10.恋もエリミネート


 面談室は隣の講義室だった。先に呼ばれたのは千歳組。


 藍子と祐也はそのままいつもの講義室で待機をする。


 スコーピオン、ウィラード大佐の補佐官が他のパイロットを退室させ、藍子や祐也に接触しないようドアを閉めたたずんでいる。


 退室した持ち点が残っている他の基地のペアも不安そうな顔をしていた。きっとどのペアも持ち点が少ないのだろう。最初に持ち点をなくした若いジェイブルーの同期ペアだけでなく、元戦闘機パイロットでベテランだった岩長少佐まで先に持ち点をなくしたこと、それも意外すぎて誰もが動揺している。


 その間、補佐官が見ているせいもあって、藍子と祐也はなにも会話を交わすことが出来なかった。落ち着かない時間、千歳組の面談は十五分ほどで終わったようだった。


「ジェイブルー105、朝田准尉、斉藤准尉。隣のミーティング会議室まで向かうように」


 補佐官に言われ、藍子と祐也は一緒に向かう。


 面談室に入ると、ウィラード大佐と飛行隊長のスプリンター、クライトン中佐の二人が並んでいた。そして補佐官がひとり、そばに立って待機している。


 テーブルを挟んで彼らの正面にある椅子に座るように促され、藍子と祐也は規律正しい軍人の姿勢で椅子に落ち着いた。


「朝田准尉、斉藤准尉。本日もご苦労様だった。では、持ち点ゼロになったため、本日の訓練にての減点がなんであったのか減点票をここで渡す。確認をするように」


 補佐官がその票を藍子と祐也に渡してくれる。その減点票を確認し藍子と祐也は顔を見合わせ、そしてうなだれた。キルコールを選んでいたら、持ち点はまだ二点残っていたからだ。


「持ち点がなくなったため、ジェイブルー105の研修は本日で終了とする」


 容赦ない通告だった。覚悟を決めていたが、藍子と祐也はそろってショックを受ける。


 でも、だとしたら……。あのベテランパイロットの岩長少佐と御園ジュニアも? 藍子がそう思い浮かんだと同時にウィラード大佐が告げる。


「君たちは終了となったので、もう隠さずに告げるが、先ほど面談した千歳組も本日で終了。明日の便でベース基地へ戻ってもらう。君たちもだ。本日は便が取れなかったため、明日の正午に岩国へ向かう輸送機にて帰ってもらう」


 ベテランだろうが、千歳組も容赦なく研修は終了。他の基地の残ったペアより先にベース基地へ帰されるとのことだった。


「さて。少し尋ねておきたいことがある」


 ウィラード大佐の問いに、藍子は顔を上げる。もうくよくよしてもどうしようもない。自分の望んだ選択の結果だ。ここで叱られるならとことん締め上げてもらうと腹をくくった。


「本日の訓練、持ち点が少なくなっていく中、追い込まれた状態で今までなかった領空侵犯への追い込みがあるパターンだったわけだが、持ち点の結果はともかく、君たちは侵犯をしたが侵犯ではないと私は判断する」


 雷神の1号機、キャプテンを務めたウィラード大佐のその判断に、藍子と祐也は驚いて彼を見つめる。


「君たちも思っただろう? この隣にいるフレディ……、いやスプリンターが『領空に近づいているから経路を変更しろ』と警告アナウンスをした時に、腹はたたなかったか?」


 ちょっと嫌味っぽい顔で隣にいる栗毛のクライトン中佐をスコーピオン大佐は見たのだが、アグレッサー飛行隊長のスプリンター中佐はにっこりと微笑んだだけ。


「彼が経路を変更しろという前に、君たちは包囲された状況から一度は回避している。だが再度退路を断たれスクランブル部隊が到着しないまま、戦闘能力のない連絡機であるだけのジェイブルーは戦闘機にロックオンをされ、従うしかない状態だった。経路も変更したのに経路を変更できない状況にされ、なおかつ侵犯を誘われていた」


 そうです――と藍子は頷く。


「ここで、朝田准尉、斉藤准尉。君たちは持ち点が少なくなっていた。侵犯でなく、キルコールの選択をしていれば、持ち点はなくならなかったが、君たちは侵犯をしてしまっている。この責任について問いたい」


