝田と斉藤、そして千歳のジェイブルー556の岩長と御園。この後、面談をする。どちらも持ち点ゼロに達したためだ。二組はこのまま残るように」


 それを聞いて藍子は思わず、千歳のオジサマとお坊っちゃんを見てしまう。あちらも同じく、少し驚いた様子でこちらの岩国のふたりを見ていた。


 ほかの基地からきているペアも驚きの顔だった。しかし呼ばれなかった彼らはまだ持ち点が残っているということらしい。


 そしてお互いに気がついた。『本日の訓練の減点でゼロになったんだ』と。さらに驚いているのはきっと……。藍子と同じようにあちらのペアも『侵犯』という最大減点の道を選んだのではないかということだった。

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