第166話 一人と一匹、次なる目標は。


 空はこの時季らしく灰色の雲に覆われた曇天。

 幸い雪は降っていないものの風は冷たい。


 領主屋敷に滞在して一週間目の早朝、わたしとマリを見送るために領主と身重なレベッカに加え、親しくなった使用人達が裏門の前に集まっていた。随分と可愛らしいコートを着込んだベルも一緒だ。お針子に愛されているようで微笑ましい。


「マリ……ほら、ね、こんなに元気に動いてるのよ。きっと貴女のことが大好きなんだわ。この一週間でとても良く動くようになったもの。それなのに本当にこの子とわたしを置いて行ってしまうの?」


「待て待て。その言い方だと何か誤解を生むだろ。あと何か照れ臭いからあんまりお腹触らせないでって言ってるじゃん。ウィンザー様も止めて下さいよ」


「はは、その気持ちは分からなくもないが、そう言わないでやってくれ。君が触れてくれた方が母子共に健康であれそうなのだよ」


「そうは言っても私の国だと妊婦のお腹を触るのは、家族か医者くらいのものなんですってば。それに私なんかが触ったら――……」


【しあわせ かくやく】


 不意に翳ったマリの声にかぶせてスマホの画面を見せると、彼女の変化に気付かなかったレベッカと使用人達が微笑む。しかしうっすら嗅ぎ取った領主だけは一瞬目を細め、それから何事もなかったように「なら、やはり触れてもらわないとな」と言ってマリの手を取ると、レベッカの膨らんだお腹に当てた。


「急に雪が降ってる時季は暇だから採取旅行に行くだなんてマリらしいけれど、来月の出産予定日には一度訪ねて来てほしいわ。それで一番に赤ちゃんを抱っこしてもらうの」

 

「あのなぁ、一番は産婆かウィンザー様だろ」


「わたしは何番目でも構わないよ。この手で自分の子供を抱ける日がくるとは思っていなかったから、何番目であっても嬉しい」


 そう言ってお互いに幸せそうな目配せをし合う領主夫妻に、周囲の使用人達は感無量といった様子で頷いている。この二人がこうしていられるのも全部マリのおかげだ。マリの価値を認めてくれる人間が多ければ多いほど良い。悔しいことに人間に傷つけられた心を癒せるのも、また人間なのだから。


「そっか。だったらその時はまた寄らせてもらいます。メイドさん達も、レベッカが忘れそうだったらお腹にスライムの軟膏塗ってやって下さいね。妊娠線? ってやつが残りにくくなるはずなんで。たっぷり作っといたから、乾燥肌にも効果があるし、手荒れが酷い人は分けてもらうと良い」


 この一週間で試行錯誤をくり返したスライム軟膏は、名前の通りスライムの粉末と柑橘系の香油と薬草を用いた新製品(予定)。材料の提供者はスライム粉末がブレントで、香油がエド。スライム粉末は小さな切り傷程度であれば、少量のポーションを溶いて患部に貼って使用するらしい。


 滞在初日にレベッカがお腹に出来た皺が消えるか心配で、しかも痒いというのでマリが調べてみたところ――。


『あー……皮膚が乾いた餅の表面みたいになってるな。乾燥肌の酷いやつだ。ひとまず保湿してみるか。確か目茶苦茶高い保湿クリームにカタツムリ使ってるやつあったなぁ』


 ということだった。その後に続いたマリの『カタツムリで出来るなら、スライムでも似たようなの作れるだろ。ネットで買うよりこっちで作って流通させた方が後々手に入りやすいし』なる謎の発言によって爆誕したのが、保湿成分と若干の自己再生能力があるスライム軟膏だった。


 当然ながら効果は折り紙付きである。最後までマリを引き留めようとするレベッカを使用人達が宥め、領主とわたし達はお互いに今回の背景の秘密を胸に別れた。まだパン職人以外の人が起き出すには早い街の中で人気のない場所を探すのは容易い。路地裏に潜り込んでスマホを操作し、真っ先に飛ぶのは当然自宅だ。


 長期の留守番が寂しかったのか、小さい神様達の住む水槽に張り付いていた金太郎を摘み上げて労い、エドとレティーとブレント宛に短い書き置きを三通したためて言った。


「さてと……ウィンザー様の言っていたことが本当なら自衛手段が必要だし、暇を持て余した駄神の手が回ってても腹立つからさ、せっかくだしこの機会にこれまで中途半端に潜ってた脱法ダンジョンの攻略でも行こう。それで素材を集めてミツネ・・・と私の魔法飾具を作ろうぜ。すっげぇ厨二病なやつ」


 犬歯を見せてニカリと笑う彼女はとても楽しそうで。

 とてもとても魅力的だった。

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