第40話 一人と一匹、正体見たり見られたり。

「忠太!! 待ってってば忠太!!」


 いくら自然界では珍しい白い個体とはいえ、小さいハツカネズミの身体なんてあっという間に森の下草の中に埋もれてしまい、早々に見失ってしまった。ボルフォの群れが去ったところで危険なことには変わりないのに――……!


 自分の心音が邪魔で忠太が立てそうな小さな音が拾えない。焦って周囲を見回すけど、どこを見ても木々が生い茂るばかり。心配で頭が変になりそうだったその時、少し先の低木がガサッと音を立てて揺れた。


「そこか忠太、お前やっと見つけたぞこの、」


 逃がすものかと大股で駆け寄り、低木の下に隠れている忠太を引きずり出そうと膝をついて手を伸ばした――が。直後にあった違和感に気付いて、茂みに突っ込んだ手をグッと引き戻そうとした。でも出来ない。その理由は簡単で、向こうからも引っ張られているからだ。


「え……え、なん、何だ?」


 困惑してもっと力を込めて引っ張ると、さらにギュッと手を握り返された。しっとりと温かい。しかも感触からして人間の手っぽい。というか、こんなところに人の手って……普通に考えて事案だろ。なのに何故だか振り払わないといけないような不快感がない。


「あのさ……そっちにいるあんたは、もしかして、忠太の言ってた知り合いか?」

 

「…………はい。彼に待っているように言われませんでしたか?」


 緊張から噛みしめるように言葉を区切って尋ねれば、やや間があってそう返事が返ってきた。声音は初めて聞くはずなのに耳に心地良いアルト。手の大きさからたぶん男性だと思われるのに、声だけ聞くと中性的な響きで、さらにこちらの危機感知能力を低下させる。でも今問題なのはそこじゃない。


「言われたけど、そんなの心配で黙って見送るのなんか無理に決まってる。でも良かったよ。あんたがいるってことは、そっちに忠太も一緒にいるんだろう?」


 知り合いと合流したならもう安心だろうと思ってそう声をかけたら、今度はさらに強くギュウッと手を握られた。あ、駄目だこれ……嫌な予感がする。この先を聞きたくない。そう思うのに――。


「……いいえ。彼なら、他の精霊にも声をかけると森の奥に。でも心配しなくても大丈夫ですよ。彼は木に登れますからボルフォの餌にはなりません」


 やっぱりというべきか、無慈悲に告げられた内容に頭をガツンと殴られたようなショックを受ける。あんな小さい身体で勝手にどこに行ったんだ。寒くもないのに指先が冷えて震える。立たないと。立って追いかけないと――。


「マリ、マリ? 忠太なら大丈夫ですから、先に助けるべき者達の場所にわたしを連れていって下さい。それが済めば、わたしから彼に伝えます」


 そう言葉をかけられ、手が離れていく。次いで、まだ無様に地面に膝をついたままの私の上に陰が降ってきた。見上げた先に立っていたのは、雪の如く白い肌に、同じく白一色のゆったりした服に身を包んだ青年だ。


 背は私より少し高い程度だけど、頭には葉の生い茂った蔓植物をかぶっているせいで、肝心の顔が見えない。一言で表せばボタニカルな不審者だった。


「精霊、なんだよな……?」


「下級ではありますが、そうです。この見た目は顕現特性と言いますか……つまり、そう、不完全な存在なので。顕現出来るのも四十分程度です。ですからマリ、急いで案内して下さい」


「わ、分かった。でもそれ前見えにくいよな。手、繋ぐか?」


「…………是非」


 制限時間を提示されて頭が少しスッキリした私は、立ち上がって膝をはたく。そしておずおずと差し出された不完全な神様の手を握り、元来た方角に向かって、神様が転けないよう注意しながら走った。


 皆はまださっきの場所に留まっていたけど、戻った私の頭に今度こそ隊長の拳骨が降って――こなかった。後ろに連れている人物が不審すぎて、誰もが彼を遠巻きに見つめて近寄ってこなかったのだ。


 何か言いたげな隊長をスルーして、一ヶ所に集められた怪我人の元に彼を引っ張っていく。一瞬だけ周囲の護衛達が剣呑な気配を放ったけど、そこは隊長が片手を上げて制してくれた。


 屈み込んで傷の検分をする彼の服の袖口が赤く染まっていく。傷口に充てられた布を引き剥がし、傷に指を突っ込んで深さを測る。痛みに呻く護衛のことはあまり気にならないらしい。大丈夫か……?


「ちょ、もうその辺で止めてやってくれ。あと、その……治せそうか?」


「ええ。マリがそう望むのなら、必ず。必ず治してみせましょう」


 三人の傷に指を突っ込んで深さを測り、傷口の大きさを確認していた手を見るに見かねて掴んでそう尋ねたら、唯一見える口許で微笑みの形を作った相手からそんな答えが返ってきた。調子が狂う。


 指先の血を服の裾で拭った彼は、横一列に傷口が並ぶように三人を並ばせると、一度だけ私を振り返って「応援して下さい」と真面目な声で言った。周囲からの視線が痛かったものの「頑張って」と、こちらも至極真面目に返す。すると嬉しそうに頷いた彼は、怪我人に向き直って腕を広げた。


「₪₣₰▲₪……₪₣℘!!」


 不思議な歌めいた短い言葉。聞いたことがないはずなのに、聞いたことがある。そう感じたのは今日で二度目だ。そして直後に変化が起こった。ホワリと淡い金銀の光が三人の怪我人の上に降り注ぎ、血の溢れる傷口を覆い隠していく。

 

 その場にいた誰もがその幻想的な光景に魅入って言葉を失くした。当の怪我人達ですらだ。時間にしたら五分程度。徐々に脆く儚く散っていく光の粒がすっかり消えた頃には、怪我人達の傷口から溢れていた血も止まっていた。服は破れたままだけど、その下にある皮膚はきっちり塞がっている。


 目の前で起きた事態に誰も何も言葉を発せないで呆然と立ち尽くす中で、術者である彼だけがフラフラとした足取りで私の元までやってきて。慌ててフラつく身体を支えようと伸ばした手を取られ、抱きしめられた。


「マリ……出来ました。治せましたよ。これでもう……悲しくないですか?」


 縋るような声音に一瞬ありもしない記憶が見えた気がして抱きしめ返す。首筋に埋められた相手の頭。そのかぶっている蔓植物の下から、この世界に来てから何よりも見知った白が覗く。ああ、大馬鹿だな、私は。


「うん、ありがとう。もう悲しくない。悲しくないぞ……忠太」


 周囲に聞こえないように小さく囁いた私の言葉に、まだ大人になりきっていない華奢さの残る肩が跳ねて。私のそれよりもだいぶ小さく「うぅ、不覚です。こんなところでバレるなんて……」と囁く忠太を、今度こそ思い切り抱きしめてやった。

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