おまけ⑤ アイアイ、キルコール(エミリオ視点)
※アイアイのジェイブルー機が、クインのサラマンダー機の頭上をすり抜けた演習のその後……※
『こちらクイン。アイアイ、残念だったな』
彼女に労いの言葉をかけたまでは、『いつものクイン』でいられた。
その後からだ――。一気に押し寄せてくる情けなさ。
もう肩から力が抜けて崩れ落ちそうだった。
だから、彼女は油断がならない。
エミリオはため息をつきながら、操縦桿を倒し、基地へ向かって降下する。
絶対に相手を優位にさせないこと。
これが今日の演習できつく言い渡されていたことだった。
絶体絶命に追い込む。飛行状況も心理的にも。
そこで、演習相手のパイロットが『二つに一つ』の状況に追い込まれたときに、どちらを選ぶか。
この『選ぶ』状況へ追い込むのが、今回のサラマンダーの仕事だった。
その絶体絶命に追い込んでいたとき。
彼女『アイアイ』が操縦するジェイブルー岩国105が、囲い込みから脱出するために挑んだのは、エミリオが乗っている戦闘機の真上を『回避経路』として見定め完全包囲網から脱出すること。それを成功させた。
機体が下向きになっているジェイブルーコックピットにいる彼女と、サラマンダーコックピットからそれを見上げる自分、視線が合っている――とその時に思った。
朝田准尉、こと、アイアイは女性パイロット。
女だからできないと思うヤツは、サラマンダーになどは来ることがない男に違いない。
男だろうが女だろうが、コックピットのシートに座って操縦桿を握れる資格を持った時点で、同等のパイロットであるという認識を持つ。誰であれ、どのようなケースであれ、フライト状況を先読みできる者が『アグレッサー』になれるからだ。
ここにいる男たちは彼女は俺たち男よりなにもできない女だとは思っていない。『アイアイというパイロット』という認識のみを持って相手をするだけ。
エミリオもそう思っている。だから彼女には頑張ってほしいと思っている。
彼女の頭のなかで整理されているなにもかもが、実は理知的で客観的で、理に適っている。
サラマンダーのミーティングでは、上官たちもそろってそう評する。
『惜しいな。彼女が男で戦闘機パイロットで、俺たちのように自在に空を飛べる力を持っていたら、いいファイターパイロットになっていたと思うぞ?』
いまはアグレッサー飛行部隊長で、元雷神のリーダーを務めた、ウィラード大佐が、ミーティングの時に、ふとそう漏らしたことがある。
『隼人さんが、岩国105を選んだのも、操縦担当の彼女の客観的判断と勘、データのカープの映像品質の良さからだろう』
ウィラード大佐だけでなく、御園准将の目から見ても、彼女の防衛パイロットとしての勘はお墨付きのようだった。
だからこそ。本日、まさかの彼女に真上を取られる機動で狙いを逃してしまったことは、サラマンダーのパイロットとしてのプライドを傷つけられた。
そこは男と女の違いではなく、『パイロットとしての格上、格下』はあるので、機体機種も経歴も階級も年齢も、パイロットとしての格も、すべて彼女に……真上を取られたという気分だった。
最悪だ。
真上を取られたあとの演習を終え、エミリオはいま操縦桿を握ってはいるが、ほぼ上の空。
なんとか最低限の操縦をしている状態。
『えー、こちらシルバー。大丈夫か、クイン』
相棒の柳田少佐から無線通信が届いたが、エミリオは『こちらクイン、……イエス、オールOK』とだけ答えることしかできない。
『んなわけ、ないだろ。なにがオールOKだ。中等機ごときにやられたな。いや……中等機だからか。あの隙間は戦闘機では大きくて抜けられない。あの中型機だからだ。あの子、やっぱ勘がいいな。どうせ逃げるなら、クインの真上と見定めていたわけだ。俺たちがわざと残した逃げ道ルートに気がついて、そこには入ってこなかったもんな。しかも、』
「すみません。あとで聞きます、その話……」
『ああ、そうだな。ぼんやりしないで、ちゃんと帰投、着陸しろよ。グッドラック』
