45.少佐のプライド

 藍子もぼうっと窓辺を見つめているだけだった。そして、ふっとまたブランケットにくるまって横になってしまった。

 眠くて判断ができないのかとエミリオは思った。ここは少佐の俺が、こういうときは先陣を切って――。


「除雪車ってこっちでは呼んでいるの」


 彼女がぽつっと呟いた言葉に、エミリオは目を丸くする。


「あれ、除雪車なのか??」

「うん、そう。今夜みたいにたっぷり積もった夜中や朝方に来てくれることが多いの。うちの店先と繋がっている農道と裏庭を担当している重機が来てくれただけよ。エミル……、初めてだから……、慣れなくて目が覚めちゃったんだ……大丈夫だよ……」


 そういって藍子はまた目を瞑ってしまった。


「除雪車……!」


 下に大きなブラシのようなものを付けた車両や、ぐいぐいと道脇に雪をはねのけていく車両のイメージしかなかった。ほんとうに工事で使うような重機がぐいっと持ち上げて……どこにそれを置くんだと不思議に思ったエミリオは再度窓辺へ向かう。


「エミル……、窓辺の冷気で風邪ひいちゃうよ……」


 横になったままの藍子が力ない声で心配そうに呟く。窓からは確かにしんしんとした冷気が漂ってくる。

 ベッドからくるまっていたブランケットをひっぱりだし、それを立ったままくるまり、エミリオは除雪をする重機を眺める。


 正体がわかると、わくわくしてしまった。


「なるほど。ダンプとペアでくるのか。ふむふむ。すごい。この狭い裏庭を的確に順序よく……すごいな」


 ホイールローダーが尖端のショベルでガッとすくい上げた雪の塊を、農道の路肩に駐車しているダンプカーの荷台へとどんどんと積み上げていく。


 ついに、後ろのベッドから『くすっ』と笑う声が聞こえてきた。

 振り向くと、藍子がくるまっているブランケットが小刻みに震えていた。


「もう~、エミルったら。男の子みたい!」


 藍子もすっかり目覚めてしまったのか起き上がった。


「いや。なかなか合理的な動きだぞ」

「ほら~。もう、いつもそういう生真面目目線なんだから」

「生真面目目線? 俺がか」

「そうよ。でも、だからよね。私のタックネームの『アイアイ』を南の島のかわいいお猿さんではなくて、本物の『悪魔の使い』のチビ凶暴モンキーちゃんを先に思い浮かべるほどに、生真面目な博識クインさんだものね。そのせいで、私、ほんっとに戸塚少佐には意地悪されたけど、おかげさまで、だものね。エミルの生真面目目線に感謝しなくちゃ」


 彼女を目に留めたキッカケを思い出してしまったエミリオはぐうの音も出ずに黙り込む。


「もう夜明けね。日が昇るのはもう少し先だけれど、お父さんたちはもう起きて動き出しているわね。なにかあたたかい飲み物、もらってくるね」


 気が済むまで見ていてもいいけれど、そのままでは身体が冷えるでしょう――と、藍子が気遣い、一階へと部屋を出て行った。


 藍子がホットミルクを作ってきてくれ、エミリオの毛布にふたり一緒にくるまりながら、ミルクを飲んで除雪作業を眺める。


「エミルには新鮮なんだね。私にとっては、子供のころに普通にあった日常の音。私もふっと目覚める時はあったけれど、ああ除雪しにきてくれたんだと安心して眠れる冬の音なのよ」

