第156話 一人と一匹、予定を先回りされる。


「いやはや、お嬢は本当にうちの救世主様だ。貴女のおかげで、王都で人気の本まで優先的に融通してもらえる」


 到着と同時に通された応接室……ではなく、結構広いブレントの執務室にて。地図の納品後、高級な紅茶とお菓子を前にしての談笑中にそう言われ、手渡されたばかりの新しい注文書から視線をあげた。


「あ? そんな大袈裟な。今回のはほぼ全部コルテス夫人のおかげだって」


「大袈裟ではありませんよ。お貴族様は基本的に商人を信頼しない。商人にしてもそうだ。お互いに利益にならないのなら関わらないのが普通です。コルテス夫人がそうだというわけではないにしろ、お嬢のことを気に入って信頼しているから、ただでさえ品薄な商品をうちみたいな小さい運送屋に卸すよう口添えして下さる」


 やんわり否と返すブレントの右斜め後方に立つコーディーに目配せしても、父親の言葉に頷く彼の表情に動きらしい動きはない。信頼しきってるんだろう。実のところ依頼の時のやりとりはほぼブレントとしかしないので、まだ今ひとつこのコーディーの人間性が分からない。親子仲が良いのは結構なことだが、歳の割にやや盲目的なところがあるんだよな。


 銀製の小さい皿に盛られたナッツに手を伸ばしていた忠太も、一瞬だけ動きを止めてこっちを見上げてくる。紅い瞳に頷きながらそういえばコーディーのああいうところは、この賢い相棒も似ているなと思った。本鼠にその自覚はないようだが。


 ちなみに金太郎は最初の納品が済み、私達が談笑に入った十分後には飽きてウロチョロしだしたので、調度品を破壊する前におつかいと散歩がてら、単騎で冒険者ギルドへと納品に行ってもらっている。誰も金太郎から報酬金を奪うのは無理だろうと踏んでのことだ。ああいうところは忠太より自立してるんだよな。


「買い被りすぎだと思うけど。コルテス夫人に喜んでもらえたってことならまぁ」


「欲のないことですな。いつも通り王都への行商がてら受け渡しに行っただけなのに、随分と喜ばれていた。それにあのダンジョン深層部の新しい地図も、上級冒険者を中心に良く売れています。やはりお嬢のおかげだ」


「それはどうも。でも潜って素材を採ってくるのは依頼を受けた冒険者だ。私達は薬師と護衛の冒険者と、ここの従業員達に同行して潜って写本しただけ。その分の報酬も月一入る保冷庫の報酬ももらってるし」


 短いながらも働きづめだった人生の経験上、褒められすぎる場合には二通りある。純粋に褒められる場合と、面倒事を言い渡される場合だ。微妙に後者の空気を読み取れたので「そういえば今日は何か表が忙しそうだけど、またどこか新規開拓に行くのか?」と強引に話題の転換を試みた。


 それに忙しそうだったのは嘘じゃない。訪ねて来た時に従業員達が馬車の荷台から次々に木箱を下ろしていたのは事実だ。中身までは分からなかったものの、それなりな数があった気がする。少しの苦し紛れと単純に好奇心の混じったこちらの問いかけに、ブレントがフッと表情を和らげた。


「ああ、表のあれですか。だとしたらその逆ですよ。今まで見栄をはって王都近くに置いといた小さい本店を解約して、このマルカにうちの本店を移すんです」


「王都の近くの街ってやっぱり店賃高いんだ?」


「ええ。それはもう。特に何か名産があるわけでもない、ただ立地が王都に近いというだけでぼったくってくるような街です」


「まぁ大都市付近だとそういうとこも珍しくないよな。でもここに引っ越して来るってことは、王都から遠くなっちゃうだろ。せっかく頑張ってそこに本店構えたのに良いのか?」


「あそこに本店を構えた時は、クラークの連中に存在を認めさせようと意地になっていた。今はお嬢のおかげでやっと商いのやり方を思い出せたというところです。商売は楽しいものだ。そんなことも忘れていた。なぁコーディー?」


 そう言ってソファーの後ろに立つ息子を見上げるブレントの目は、エドがレティーに向けるものと同じように穏やかだ。この人のここまで屈託のない笑みは初めて見た気がする。というか息子のコーディーまでもが、常なら分かりにくい表情に多少の驚きを滲ませたところを見るあたり、結構レアなものを見たっぽい。


 二人の方をチラリと見やった忠太がピンクの尻尾をピンと立て、ご機嫌に【さすがは まり しょうにんに わからせるなんて】とスマホに打ち込む。何に対する流石なんだと苦笑で返しつつ、ブレント達がこちらを向く前に文面を消去。忠太のすべすべの耳の端を軽くつまんで窘めておくのも忘れない。ったく、読まれたらどうするんだ。


「そうそう、ときにお嬢は今年の星輪祭のご予定は?」


 さっきの話題転換の仕返しか。突然の質問の意図が分からず「星輪祭の予定?」とオウム返しをしたら、彼は「おや、お嬢は星輪祭をご存知ない?」と重ねて質問してきた。次にくる話題に備えて、テーブル上の忠太とアイコンタクト。


「いや、星輪祭は知ってる。あれだろ十時から跨いで翌年になる十二時くらいまで、精霊界と人間界との狭間が開いて星が渦を巻くように見えるから、その時間を親しい人間と過ごして来年の願い事をする――……っていうやつ?」


 去年知ったばかりでまだ馴染みのないそれを言葉にすると、ブレントは「お手本のようなご説明だ。そういえばお嬢は他国の出身でしたな」と笑う。しかしその声音に嘲りは含まれておらず、むしろ優しい。


 忠太が【きょねん はじめて みました】とスマホに打ち込むと、ブレントの斜め後ろに立つコーディーが「そうなのか」とポツリ。大きなガタイをしているのに、意外と小さい生き物が好きなのか、忠太がピンク色の手で真剣にフリック入力する時はいつも僅かに口角が上がっている。うちの相棒は可愛いから魅了されるのも仕方がないな。


「ああ、でもそっか。もうそんな時期なんだな。去年はこっちに来たばっかりだったから、あんまり大したこと出来なかったんだよ。今年はちゃんとご馳走用意して食べような忠太」


 コーディーと忠太の対比の微笑ましさに気が緩んでうっかり口走ったその言葉と共に、ブレントが「そういうことなら、ちょうど良い預かりものがありますよ」とニコリ。商人特有の笑みを浮かべながら、やけに煌びやかな金縁の封書をこちらに差し出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る