16.クインさんは怖い?
雅幸、雅直と双子をしっかり名前で呼んだエミリオは、彼らに言い放つ。
「心美はちゃんと理解している。双子の兄貴の注意にちゃんと『わかった。もらわない』と手も出さず、駄々もこねずに頷いた。だったら、いいじゃないか。ここで泣いてわめく心美なら俺もそうだろうと口出しはしないが、ちゃんと自分から手を出す物ではないと言うことを聞いた」
エミリオの呼び止めに、藍子も必死に入ってきた。
「そうよ。私は、心美ちゃんにも使ってほしかったから。もちろん、お母様のお考えがあることもわからずに余計なことしたかもしれないけれど」
ユキナオも顔を見合わせ、でもまだ迷っている。
「雅幸、雅直。ここに座れ。上官命令だ。もうすぐおまえたちの直属の上司になるんだがな」
双子がそろってぎょっとした顔になった。
「うわっ。ここで上官命令とか言い出しますか!?」
「ずるいっすよ! 気高いクインらしくないっすよ!」
「なんだと。上官命令は絶対だぞ」
今度は本当に戸塚少佐である時の冷めた硬い顔を見せてみる。少し睨んだら、さすがの双子が震え上がったのがわかった。
「モヒートつくってやるから座れ。雷神に行く前に少し話しておきたいと思っていたんだ」
モヒート! 大人のお酒を出してくれるとわかった双子がちょっと気を緩めた。
「藍子。さっき心美が選んだボウルをもたせてやれ」
「はい、もちろんです」
戸塚少佐モードになってしまったせいか、藍子まで朝田准尉の受け答えをする始末だったが、エミリオはかまわずにまだ戸惑う双子を顎で『座れ』と命令した。
「はあ……、今後に差し障ったら嫌なんで」
「心美、お姉さんからいただいておいで」
双子の弟のほう雅直に促された心美が、やっと嬉しそうに藍子の元に戻っていく。
エミリオもモヒートをごちそうする約束だから、キッチンへと向かう。
「藍子は先にアイスを準備してくれ」
買ってきたライムやミントの葉を袋から出して、エミリオは制服姿のままキッチンに立った。
藍子もほっとして改めて、心美が選んだ青いボウルを小さな手に差し出している。
「はい。心美ちゃん。使ってね」
「ありがとう、お姉さん。あ。お姉さん……あいこっていうんだね。お兄ちゃんたちアイアイて呼んでたから」
「心美ちゃんのパパがパイロットの時はソニックと呼ばれていたでしょう。お姉さんのパイロットの時の名前はアイアイなの」
「おさるさんなの?」
「え?」
それを側で聞いていたエミリオは思わず吹き出しそうになった。そして藍子が泣きぼくろがある眼差しを向けて睨んでいる。久しぶりにその目と合った。
「お姉さんのこと、あいちゃんって呼んでいい?」
「もちろん! 嬉しい! 私も、ココちゃんって呼んでもいい?」
「うん! いいよ!」
さあ、次はどれにバラを飾るか選んでと、今度こそ飾るためのボウルを藍子と心美が楽しそうに選んでいる。
「じゃあ、このココちゃんが選んだボウルにアイスを入れてあげるね」
「ほんと! たのしみ!」
「お兄さんたちと座って待っていてね」
心美がダイニングテーブルへと、ユキナオと一緒に椅子に座った。
藍子はアイスを盛り付け、エミリオは大人四人分のモヒートをつくる。それをユキナオが物珍しそうに見ている。
「へえ、もうすぐ結婚する二人って感じですね。既に」
「制服のままなのに、すげえしっくりしてますよ」
夏シャツに黒ネクタイをしたままの二人が、狭いキッチンを行ったり来たりしている様子に双子が目を見張っている。
「おまえたちも、彼女や女房を手伝えるようにしておけよ」
「んなの、雅臣叔父にも散々言われていますって」
「じゃなきゃ、海人もうるさいもんな~。女が活躍する家ばかりですからね、俺らの周り」
だからこうして、年が離れた従妹の子守もしょっちゅうやっているし――と双子が言う。
藍子が盛り付けたフローズンヨーグルトのアイスが双子と心美の目の前に置かれ、まもなくエミリオのモヒートも配り終える。