「そうか。これは冬の音なんだな」


 そうして藍子はまたクスクス笑い出している。


「エミル、少佐の顔で、なんとかしなくちゃって……。こんな時も責任感の気高いクインになっていたんだもの」

「そりゃ、……この大好きな家がなにかに襲われると思ったら気が気じゃないだろう」


 藍子がマグカップ片手に、エミリオの胸に甘えるようにひっついてきた。


「嬉しい――。私の実家のこと……、そんなに気に入ってくれて。私も藤沢の海が見える戸塚のおうち、大好きよ」

「春の海もいいぞ。その時はそっちに帰ろう」

「うん――」


 そんな彼女が密着してきて初めてエミリオは気がついた。


「なんだ。ホットミルクより、藍子のほうがあたたかいな。もうひと眠り、藍子にあっためてもらうかな」


 ブランケットを羽織ったまま、エミリオはいつものように彼女を背中から抱きしめた。うすい部屋着のおかげで、藍子の体温がすぐに伝わってきて心地が良い。


 そのまま彼女を自分が眠っていたベッドに誘って、一緒に寝転がる。

 ひとつのブランケットのなかで、二人で笑いながら寄り添って、もう少し夜が明けるまでと休もうとしたのに。

 エミリオはあまりの温かさに、ついに藍子が着ていた部屋着をめくって素肌へと手を這わせていた。


「もう、やだ。エミルったら。手、つめたくなってるじゃない」


 でも藍子も楽しそうに笑っている。エミリオも笑いながら、でも、露わになった彼女の肌にキスをして頬を寄せた。


 彼女がそっとエミリオのブロンドの髪を撫でてくれる。


「ここがいちばん、俺にはあたたかい」

「私も。エミルの息とキスがいちばん、熱くて好き」


 藍子もこの家に来てからは、もう准尉でもアイアイでもない、くつろいだ藍子の優しい表情になっている。

 その眼差しで、彼女の肌にくっついているエミリオを見つめてくれている。

 そんな彼女の肌から、くちびるへとエミリオは口づけを移した。


 うるさかった除雪車が去って行き、また静かになった。二人のくちづけの音が静かに部屋に聞こえるだけになる。


「ミルクの味がするな」

「エミルだって」


 夜明けのキスも北国風味だなと、二人で睦み合い、少しだけ肌を寄せあったまま微睡んだ。


 


 


 ロサ・ルゴサの朝は早い。

 藍子と抱きあって微睡んでいると、また外から作業をする音が聞こえてきた。


 まだうとうとしている藍子をそっと自分の身体の上から降ろし、エミリオだけさっと着替えて一階へと向かう。

 リビングへ向かうと、藍子の母『真穂』がもうキッチンに立っていた。驚いたのは海人もその隣で手伝っているところだった。


「あ、少佐。おはようございます! 眠れましたか?」

「だから、休暇中の少佐はやめろと何度いえば」

「あ、つい。明け方に除雪車が来ていたでしょう。俺もあれで目が覚めちゃいまして」

「エミル君、おはよう。もっとゆっくりしていていいのよ」

「お母さん、おはようございます。除雪車、びっくりしました。あんな重機が入ってくるんですね」


 やっぱり目が覚めちゃったのね――と真穂義母が優しく笑う。藍子に似ているなと、エミリオも思っている。


「また外から音がするので目が覚めました」

「篤志君と瑠璃が玄関前の雪かきをしているのよ。細かい箇所はまだ人の手がいるわね。いちおう、自宅用の除雪機も使うんだけれどね」


 こんな朝早くから起きて、雪かきもしているのか――と興味が湧いたエミリオは玄関まで覗きに行ってしまった。


 玄関を開けると、すぐに外ではなく『風除室』というガラスに囲まれたサンルームのようなスペースがあり、そこがもう一つの外玄関だった。


 そのガラスの向こうで、ジャンパーを羽織って大きな四角いプラスチックスコップで雪をすくって持ち上げている篤志と、篤志が降ろした雪を小さなソリのようなものに集めて、それを押して脇へと運んでいる瑠璃をみつけた。