格下の、ここでは言わせてもらおう『女のパイロット』に、真上をとられたショックを労ろうとしたシルバー先輩だったが、彼もきっと『うわ。マジか。アイアイ、やるな。凄かった!』と思って、饒舌な解説を始めようとしていたのだろう。
その解説――。いまのエミリオにはグサグサくるものになるから遠慮してもらった。
だけれど。今回はエミリオの真上を取られたのだが、『サラマンダー四機がわざと残した逃げ道ルートを見破られていた』のは、サラマンダーにとっても失態でもあるのだ。
ここ、本日のミーティングで反省点として話し合われるのだろう。
ああ、頭痛い。その時にも先輩たちにやいやい言われるのだろうな。
クインが、頭上をモンキーちゃんとからかっていたアイアイに取られた!――と。
しかし、そう思っていたのは若輩者のエミリオだけで、地上に戻るとそれについて触れてくる先輩は誰ひとりいなかった。
あの悪ガキと言われている中年男の鈴木少佐さえも、なにもなかったようにしてエミリオに話しかけても来ない。
それが余計にエミリオを傷つけた。
『先輩たちが気遣うほどに、酷い結果だった』という意味なのだ。
当然、ミーティングでも触れられなかった。誰ひとり、指揮をしているウィラード大佐も、飛行隊長のクライトン中佐さえも。
本当だったらここで『今日の演習で注意すべき点は――』と、エミリオの失敗を晒されるところなのだ。それすらも、ない――。
そしてエミリオはその意味を、ミーティングを終えてから知る。
「戸塚、クイン。あとでクライトンと共に部隊長室へ来るように」
壇上で演習の講評をしていたウィラード大佐が静かにそう告げた。
先輩たちがうつむいていた。
つまり。ミーティングで『注意すべき点』どころでは済まないことを、エミリオがやらかしたということなのだ。
それについてまずからかうとか笑い飛ばすとかなど、部隊長のお叱りを終えねば『いじれない』ということだったのだ。
さらに。先に地上に着陸していた飛行隊長、スプリンターことクライトン中佐に『部隊長が落としどころをつけるまで触るな』と周知していたのだとも察した。
あー、ほんとうに。なんでこんなことになったんだ?
エミリオは頭を抱え、ため息をつく。
目を瞑って浮かぶのは――。見上げたキャノピーの真上をすり抜けていくジェイブルー機。
彼女もこちらを見下ろしていた。そう、このクイン様が、小猿のアイアイちゃんに見下ろされていたのだ!
「大丈夫か、おい……。さっさと行って戻って来いよ」
シルバーの柳田少佐の声で、エミリオは我に返り、なんとか落ち着こうと息を吸い平常心を取り戻す。
「行ってきます」
ミーティング室を出るところで、飛行隊長のクライトン中佐と合流した。
部隊長室へ向かう途中、クライトン中佐もため息をついていた。
「はあ……。まさかあの子が、あんな機動ですり抜けるだなんてな。俺が国境側にいただけのことで、俺がエミリオの位置にいたら、俺がやられていたかもしれない……。そう思うとゾッとする。俺がやられてみろよ。サラマンダーの飛行隊長がジェイブルーの女の子に真上をすり抜けられたとか噂されるんだぞ」
まるでそれが起きたかのように、あのスプリンター隊長が真っ青になってため息をついている。
「つまり。たまたまエミリオがその位置にいただけのことで、あれは俺だったかもしれない、英太だったかもしれない、銀次だったかもしれない。俺たちが用意していた『あとで捕獲できる、たったひとつの逃げ道』に気がつかれて、真上を選んだってことなんだよ。俺たちの連帯責任でもある」
「そうでしょうか……」
「そうだよ。エミリオが俺がいた位置、対国国境側の位置だったら真上は選ばれていなかったと思う」
「いいえ。彼女はそちら側が、最強エレメントで絶対に敵わないと判断をして、それならば、格下であるクインのほうを選んだんです。そして阻止できなかった。予測もできなかった」
「だがその後のカバーは完璧で、こちらの演習の目的は果たしていた。結果オーライだ」
だったら。なんで呼ばれるのだろうか?
