26. あなたはボス


 そんな藍子を傍らに、河原田中佐が説明を始めた。


「先日、内示を出した時に、ペアを解消する者が出たと伝えただろう。実はこの千歳556ペアのことだったんだ」


 それにも藍子はショックを受ける。どうして? 元戦闘機パイロットでベテランの岩長少佐と勘が良いジュニアのペアは研修の時も一目置かれていた。親子ほど年齢が離れていても、本当の親子のように息が合っていると噂もされていた。なのに、解消?


 そんなもったいない、信じられないという目線しか見せることができない。


 だが河原田中佐が納得する答を教えてくれる。


「ガンズさんも、ついに引退するそうだ」


 また……、藍子は目を見開いたまま固まる。


 そして気がついた。


「だから、ペアではなくなるということですか。だから御園海曹の相棒、操縦担当のジェイブルーパイロットが必要になったということですか」


「そういうことだ。二人はもうすぐ小笠原に一緒に異動する。いま千歳は556が抜けるため、新しいペアを投入しシフトの調整と引き継ぎ飛行を行っている。それも落ち着いてきたので、では、今度は新しい相棒と調整したいとのことで来てくれた」


 新しい相棒。藍子はやっとわかった相棒を見つめる。


「未熟ですが、よろしくお願い致します。朝田准尉」


 お坊っちゃんが丁寧に栗毛の頭を下げてくれる。


 だが藍子はまだ気になることがある。


「岩長少佐の引退はわかりました。ですが、一緒に小笠原に行かれる予定ということですか」


 今度は岩長少佐が藍子に微笑んでくれる。


「実はね。引退をすると申し入れた途端、小笠原のジェイブルー新設本部から、その新しいジェイブルー部隊の指揮官になって欲しいと誘いが来てしまったんだ」


「え! あの、では、これから私たちが所属する新部隊の部隊長になられるってことですか」


 そうなんだと岩長少佐が頷いた。


 引退は研修前から考えていたことだったとのこと。何の研修か解らずに行ったら新設部隊引き抜きが目的で、ペアで合格をしてしまった。しかしもう視力や体力を考慮して安全のために身を引きたいと決意。引退を告げた途端、小笠原の新設本部が『指揮官も現在、選抜中。ジェイブルーを経験しているベテランパイロットはそうそういない。是非、指揮官になってほしい』という別のスカウトが来たとのことだった。


 承知をしてくれたら、御園ジュニアの新しい相棒も一緒に探すとの条件を出してくれたとのこと。さらに小笠原本部側は、御園家ジュニアという家柄の隊員を手に入れるチャンスとのことで、二人揃ってなんとか来て欲しいと懇願したとのことだった。


 どんなに両親が小笠原上層部の重鎮であっても、軍隊の配属については口は出せない。御園ジュニアが業務参入が出来る隊員としてデビューするにあたって、配属されたのは小笠原からずっと北に離れた千歳基地。本人の希望でもあったとのことだった。


 そのジュニアが正式に新部隊設立のスカウト研修で合格した。小笠原としてはここでジュニアを手に入れなければ、そう機会はないと踏んで、岩長少佐に引き続き教育係を兼ねて、そのままジュニアと一緒に来て欲しいということになったらしい。


 これが岩国ペアよりも、千歳ペアの希望優位だった理由。ベテランパイロットを指揮官に、若いパイロットは家柄と将来性という魅力。ペアを解体してでも手放したくない、岩国ペアの希望が優先されなかった訳を藍子もやっと納得することが出来た。


 そこで新しい相棒に白羽の矢が立ったのが、ペア解消をして転属したいなどと言いだした岩国ペア。操縦者の藍子は女性だが、操縦担当のキャリアも長く、決め手はアグレッサーの囲い込みを回避した映像。


「女性ならではの飛行があることは、母がパイロットだったので知っています。むしろジェイブルーなら、食い込みすぎる飛行よりも、ドッグファイトから一歩引いての客観的な映像取得がベターだと思っています。朝田准尉はそのような飛行傾向ですよね。無理して突っ込まず、ほどよい距離での記録飛行に徹する。なにも戦闘機にくっついて同じGに耐えて飛ぶのがジェイブルーの主旨ではないと思うんです。生意気を言いますが、朝田准尉のそこのあたりの感は、とても洗練されていると感じました。ガンさんがそのような飛行でした。朝田准尉のいままでの飛行映像も見させて頂きましたが、似ていると感じました。ガンさんも同じ意見でした」


 にっこりと言葉を挟んできた御園ジュニアは、『サニー=お日様』というタックネームそのまま、きらきらの瞳。藍子は見とれてしまい言葉が上手く出てこなかった。


 それでも彼の母親、女性パイロットの先駆者だったお母様の飛行を知っているから、女性パイロットである藍子の性質を見初めてくれたのは嬉しかった。


「ありがとうございます。そういっていただけると……、自信がつきます」


 遠慮がちな藍子に、岩長少佐と御園ジュニアが顔を見合わせた。御園ジュニアが慌ててフォローしてきた。


「自信がつきますって。アグレッサー相手にあんな機動が咄嗟に出来るのは、自信を持ってもいいことですよ」


「そうだよ。准尉。私は以前から、岩国105の業績には注目していた。あの研修で機動はもちろん素晴らしかったが、持ち点なしでの難しい判断をあの一瞬で下した度胸も女性ならではだったと思う。ほとんどのパイロットが持ち点を気にして死ぬわけではないからとキルコールを選んでいた。そういう気持ちも大事であって、その精神を持つパイロットとこの海人を組ませたいと心から思ったんだよ。自信を持って欲しい」


 岩長少佐にも懇々と説かれたが、藍子はここ最近のごたごたの事情を思い出すと、ほんとうに自分が素晴らしいパイロットとは思えない。


 フォローすればするほど、ベテランが評価すればするほど、藍子がうつむいていく姿に千歳ペアが戸惑っている。


 そこは、岩国のお父さんである河原田中佐が困ったように説明した。


「朝田は、いえ……、藍子はこういう子なんです」


 若い女性隊員を長く見てきてくれた部隊長が子供をかばうかのように見えただろう。


「常に自信を持てと、彼女の背を押してきた。女性パイロットという身体的な負い目はあっただろうが、そこは御園海曹がいうとおり、女性ならではの目線での追跡が出来ていたと思っている。でも彼女にしてみれば、それは相棒だった斉藤がいてこそだった。同期生ということで長く付き合ってきた相棒でした。こちらに来られる前に簡略的な事情はお伝えしたが、その相棒とは男女関係ではなくても、斉藤の私生活が結婚で変化し影響してしまい破局にも近い形で解消となったのです。彼女はパイロットとしてそれを回避することができなかった自分をここのところずっと責めています」


 河原田部隊長の説明を聞いても、千歳の二人はそんな藍子を見てもどかしそうだった。


 お日様サニーのジュニアが溜め息混じりに聞いた。


「研修でもとても息が合っていて、男女の隔たりもなく、まさに同期生というムードで自分は羨ましいほどでしたよ。斉藤准尉が結婚しなければ、もしかしたらもう少し続くペアだったのではないですか。むしろ、いちゃいちゃしていた小松ペアのほうが、早く破局しそうだなーなんて思っていたのに」


 祐也と同じ見方をしていた男性がここにもいて、藍子はうつむいていた顔を上げた。しかもやっぱりジュニア君? ちょっと生意気な言い方だった。


「そうなの? 斉藤もおなじことを」


「見ていてすっごい来たでしょ、ラブラブビーム。なーんかあつあつでいちゃいちゃしていて、仕事も私生活もごっちゃごちゃ、ぜんぶ愛しあっているが根底できている。私たち一緒に殉職しましょう、死ぬ時も一緒だよ、なんて。悲劇に酔ってキルコールしちゃったんじゃないですかね」


 うわ、きっつい言い方! 藍子は呆気にとられる。それは河原田中佐もだった。


 だけれどやはり親父さん役だろうガンズさんは笑っていた。


「すみません。普段はお利口さんのお坊っちゃんの顔をしているのですが、いざとなるとこういう口のきき方をするので、よく注意しているんです。でもこの言い方、……御園隼人准将そっくりで、いつも笑ってしまうんですよ。申し訳ないです」