「おはよう、篤志。瑠璃ちゃん」


 昨日の吹雪とは打って変わって、薄らいできた空は明るい青に染まり始めていた。


「わ、エミル兄さん。寒いだろ。中で待っていてよ」

「おはよう、エミル兄さん。そんな薄着で出てきちゃダメでしょ」


 ダウンコート一枚だけ羽織ってでてきたエミリオを心配した驚き顔を二人が見せた。

 確かに空気の冷たさが尋常ではなく、エミリオはすでに震えていた。


 でも。爽やかな青空が広がり、日が差してきたそこには、真っ白な丘陵の景色が輝いていたのだ。

 その白さだけの世界に圧倒されて、エミリオはついに風除室から積もったばかりの雪の上へと一歩踏み出していた。


「夏と全然……、違う」


 わずかな朝の風がエミリオのブロンドを撫でる。キリリとした氷点下の風だったが心地が良い。エミリオの翠の眼にも、その白が染まっているはずだった。


 そんなふうに、美瑛の冬の景色に釘付けになって動かなくなったエミリオのそばに、篤志と瑠璃も寄り添ってきてくれ一緒に微笑んでいる。


「朝から雪かきだなんて、大変だな。寒くないのか」


 ダウンジャケットを羽織っているエミリオに対して、篤志と瑠璃は薄いジャンパーという軽装だった。


「すぐに汗をかくからこれぐらいがいいんだよ」

「それに私たち、この気温に慣れているしね」

「さすが北国在住だな。俺なんて、オホーツク海航行中のスクランブル発進の時なんて、フライトデッキに飛び出した途端に、わーなんだこれ息が凍る!! と泣きたくなるんだけどな」


 さらっと言ったつもりだったのに、篤志と瑠璃が目を見開いた顔を揃えている。


「俺なんて――って兄さんったら。なにげに凄いシーンを語っているとわかっているのかな」


 篤志に言われエミリオはきょとんとする。


「俺から見たら、朝早くからこんな重労働をして夜遅くまでお客様のために働いている篤志と瑠璃ちゃんのほうが凄いと思っているぞ」

「えー! 私から見たら、雪かきより、戦闘機で国境まで飛んでいって外国の戦闘機と火花散らして防衛しているエミル兄さんのほうが凄いと思っちゃうんだけど!!」

「そうかぁ……? いや俺から見たら、やっぱり、篤志と瑠璃ちゃんは凄いよ……ほんとに……。俺、スキーもできないし、篤志も瑠璃ちゃんも当然出来るんだろう」


 北国に来てから情けない少佐という気持ちにばかりなっていて、自信なさげに呟いたら、篤志と瑠璃が揃って『えーーーー!?』とのけぞって仰天している。


「嘘だろ。エミル兄さん、スキー……できないんだ!?」

「えーー!? エミル兄さん、も、もしかしてスキー……、初めてなの!? この休暇中に行く予定だよね」


 そんな二人にエミリオもたじろぎながら、真顔で返す。


「初めて、だが……。ん? 藍子から聞いていないのか?」


 二人が聞いていないと首を振った。

 篤志がなにかはたと気がついた顔になる。


「あ、なるほど。藍ちゃん自ら、エミル兄さんに教えるってことか」

「へえ……、いつもは上空で撃ち落とされて意地悪なのよとかお姉ちゃんが言っている少佐が、准尉にスキーを教えてもうんだあ」


 こういうところ雰囲気が似ている姉妹なのに、瑠璃のほうが妹らしくはっきりしている。エミリオは笑いたいところだったが、そこでハッと我に返る。


「あ、……そういうことになるのか」

「でも夫と妻になるんだから大丈夫だろ、エミル兄さん」

「いや……、それはちょっとな」

「だったら。海人に教えてもらったらいいんじゃない? 海人は子供のころからスキーが出来るって言っていたから男同士で」

「いやいや。エミル兄さんにとっては、海人だって海曹で後輩なんだろ。……兄さんは? 上官下官でも、男同士だったら大丈夫なのかよ?」


 エミリオはしばし黙って――。


「いや。それ困る」


 絶対に何度かはスキー板を履いたまますっ転ぶに違いない。その度に、藍子であっても海人であっても『大丈夫?』と心配されて、またもやなにも出来ない少佐に夫になってしまうのだ。


「……一応……、少佐としてのプライドは、ある」


 これまた自信なさげに呟くと、篤志と瑠璃がそっと目線を合わせて微笑んでいる。


「任せて、エミル兄さん。俺だったらいいよな? 俺が教えるよ」

「ほんとうか。助かる――」

「じゃあ、私はお姉ちゃんと海人をさっと引き離して、リフトに乗せちゃうね」


 美瑛の義弟義妹が協力してくれることになった。

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