32.母は弱し

 もう自分がドレスを着るがごとく、園田少佐が幸せそうにパンフレットをめくっている。


「ですが、ココちゃんが気に入ったものを予約しますので、ママと一緒にゆっくり選んでください」

「ありがとう。藍子さん。ミミルも……。ご親族で静かにゆったりとしたお式にしたかったんじゃないの? 心美がここのところずっとミミとあいちゃんの結婚式たのしみとか言い続けていたから気遣って……」


 ああ、こちらもパパさんとおなじ心配をと、今度はエミリオも会話の中に入る。


「雅臣さんにも伝えましたが、俺にとって、心美は大事な小さな友人です。それに、心美にも美瑛を見てもらいたいです」

「私もです。実家の父も、心美ちゃんが来ることを待っていると言っていますし、お子様用のメニューを考えると張り切っていますから」

「葉月さんも……、ご実家のプライベートジェットを出してくださるとかで、心美のために、みなさんがこんなことしてくれて……、ほんとうに甘えて良いのかどうか」


 やはりまだなかなか完全には乗り切れない様子だった。エミリオも、もう一声、説得のために身を乗り出したのだが、それより先に葉月さんが入り込んできた。


「いいんじゃないの。どうせ海人が、藍子さんの同僚として出席するんだもの。そのついで。隼人さんとも話していたんだけれど、その日、私たち夫妻も久しぶりの北海道だから、懐かしい思い出の場所でも巡ろうかと言ってるの。だったら、御園の娘の私が出せというんだから、あとは『みんな、ついで』でいいじゃない」


 その場がしんとした。けろっと言いのける様が、まさに資産家のお嬢様で、もう誰もなにも言い返せないのだ。


「……洞爺湖へ、行かれるのですか」


 園田少佐がこれまた遠慮がちに尋ねた。そして、エミリオも『いつ、どんな状況で、横須賀基地で刺殺されそうになったか』を聞かされていたので、いまになってさっと血の気がひいた。


 そして、ここでも藍子は知らないのだ。だから、そこはただ上官女性ふたりの会話を笑顔で聞いているだけ。


「千歳からちょっと時間がかかっちゃうのよね、札幌と小樽も思い出があるから、久しぶりにおいしいものでも夫と食べてもいいし、美瑛は私も行ったことがないから見てみたいかな」


 結婚前、恋人同士だった葉月さんと隼人さんが、初めてふたりきりで旅行をした場所だと聞かされている。その帰路で……、御園少将は……。エミリオは密かにため息をついて、そっと目をつむり、深く考えないよう努める。


「あの……、よろしければ……なんですけれど……。御園連隊長と、ご主人の御園准将も、是非来ていただきたいと私は思っております。父も招待客が増えるなら、大ボスを連れてこいとも、あと、海人さんのご両親にもお会いしたいと申しております」


 藍子からの言葉に、御園少将がはっとした顔になる。


「え! だって、ご親族と、相棒の海人と、心美に来てもらうぶんだけのご招待なのでしょう」

「父が五十名までなら、この際だからお誘いしたい軍隊の方を連れてこいと言っていまして。僭越ながら、プライベートジェットを出してくださるとお聞きして、それならと戸塚少佐と招待客を増やす相談をしております」


 そう、今日はこのことも伝えたくてやってきたのだ。藍子だけではなく、エミリオも乗り出す。


「自分と朝田は、この基地の防衛パイロットです。その大ボスなのですから、当然、ご招待客として来ていただきたいご夫妻としてすぐに思い浮かびました。ご検討いただけないでしょうか」


「海人さんは、私にとって日々共に命を預け合う同僚で、パートナーです。その相棒のご両親としてもご招待したいですし、父にも紹介したいと思っているのです。父も同様です。海人さんのことを『家族だと思っているから、娘と一緒にいつでも帰ってきなさい』と言うほどなんです。ですから、ご両親にもこの機会にご挨拶しておきたいと言っております。これからも、私の帰省の際には彼を一緒に連れて行くつもりでいます。あ、それから。ご子息の海人さんからまだお聞きでないかもしれませんが……。お料理も父と父の友人シェフが作ってくれますので、それも『こちらも食の最前線で必死に取り組んでいる。防衛最前線を護る連隊長に食べていただきたい』と父が変に燃えています」


