51.ミミの、おくさん?


「ジェイブルーに所属している朝田藍子です。こちらこそ、……お兄様の海人君がしっかり者なので、助けてもらっているのは実は私なのです」


 こちらどうぞ――と、花の匂いがする彼女から藍子はウェルカムドリンクを受け取る。


「もうなんだよミミル。アイアイとめちゃくちゃお似合いじゃないかよー。美男美女で揃うと聞いて、もー、サラマンダーの仲間もあっちで待ちかまえているぞ」


「いちいち騒がないでくださいよ」


「だっておまえがアイアイにちょっかいだしていたのは、サラマンダーではみーんな知っているからなー」


 そうだったの、そうだったの? エミルはそんなに先輩達にばれるような空気感を醸し出していたのと藍子はまた驚きを隠せない。


「ま、俺たち。アイアイのガードは鉄壁で、絶対にミミルでも落ちないと予測してたんだけどなー。ミミルもな、華やかな顔の割に妙に生真面目で考えがお堅いていうかさー」


 あのエミルが非常に居心地悪そうな顔になっている。普段の自分をよく知っている、毎日一緒に仕事をしている先輩にはどうも敵わないらしい。


「あ、兄も奥で手伝っていますし、もうオードブルからお食事が整っていくので中へどうぞ」


 海人の妹、杏奈がそんなエミリオを知って気遣ってくれるのがわかった。


 でもエミリオも、だからってすぐには逃げない。


「英太先輩、水色のシャツ。御園の証しですね。早く杏奈とのこと、お許しがでるといいですね」


 バレットの鈴木少佐がやり返してきた後輩に『たまたまこの色だったんだ、関係ねえ!』といきりたったが、そこもどうしてか若い杏奈が『はいはい、そこまでだからね』と大人の彼を諫めている始末。


「杏奈も、御園らしくてキュートだ。今日はお招き、ありがとう」


 エミリオが杏奈の頬にそっと自分の頬を寄せた。


「ミミルも、いつもどおり美しいわよ。楽しんでいってね」


 杏奈も気後れすることなく、エミリオの頬に頬をつける。チークキスというものに、彼女は慣れているようだった。


 その気品も兄の海人に負けず劣らず、なによりも女性としての匂いや空気が凄い。


 そんな杏奈に上手に迎え入れてもらい、藍子とエミリオは最後には鈴木少佐と杏奈と賑やかに会話をして、次のお客様へと向かった主催の二人と別れた。


「人のことばかりいうけど、英太さんは杏奈にメロメロなんだ。『俺はそうじゃない』と外では言い張っているが、周りにいる俺たちにはバレバレ。たぶん二人きりの時は、くっついて離れないんじゃないかな」


「え、あの、え、鈴木少佐て。海人の妹さん、杏奈さんと付き合っているの?」


 藍子はぎょっとして二人へと振り返った。確か鈴木少佐はもう四十歳を越えていたはず? 彼女は相棒の妹だから、海人より若いはず。いったい何歳差!?


「どうも杏奈が幼い時から育まれてきたものみたいだな。英太さんよりも、杏奈の想いが強かったふうにも思えたんだが、これがまた複雑で。英太さんは絶対に『杏奈と付き合っているとか、杏奈を愛している』だなんて暴露しないんだよ。だからああやって、人の恋を盾にして、まずは俺のことをからかってからかって杏奈のこと触れないように持っていくんだよ。それの必死さが誰からみてもバレバレなのに。いい加減に認めろとサラマンダーの仲間内でも言っているんだけれど頑として認めず、あくまでも自分の身柄を預かってくれている御園家の一員として杏奈を妹みたいに姪っ子みたいに思っているとしかいわないんだよ。まあ、隼人さんが認めてくれないと、自分から勝手に言えないというのもあるかもな」


 確かに複雑そう。それなら藍子もなにか見ても知っても感じても知らぬふりをした方が良さそうと思ってしまった。


「でも、サラマンダーの中では……、エミル……、私にちょっかいだすって、知られていたの?」


 御園家の庭先やリビングは既に立食式の食事が並んでいたので、彼とウェルカムドリンクのシャンパンを飲みながら歩く。


「ちょっかい出していただろ。アイアイは狂暴な猿、モンキーちゃんって」


「あれ、すっごく嫌だったんだから」


「知ってる。でもそうすると藍子は俺を見た」


 それもつい最近聞いた、エミルの気持ち。


 頑なに自分の世界を強固にして閉じこもっていた藍子に、外の世界もここにあるとノックされていたようなもの。いまならそう思えるのに。


「でもな、ムッとしたアイアイの顔もな、俺、実は好きだったんだよな」


「なによ、それ」


「ほらほら、その顔だ。泣きぼくろのクールな鋭い目で俺を見る時だけ、藍子は本気で俺を見てくれていた」


 むっとしている藍子のその顔、その頬をつつかれた。ひと目もあるのにそうして藍子に二人きりで過ごしている時同様にからかって、でも愛するように触れてくれて、クインではないエミルの気取らない笑顔を見せてくれている。


