75.アイアイは不機嫌
「お疲れ様です。今日の上空はどうでしたか」
「おお、あとで藍子も部隊長と映像データを確認すると思うけれど、朱雀にまた会った」
菅野少佐からの情報に、藍子はまたあの朱雀は東南海域に出没したのかと気構えた。
「あいつら、最近、ちょこちょこ飛んできては、ちょっとだけジェイブルーを見て去っていくパターンなんだよな。なんとなーく、ジェイブルーにどんなパイロットが搭乗しているのか識別しようとしている気がするんだよ」
城田大尉の言葉に藍子も頷く。
「私も、岩長中佐と一緒に映像確認の作業を手伝うようになってから、そう感じるようになりました。機体番号とパイロットの雰囲気や操縦の特性を確認している気がします」
「で、その前、特に目印になっていたのが、アイアイとサニーの908だったということだよな。乗っているのが女かもしれないってことだけで、弱みを見つけたみたいに仕掛けてくるの卑怯だよな」
菅野少佐がそうして藍子が狙われていたことを思い出し、腹立たしい顔になってくれる。
「ですけれど、最前線とか戦場とか、そういうところって、相手の弱みを突いて勝利するのが当たり前の世界ですからね。オリンピックの試合ではありませんから」
「ある意味、ここで藍子がふっと姿を消したことが割と効果がでてる気がする。向こうも不思議に思っているのか、いろんな機体に接近してくるようになったよな。特に、908、海人と新人の長峰が操縦したりデータを担当したりで、朱雀も『あれ?』といわんばかりに、あいつらの攪乱飛行に振りまわされるようになったよな」
それを聞くと、藍子もちょっと笑えてくる。
その映像を岩長中佐と確認したが、あのお日様君が新しい後輩相棒君とやんちゃな飛行になっていて、岩長中佐もやりすぎと注意はするものの『あれぐらいやり返してもいい』と裏では息子たちを見守るように笑っている。
そして藍子も。あの朱雀3が海人と長峰君のダイナミック飛行に、戦闘能力のないジェイブルーに引っかき回され、小さな子を追いかける大人みたいな様子で追跡してくる飛行姿に笑わずにいられない有様だった。
でもここで、藍子は気がつく……。やっぱり女だからなのか。飛行技術も男には劣っていたのかと。それも最近、落ち込んでいる原因。
一緒にデータ映像を分析するようになった岩長中佐も、そんな藍子の翳りにきちんと気がついてくれていた。
『だからって、藍子がこのようになっては困る。藍子の良いところは、どんな状況の時も、若い青年よりも男よりも冷静に分析できる落ち着きがあること。クールなところだ。無くさないで欲しい。コックピットに戻っても、いままでのアイアイでいて欲しい』
そう言ってくれなかったら……。藍子はもっと落ち込んでいたと思う。
それにいままではデータを集めてくるのが仕事だったが、いまは管理者である岩長部隊長と一緒に、小笠原ジェイブルーが採取してくるデータのすべてを閲覧できることは非常に勉強になっている。
様々な先輩パイロットの対処の仕方に飛行形態、対国パイロットの特性に性質を映像からは見て取れる。
地上では地上なりの充実した日々を送っていると実感しているのに、この情緒不安定はなに?
幸せすぎるのかな……。そう思ってしまう。
そうして先輩とランチを取っていると、白いフライトスーツの雷神パイロット達もこのカフェテリアに入ってきた。
彼らは向こうの古いカフェテリアがテリトリーのはずなのに。どうやら今日は、アグレッサーと雷神の演習だったらしい。
白いフライトスーツ姿の中に、銀次を見つける。そしてその後ろにブロンドの男、彼もこの新しいカフェテリアに入った途端、辺りを見渡している。
「あー、あれ。藍子を探しているんだなあー」
「硬派なクインがアイアイには甘いからなあー」
先輩ふたりのからかいに、藍子はいまでも照れて顔が熱くなる。
「甘いってやめてくださいよ。少佐としては厳しいんだから」
でも、そのエミリオと目が合った。彼が藍子を見つけて、笑顔で手を振ってくれた。
「ほーら、あのクインがあんな笑顔で女性に手を振るなんていままでなかっただろうー」
城田大尉がニヤニヤしている。しかもエミリオのそばに座っていた女の子たちがキャーと沸いたのも聞こえてくる。
「独身のクインの時は近寄りがたい気高い雰囲気に固めていたけれど、奥さんに甘い笑顔を送るクインもなんだかんだ言って、女の子たちときめいているみたいだなあ。ああいいなあ。色男はなにをしても様になって」
菅野少佐が男として悔しそうな顔になる。
藍子もそれは妻として嬉しいけれど、やっぱり恥ずかしい。でも女の子たちには『素敵な旦那さん』と羨ましがられるのも本当のところ。たまーに『パイロットでなければ選ばれなかった女』と陰口を聞くこともあった。
もう、それはどうでもいいこと。こちらに危害を加える大胆な行動さえしなければ、言わせておけばいいと思えるようにはなっていた。
エミリオと藍子がどうして惹かれあったかなんて……。結婚した夫と妻さえわかっていればいいことなのだから。
「さて。そんな新婚さんに、俺たち既婚の先輩から今日はアイアイにアドバイスだ」
菅野少佐が、藍子の目の前で急に姿勢を正した。城田大尉もだった。
「俺たち決めていたんだ。藍子がそのトマトゼリーみたいなランチを十日ほど続けたら、ちょっと言ってみようってね」