「せっかくだから、ちょっとしたおつまみもすぐに出すね」
藍子はキッチンへと戻っていく。では、先に戴こうと双子と心美と共に、エミリオも先に席に着いた。
「わあ、いちごが入ってる!」
ちょこちょこと入っている苺を見つけて、心美がさっそく頬張る。
双子もまずはアイスを一口。エミリオも一緒にスプーンですくって口に運ぶ。
甘酸っぱいヨーグルトの爽やかな風味と口当たり、そして苺の甘みが舌先で溶け合う。暑い夏のいまどきにぴったりで、エミリオも美瑛の父譲りのこのジェラートがお気に入りだった。
「ん! うんめぇ! 准尉がつくったの、やっぱうめぇ!」
「うん! うんめぇー! さすがです、藍子さん」
双子らしくそろって、二人が舌鼓を打つ声に、エミリオも『だろ、そうだろ。うまいだろ』と言いたくなる。
心美も小さな手でかわいらしくスプーンを口に運んでぱくっと食べて。
「うんめぇ!」
愛らしい女の子からそんな言葉。さすがにエミリオは目を丸くする。キッチンにいる藍子もだった。
また双子がそろって慌てる。
「こら、心美! 俺たち、兄ちゃんたちの男の言い方はまねたらダメだと何度言ったら」
「だって。お兄ちゃんたちも、うめーって、パパもうめーって、シー君もうめーだよ」
「かわいい女の子は、おいしいっていうんだ!」
心美が珍しくむっとした顔になった。その上、大きな従兄ふたりを睨んで、もう一度口にアイスを放り込む。
「うんめぇ! お兄ちゃんたちも、おいしいっていえばいいじゃん」
小さな女の子の見事なやり返しと気の強さを見せつけられ、もうエミリオは呆気にとられるやら。
いや、笑いたい。何度か心美のことを思って笑みをかみ殺したくなったが、ついに声に出てしまう。
「嘘だろ! もう、やめろって。ココがすんごい大人に見えて……、あははははは!!!!」
抑えていた分、椅子の上でのけぞって笑ってしまった。そのせいか、エミリオの身体が椅子ごと傾いてしまった。
「お、っと、うわっ!」
「あっ」
「ミミ!」
藍子がキッチンで吃驚に固まった様子、心美が驚いてあげた声を聞きながら、エミリオは椅子から床へとドシンと落ちてしまった。
しんとした瞬間があった。エミリオも呆然とする。
サラマンダーのクインと言われてきた男が、椅子から床にでかい図体で転げ落ちるという失態を晒している。
それでも青ざめた様子の双子が駆けつけてくる。
「だ、大丈夫っすか。少佐!」
「頭、打ったように見えましたけど!!」
小さな心美も、大きな身体の双子兄貴の間から割って入ってきて、床に身体を横たえているエミリオに飛びついてくる。
「ミミ、ミミ! いたい? いたい!?」
最後にエミリオに飛びついてきたのはもう一人。
「ええ! エミル、なにしているの、エミルったら!」
制服姿のままの藍子が泣きそうな顔で駆けつけてきた。
彼女がエミリオを抱き起こそうと、金髪の頭を抱えてくれる。制服シャツの下に隠されている柔らかな胸がエミリオの頬に当たる。
「だ、大丈夫だ。藍子」
「やだ、頭を打ったでしょ。空を飛ぶ大事な身体なのに、なにかあったらどうするの」
「打ったのは腰のほうだ。手はついた。腕も手首も大丈夫だ。そんなヤワじゃないと何度言ったら。俺はサラマンダーの……」
いつもの『俺の身体は最強』と言って、彼女を安心させようとしたが、自分で起き上がろうとしたら、胸元には心美が抱きついて『ミミ、ミミ!』ともう乗っかりそうな勢いだった。
そんな心美のつややかな黒髪をエミリオはそっと撫でる。
「ココ。ミミはそこの兄ちゃん二人より最強のパイロットだぞ。こんなこと、コックピットにいるより全然痛くない」
大人の女性と小さな子供が飛びついているエミリオを、双子がこれまたどうしていいかわからない顔で見下ろしていた。
「おい、ユキナオ。パイロットはヤワじゃないと従妹に言ってくれ」
やっと二人がはっと正気にもどったようにして、彼らも床に跪いて心美を抱いて、エミリオから離した。