そう思いながらも、飛行隊長の言葉を聞いて少しエミリオの心も軽くなった。
部隊長室へと入室し、スコーピオン大佐と呼ばれるウィラード大佐へとクライトン中佐と並んだ。
「ご苦労。さて、戸塚。俺がなにを言いたいかわかるかな」
ああ、やっぱりお怒りであるかと、差し向けられる重厚な視線にエミリオは背筋を伸ばす。
「はい。朝田准尉の操縦を甘く見ていました」
「甘く、か? 今回に限らない。以前から気になっていたから今回はきっちり釘を刺しておく。彼女が俺たちより華奢な女性で、操縦士としても男性よりもリスクがあり、敵わないこともある。それを戸塚だけではない。スコーピオンとして空を飛んできた自分も男性パイロットだった指導者として注視し、配慮をしていきたいと思っている。戸塚の先輩としての気持ちもわかっているつもりだ」
あ、飛行で真上を取られたことだけじゃない――とエミリオは気がつく。
それをウィラード大佐にはっきりと告げられる。
「アイアイを甘く見るな。岩国でどうして女性ながら操縦士として選ばれたか今回のことでよくわかっただろ。浜松の候補生のころから、柔軟な操縦をする。男とは違う目線と思考がある。パワーだけの操縦でないという教官たちからも専らの評価だ。か弱い女の子パイロットなんかではない。だから、必要以上に気にかけるな。彼女は操縦桿を握った時点で、他の男どもとおなじだ。女の子だからと思う隙が、戸塚、クインにあったのではないのか。よく声をかけているのを見かける。励ましならかまわない。だが、必要のないコンタクトで、こちらの様子を読み取られるな。今回は御園准将が綿密に計画をした他に例のない演習方法だった。沖縄で起きた包囲連れ去り未遂事件をまだジェイブルーの現場は知らない。彼等、彼女の使命を安全に遂行するための演習でもあった。彼女の命を本気で守りたいなら、彼女を励ましたいという中途半端な甘えを捨てろ。アグレッサーの使命、演習で護れ。わかったな」
ごもっともすぎる、そしてエミリオの痛いところを鋭く的確に貫く辛辣なご指摘だった。
「ごもっともでした……。心に改めて刻みつけておきます」
「おまえたちアグレッサーが苛烈に攻めて攻めて手厳しくしてこそ、隊員たちを護る。それを忘れるな」
「イエッサー。ウィラード大佐」
その大佐が部隊長として言いたいことを言い切ったあとだからなのか、急に表情を緩めて『スナイダー先輩』と呼ばれている時の気易い笑顔を見せた。
「だが。アイアイとカープの岩国105はこれで合格ということだな。千歳組と共に一番乗りか」
演習の仕組みと意図をエミリオも知っていたので『あ、そういうことにもなるのか』と気がつく。
アイアイ、合格だぞ――と言ってやりたいが。いまエミリオの心にその余裕はない。
そこでウィラード大佐が思わぬことを呟いた。
「しかしなあ。あの岩国ペアはあと数年と思っていたが、そう長くはなさそうだな。五年も組んだから、よく続いたほうか」
え? どういう意味なのか。
エミリオは戸惑った。だがなんとなく予感していることもなくもなかった。
「男と女のペア、しかも片方が結婚したとなると、バランスが崩れやすくなる。俺はそこが不安要素で、あと数年かと予測している。しかも岩国の河原田部隊長が……」
そう聞いて、エミリオもふと思いつくことがある――。
「いや。すまない。それだけだ。もういいぞ。今後も気を引き締めていけ。クイン」
「ラジャー」
これにて終了とウィラード大佐が告げる。今回のお説教が終わった。
クライトン中佐は部下の付き添いと、上官として聞き届けるためだけの同伴だったようだが、それでもご自分が叱られたように彼も沈痛な面持ちだった。
二人一緒に部隊長室を退室する。