 ウィラード大佐はそこでなにも言わなくなった。藍子と祐也を交互にみて、こちらの意見を待っている。


「キルコールはいわゆる撃墜です。私たちには死を意味します」


「持ち点がなくなったとしても?」


「訓練であろうと、本番と同じだと考えました。もちろん、侵犯もキルコールも避けられる状況をつくるべきでした」


「だが、二つにひとつの選択に迫られた。選んだのは侵犯、何故」


「責任は覚悟の上です。国家と国家の間で余計な摩擦が生じるのも、軍と政府に負担をかけさせることはわかっています。ですが……、生きて還らねばならない隊員もいます。私は独身ですが、斉藤准尉は妻子がいます。帰らねばなりません。そう思ったからです。私情であるとわかっています」


 それが今回の結果だと藍子は包み隠さず、大佐に告白する。


「斉藤准尉は? 操縦は朝田准尉、アイアイが常に任されているわけだが、軍人として責任を取ることになるかもしれない、研修でいえば持ち点はゼロ、これからのキャリアに不利になるかもしれない。それならここでは持ち点を優先にと彼女にアドバイスをして、君なりの判断は伝えなかったのだろうか」


 今度は祐也が伝える。


「伝えました。これは訓練だから持ち点を優先して少しでも点数が少ないキルコールをくらってもいいじゃないかと……。ですが朝田も迷ってはいましたが、最後に先ほどのように生きて還ることを非常に意識していました。自分も彼女の意志が通じました。やはり生きて還りたいです。軍人として甘いというのならば、これが本日の結果に表れていると思います」


「なるほど。よくわかった」


 彼のそばにいる補佐官が藍子たちの返答をすらすらとメモをする。


「だが君たちジェイブルー105としての職務はあの状況下の中でも全うしていた。わかっていたと思うが機体番号を読みとりにくい撮影解析がやりにくいように細工をしてある。それでも君たちは解析が出来なかった映像はきちんと職務として撮影したものとして受信できている。さらに、四機に囲まれた時、対国の領空側に引き込まれそうな状況を作られた時も、斉藤准尉ことカープが冷静に撮影記録をしていたため、君たちの飛行の失態でもなく意志でもない、これは相手側の対国が原因の不可抗力と判断する材料はきちんと揃えられていた。これは斉藤准尉の記録があってこそ。これがなければ言い逃れが出来ない状態だったということになるため、ジェイブルーとしての使命は果たしていたと私は思う」


 仕方のない侵犯だった。記録がきちんと取れていたから責任も軽くなる。そう労ってはくれた。それでも……。


「しかし、今回の研修は持ち点を重視したため、君たちの研修は終了する。のちに今回の研修の評価をベース基地の部隊長へ届ける。そこで再度確認をしてほしい。最後にひとつ。いままで同様に、他のペアにはまだ研修が続くため、本日の訓練内容と減点内容については口外しないように」


「かしこまりました。大佐。研修指導、ありがとうございました」


「ありがとうございました。大佐、中佐」


 祐也と一緒に椅子から立ち上がり、敬礼をした。


「ご苦労様」


 ウィラード大佐の挨拶を最後に、藍子と祐也はそこを去ろうとした。


 だけれど。サラマンダー飛行隊長、スプリンターと呼ばれるクライトン中佐がクスクスと笑っていた。


「なんだ。フレディ。言いたいことあるならいまのうちに言っておけ。ずうっと自分だけ澄ましていてなんだ」


「いや、スナイダー先輩だって、とても澄ましていたじゃないですか。海人を目の前に澄ましているの大変だったでしょう。こちらの岩国のペアには、きちんとした大佐殿で締めくくられて良かったですねと思っちゃって」


「くっそ。海人のヤツ、隼人さんそっくりの余裕の顔して俺を見てニヤニヤしていたんだぞ。アイツ……、」


「子供の頃から知っているおじさんが、しかも若い時は悪ガキの英太と張り合っていた負けず嫌いなお兄さんの姿を知っているのに、大佐面して澄ましていたら、それは海人も笑うでしょう。もう、俺も我慢できなかった」


 元は雷神で一緒に飛んでいた先輩と後輩だったと藍子も気がついた。


 しかも急に肩の力を抜いて、先輩後輩の和やかさをひけらかしてきたので、藍子と祐也は唖然とする。


「あ、悪い悪い。さっきの千歳組の面談が一筋縄でいかなくて……」


「もうフレディやめろ。俺たちの威厳がなくなるだろっ」


 そこでウィラード大佐が思い出したように藍子を見た。


「ああ、アイアイのあの回避、空中機動、すごかったな。いや、クインが悔しがっていると思うよ。本当は一度も回避もさせないつもりの予定だったからな」


「俺も目の前で見ていたけれど、あのクインの接近にも、ものともせずの機動は凄いな」


 クインが悔しがっているのひとことに藍子は驚く。追い込まれて必死になってやったことだったのに。彼から見たら『必死になって逃げた』ようにしか見えなかったはず。


「いや、引き留めて申し訳ない」


 それでも雷神の仲間同士だった先輩と後輩の親しさを目に出来て、藍子はちょっと心がほぐれた。上官の堅い顔をしていると思ったら、彼らも若い日々を一緒に通り過ぎてきた気心知れたパイロット同僚なんだと思えた。