「ココ、少佐は強いから大丈夫だって」
「うん。コックピットはもっと苦しいんだ。少佐にとってはちょっと床に落ちたくらい平気なんだって」
まだ心配そうな藍子も気が抜けたのか、ほっとした顔に緩んで床にぺたりと座り込んだ。
「もう~、びっくりさせないでよ。いつになく大声で笑ったと思ったら。サラマンダーのクインはなかなか撃ち落とされないのに、まさかの小さな女の子に撃ち落とされて椅子から落ちるだなんて……」
藍子の言葉に、双子も『ほんとだ』と笑い出した。
「ほんっとうすよ! あの気高いクインさんが、あんな大声で笑って!」
「それだけじゃなくって、こんな転げ落ちるだなんて!」
「こんな少佐、滅多にないや。そうだ、撮っちゃえ」
なんと雅幸がスマートフォンを胸ポケットから取り出し、レンズを向けてきた。
「おい、こら、やめろ」
床に転げ落ちたまま横たわっているエミリオは顔を隠したがカシャリとした音が聞こえてしまう。
「ほーら。藍子さんにだっこされている姿も込み込みですよ~、クインさん」
でもエミリオは本気で怒れない。まだ笑いがこみ上げてくる。
「あーもう。どうでもよくなってきた! あははは!」
また転げたままの姿で、エミリオは腹を抱えて笑い声を立てる。
そんなエミリオをまた双子が唖然として見下ろしている。
「俺、クインさんがこんな気さくな人とは思わなかったっすよ。いつもだいたい演習で会うから、生真面目で隙がない厳しい人かと……」
「俺もです。絶対に勝てないパイロットの一人だし、堅実で物静かな人だと皆がわかっているから、俺たちみたいな騒がしいのは合わないだろうなって」
「おまえら、それ偏見だからな。俺だって笑うし、ふざけるぞ」
だが双子がそう感じているのも仕方がないかもしれない。クインとして、外でこんな大声で笑うことも、声を荒げて叱責したり主張することもほぼない。だから気高いクインと言われがちと銀次にもよく言われている。
そんなエミリオの否定に、やはり藍子も首をかしげている。
「ううん。私もこんなエミリオ初めて。やっぱりクインは怖い顔をして近寄りがたかったもの」
「はあ? 藍子まで……。怖い顔ってなんだよ、それ……」
「いや、藍子さんが言うこと、俺らもわかります」
「うん、わかります」
「ミミは怖くないよ!!」
最後に心美がまた大人たちの会話にきちんと入ってきて、今度は全員の笑いを誘った。
寝転がったままのエミリオは起き上がりながら、双子に手を差し出す。
「これから数年、陸でも海上でも上空でも一緒だ。たぶん、妻になる彼女より一緒に居るだろう。よろしく、雅幸、雅直」
双子が思わぬクインからのご挨拶に戸惑い、顔を見合わせたが、二人そろって手を差し出してくれる。
「しようがねえなあ。もう俺たちが尊敬しているクインさんのイメージ、壊さないでくださいよ」
「でも、笑っていきましょう。陸でも海上でも上空でも」
雅幸と雅直がそれぞれ、エミリオの手を握って引っ張り起こしてくれた。
「おう、こっちも厳しく躾けていくからな」
行き着くところはそこかと、双子がさっそくげんなりとした顔になったが、それにもエミリオは笑い声を立てる。
「あ、アイスが溶けちゃう。さ、ココちゃん、お椅子に座ろうね」
藍子もまた優しい笑顔に戻り、心美を抱き上げ椅子へと連れて行く。
「いちご、とけてるの、おいしい」
最後にはちゃんと、心美は女の子らしい言葉遣いになっている。それにもまたエミリオは笑みを隠せない。
藍子もユキナオも心美を囲んで楽しそうだった。
前々から思ってはいた。子供がひとりいるだけで、心が和むことを。たぶん俺は子供が好きだ――と。
心美の口元を優しく拭く藍子を見ても思う。いつかあんなふうな、藍子と子供と過ごす日が待ち遠しい。
そんな夢を見る。そしてそれはそう遠くないはずだった。
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