2.最後の独身?


 結婚を目の前にして、相棒のシルバー先輩が、エミリオの過去について突っ込んでくる。

 小笠原に転属してから、横須賀で付き合っていた彼女が結婚したにもかかわらず、エミリオの新しい自宅へと『もう結婚なんていや!』と逃げてきたことがある。


「きちんと夫のところに返してそれっきりですよ。その後はいっさいコンタクトなしですから大丈夫です」


「あれほんと困ったよな。うちのメグちゃんが女としてビシッと言ったのが効いたのかな?」


「その節はお世話になりました。ほんとうに俺、異性関係は銀次さんなしでは乗り越えられませんでしたよ。そしてメグにも」


 藍子と一夜を過ごせたことも含めて――だった。銀次はまだまだ続ける。


「藍子はどれぐらいおまえの前のこと知ってるんだよ。これから藍子と話す機会が増えるだろうけれど、うっかりしたくないもんな。烏丸のことはもう知られているからいいけどよ」


「航海中に結婚を決めた彼女がいたことぐらいは伝えていますよ。それに別に前のカノジョとのこともやましいことはありません。きちんと別れたし、返したし。むしろ、あちらの夫が俺に謝罪してくれて、かえって申し訳なかった」


「そりゃあ、天下の美しすぎるパイロットに妻が迷惑かけたなんて、冷や汗ものだろ。まさか、その時に、妻の前の男がクインだったなんて知っていたりしてな」


 その通りだったらしく、以後、その夫と横須賀で顔を合わせると非常に腰を低くして挨拶をしてくれる。それを見る銀次は事情を知っているからともかく、なにも知らないパイロット先輩たちは『あの事務官となにかあったのか』と毎度突っ込まれて困ることもあった。


「おまえも大変だよな。美しすぎるパイロットなんて紹介されて良いこともあっただろうけれど、同じように悪いもんも引き寄せちゃうんだもんな」


「それは銀次さんもでしょ」


「ま、俺ら、モテモテでしょうがないもんな。なんたって、マリンスワロー経由の雷神越えてサラマンダー。そして、今度は雷神のリーダーエレメントを任命されて、パイロットとしてコンプリートってかんじだもんなー」


 横須賀のアクロバット飛行隊、マリンスワロー。小笠原のトップパイロット部隊、雷神。そして、それらをコーチする立場になるアグレッサー部隊、サラマンダー。その三部隊を経由してきた日本人は一握り。銀次とエミリオは来月からその一握り経歴を手に入れる。


 そんな男なのだから、良いことも悪いことも、随分前から経験して行く。モテモテとかそういうことではない。賞賛も妬みも散々向けられる。だからこそ、同じ経歴を歩んできた先輩達に言われる。『それを乗り越えてこそ、受けてこそ、トップの男』と。


 それを望んでいたわけでもないが、あの烏丸に嫌な思いをさせられてから、絶対に自分のプライドを揺るがさない状況を手に入れてやると思っていたらここまで辿り着いていただけ。


 そしていまは、結婚する彼女とその家族のために、このプライドを守っていきたいと決意を固めている。


「おーい、今日もカフェテリアでいいよな」


 先頭を歩いていた鈴木少佐、バレットが振り返り、クールで静かなリーダーの代わりに後ろにいるサラマンダーのメンバーに声をかけた。


 もちろん全員の答えも毎日決まっている。全員共に食事をするのが恒例。強制しているわけでもなく、気分でその日抜ける者もいれば、用事で抜ける者もいる。


 それでも全員がだいたい揃って、そこで基地内で起きていることの情報交換をしたり、サラマンダーのメンバーとしてどう対処するか息を合わせたりする大事な時間でもあった。


 愛妻弁当を持ってくる者もいれば、カフェテリアの充実した食事を楽しむ者とそれぞれ。


 柳田少佐、銀次は週二回は愛妻弁当。


「いいっすね、愛妻弁当。俺もたまにメグが作ってくれていましたが、うまいですもんね」


「今度は藍子に作ってもらえといいたいが、藍子はシフト制だから大変だよな。でも料理うまいんだろ。親父さんがオーベルジュ経営のシェフだってな」


 そこでエミリオは思わず頬が緩んでいた。


「美味いんですよ。親父さん譲りで。親父さんの料理も絶品です。彼女の料理はほっとするんですよ」


「やっとそういう顔を見せたな、まったく惚気てくれないと思ったら、やっと出た」


 エミリオもハッとする。


「おまえが若手の新人パイロットだったころから目立っていたから知っているけれど、新人の時はそういう顔していたのにな。エレンママ似のキラキラした笑顔を見せていたのに、それがお堅い男の鋭い視線だけのクインに変貌。アイアイはおまえのそういう隠してしまった無垢な部分を掘り起こしてくれたのかもな」


 銀次が優しく微笑んでくれる。


「安心した。よかったな美瑛のオヤジさんから許してもらえて。だからメグが祝いたいと言っているんだ」


「そうですね。会いに行きます。湊にも会いたいから」


 来月には雷神に異動する。サラマンダーのメンバーとこうして過ごすのもあと少し。


 美瑛の帰りは藤沢の両親がいる実家に寄って、藍子と一緒に結婚の報告をした。あの気さくな両親だから、藍子を大歓迎で明るく迎えてくれて、藍子も安心したようだった。


 小笠原に帰ってきてすぐに、お互いの部隊長に結婚の報告をして、最後は海人の母親、小笠原基地連隊長の御園葉月少将にも報告。それぞれの上官からも祝福されて、日常に落ち着いたところだった。






