56.7股!!!!!!が来た
彼と相棒と一緒にいるそこに、男喰いの彼女が近づいてきていた。
藍子も構えたが、海人はあからさまに表情を強ばらせた。エミリオもだった。
「ありがとうございます」
ピアノ演奏を讃えられ、海人はひとまず彼女ににこりと返答したが、目が笑っていない。
その様子を見て、藍子は、海人も事情を知っていると判断した。
「素敵でした。まさかパイロットのご子息がピアノも弾けるだなんて。いつぐらいから習われていたのですか」
彼女が海人にぐいぐいと話しかけてくる。
今度は海人をロックオン? 藍子の胸の中が荒れてくる。海人は自分の恋人でもなんでもないけれど、大事な相棒。やっぱり触って欲しくなかった。
「さあ。覚えていないので、父か母に聞いてください」
海人は微笑みながらも両親に聞けと、軽くあしらった。でも彼女は優美な大人の女の笑みを浮かべたまま、怖じ気づいていない。
「そんな覚えていない頃から弾かれていらっしゃったのね。だからあんなにお上手なのですね。素晴らしいです」
そして彼女はそのまま、海人のそばにいたエミリオにも。
「お久しぶり。広報誌、見たわよ。素敵な記事だったわね。あの頃の貴方を想いだして懐かしくて、そして嬉しかったわ」
私は昔から貴方を知っているのよ――という彼女の言葉。だけれどエミリオはなにも返答もしない。それすらも嫌なようだった。
だがそこは海人。きっちりと線引きをしようと踏み込んでくる。
「そういうの、恋人がいる男性の目の前で言うのってマナー違反じゃないですか。久しぶりの挨拶だとしても『奥様としての綺麗な挨拶』てものがあると思うんですよ。ま、うちのパーティーが初めてらしいので、仕方がないと思いますけど」
藍子だけじゃない、さすがのエミリオも目を瞠っている。しかも海人も大人の対応でひとまず笑顔で応えていたのに、もう笑っていない。琥珀の目が堅い眼差しを向けている。
それでも彼女は笑顔のまま。でもなにも言わなくなった。
「初めてなら、ご主人といたほうがいいですよ。うちの両親から離れないようなのでつまらないかもしれませんが、それも妻の勤めでしょう。こんな若い隊員が楽しんでいるところに飛び込んでくる奥様は珍しいですよ?」
私の相棒。時々、ほんとうにきついと藍子は呆気にとられてしまう。しかしそれも御園の子息だから言えること。エミリオが言うと元カレだから角がたつ。でもただの後輩なら言うだけ言える。
もしかして海人。わかっていて藍子とエミリオのところにすぐに来てくれた? そう思ってしまった。
「不慣れで……、申し訳ありませんでした」
さすがの彼女もふっと退いた。そして海人がいうとおりに、御園夫妻と会話をすることに必死な夫の元へと向かっていく。
「海人……、ありがとう」
藍子をエミリオの恋人として彼女を遠ざけてくれたから。
「数日前ですかね。父から聞いたんですよ。事情を聞いて腹が立ったんで。しかも少佐もその友人もずいぶん前に酷い目に遭わされたと聞かされたので……」
「悪い、海人。思い出すと気分が悪いんだよ。自分のこともぶん殴りたくなる。だが、もう拒絶反応しかできない」
「仕方ないですよ。それに、すみません、でしゃばっちゃって。少佐の気持ちに土足ではいっちゃったみたいで。でも俺、我慢できなくて」
そういうところは確かに海人は若いのかもしれないと藍子も思う。でもエミリオがやっと笑顔になる。
「なに言ってるんだよ。助かった。それに俺のことは、だいたい仲間内ではもう知れている。というより、今回は重要だろ」
「そうですね~。俺も烏丸さんが挨拶に来た時、二階のゲストルームで両親と一緒にいたんですけど。夫と妻の反応がちぐはぐで」
ちぐはぐ? 藍子とエミリオは顔を見合わせる。
「烏丸さんはうちの両親に仕事の話ばかり持ちかけてくるんだけれど、奥さんは部屋の中の調度品を見つけてはこう……、さっきみたいに素晴らしい素敵の連発で」
エミリオもわかった顔になる。
「そんなもんだろ。相変わらずだな」
「ご主人が窮地に陥っているのに。危機感が奥さんから感じられないんですよ」
「乗り換えるつもりなんだろ。乗り換え先を物色中ってわけだ。もしかするとフランク中佐なんて家柄も地位も将来性も、あと独身で年齢もいい頃合いだと狙っていると思う」
今度は海人がぎょっとした。
「マジですか。ご主人と一緒に来ていて?」
「七股していた女だぞ」
「七股!!!!」
海人が仰天して後ずさった。どうやらその情報は知らなかったらしい。エミリオもそれをいま知ったのか『言うんじゃなかった』と後悔する苦悶の表情を刻む。
「いや、俺。横須賀の隊員を、特に夫周辺に関わる有望なパイロットを食い散らかしていることが心優さんの調査で発覚したって聞いただけなんですよ。男を食い散らかすというのは聞いていたけど、少佐の時に七股!!!!」
「七股の中に烏丸隊長もいたと付け加えておく」
もうエミリオも破れかぶれといわんばかりに、三杯目はワイングラスを手にとって多めに煽っている。
「なんですか、それ。いや、ちょっと見えてきた。うちの父ちゃん、めっちゃ燃えていて久々に怖いったらもう。シドもめっちゃ怒っているし、エドもなんかもう喋らなくなっちゃって、おじさん兄さんたちが怖い怖い。だから藍子さんのところに逃げてきたのに」