「え! お父様が……、最前線って……!? お父様、ファイターっぽい!」


 あの葉月さんが唖然としていた。青地父に名指しで『こっちも最前線。食べに来い。連隊長殿』と煽られたからだ。


 エミリオは初めて美瑛に出向き、青地父の重厚な料理での挨拶を思い出してしまっていた。

 真剣で繊細で、気を抜けば見落としてしまう『細かな意思』が秘められた料理だった。そういう表現ができる料理人だ。


「俺も、葉月さんには彼女の父親の料理を食べていただきたいと思っています。舅の料理には明確な意思が込められているんです。きっと、葉月さんは気づかれると思います。そんなひとときを、思い出の北海道で隼人さんと過ごしていただき、新たな思い出としてお持ち帰りしてもらえたら、嬉しいです」


 痛い思いも残っていることだろう。もちろんご夫妻で再度、北海道の地を訪れ、新たな時間で上塗りして過去を消し去ってきたはずなのだ。


 少し距離がある息子と、思い出を作り続けるご主人とともに。美瑛で、自分たちの結婚式で、その時間を新しく記憶してくれたら。海人のためにもなるのではないかと、エミリオは思っているのだ。


「ありがとう。エミリオ。素敵なご実家なのね。わかりました。夫の澤村と相談してみます」


 まずは打診という形もスタートした気分で、エミリオを藍子は連隊長にその旨を伝えられて微笑みあう。

 だが、まだきちんとしておかねばならないことも多々ある。そのひとつを切り出す。


「招待状をこれからつくるわけですが、これも園田少佐にご相談で。招待状をいつお渡しして、フラワーガールのドレスを選んでいただいて予約していくかの段取りです」


 エミリオの申し出に、藍子もつづく。


「心美ちゃんにがっかりさせない段取りで行きたいと思っています。招待状が届いてお返事いただいて、フラワーガールをお願いしてドレスの予約をする。希望どおりのドレスを確保するためにも早めにと思っていますが、大丈夫でしょうか」


「そうね。そこも城戸と話しておきますね。来年の夏? 今ごろだったわよね」


 ふたり揃って『はい』と返答をする。


「ちょうど雷神へ異動するので、今後は雅臣さんとはおなじスケジュールになるかと思います。できれば……、美瑛が花盛り、ラベンダーが満開のころをと思っています」

「披露宴の会場は、実家のレストランでする予定です。城戸のご一家には、心美ちゃんと、お兄ちゃんの翼君と光君も是非。私からの招待として、双子のユキ君とナオ君も招待する予定です」

「あ、フランク中佐もですよね。心美のナイトを忘れちゃうと、あとで怖いことが起きそうだ」

「え、シドまで……?」

「俺が心美と出会った時、フランク中佐も一緒でしたからね」


 エミリオと娘の出会いをよく覚えてくれている母親の園田少佐だから、ふっと思い出したのか優しく微笑んでくれる。


「城戸のご一家といえば、フランク中佐もと、俺は思っています。もちろん、自分たち自ら打診には行きますので」

「だめよ。そんなことしたら、シドはひねくれちゃう。私と雅臣さんから伝えておきますね」

「城戸家は子守り要員がいっぱいいるものね。心美のことじゃないのよ。翼も光も目が離せないし、ユキナオもねえ……」


 葉月さんのひとことに、園田少佐が『そうなんですよ……』とため息をついた。

 ほんとうに一家で移動するには覚悟がいると言いたそうだった。


「ほんとうはシドも目が離せないんですけどね。ちょっと目を離したら、どこかに消えちゃってなにをしているのやら」

「ああ……、まあ……。独身だものいいんじゃない。それに心優が一緒なら、猛獣使いなんだから大人しくさせられるでしょ」

「ちょっと、少将……、その言い方はお願いですから、もう~」


 猛獣使いと例えられていることを初めて知って、エミリオはびっくりしつつも、心の中で『確かに。あの賑やかな男たちの中心にいて管理している!!』と思ってしまったのだ。


 心美を招待するための段取りを話し終え、切りの良いところでお暇をすることにした。


 連隊長室を退室するところで、御園連隊長が声をかけてくれる。


「エミル、藍子さん。海人のこと、気にかけてくださって母親として感謝しております」


 先日、エミリオに内密に会いにいったのに、同期生の男と騒々しいことをして大失敗ママをやってしまったからと、ここで改めて『母としてのご挨拶』をしてくれた。


「あの子には待つことばかりさせて、応援ばかり受け取って、私、ほんとうに母親としてなにもしてないの。僕の母はこういう人と思っていたものまで、私はやめてしまったから」