城田大尉の言葉に藍子は首を傾げる。
「何故、ですか? 父から教わって気に入っているから食べているだけです」
「美味いよなー、藍子の父ちゃんの料理はほんっとうに美味しかった。去年、藍子のツテで家族でロサ・ルゴサに泊まりに行ったけれど、最高の思い出になったし、最高の家族旅行になった礼を言う」
菅野少佐と城田大尉も藍子の実家オーベルジュに興味を持ってくれ、宿泊できるか紹介したところ、先輩二人も家族ぐるみで美瑛旅行に行って泊まってくれた。
父の料理をもちろん気に入ってくれ、奥様ふたりからも藍子は礼を言われたほどだった。
だけれど菅野少佐が唐突に言った。
「うちの嫁さんも、一人目の時、トマトだったな」
城田大尉も。
「うちは一人目の時は桃で、二人目の時がトマトだった。三人目なんてピーナッツバターだった」
「うち、二人目はパイナップルだったなあ」
奥さんが、一人目の時、二人目の時、なんて話しだした。
しかし、城田大尉の三人目で藍子はハッとする。城田大尉のところはお子様三人……。
「えっ!」
藍子は思わず、食べかけのトマトジュレを見下ろした。
「藍子、いま、脂っこいのとか、海鮮とか、白飯ダメだろ。そういうことだ」
「ええ!? だって白ご飯、大丈夫です。お魚も……、あれ、食べてない、今月に入ってから……?」
「人それぞれだってことだよ。ここのところの藍子の食生活はいままでと違う」
そこで、男性先輩二人が顔を見合わせ、意を決したように言ってくれる。
「産婦人科、行ってこい」
「早く検査しておいて、もっと注意深い生活を心がけるようにしたほうがいい」
男の俺たちからいうのは憚ると思っていたけれど……。と彼らがちょっと申し訳なさそうな顔に。
でもこれは確かに、『夫』であって『父親』である既婚先輩だからこそのアドバイスだった。
「あの、おえってくるんじゃないんですか」
「それこれからだ」
「あの、……」
「ドラマと一緒じゃないからな」
「そうそう。急に身体ががくっと力が抜けて、今日の私おかしい?から、わかったりするらしい」
「しかも。一人目、二人目と違うんだから。人それぞれなんだよ、きっと」
嘘……。藍子は茫然としてしまった。
え、こんなふうに判明するものなの???
まさかの男性先輩から教えてもらうだなんて!
部隊長にも早めに相談しろと言われ、その日のランチを終える。
藍子はもう心ここにあらず。
先輩二人はまだコーヒータイムだったが、藍子はぼうっとしながら通路に出た。
「藍子」
うわ、びっくり! 通路に出ると、いつかのように入口そばに腕を組んで待っているエミリオがいた。
ネイビーラインで縁取りされた白いフライトスーツの彼が、初夏の陽射しに濃いブロンドを輝かせて、怖い顔でそこにいる。
「と、戸塚少佐。なんでしょう……」
「夫としてここにいる」
「なに、エミル」
「今日も結局ジュレだけか」
しっかり食べているものを確認されていたらしい。
「菅野さんと、城田と、随分神妙な顔で話していたな。ジェイブルーのことか」
「気になるの、男性と話しているのが」
いつかのような、怖い戸塚少佐の顔になった。
「そういうことじゃない。今更なんだ。俺は菅野さんと城田のことは藍子を任せて安心だと信頼してる。そういう藍子こそ、どうしてそういう言い方をする」
藍子もわかってきた。
「ムカムカするの。イライラするの。そして落ち込むの。最近の私、すごく嫌。情緒不安定で、エミルが優しい時はすごく機嫌が良いけれど、いま、久しぶりに戸塚少佐の意地悪ないい方されてイラッとしたもの」
「藍子、やっぱり最近、藍子らしくない。気になっていたんだ。地上勤務が合わないなら、無理をしなくていい。コックピットに戻ってもいいんだ」
ほら。優しいんだもの。今度の藍子は涙が滲んできた。
「藍子……」
いまにも藍子を抱きしめたいような顔をする戸塚少佐にも涙が出てきちゃう。
抱きしめたいのに、いまは白いフライトスーツを着ている雷神のサブリーダーで、少佐で上官だから、人目があるからと躊躇っている。でもそういう彼の愛情深い翠の目が、藍子は好き。
「コックピットには戻らないし、私がおかしいのはどうしてかわかったから……」
涙をこぼしながら、藍子は彼を見つめる。
「赤ちゃん……、いるから、かも……って」
新しいカフェテリアを出た通路の窓からは、訓練校の滑走路と、その向こうには珊瑚礁の海。
そしていま風の音だけが聞こえる。
「いま、なんて言った」
「そんな怖い顔しないで。戸塚少佐の顔になってる」
「真剣だってことだろ」
「いまから医療センターに行って来るから」
すると、エミリオが壁に額を付いて唸りだした。
「ダメだ、どうしてくれる」
「え?」
「気になって演習ができなくなる」
「え、ダメだよ。雷神でしょう、しかもサラマンダーの経験もあるパイロットでしょう」
「無理、絶対に無理だ。俺」
「え、え、どうしよう」
どうしようか。どうしよう。
昼の潮風は青色、その風の中、二人で一緒に戸惑うばかり。
でもエミリオがそこで藍子を抱きしめてくれた。人目も憚らず。『まだわからないよ』と言っているのに。
その日の午後、藍子は医療センターの産婦人科で診察を受ける。
九週目の三ヶ月に入っていた。
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