 だから藍子も最後には微笑んでしまう。


 その微笑みにもエミルは嬉しそうにして、人前なのに藍子の額に自分の額をくっつけてくる。


「なにから食うか。あそこにカプレーゼがある。藍子、好きだろう」


「うん、食べたい。でもあそこにはエミルが好きな生ハムと桃のサラダがあるわよ」


「どっちも食べよう」


 エミルが白い取り皿を片手に、藍子のウェストに手を添えてそっと抱き寄せてくれる。


 ああ、どうしよう。藍子はもうのぼせそうだった。こんな美しいブロンドの、凛々しい大人の男性が恋人として寄り添ってくれて。しかもアメリカ寄りの空気に慣れていてスマート。周りの顔見知りの隊員たちが、エミリオが連れてきたパートナーで恋人が藍子だと知れて驚かれている空気も見えなくなるほどに……。


「ミミー!」


 藍子はやっと我に返る。はっとすると、藍子を抱き寄せているエミリオの足になにかが飛びついてきていた。


 エミリオも歩き出そうとした足を止められて、驚いて止めたなにかを見下ろした。


「ココ」


 ココ? 藍子も見下ろすと、エミリオの足にぎゅっと小さな女の子が抱きついていた。


 ベビーピンク色のティアードドレスを着た黒髪の小さな小さな女の子。


 その小さな子を見つけ、エミリオがにこりと微笑むと、その子を軽々とその腕に抱き上げた。


心美ここみじゃないか、こんばんは」


 ブロンドの大人の男が、小さな黒髪の女の子と見つめ合う。


 小さな女の子がじっとエミリオの翠の瞳を見つめている。


 でも藍子はそんな彼を見てドキドキしている。だって、違和感ない。こんな小さな子をだっこしている彼が全然違和感ない、素敵な大人の男性に見えてしまった。


 意外な姿を見せられてしまって茫然としている藍子のことを、その子がじっと見つめていることにも気がつく。


「ミミの、おくさん?」


 ちょこんと首を傾げたその子の言葉に、さすがにエミリオもギョッとして、藍子もびっくり仰天する。


 それでもエミリオはまた大人の優美な微笑みを彼女に見せる。そして、片腕で小さな子を抱いたまま、もう片方の手で藍子の腰を抱き寄せた。


「はは、相変わらずませてるな、ココは。まだ奥さんではない。これからお姉さんと相談しなくちゃいけないからな」


 奥さんにする相談が必要? 嘘なのか本当なのか。でもエミルなら『全部本気で言う』ような気がして、藍子はまた胸の鼓動が止まらない。


「そうだんおわったら、結婚式するの? ここみ、結婚式だいすき。ミミの結婚式いくよ」


 今度のエミリオは楽しそうに笑った。そして藍子も、あまりの可愛らしさに彼と一緒に微笑んでしまった。


「城戸雅臣准将のところの末っ子だよ。心が美しいと書いて『ここみ』。ココと呼ぶ大人が多いな。な、ココ。この前は、ママと一緒にバラを持ってきてくれてありがとうな」


 彼女のちいさな鼻をちょんとつついたエミリオの仕草も慣れていて、小さな子に不慣れでもなく小さな子から彼に寄ってきて、クインの、いやエミルが意外と子煩悩だと藍子は知ってしまう。


「ココ。パパとママと兄ちゃんたちはどうした」


「しらない。ここみ、シー君といたから」


 シー君? パパママお兄ちゃん以外のその男の子はどこに行っちゃったの? 藍子が首を傾げていると、エミリオの視線が前へと移った。


 その視線の先には、エミリオより明るいブロンドの男性がこちらに凄い勢いで近づいてきた。


「やっぱり。ミミル、おまえか」


 金髪に透き通ったアクアマリンの目をもつ男性。上質なダークグレーのダブルスーツを着こなしているその男性がエミリオの前にやってきた。


 鋭い眼差しに不機嫌な怖い顔、エミリオに負けずに整った顔、そしてスマートにスーツを着こなしているが、鍛えた肉体をその下に忍ばせていることを藍子は感じ取る。つまり彼も軍人。


「目を離しましたでしょう。雅臣さんと心優さんに怒られますよ」


「うるさい。ちゃんと見ていたら、おまえがやってきて、ココが急に走り出したんだ。心美はおまえを見つけるとすぐに走り出す。目は離していない。おまえが来たからだ」


「そんなこと言われましても、」


 威厳ある男性はエミリオよりも確かに中年男性であって、そして階級も上のようだった。


「ココ、こっちに来い。ミミルはいま彼女さんと一緒だからな」


 あんなに怖い顔をしていたのに。黒髪の小さな女の子には、このうえない優しい笑みをその男性が見せた。


 そして女の子も。その男性が手を伸ばすと、さっとエミリオから離れて、ダークグレーのスーツを着たブロンドの男性へと抱きついた。


「こら、心美。シー君から離れたらダメだと言っただろ。まったくどうしてかエミリオを見つけると走っていくんだよな」


「おなじ金髪だからじゃないですか。俺の色より、フランク中佐のほうが明るいブロンドではありますけど」


 フランク中佐――! そう聞いて藍子は驚く。フロリダ本部の大将だったフランク大将の子息として知られている男性。シド=フランク中佐だった。


 シー君って、シドだからシー君? ちょっと強面の金髪男性が表情を崩して、黒髪の女の子をだっこしてにこにこしている。ココちゃんもシー君シー君と言って甘えて抱きついている。まるで親子?


 藍子は初めて間近でフランク中佐に会ったので、急に緊張してしまう。


 その男性がやっと藍子を見た。


 小さな女の子に甘い顔をしていたのも一瞬、冷たいアクアマリンの目が藍子を捉える。それは軍人の目だった。

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