第110話 一人と一匹、真実の縁に立つ。
お高そうな猫足家具に綺麗な壁紙、かなり歴史的に重要そうな書類や本の数々。それらすべてが〝ズゾゾゾゾ〟という麺バキュームの音と匂いにチープ化される。ちなみに鍋は抱えたまま食べるのが正しいマナーだ。
最初はそのままの麺とスープを楽しみ、途中で柔らかめの半熟になった卵を潰して刻みネギと一緒に混ぜる。忠太用にはスプーンの上でミニラーメンを作って、麺を一本ずつフォークに引っかけて渡す。
お育ちの良さと麺を啜る文化がないお坊ちゃんは、異世界麺を懸命にフォークに巻き付けて〝チュル、チュル〟とお上品に召し上がっておいでだ。カレーの辛さもチーズのおかげでマイルドになっているらしく、額に汗を滲ませながらもフォークを動かす手が止まらない。
そんな感じでズルズル、ハフハフと無心で麺を啜ること二十分後。匂いが籠った部屋の窓を開けていたら、背後でサラダボウルに残ったスープまですっかり平らげたエリックが、小さく「マリ、今日は来てくれて……わたしの話を信じてくれたことにも、感謝している」と呟いた。
作務衣の襟を開いて汗をかいた肌に風を送り込みながら振り返ると、真っ直ぐこっちを見つめる青い双眸とかち合った。
「信じるさ。お前は子供で、私は大人だからな」
「嘘をついて誘い込んでオニキスを奪われるとか考えなかったのか?」
「嘘みたいなことなんて世の中に五万とあるだろ。仮にお前が嘘ついたって、世の中の嘘に小さいのが一つ紛れ込むだけだ。大したことないない」
首筋に張り付いた髪がうざったくて払いながらそう返せば、まだ納得出来ないのか首を傾げるエリック。そこへ忠太が何かを打ち込んだスマホを見せる。
何を打ち込んだのかは分からないが、少しだけ暗かった表情が明るくなったところでソファーに戻り、冷めたお茶で一服しつつ本題に入ることにした。
「気楽にな。でないとすぐにバテる。そもそも私達がオニキスと出会ったのは完全にただの偶然だ。別に聖女と私達が何か繋がってるとかじゃない」
面倒な質問が始まる前に会話の主導権を取るのは、忠太と事前に決めていた。なのでそこからは色々ぼかして出会いからこれまでをかい摘まんで一気に説明。頷こうが小首を傾げようがお構いなし。言いたいことだけザーッと話しきったところで、一度冷めたお茶をあおってから口を開いた。
「でさ、オーレルの森の魔女とその従魔に何したんだお前の一族は。というかお前の家って何の仕事についてるんだ?」
「え……嘘だろ、そこから知らないのか? この紋章に見覚えは?」
「さっぱり。私達はこの国の人間じゃないからな」
【さんぎょうで せつめい よろしく おねがいします】
無茶振り甚だしい忠太と私の圧に呆れつつ、エリックは自身の稼業である医療魔術師について簡単に説明してくれた。
①名前の通り人の身体にある傷や病を治す特級魔術師である。
②費用が馬鹿みたいにお高いので王族と一部の貴族にのみ治療を施す。
③医療従事者より貴族の一面が強くて特権階級意識ゴリゴリ。
④仕事嫌いのくせに同業他者は徹底的に潰して回るクズ。
残念ながら一行オーバーの四行説明だが、まぁ大体分かった。エリックが数ある紙物の中から選んで寄越した手記には、国に流行り病が蔓延した際に聖女がどこからか現れ、大きな牡鹿の従魔と共に多くの民を無償で癒したとある。
文字が多いのが駄目な私は難しそうな病気の記載を飛ばし読みしたけど、忠太はしっかり目を通した上で【おそらくですが けっかく はやったみたい ですね】と教えてくれた。次いで【せいじょは くすし もしかしたら ぺにしりん つくったのかも】と打ち込む。成程これが前世チートってやつか。
さらに読み進めると、聖女は魔法を用いた医療を平民にも広めるべきだと主張し、当時王家から民衆の心が離れていたことから王家はその発言を飲み、彼女をパンダ外交的に利用。
彼女の発言権が増していけばいく分エリックの先祖は立場が危うくなり、元から民衆に嫌われていたこともあって、民衆の人気稼ぎに躍起になっていた王家や貴族との関わりも薄れていき……蜜月が終わる。
聖女はさらに魔力のない市井でも出来る治療法を提案し、王都にいた魔鍛冶師に頼んで、先の極薄いナイフなどを造らせたと記されていた。形状も図として載っている。嫌いすぎて研究したんだと思うと拗らせすぎてて草。
【これは めすに みえますね】
「使いにくそうだけど、たぶんそうだと思う」
【まかじしも せいじょも おそるべしです】
忠太の言う通りだ。流石は中級精霊の主人。聖女はたぶん超がつくほどの高学歴とみた。魔法があったって使えなきゃないのと同じ。そして進化した医療技術は魔法と見分けがつかないって何かで読んだ。ということは――。
「ふぅん……聖女は医療魔法が受けられない一般人のために、外科手術を広めるつもりだったのか。そりゃ邪魔になるよな」
思わず脳裏に漫画の神様が描いた超絶技巧の医者が浮かんで口に出したら、正面の席に座っていたエリックが「どうしてそう思った?」と驚いた表情を浮かべる。
「え? だから医療魔法での治療が出来ないなら、普通に患部を開いて悪いとこを取り出すしかないだろ。それともこの国だと手術ってしないのか?」
前世の環境で十九歳まで生きた身としては、そっちの方がよっぽど驚きだと思っていたら、忠太が【ちゅうせい まだ げかしゅじゅつ あまり しないです】と打ち込んでいた。うおおおぉ……余計なこと言ったか、と。
「いいや、マリの言うことは正しい。医療魔術師には、人体に刃物を入れての手術は外法だと言われている。そこは精霊の領域で人の身で触れるのは禁忌だからと。それに医療魔術師は外部から魔力を当てて、患者の自己治癒力を高めることで病の治療をするから、病巣を見る機会がないんだ」
何だそりゃ。少なくともエリックの一族はそれが出来ると分かっていて、でも人体に刃物を入れるなんて野蛮なことをしたくないと。
「呆れ果てた奴等なのは分かったんだけどさ、私もあんまり医学に詳しくないけど……悪い細胞に当てたりしたら活性化しそうだな。一度は回復しても結局体内に散って吸収されただけだし。再発しないのかそれ?」
ふと医療系ドラマとかで手術成功後の夜にいきなり患者容態が急変して、ナースコール押す場面で次回予告に入るシーンを思い出してそう尋ねると、エリックは興奮気味に「そうなのだ! なのに現在に至るまで認めないでその可能性を否定する! そんな奴等の犠牲になりたくない」と力説し、テーブルに拳を叩きつけた。
拍子に忠太の身体が浮いて。転げる前にキャッチして肩へと避難させる。つまり手記と照らし合わせると、聖女はエリック達の一族である医療魔術師達が、その事実を隠蔽していることを掴んで、治療費を下げなければ公の場で発表すると脅されて殺したわけだ。そしてそれは王族や貴族も知らなかった。詐欺師から神秘性を奪ったら何も残らないもんな。
――で。
彼女の酷い噂を流し孤立させて殺したあと、さも慈悲深い顔で表舞台に出てきて民衆を癒した。これぞマッチポンプのお手本だけど……思ったよりだいぶ根が深そうな状況だ。さてオニキスにどう説明するかなぁ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます