◆第八章◆

第138話 一人と一匹、繋がる繋がる。


 花の香りがする食べ物は個人的に石鹸を口に突っ込まれた気分になって、どうにも苦手だった。今考えれば味覚が貧相だった可能性もあるが、やっぱり今でも進んで口に入れることはない。だけど何事にも例外はある。


「うっま。相変わらずヤバイなこれ。労働の後には特に沁みる。でも何か前に食べた時より美味くなってる気がするんだけど」


【のうこうなのに くどくなく さらっとしてて おくのほうに げんりょうの はなのかおり かんじる】


「うむ。的確な食レポご苦労、忠太」


 蜂蜜ケーキにトロリと黄金の蜜に浸されたスコーン、蜂蜜入りのミルクティーに巣の形のまま出された物もある。まさに蜂蜜尽くし。超豪華だ。これがまたデパートの特設でちょっとだけ味見させてもらった百花蜜よりまだ美味い。


 甘い物はそこそこ好き程度の私でも興奮する美味さなので、当然忠太はメロメロであった。勝手にそれらに手を伸ばして全身がベタベタにならないよう、細心の注意を払って小さくしたケーキやスコーンを口に運んでやる。ティースプーンの先を小さな舌が舐め取る姿が可愛すぎて胸が苦しい。


「まだまだたくさんご用意してありますから、どんどん召し上がって下さいね」


「ん、ありがとう。でもちょっと手伝っただけなのに、宿屋の手配からこんな高級品までご馳走してもらって悪いなチェスター」


「いいえ、そんな。大体この程度ではお礼にもなりませんよ。今回の同行も露払いも大変助かりましたから。それにこうした高額商品は、味の違いについてのご意見を直接お聞きする機会が貴重ですからね」


 微笑ましそうに忠太を見つめていたチェスターは、眼鏡の奥の双眸を細めてそう言うと、さらに「お酒がいけるなら蜂蜜酒ミードも如何です?」と勧めてくれた。当然もらう。不味いわけがなかった。紅茶からあっさり蜂蜜酒に乗り換えた私達を見て、チェスターが声を立てて笑うけど、悪い気はしない。


【あじ きぞくに ちょくせつは きけませんしね】


「ええ、その通りです。わたしは所詮高級品を扱うだけの商人。貴族の方々に直接聞きこむコネはありませんからね。実際売れ行きは良いので問題はありませんが、やはり目の前で美味しいと言われるのは嬉しいものです」


「そっか? だったら何回でも言うわ。ヤバイくらい美味い」


【まりの ことばはすなおで こころに とどきやすい】


「単に語彙が少なくて情緒が死んでるだけだっての」


「商人は腹の探り合いですから、チュータの言うようにマリさんの真っ直ぐな褒め言葉は沁みますよ」


 少し前に一緒に旅をした時に戻ったような気安い会話に、ほんの一時間前まで森の中で魔物を退治しつつ、あのハーブの煙を使った忌避剤でレッドスピアーを追い散らかしていた身体に、ジワジワと酒が回っていく。


 本日は夏休み、五日目飛んで六日目。


 アシュバフの王都デイドラードまでチェスターに会いに来たら、ちょうど冒険者ギルドの連中とレッドスピアーのいる森に行こうとしていたところで、ついでに雇われてしまったのだ。


 魔物の襲撃に警戒しつつ森で一夜を明かすのは久々の経験だったけど、他国の冒険者ギルドに属する連中の話は面白かったし、たまにならやっても良いなと思った。結局仕事してるなとは思わなくもないけど、これはまぁ……夏休みの途中に発生した特殊イベントってことで。休暇は取れてる、うん。


「しかし惜しかったよな、ラーナとサーラがこっちに向かってる途中だって知ってれば、もっと夏休みを長く取ったのに」


「あちらも職人である前に商人ですからね。マリさんに手紙で繋ぎを作って頂いて護符を注文したら、すぐに一度うちの蜂蜜を見に来たいと仰って下さって。こちらもあの護符を作って下さったお二人と是非お会いしてみたかったので」


 オルファネアの王都コーデルベルグからここまでは、普通の馬車よりちょっと速度が速い馬車でも三週間かかる。その移動距離をものともせずに顔合わせをしに来ようという辺り、流浪の民の名は伊達じゃないらしい。


 例外的に馬に曳かせる馬車じゃなかったら二週間くらいだとか。その場合馬を使わない馬車=レベッカのとこの馬車参照になるが。


「あー……だったらちょっとうるさい従魔が二羽ほどついてくるから、その辺は覚悟してろよ。とはいえ双子の目眩しの護符、性能良かっただろ?」


「はい、とても。目眩しの護符としては最上級と言っても良いかと」


 チェスターのその言葉通り、あの二人の作った護符を装備しての煙散布任務はこれ以上なく楽だった。問題は一度見つかってしまうと効力が切れるところにあるけど、煙でレッドスピアーを巣から穏便に遠ざけることには成功したし。


 冒険者ギルドの連中もしきりに褒めていたので、友人として隣国に寄る際はどうぞと言うのも忘れなかった。


「残念と言えばデレクもだよな。エッダと魔石の買い付けに行ってるなんて。というかそもそもここの従業員になってるのが意外だったけど」


「デレクはともかく、エッダの場合は旅費を稼ぐための一時的な就職だとは思いますが、二人共とても熱心に仕事に取り組んでいますよ。思わずそちらの国の王都にある職人養成学校への入学を勧めたいくらいだ」


「あそこは結構面白いとこだぞ。自由といえばそれなりに自由だし。最初に舐められなきゃ何とかなるんじゃないか?」


【ふたりとも じゅうま いますしね なめられないため ごふあげますよ】


 そうヒゲについた蜂蜜を懸命に舐めながら取り除こうとする忠太の姿に、チェスターと一緒に笑っていると、店の方から従業員とおぼしき少年が現れて「ご歓談中にすみません、お客様が……」と気まずそうに伝言しにきた。 


 チェスターは少年に「ありがとう。すぐに行きます」と答え、こちらに向き直って「すみません。来客のようです。予定はなかったので一見さんでしょうし、打ち合わせは店先で済ませますので、ここで休んでいて下さい」との言葉に緩く首を横に振る。腹も朽ちたしここらで退散した方が良さそうだ。


「大丈夫、大丈夫。私達はこの後にまだ寄るところがあるから。一見さんでも商売始めは大事な客だぞ。もてなした方が良いって」


「寄るところとは……診療所の方に行かれるのですか?」


「正解。明日にはもう国に帰らないとだからさ。ついでに紅葉に顔だけでも見せに行くつもり」


 私の言葉を聞いたチェスターは一度頷くと「少しお待ち下さい」と言い残し、一瞬だけ部屋を空けたかと思うと、次には蜂蜜の入った瓶を三本持って現れ「二本は貴方達へのお土産に。一本を彼に渡して頂けますか。手近な元貴族の意見も知りたいので」と。


 商魂逞しいその申し出に苦笑して頷き、帰りにはまた立ち寄ると別れの言葉もそこそこに、受け取った蜂蜜の瓶を携えてクソ生意気な医者と先輩精霊のいる診療所へと足を向けた。

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