海人が助けてくれたのは事実だったが怖くて逃げてきたなんて、そこまで深くは考えていないことを藍子は知ってしまう。でも父親に馴染みのオジサマ達が警戒態勢に入って怖いから、慣れている藍子のところに逃げてきたなんてかわいいこと言われたら、藍子もなにも言えないし、やっぱりまだまだお坊っちゃんのお日様君なんだと安心してしまった。
だが藍子も見えてきた。彼女はエミリオと彼の友人や先輩同僚関係を喰い散らかした後も、夫周辺の有望株を喰いちらかしてきたんだと。
海人に撃退されて素直に彼女が夫がいる御園夫妻の輪へと戻っていく。
でもそこにはあのフランク中佐が。しかしフランク中佐はもう心美ちゃんをだっこしていた気さくなおじ様の顔ではなく、鋭い目つきで御園夫妻の背後に控えている。
戻った彼女が夫の隣に並ばずに、またフランク中佐に話しかけていた。しかし今度のフランク中佐は堅い表情で彼女を手で制して首を振っている。
「護衛中だから話せないって返していそうですね。さっき、シドの手を握って離さなかったこと、めっちゃ怒っていましたもん。心美をだっこしているのに、ちっとも手を離さなかったって」
「自分のことだけしか見えていないんだろ。子供も苦手だったみたいだしな」
「そういえば。烏丸准将との間にお子さんいませんもんね……、あー、そういうことだったのかな……」
そんな男ばかり追う彼女を藍子は哀しく見つめる。若さでエミリオは、彼女の美しさと奔放さに夢中になっただろうけれど、決して彼が望むものを理解できない女性だと感じた。
だからだ。だからエミリオは今日この日に『藍子とは気が合う』と言ったのだと思う。
海人と一緒にいるとユキナオ君たちもやってきて賑やかになる。ユキナオ君の双子も『少佐が藍子さんにキスしてた、キスしていた』と騒ぎ出して、徐々に周辺にパイロット達が集まってくる。
雷神の先輩も、サラマンダーの先輩に、他のフライトのパイロットたちの誰もがエミリオを知っていて、藍子を片時も離さない彼のことをやいやいとからかい始める。
やがて銀次とその妻も合流した。藍子は柳田少佐の奥様とも、相棒のパートナー同士としてご挨拶。おおらかで元気な奥様に迎えてもらえ、藍子も親しむことが出来た。
賑やかな熱気に慣れていない藍子が楽しいながらも、少し酔って疲れを見せたのをエミリオが見逃さなかった。
「少し抜けるか」
「ううん。お水だけもらってくる」
エミリオがついてくると言ったが、せっかくパイロット同士、さらに妻も数人加わって賑やかになっている中にエミリオも入っていたから遠慮した。
輪から抜けて黒スーツのスタッフから冷たいお水をもらい、藍子は少しだけグランドピアノがある部屋のドアの向こう、御園家の玄関に通じる通路でひといきついた。
戻ってくると、ほんのちょっとの間だったのにエミリオがいなくなっている。
「海人。エミルは……?」
海人も彼がいなくなっていることに気がついた。
「あれ、ほんとうだ。いまここで話していたのに」
誰も気がつかない内にいなくなっているようだったが、柳田少佐の奥様が呟いた。
「藍子の様子を見に行くと、准尉の後を追っていったわよ。廊下で会わなかったの?」
エミリオを見かけた誰もがそうだと思っていたと顔を見合わせた。
藍子の後を追ってきてくれたのに? 藍子は一人でいた通路にも誰も来なかったし、エミリオさえ見ていない。そして戻ってきたらいなかった。
「烏丸さんの奥さんもピアノの近くで見かけたわよ」
「そういえば、彼女もいないわね」
藍子がいた場所に彼女も見かけたという。そしてエミリオも向かったという。
藍子が気がつくと、海人もはっとしていた。
「藍子さん、ちょっとこっち」
海人が藍子を連れてさっと輪から抜けた。
グランドピアノがあるドアから先ほどと同じように御園家の廊下に出る。海人が自分の実家の通路を左右に見渡す。
「こっちかな」
勘が働く動物のように、海人はなにかを見定めて、玄関とは反対へと歩いていく。そして抜けたのは広いキッチンだった。
「きっとこっちだ」
「どうして」
「きっとあの女、藍子さんが一人になったのを見計らってなにかをしようと後をつけていたんですよ。それに戸塚少佐が気がついて、追いかけて、藍子さんに危害をくわえないうちに捕まえた。そして遠ざけるために外に出す。でも人前で罵るようなみっともないことはしたくない。だから、人目につかない場所へ。そんなところがあるんですよ」
海人がキッチンの勝手口を開けた。勝手口を出ると、御園家の広い庭の端、いまは不在だという隣の家と隔てる柵に出る。その柵、海が見える波打つ岩壁のところに扉がつけてあった。
海人がそこへ向かう。
「ここ、下に小さな渚があって、子供の頃よく遊んだんです。ほら階段になっているでしょう」
その扉をそっと開いた海人が階段の下を見下ろした。藍子も一緒に。
だけれどそこで藍子は衝撃の光景を見る。
渚に立っているスーツ姿のエミリオに、白いドレスの彼女がしっとりと抱きついていた。
「エミル、やっぱり私のこと忘れていなかったのね」
そういってぴったりと彼に抱きついていて、エミリオは黙って見下ろしていた。
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