23.アイアイだけの決定
思わぬクインさんの訪問後、藍子は以前より落ち着いた気持ちで業務に励んでいた。
「うっす、アイアイ」
「おはよう、カープ」
藍子、祐也――と呼ばなくなってきた。
あれから、祐也はよそよそしい。今まで以上に会話を交わさなくなった。本当に業務だけ。
その業務も冷たいやりとりになっていた。
クインさんはどうしてるのかな。
ジェイブルー業務中のランチタイム。一人で食事を取るようになった藍子の相手はスマートフォンになっていた。
その中にいる『クインさん』から、ちょこちょこメッセージが来るようになった。
【 今日は横須賀までアグレッサー出張だったが、日帰りで帰投。小笠原は暑くなってきた 】
そんなメッセージと一緒に青い空とかわいいピンクの百日紅の花の画像が送られてきた。
他にも【 今日は休日。バイクを磨いた 】なんて、日常の画像やメッセージが届く。
藍子も基地の滑走路から見える瀬戸内や、岩国の街並みを送ったり、自分が作った料理や父が新たに送ってきた北国の春の食材を見せたり。彼が買ってくれた箸置きを使っている写真も送ってみたりした。
これって。ほんとうに恋人同士じゃない? そう錯覚しそうになったら、違う違う、ただの……親しくなったお兄さんだと思っておくことにした。
「おい、朝田。部隊長がお呼びだ。行くぞ」
別々に食事をしていた祐也が先にデスクに戻ったら、呼ばれたとのことだった。
その祐也の後をついて、飛行隊隊員デスクの事務所まで戻ろうとする。
そうして通路を一緒に歩いていても、もう肩を並べて歩かなくなった。藍子に恋人ができたとわかった途端、こんなふうになった。
もちろん。祐也が受け入れがたいのは、エミリオ少佐が自分より上官であって、妻に格上だの格下だのいちいち説明することになった時に、自分がずっと格下の男だったとさらされてしまったのもあったのだろうと藍子も感じている。
「最近、スマホばっか見ているな。おまえ、にやにやしているからな」
藍子も自覚があった。
「あちらが意外とまめな方なの」
「へえ、そうなんだ。よかったな、男ができて。しかもあのクインさんなんてな」
偽の恋人だけれどね……と、藍子もちょっと心が痛い。
「ねえ、そろそろ小笠原のこと返事しないといけないでしょ。そちらのご夫妻はどうすることにしたの」
「さあね。その時になったら伝える」
曖昧な返答。まったく仕事のパートナーとしての話し合いにならない。
もう触れないと決めていたのに、でも藍子に恋人ができたとわかってもなんの変化もない。むしろ悪化している気がした。
藍子に恋人ができれば、祐也も里奈も安心できるのではなかったのか。
格下の男だったら喜んでくれたのか? そう思うと、どうあっても藍子の幸せを心から願っていたわけではなく、自分たちに都合のいいようにしたかっただけなのかと考えてしまう。
ジェイブルー部隊長室に到着。祐也と共に入室して、部隊長デスクの前で並び敬礼をする。
「昼休み中だが呼んですまない。先日の小笠原ジェイブルー増設、増員の異動についてだ」
返事をして欲しいということだろうか。
藍子と祐也が希望したようにペアの組み替えができるのかどうか。出来る状態で二人一緒に転属できるのか。その返答だと思った。
だが、もし。ペアの組み替えのが了承されて二人共に異動になるのならば、いよいよ祐也とはペア解消となってしまう。
藍子ももう仕方がないと心構えは整えていた。先日、里奈が藍子にぶつかってきてから後、藍子に恋人がいると祐也が知った後、ふたりの関係はかえって冷え切ってしまった。
それが藍子に恋人が出来た後の結果。改善などなかった。岩国で飛ぶにしてももう潮時だと藍子は覚悟を決めていた。
「小笠原にペアの組み替えについて問い合わせたが、『ペアでないのなら来てもらう意味はない、別れる事情を持つペアならば不合格とする。他のジェイブルーペアを探す』との返事が来た」
河原田中佐が残念そうにうつむいた顔。せっかく自分のところで育った若手が、これから中堅へと移行する時期になって、最前線の戦力として選ばれたのに、そのチャンスが潰えてしまったからだった。
藍子も祐也も、久しぶりに目を合わせてしまい、そして肩の力を落とした。
「ペアなら行かせてもらえるということですよね。大丈夫です。俺もアイアイもいまのペアで大丈夫です」
祐也の落ち着いた返事にも藍子は驚かされる。つまり……、里奈が転勤も藍子とこれからもペアであることを了承してくれたということなのか? よそよしい間にそのための話し合いを詰めてくれていたのだろうか。
それでも、河原田中佐がうつむいたままそっと首を振っている。
「カープ、残念だ。あんなことを言い出さなければ、スムーズにこの話はおまえたちのステップアップになっていたはずだ」
再度、藍子と祐也は揃って呆然とする。
「あの、中佐。小笠原では私たちのことはもう要らないという答を出したということなのですか」
また中佐が苦悩するように額を抱えたまま呟いた
「ペアを組み替えて欲しいなどと申し出るということは、ペアの関係に問題があると見なす。つまり操縦と業務ではアグレッサーの演習時では合格だったが、これからその関係性がトラブルの元になる可能性があると見なして不合格と判断すると言われた」
ペアを組み替えて欲しいと言い出さなければ……。あのまま小笠原に行けたことになる。そう言われた。
改めて考えると、藍子も尤もなことだと腑に落ちてしまう。そもそもペアで呼ばれて研修をして、ペアとして来て欲しいと合格をしたのに。ペアを解体して雇って欲しいと言っているようなものだった。
諦められない祐也が、藍子の前に出て河原田部隊長に詰め寄った。
「ですから。朝田と自分は大丈夫です。これからもペアでやっていけます」
「もう遅い!!」
いつもは淡々としている河原田中佐が、バンとデスクを叩いて吼えた。
藍子も祐也も青ざめ後ずさった。
感情を乱したことを後悔するかのように、河原田部隊長も息を整え、いつもの威厳ある立ち姿に戻った。
その中佐が、そっと静かに藍子へと一枚の書類を差し出した。
「朝田。アイアイのみ来て欲しいと、改めての通知が届いた」
目の前につきつけられた現実に、藍子は愕然とした。それは祐也も。
「ど、どうして私だけなのですか。いま、ペアでは駄目だとおっしゃっていたではないですか」
「それも、アイアイだけ引き抜く結果となった。あちらで朝田と組ませたいジェイブルーパイロットがいるとのことだ」
新しく組ませたい隊員!? 急転についていけなくて藍子は言葉を失った。
「待ってください。結局、ペアの組み替えが出来るということではないですか。朝田にペアになる相手がいるなら、自分のほうも誰かがいるということですよね」
無情にも河原田中佐は、祐也には首を振った。
「斉藤にはいないとのことだ」
そこで祐也が顔面蒼白になった。小笠原に要らないと言われてしまったのと同じだった。
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