第95話 一人と一匹、昔話にお酒が進む。

 夫人に連れられて広すぎる食堂に通された私と忠太は、これまた広すぎる長いテーブルに二人分だけ用意された食事席に案内され、まさかの女主人である彼女と向かい合わせに座る羽目に。海外にも上座下座の概念はあったよな?


 前世で夕飯といえば、コンビニ弁当かスーパーの見切り品かマ○ドしか知らない。荷が勝ちすぎてる。それは忠太も同様らしく、胸ポケットの中からしきりにこちらを見上げてきた。うぅ、レベッカの相手は平気なのに……。


 戸惑いながらも夫人が「緊張しないで。息子達は今日は戻らない予定なのよ。元々仕事だ学校だって言ってあまり食事の時間には戻らないの。だからマナーなんて気にせずに、美味しく食べれば良いのよ」と笑い、グラスを持ち上げると男性の使用人が寄ってきて。


 彼がグラスに白ワインを注げば、彼女はそのワインを一息に飲み干し「こんな風にね」とまた笑う。そこでそれがあまり行儀の良いことではないのだなとうっすら分かった。


 空になったグラスに男性がお代わりを注ぐ。今度はこちらのグラスにも注がれた。グラスを手にウインクを寄越す彼女の方へ控えめにグラスを上げて、中身を一口。少し酸味が強いワインだが香りが良い。ブドウの爽やかな匂いが鼻を抜ける。


「そちらの小さな紳士は好き嫌いはあって?」


【いえ わたしは ふつうのねずみでは ないので ひとと おなじもの たべられます つまり すききらい ありません】


「あら、それは嬉しいわねぇ。お酒も飲めるのかしら?」


【もんだい ありません】


「まぁ凄いわ。うちの食事は美味しいわよ。お酒もどんどん召し上がって」


 ハツカネズミとスマホ画面の会話で盛り上がる夫人。ある問題からそれがずっと続けば良いと思う私。しかし当然ながらそんなことがあるはずもなく。


「さ、食べましょう。そしてさっきのノートの内容を教えて頂戴」


 恐れていたその言葉に前菜のサラダを前に凍りつく。身体の両側に並ぶ少しずつ形の違う銀色のフォークやナイフ。どれから使えば良いんだっけこれ? ファミレスみたいに一本ずつにしてくれよと内心焦っていたら、一瞬忠太がこちらを見上げて。指をモゾモゾ動かしている私を見つめて頷いた。


【そうそう さくらこさまの にっきに おはしでの しょくじが こいしい とありました】


「オハシ? 初めて聞く単語ねぇ。それはどんな物なのかしら?」


【このかとらりー すぷーんいがい ぜんぶのやくわり もつ まほうのぼう どうきょうの まりも つかえます】


「そうなのマリ? 是非見てみたいわ」


 忠太……私の小さい神様!!! 自慢じゃないが育ちは悪いけど箸は上手く使える。飲み屋のバイトで休憩中のまかない食べてた時に店主の爺さんが――、


『箸の使い方が汚い奴はな、見てくれがいくら良くても心の行儀が悪い。食べた後見てみろ。作って片付ける人間のことなんざちっとも考えてねぇんだ。ま、単に不器用で箸が上手く使えんのもいるがな。ガッハッハッハ!』


 ――とか適当なこと言ってたから。何となくあの言葉が耳に残って、当時下手くそだった箸の使い方を動画で観て練習したのだ。なので、ここは自信を持って「勿論です。夫人のお願いでしたら喜んでご覧に入れますよ」と答えられた。


 その後はそれっぽい長さと太さの棒を用意してもらい、普段なら絶対に食べられない高級飯を忠太の機転でストレスゼロで楽しみ、場所を移動して食後の紅茶を頂きながら夫人の幼い頃の話を聞く。


 中でも特に盛り上がったのはやはり夫人の曾お祖母様のもので。日記にあった若かりし日の櫻子さんの無謀な挑戦や、それに伴う失敗談などの話をするたびに、晩年の落ち着いた姿しか知らない夫人は笑ってくれた。


 またその逆に夫人が話してくれたチヨという文鳥の話も興味深く、櫻子さんが亡くなる直前まで老いた様子も見せず飛び回っていたことや、チヨが不思議な旋律で歌を囀ずると数日中には決まって嵐になったこと。歌を聞いた櫻子さんが被害が出る場所を言い当てたのが一度や二度ではなかったことなどなど。


 恐らく私達に憑いている駄神と同じく、何かしらの限定的な加護だと思われる現象についても分かった。でも櫻子さんは家族の見守る中で息を引き取り、きちんと荼毘に臥された。紅葉の相棒のように不確かな最後は迎えていない。


 知りたかったことを聞き終えた頃には、もう十時を回ろうという時間になっていて。慌ててお暇を願い出れば全力で阻まれた挙げ句寝床を用意されてしまった。理由は「面白い話をする人材をそうそう帰したりするものですか」だとかで。


 私達に用意した部屋から女主人が戻ってこないことに業を煮やした侍女が来て、一度は連れ帰られたものの、後で侍女の目を掻い潜った彼女が再び私達の部屋に現れ、特級ワインで女子会酒盛りが始まり宴は深夜まで続き……気が付けばそのまま夜が明けていた。


「もう帰ってしまうだなんて残念だけど、昨夜は本当に楽しかったわマリ。またいつでもそちらの小さな紳士と遊びに来て頂戴ねぇ」


「こちらこそありがとうございます夫人。それと楽しかった一宿一飯のお礼として、また後日櫻子様の小説を翻訳して持ってきます。この忠太と一緒に」


【たのしみに していて くださいね】


 朝になって侍女が寝室に女主人がいないと大騒ぎし、まさかと踏み込んだ客室のベッドで私達が寝ているのを発見され……私と忠太が散々怒られたのは解せないが、何だかんだで破天荒な彼女との一夜は面白かった。二日酔いで痛むこめかみを擦りながら苦笑すれば、こちらもまだお酒が抜けていない様子の夫人が目許を赤らめて妖艶に微笑んだ。


「ええ。その時は是非連泊して行って。曾お祖母様に小説をお書きになる趣味があるとは知らなかったから、とても楽しみにしているわ。若い貴方と感想交換が出来る内容だと良いのだけれど」


「良いですけど……次は一緒に寝落ちないで下さいよ? 私達が怒られますから」


「うふふ、それはその時の私の気分ねぇ。人肌恋しかったら同衾して下さる?」


「ハハ、残念ながらそれは真っ平ごめんです。美味しいお酒は大歓迎ですけど」


 夫人の言葉にド直球にそう言えば、彼女の方も「あら、だったら次も用意しておくわぁ」と悪びれずに応え、見送りに出てきてくれていた使用人の皆さんの口から盛大な溜息が零れたのだった。

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