「大佐が言うとおりだ。俺たちがすることは、どんなに底意地悪いと言われても、仮想敵を演じきることだ。そして相手がどんな未熟なパイロットでも油断などしてはいけない。いや……、あれはもしかしたら俺だったかもということだ。だから俺も呼ばれたんだな。はあ……。あのアイアイの機動が目に焼き付いているよ」
どうやらアイアイは、サラマンダーの最強エレメントのリーダーであるスプリンターの心までキルしてしまったようだった。
なんて女の子だ。エミリオもため息をついた。
油断をしていたというのは否定できない。
そしてサラマンダーとしての使命をエミリオは改める。
そうだ。どんなに彼女に意地悪な男だと睨まれても。
それが彼女を護ることになるんだ。
戦闘能力をもたない中等機で国境を飛行し、戦闘能力がある対国戦闘機が接近してくることなど、彼女にとっては日常。
その時、あの果敢で柔軟な操縦ができるなら。彼女は自分の力で帰還できるはずだ。
そう、これは安心できることなのだ――。
なのに。心が痛い。
エミリオも気がつく。
ああ、俺も。アイアイに既にキルされてる。
ああ、もうファイターパイロットとしても男としても情けない……。
そのあとの業務で、エミリオは何回ため息をついたかわからなかった。
✈・・・
その日の夜。自宅に一度帰宅したが、何度も漏れ出るため息でエミリオは苛ついていた。
もう一度、制服姿のままバイクにまたがってでかけた。
今日はダイナーに行こう。そこでやけ酒だ。バイクをそこで預けて、タクシーで帰ればいい。
そこで顔見知りの隊員がいて、仕事とは関係のない話でもして笑い飛ばせばそれで気が紛れるかもしれない。そんな気持ちだった。
夕暮れが薄れ、海の色が紺碧の空に溶け込んでいく。
きらびやかなアメリカンネオンに輝くダイナーの店先に到着する。
バイクを降りて、エミリオは制服姿のままダイナーのドアへと向かう。
ドアは二重、外ドアを開けると、店内へと入れる中ドアがある。
その外ドアを開けて入ったところで、中ドアを開けて急いで出て行こうとする女性隊員とぶつかった。
「ご、ごめんなさい」
「いや、こっちこそ、sorry……」
本当に今日はついていない。
注意力散漫で女性にまでぶつかるはめに――。
その女性がよろめいたので大丈夫かと、彼女の顔を知って、エミリオの息が止まる。
「アイアイ――」
彼女と目が合った。さらにエミリオは息を止める。
柔らかな黒髪の彼女の瞳に、涙がこぼれそうに湛えられてた。
なんで。彼女が泣いている?
泣きたいのは俺のほうだったのに?
なにが起きている?
呆然としているうちに、彼女が顔を伏せ急いでダイナーの外ドアを開けて出て行こうとしている。
エミリオの胸にいま……、そんなアイアイの涙が撃ち抜いた。
その涙から様々なことを予測したエミリオの心が『アイアイがきっと困っているから捕まえろ』と言っている。
ああ、もうなんだよ。空だけじゃなくて、藍子としても俺をキルしてきたのかよ?
「待て、准尉」
彼女にとってはまだ少佐の自分だからそう呼び止めた。
いや確実に呼び止める方法がそれだったからだ。
そんな藍子の肩を無理矢理に抱き寄せ、エミリオは力尽くで一緒に外に出る。
もうとっくの前からそうだった。
彼女が気になってしようがなくて。彼女の力になりたくて。
これがほうっておけるかって。これが気にせずにいられるかって――。
空でも地上でも、おまえはもう俺をキルしてるよ。
彼女は知らない。いつの間にか、彼女がキルコールしていることを。
今度は俺がキルする。
⇒明日より続編2『ロサ・ルゴサ・Wedding!』開始です
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