❈幕間❈香具師と鍍金の息子。
安物買いの銭失い。
昔から使い古された文句ではある。
しかしこの言い分に〝安い物は悪いと結びつけるのは馬鹿だけだ〟と、真っ向から言ってのけるのが
商売人の喧嘩は商売でするというのは全てが嘘とまでは言わないが、実質ほぼ建前だ。ある程度までの成長時期を過ぎれば、商売人の喧嘩は資産での殴り合いになるが、本当に血を分けたのか怪しい俺のような後継者がいる場合は、さらに風聞という枷がついて回った。
噂は上手く使えばそれそのものが形のない商品になる。裏を返せば客の信用を失墜させる手札にもなった。その点でいえば俺は後者の方。六歳の頃、初めて親父と顔合わせをした時を未だに夢に見ることがある。
『ふーん、従業員が血相変えて呼びに来るから何かと思えば……お前がオレの息子だってのか?』
『母ちゃんがそうだって言った』
『その母ちゃんはいないようだが、どうしたんだ? ん?』
『知らない。ここに行けって言われただけだから』
『成程。それじゃあ母ちゃんの名前は言えるか?』
『い……言えない』
『そうかい。だったら自分の名前は言えるか?』
『……ない』
『じゃあお前は今日からコーディーと名乗れ。名前をつけたからにはもう息子だ。早速だが今から仕事で出かける。お前もついて来い。さっさと仕事を憶えて父ちゃんの役に立てよぉ』
事前に母親から言い含められたことしか質問せず、あっさりとそう言った親父は、それ以降店の前に俺を捨てて行った女の話も行方の捜索もしなかった。その結果幸運にも子供の目の前で男相手に媚を売り、酒が入れば男と一緒に俺を殴って、抱きしめもしなかった女が消え、雑に頭を撫でてくれる父親が出来た。
取引先には必ず同行させ、息子として紹介され、従業員達もそう扱ってくれる。皆の期待に応えられるように、親父の自慢の息子になりたくて、あてがわれた家庭教師達から必死に学んだ。
――が、前述の通り俺の存在が親父の次の梯子に手をかける邪魔をしていた。
けれど最近になってようやく親父が梯子を上る好機を、たった一人の職人の存在が後押ししてくれたのだ。その幸運を掴んだおかげで、現在うちの商会はこれまでにない業績を打ち立て続けている。
「おん? 若、あれ随分めかしこんでますが、お嬢じゃないですか?」
マルカから売り物として積んできた荷物と、こちらで買い付けて明日マルカに送り返す荷物の仕分け中、従業員にそう声をかけられて手を止める。
額から吹き出る汗を腕で拭いながら顔を上げると、声を上げた従業員が「ほら、あれ」と指を差す方角に視線をやれば、確かに見知った人物が人波の中に紛れて建物の角を折れるところだった。
「横歩いてたのは男……だったと思うんですが、やけに綺麗な顔してましたね。どっかの劇場の役者か? お嬢も隅に置けないですね」
「お前の見間違いだろ。ワンピース着てたぞ。それに髪型も全然違う」
「あのお嬢がワンピースって、天変地異の前触れじゃねぇの?」
「馬鹿、オマエ等はそんなだから女に相手にされないんだ。お嬢だって年頃の娘さんだぞ。デートだよデート。野暮言うなって」
ピュウ、と軽薄に口笛を吹きながら次々好き勝手なことを言う従業員達に呆れるも、内容自体は興味があった。
従業員と言ってもうちみたいな中規模運輸業だと、一人一人が商売人のようなものだ。人相当ての精度に関してなら自信を持っている。勿論俺も含めて。それが特に最近親父が気に入って手を借りた、錬金術士まがいの魔宝飾具師であれば尚更見間違うことはない。
「俺にもマリさんに見えたが、親父から彼女がこっちに来るとは聞いてない。誰か他に親父から伝言を聞いている奴はいるか?」
従業員達の顔を見回してそう声をかけても頷く者は一人もいなかった。だとしたら私用か。王都にいること自体不思議ではないが、いつもの格好とは様子が違って見えた。隣にいた男も初めて見る。やけに顔が整っていたし、親しそうな距離感だった気もする。
異性といるところはほとんど見たことがない彼女にそんな知り合いがいたら、絶対にこれまでの間に親父にからかわれているはずだ。しかしそんな話も現場も見たことはなかった。そこから導き出される可能性は――。
「……まさかクラークの枕要員の連中が出張って来てるのか?」
だとしたら拙い。すぐにでも親父に話しを通した方が良い案件だ。しかし同時に彼女相手に無駄なことをと思うのは失礼だろうか。何にしても今あの錬金術士殿を失うわけにはいかない。
「親父に窺いを立てる前に、マルカの商工ギルドと冒険者ギルドに手紙を出すか? 何にしても一度彼女の身辺について調べる必要があるな……」
恩人相手に気乗りはしないが、彼女が騙されている可能性もないとは言い切れない。そう口の中で転がした言葉を聞きとがめる奴はおらず。目の前で他人の空似か本人かを賭け始めた従業員達を、窘める言葉を探す羽目になった。
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