 似てるかも。あのミスター御園、こと、御園隼人准将の研修講義を受けたことがある藍子もそう思ってしまった。河原田中佐も感じたところがあるのか『確かに似てる』と笑い出した。


 それでも岩長少佐も溜め息をついた。


「ですけれどね。海人の言うとおりなんです。私も小松が長かったので知り合いが多いおかげでいろいろ情報が届くのですが、あのペアの息の合い方は、そうして愛しあっているからこそ力を発揮していたタイプだそうです。意思疎通が出来ていたため業績を上げていたとこがあったのだと思います。ですが、先日の『不合格通知』が届いた後、二人が信じて選んだ結果が評価されなかったと知って、婚約破棄寸前になるまでパイロット同士のキャリアについて諍いになったそうです」


 ジュニアが『ほらね』と呆れた顔を見せたし、藍子もあの小松ペアのその後を聞いて驚きを隠せない。


 祐也が言ったとおりだった。男と女になると成り立たない。だから、女とは見えない藍子とはずっと一緒にやってこられたんだと。


 だが結果的には岩国105も同じようなものだと、藍子も吐露する。


「結局のところ、私たち岩国105も男女の諍いで解消したようなものです。……なんでしょう。女性パイロットと組むのは難しいことなのでしょうか」


 また自信がなくなっていく。


 ガンズさんも眼差しを伏せて、暗い顔。


「難しいところだね。君たち105のように、男女関係ではなくとも、相棒の家族の心情が外から影響するケースもあるのだと今回は実感したよ。だからと言って、隊員の業務とメンタルを支えるのは家族でもある。その家族の心情は無視することはできない。それは男同士のペアでもままあることだよ」


 女性だからこうなったわけではないとガンズさんが慰めてくれる。


「だからこそ。俺と一緒に、女性パイロットと組むことについてもっと前に行きましょう」


 堂々としたジュニアの言葉に藍子は胸を打たれる。藍子よりずっと若い、まだ新人に近い男の子のはずなのに。やはりこの子は御園家の長男、凛とした力強さを感じられた。


 それに男と女だからじゃない。女性もおなじような立場に、そして働けるように。その精神はあの母親がいてこそだと藍子は感じられた。


 この彼も男性だけれど……。今度は違う意味で男性と組んでいけるのではないか、藍子は初めて、祐也以外の男性パイロットを信じられる気になった。


「あの、御園海曹は――」


「海人かサニーでいいですよ。アイアイさんは俺の上官だし、先輩だし、相棒であって、今日からは俺のボスでもあります」


 ボス――。初めて言われた言葉に藍子は怖じ気づく。


「俺も藍子さんと呼ばせて頂きますね」


 またきらっとした笑顔を見せられる。明るい栗毛に琥珀の瞳。ちょっと生意気でブラックな感情をその笑顔の下に秘めている。アイスドールと呼ばれるお母様とは真逆。むしろ、いつもにこにこしている優しい眼鏡の顔をしていて、結構手厳しいお父さん似だ。


 だけれど、ぼんくら坊ちゃんより断然いい。これぐらいの生意気さがなければ御園家長男などやっていけないのだろう。


 藍子も興味が湧いてきた。


「河原田部隊長、今日から飛べるのですか」


 藍子の返答に、そこにいる男たちが笑顔になる。


「もちろんだ。今日は慣らしでどうだろう。しばらくの間、ガンズさんもサニーもこちらの宿舎にいてくれるそうで、556で業務が出来るよう岩国で登録済みだ」


「サニー、よろしくね」


 今度はとびっきりのきらきら笑顔をジュニアが見せてくれる。


「やった。これで相棒ですね、俺たち」


 栗毛のジュニアと藍子は握手をする。でもやっぱり……。どんなに年下の若い男の子でも、その手は大きく逞しく男性の手。一緒に立ち上がっても藍子よりずっと背丈がある。


 それでは早速、フライトスーツに着替えてくると、藍子も動き始める。


 久しぶりの大空へ行ける。しかも、新しい相棒と一緒に。


 藍子はしっかりと前を見据える。


 さよなら。いままでの私。

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