 ――海人の生意気な返答、聞いたかよ? あいつ、大佐の俺に『やろうとしていることバレバレですよ』なんて言ったんだぞ。


 ――葉月さんより隼人さんみたいな口でしたよね~。まあ、父親が育てたみたいなもんだからなあ。あそこの家は。


 まだ大佐と中佐が御園家ジュニアの話で盛り上がっている中、藍子と祐也は面談室を退室した。


 通路に出ると祐也があからさまに肩を落とした。


「まさか。他のペアが残留した上で、俺たちがいちばん最初にエリミネート(脱落)とはね。岩国に帰ったら怒られるかもな」


 そうかな。藍子はまだ釈然としない。


「でもウィラード部隊長は業務としては全うしていたとフォローしてくれていたじゃない」


「単なるフォローだろ。やっぱ、侵犯じゃなくて殉職を選べてことだったのかもな」


 それを聞くと藍子は腹が立ってくる。


「上官としてどうなのかな。自分の部下が侵犯するのも大問題だけれど、侵犯しないためにどんどん死んでくれと言っているんだよ。隊員が防衛で何人も殉職したら社会的にも問題になってくると思うんだけれど――」


 だがどちらも選びがたい状況だったのは確か。ジェイブルーは追跡連絡機、戦闘部隊に任せていれば危険はないと思っていたが、今回はそうではないということを考え直すいい機会だったと藍子は思う。


 ただ、藍子も……。


「十組しか選ばれない研修で、もしいい成績を収められたら……、なにかいいことがあったのかもね。昇進できそうな才覚を持つパイロットを探していたのかも」


「そうだな。いや、でも俺はあまり今の状況から変わりたくはないな」


 え、それって……。藍子とずっと一緒に飛びたいということなのかと、ちょっと沈んだ心が元気になりそうに。


「あ、そうだ! 明日帰ることになってしまったから急ごう!」


「え、なにを?」


 ときめきを感じる前に祐也にかき消される。


「今日が小笠原最後の夜だ! 藍子、今夜でかけるぞ」


「え! いや、駄目だって。奥さんに怒られるじゃん」


「俺じゃない。俺の後輩の友人がこの基地で整備士をしているからさ、その男に藍子のことを話したら『ジェイブルーの女性パイロットさんなら会ってみたい』と快諾なんだってよ。いけ、藍子!」


 ときめきから一気に突き落とされる。好きな男が違う男を探してきて紹介してくれるという状況に……。


「そんな気分じゃないよ。エリミネートになったのに」


「気にするな! 元々、俺たちにはなんの得もない研修だったんだよ。忘れろ、忘れるために男に会え。いいな」


「やだ」


「おまえ、俺の面子を考えてくれているのか?」


「知らない、そんなの。私は私で男を探すから構わないで」


 だがそこで面子とかかっこつけていた祐也が、歩いている藍子の正面を遮って、拝み倒してきた。


「頼むー、藍子。会うだけ会ってくれ。俺が紹介した事実を作ってくれ! じゃないと俺……、帰れない」


 あ……、そういうことか。藍子は悟った。妻の里奈に『なんでもいいから男を探して紹介しろ』と焚きつけられているんだ――とわかった。岩国では顔見知りばかりだから、小笠原にいる間になんとかしたいということなのだろう?


「わ、わかったよ。会うだけだよ」


「よっしゃー、藍子。よく言った! 俺だっておまえの幸せを願っているんだからな」


 両手をぎゅっと握られ、満面の笑みを見せてくれる相棒。ずっと片想いの同期生。長身の藍子より背が高くて、明るくて元気で、さっぱりしている日本男児的な男前。なんでも言えて、一緒にいるとどんな時もおなじ気持ちでいられて。楽しさも哀しみも悔しさも一緒に感じてきた。幾つになっても憎めない八重歯の笑顔がずっと好きだった。でもその笑顔は藍子が望んでいないものを与えようとしている笑顔。哀しくなる。


 でも……。藍子も願っている。相棒の幸せを。それに里奈がそこまで夫を追いつめているなら、藍子はその夫妻の間にある自分がいるが為の淀んだ空気をなんとかしなくてはならない。


 その日の夜。アメリカキャンプにあるダイナーにて、戦闘機整備士の男性隊員と会うことになってしまった。

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