 訓練校側の新カフェテリアにて、サラマンダーのパイロット一同とランチを取る。


 中心はいつも飛行隊長のフレディ=クライントン中佐、スプリンター。ではなく、彼の相棒、2号機でサブリーダーを務める鈴木英太少佐、バレットだった。


 クールなスプリンターは悪ガキと言われ続けたバレットのお目付役であって、チームの監督としていつも静かに笑っている。それでも、たまにビシッとチームをまとめる意見を放つ。そしてバレット、鈴木少佐はチームの牽引役。だから今日も彼が席決めて、彼が皆に話題を振る。


 それが本日はいきなりエミリオに向かってきた。


「そうだ。近いうちに、クインの婚約成立祝いをやろうぜ!」


 その言葉に、アグレッサーのパイロットたちも異議はなしとそれぞれのランチを頬張りながらうんうんと頷いてくれている。


「ありがとうございます。ですが、まだ婚約しただけですから」


 エミリオが謙虚に返答しても、元気な鈴木少佐は許してくれない。


「なにいってんだよ、ミミル。おまえ、この中でいちばん若くて、最後の独身だぞ。これを兄貴の俺たちが祝わないでどうするってんだよ」


 最後の独身というところで、アグレッサーの先輩達もエミリオも同時に『え?』と眉をひそめ、発言者である鈴木少佐に視線を集めた。


 彼の相棒、フレディ=クライトン中佐が皆の代わりに突っ込んだ。


「最後の独身はおまえだろ、英太」


 そうだそうだと皆が頷いている。


「俺は一生独身だから除外」


 それにも皆が『ええ!?』と目を丸くする。


 そこもすかさずリーダーが。


「おまえ、杏奈と付き合っておきながら、独身を貫くなんてどういう神経なんだ」


「付き合っていない。御園家の家族なだけ」


 あーあ、また『意地張り』が始まっちゃったよ――と、周りの先輩たちもやれやれと溜め息をつきはじめる。


 エミリオも同様に、そして心配になる。あんなに誰の目から見ても『御園のお嬢さんとつきあっている、恋仲』とわかってしまうほどなのに。どうしてか、この少佐は頑なに否定しつづけている。


 しかしそれは杏奈も同じだったから、誰も触らないよう気を遣う『カップル』になってしまっていた。


 さらに彼女の家族の誰もそれについて触れようとしない。ある意味デリケートなものなので、ここでも皆が呆れても、そっと流す。


「ともかく、ミミルとアイアイを祝うぞ。幹事、俺がやるけどいいよな」


 それはもうどうぞどうぞお願いしますと、いつもどおり中心にいる彼に任せることになる。


 エミリオも再度『楽しみにしています』と告げると、今度はリーダーのクライトン中佐が口を開いた。


「同時に、シルバーの柳田とクインの戸塚も雷神へ異動する。いつかサラマンダーに戻ってくるという約束のようだから、送別会ではなく壮行会も兼ねてやろう」


 いまは八月。あと数週間で雷神へ異動する。ここの先輩たちともあと少しでお別れだった。


 そうして本日夕方以降に行われるミーティング内容についての見通しなどをメンバー一同で確認をしながら食事を進める。


 そのうちに、エミリオの隣で愛妻弁当を食べている銀次が気がついた。


「お、アイアイとサニーだ」


 エミリオもすぐに見つけた。本日の藍子のシフトは正午から。いまから空に出る前に相棒と共に腹ごしらえのようだった。


 藍子が所属するジェイブルーとエミリオが所属するサラマンダーは、小笠原訓練校が創設されてからできた部署のため、新しい棟舎にあるカフェで食事をすることが多い。なので、数日に一度はこのカフェテリアで姿を見る。


 だけれど、お互い所属する部署の同僚と共にするようにしているため、目が合っての挨拶も、いまままでどおりにジェイブルーのアイアイと、サラマンダーのクインとしてかわすだけ。近くによって話し込むとか、一緒に食事をしようなんてことは決してない。


 そうしようと話し合ったわけでもない。職場は職場と自然とそうした感覚も通じあっていて、藍子はひとりのパイロットとしてきちんと自立し、恋人だから婚約者だからとて決して深い男女の関係に特別感を見出して見せびらかそうとしないし、いつでも一緒にいたいなんて女の気持ちが先だったようなことも言い出さない。


 だからエミリオも『ああ、そうですね』とひと目だけ、彼女を見て流すだけだった。


 なのに、また鈴木少佐が――。


「お、アイアイとサニーじゃん。こっちに呼んでやろうぜ。俺、最近、海人と話していないんだよ」


 鈴木少佐が席を立ち上がり『海人ー! 兄ちゃんと食おうぜー』なんて大声で叫んで手を振った。


 当然、カフェテリアのホールにいる隊員たちの注目を浴びる。


「アイアイも来いよ! フィアンセと一緒に食おうぜー!!」


 本気か、この先輩! エミリオはギョッとした。


 それは藍子と海人も同じようだった。驚いた顔でこちらを見ていて、ふたりでひそひそと話し合っている。行くかどうかを決めているようだった。

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