第121話 一人と一匹と一体、巣立ちに立ち合う。


「ふあぁ……っと。最近家庭菜園やってるから早起きには慣れたと思ってたけど、やっぱまだこの時間は眠いな」


【このじかん のうかより りょうしとか ぱんやとか それこそ ぶつりゅうぎょうしゃの しごとじかん】


「ん。色んな仕事人の睡眠時間を考えたら本当に頭上がらないな」


【ええ ほんとうに】


 夏の朝でもまだ暗い、早朝と言うよりはまだ夜の範疇を抜けない時間帯。大型の馬を繋いだ幌馬車が整然と並ぶ、ハリス運送マルカ支店前。


 ガタイの良い男達の手で荷台に続々と積み込まれていくのは、一週間前に納品した保冷庫だ。眠い目を擦りながらここにいるのも、これがうちの保冷庫を使用する初出荷日だからである。


 納品から一週間もかかったのは、もっと遠い地域に生鮮食品を売り込めるならとマルカやその近郊の生産者が声を上げ、中に詰める商品の種類を商工ギルドで落札形式にしたからだそうだ。責任重大過ぎ。


 冷蔵庫に近い氷結庫の温度を計ったことはないが、頭に氷と冠しているくらいだし、冷蔵庫の二度~五度より冷たいだろう。対してうちの保冷庫は八度~十度と野菜室並の温度でしかない。忠太が太鼓判を押してくれても、同じ土俵に立つにはやっぱり心配の方が勝る。


【それはそうと きんたろう たのしそうですね】


「いつもは私達と違ってずっと起きてるから、こんな時間に全員揃ってるのが嬉しいんじゃないか。なぁ?」


 そう声をかけると、肩に乗っていた金太郎が大きく頷く。その瞳は常と変わらない黒ボタンなのに、興奮に輝いているようにも見える。単に肩の上でくり返される足踏みがそう思わせるのだとしてもだ。


 邪魔にならないよう積荷作業を見守っていたら、早朝だというのにかっちりとした服装をしているブレントが、こちらを見つけて歩いてくる。その後ろには積み込みを手伝っていたのか、やや砕けた格好のコーディーも一緒だ。


 二人は私達の前までやって来ると、まるで貴族にするような丁寧な動作でお辞儀をしてくれた。これ以上気詰まりするようなことは止めてくれと思いつつ、二人に連れられて幌馬車に近付く。


「それでは今回は初期動作の調査も兼ねているので、一台の幌馬車につき三台の保冷庫を乗せ、向かわせる先は最初は手近に王都を含む十二ヶ所で予定しております。そして王都に向かう馬車でお預かりしたこの〝ホシイモ〟と〝アサヅケ〟は、ご指定されたこちらの住所にお届けでよろしかったですか?」


 王都の指定した住所はラーナとサーラとコルテス夫人だ。新しい食といえば何となくこう、食い意地繋がりで思い起こされる。問いかけに「ああ、はい。それでお願いします」と答えれば、不意にブレントが表情を曇らせた。


「承りました。けれど残念ですな。この〝ホシイモ〟と〝アサヅケ〟も欲しがる顧客は多そうなのですが……」


「そう言ってもらえて嬉しいけど、そっちはあんまり量産体制が整ってないんだ。数が揃わない物を広域に出す売り物にするのは気が引ける」


「ハッハッハッ! 真面目なのは職人としては美徳ですが、お嬢はお若いのにいささか冒険心が足りませんな」


 何が笑いのツボに入ったのか分からないが、まだランプの光源がいるくらい薄暗い時間帯に出すには声が大きい。コーディーもそう思ったのか「おい親父、声がうるせぇよ」とこっそり注意している。


 忠太はピンク色の耳をぺしょりとたたんで胸ポケットに隠れてしまった。聴覚はネズミに近いから大きい声が苦手なのだ。代わりに金太郎が肩の上で、ブレントに向かって挑発するようにファイティングポーズを決めた。


「あー……ブレントさん。そのお嬢って呼び方止めてくれないか? こっちはただの魔宝飾具師なのに違う筋の職業従事者みたいだろ」


「なぁに、そのうち慣れますよ。商売には箔ってものが必要なんです。お嬢はうちの大事な錬金術師様だ」


「錬金術って……大袈裟だな。別に私は金を作ったわけじゃない」


「そこが分かっていないのがお嬢の可能性でもあり、弱味でもあるのでしょうね。何にせよ、今回のこの保冷庫で貴女の名前は広がるでしょう」


「まさか。広がるとしたらそっちの社名の方だろう。うちはこの道具を作っただけだ。ただクラークに負けないでくれるとこっちもありがたい」


 大衆向けなエドとはまた違った独特の話術に苦笑しつつ、差し出される甘い称賛に引っ張られないよう心理的な距離を取る。するとそこまであからさまに反応したつもりはなかったのに、ブレントが片方の眉を持ち上げて笑った。


「これはこれはご謙遜を。正直その歳でこの品質の物をこの数、この納期で納めて頂けるとは思いませんでしたよ」


「気に入ってもらえたみたいでこっちも安心したよ。ただ金額は本当に一台この価格で良いのか? せめて通常仕様のだけでも安くした方が、もし行商先で不具合が出た時も不満が軽減されると思うけど」


「まだそんなことを仰るか。元より一種類しか仕様になかったものを、こちらの業務を鑑みて増やして下さったのですから。むしろこれでも安いくらいだ」


「いや、ブレントさんがそうだとしてもコーディーさんの方は納得して――、」


「ますね。父の言葉を丸々肯定するのは芸がないですが、ここまで丁寧に作ってある商品をあの金額より低く買い叩いては、商売人として矜持に関わる。不具合が出ても損益回収が可能な数を見越して先に五十台と注文したので」


 父親の方と違ってあまり表情を動かさずにそう言われてしまっては、これ以上こちらが食い下がるのも変な空気になりそうだと判断し、どちらともなく握手を交わすために差し出した手が握られる。


 書類整理をしてきただけでない、マメだらけでかさついた分厚い掌。緊張か高揚か、しっとりと汗ばんだ手に力を込めて上下に振った直後、従業員達から一斉に「出発準備が整いました!」と声が上がる。


 その声にビクリと身体が跳ねたところを見逃さなかったブレントが、軽くおどけるように手の甲に口付けを落としてニッと笑うや、


「お嬢。若いうちは失敗も多いが、新しい門出ってのは楽しむものです。お嬢がひっくり返った白金貨三百枚なんて、あっという間に回収して見せますよ」


 ――と、到底カタギではない雰囲気で言った。しかも恥ずかしい記憶を添えて。


「それは頼もしいな。じゃあ、こっちもあんたのその言葉を信じて、次の発注依頼が入るように待ってるよ」


 郷に入っては郷に従え。軽く冗談めかして血の気の多い集団を送り出したその四日後。領主婦人レベッカから〝ちょっとマリ? 全然手紙が来ないから心配していたのに、貴方わたくしを仲間はずれにして何を面白そうなことやってるのよ〟という手紙を持った幌馬車が帰って来た。


 身近であればあるほど連絡を怠ってしまうのは人の常。レベッカ襲来の予定日まで残された期間を忠太と金太郎と一緒になって、サツマイモの持つ魔力を引き出すメニュー開発に勤しんだのだった。

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