 いつも凜々しいばかりの女性なのに、母親になった途端、彼女が自信なさげに眼差しを伏せた。


 その顔があのときの海人と重なる。Be My Lightのテラスでひとり待っている時に、海人が渚をみつめていた眼差しに。


 そっくりだった。


「やめたのではなく、葉月さんは護られたのですよ。ジョーカーを使わざる得なかった人だっただけです。海人はあの資料を視聴したことで、お母様の気持ちも生き方もあり方も、理解しているようでしたよ。ただ、いきなり知ったので、いますぐにはそれまで取ってきた自分の態度が認められなくて時間を要しているだけです。あと少しすれば……、きっと、ご実家へと会いに行かれると思いますよ」


 エミリオの言葉に、あの葉月さんがとても驚いた顔をして、一瞬、目元に涙をこぼしたように見えてしまい、今度はエミリオが驚く。


 この人は、小笠原の隊員の頂点に立つ司令だ。アイスドールと呼ばれ、戦歴をたくさんお持ちで。母親って……。こんなに弱くなるものなんだ……と、エミリオは初めて知ったのだ。

 それを垣間見せずに、子供を守ろうと見守ろうと強いのも母親だ。でも子供を思う気持ちは、どんな時でも簡単に揺れて、いつだって泣きたいほど案じている。

 自分の母親、エレーヌもそうなのだろうとエミリオは知る。


「子供を育てるより……、そうすることでしか、生きていけなかった母親を、あの子は持ってしまったから」

「海人は、真っ当な大人として歩いていますよ。母親もきっとそれぞれです。葉月さんは、葉月さんが見せられる背中を、きちんと海人に残していましたよ」


 もうだめだったようだった。あの御園少将が、綺麗なハンカチーフを手に取って目元を押さえてしまう。


 園田少佐がさっと上官のその人に寄り添って、そっと室内へと控えさせる。

 最後は園田少佐が見送ってくれた。


「ミミル、ありがとう。私からも海人君のこと、よろしくお願いいたします。そして……、海人君から聞いたことを伝えてくれてありがとう。すっかりお母様のお顔になってしまったけれど、大丈夫よ」


 園田少佐の優しい笑顔で、そのドアが閉じられた。

 共に退室した藍子と共に、通路を歩き出す。


「そうすることでしか、生きていけなかったって……。やっぱり、海人の伯母さまが亡くなっていることが関係しているの?」


 ひたすら無言で側にいた藍子が言い出したことに、エミリオは我に返る。

 なにも知らない彼女の横で、エミリオと葉月さんは、秘密(タブー)を共有している者同士の会話を堂々と交わしてしまっていたからだ。


 なにを通じて、連隊長が母親の顔になってしまい泣いているのか。藍子はまだ知らないのに、うっかりしていたと気がつく。


「いいけど……。海人が演習が終わったら話してくれるというから待ってるところだから……。でも、聞くの怖くなってきた」


 夕に日が傾き始めている通路を歩いていたが、エレベーターに乗ったところで、エミリオはそっと藍子を抱きしめる。


「大丈夫だ、藍子。タブーなんて言われているけれど、時が経って知っている隊員も多い。それに海人は藍子だから話したいと言っているんだ。俺もいる」


 藍子が黙って抱きついてきた。胸元にその頬を預けてくれているのに。藍子はエミリオにすがるような弱い目をしていない。エミリオではないどこかを見据えている。


 そんな目の時に藍子は、闘志を持って空へ飛んでいくアイアイとおなじだった。

 それでもエミリオは彼女を強く抱きしめる。アイアイであっても、藍子であっても。


 


 その翌日の夜だった。エミリオが帰宅すると、藍子がいなかった。

 貸しているジープもなく、家の中に入っても薄暗く、とおく漁り火が見えるだけ。

 スマートフォンを見ても、メッセージは届いていない。

 キッチンも綺麗で、そのぶん、いつもなにかしら準備されている夕食もなさそうだった。


 海人と食事でもしているのだろうか……と、思いついたときに嫌な予感がした。


 それから一時間ほどして、藍子が帰ってきた。外に車が停車した音がしたので、気が気じゃなかったエミリオはすぐさま玄関まで向かう。


 普段用のサンダルを履いたとき、玄関のドアが開いた。

 制服姿の藍子が立っている。だが、顔色は悪く、表情も暗かった。

 まだ玄関の中には入らず、ドアを開けた外にいる藍子は、日暮れていく薄暗い中にあまりにも溶け込んでいて、重苦しい空気をまとっている。


 一目見て、エミリオは悟った。


「聞いたのか、海人から」


 なんの反応も示さなかった。それは一瞬で、藍子がエミリオの胸に飛び込んで泣き始めた。


「いままで、海人が明るいのはお育ちのおかげだと思ってた!」


 そうではない重いものを背負っている相棒だったと知ったショックを受けてきたようだった。

 そのまま、エミリオは夕闇の中、藍子を抱きしめる。

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