第39話 一人と一匹、認識の壁にぶつかる。

 生き物の焼けた臭いと血の臭いが混じるせいで気分が悪くなったものの、こちらを襲ってきたボルフォの群れはその半数を倒され、残った半数はあの奇妙な鳴き声で連携をとって森の奥へと逃げ去って行った。


 ――生きてる。そう実感した瞬間、ドッと冷や汗が吹き出して。震える膝を休めるように忠太に促されてその場にへたり込んだ。アイテム袋の中に入れていた多くの素材は砕けたり萎れたりしていて、小さな神様達が懸命に働いてくれたのだと物語っている。懐中時計型のピルケースの中身の鉱石も、同じく砕けて細かな砂粒に姿を変えていた。


 何となくそれを全部掌に出して両手で包み込むように握って目蓋を閉ざし、手を合わせる。お地蔵さまにそうするように拝む。小さな神様達の姿が見えない私には、こうすることくらいでしかお礼が出来ないからだ。膝の上に微かな感触を感じて目蓋を開くと、そこにはこちらを興味深そうに見上げる忠太がいた。


「ああ……これはな、私のいた世界で神様に願ったり、お礼を言う時とかにするんだ。手伝ってくれて助かりました。ありがとうってな」


 そう背伸びする忠太に説明しつつ、ピンク色の鼻先にピルケースを差し出して中身を見せれば、納得した様子で忠太が頷く。そんな素直な忠太を持ち上げて肩口に乗せてから、さっき震えた胸ポケットのスマホを取り出して画像を見た。思った通り駄神からのメッセージが一件入っている。


 これは後で家に帰ってからじっくり読もうと考えて一旦保留。次にメール機能を呼び出して「ここにいた神様達って、まだその辺にいるのか?」と肩の忠太に尋ねると、腕を伝って手首まで辿り着いた忠太が、すぐに【たくさん います じょうきゅう せいれい きぶん たのしかった いってる】と打ち込んでくれた。


 そうか……今のが楽しかったのか。しかもたくさんということは、当初の二神に加えて途中で合流してきた神様もいるってことだ。肝が座っているというか、小さい神様達は意外と過激派だったらしい。そうこうするうちに膝の震えと動悸と吐き気が治まってきたので、ようやく周囲を見回す余裕も出来てきた。


 しかしやはり誰も無傷というわけにはいかず、怪我人は結構出てしまったようだ。ヴォルフのものを除けば血溜まりこそないが、熟練度や技量の差なのか、牙と爪でつけられた若い護衛が数人蹲っている。


【まりに けがなくて よかったです かれらの おかげ】


「忠太もな。だけど……うん、あの人達は怪我をした」


【でも きずを うけるのも ごえいの しごと なっとくしてる はず】


「それはそうだろうけど……本来ならあの怪我は、私がしてたかもしれないやつだ。お金で雇われたからって、痛みがなくなるわけでも、恐怖が薄れるわけでもないじゃないか。あそこに混じっているのが忠太だったらって考えたら嫌だ」


 何でもないことみたいに言ってのけた忠太に対して、思わず責めるような言い方になってしまった。すると小さなハツカネズミの耳とヒゲがしょんぼりと下がる。まずい。言い方がキツすぎたか? 


 でもこういう認識のズレは、これからも一緒にいる上できちんと分かってもらわないと駄目だし……とオロついたその時。背後から肩を叩かれて。ゆっくりと視線を上げれば、そこには怖い顔をしたガープさんが立っていた。


 その大きくはない身体から放たれる怒気に思わず身動ぐと、忠太がガープさんの手に飛び乗り、毛を膨らませて威嚇する。ちょっと反発し合った直後なのに、こんな時でも守ろうとしてくれる姿は可愛い。そう感じたのは私だけじゃなかったらしく、ガープさんも「勇敢なのは飼い主似だな」と。目尻に皺を寄せて笑った。


「どこにも怪我はないかね」


「あ、はい。私と忠太は何ともないです」


「そうかね。それは良かった。あんたのおかげでうちの弟子達も皆無事だよ、ありがとう。だがね、あんたが逆方向に走った時は肝が冷えた。あの者達は戦いが生業だ。しかしあんたは一人働きの魔宝飾具師だろう。そんな身でどこか怪我をしたら飯が食えなくなる」


 そう言うガープさんの後ろにはずらりと並んだ古参の弟子陣。かけられる圧が増えたことで、思わず背筋を伸ばして「すいません」と謝罪を口にしてしまう。こちらの謝罪を聞いたガープさんは頷き、やがて「分かれば良い。こんな時でなければ、若いうちは血気盛んな方が面白いわい」と好好爺の顔になる。


 そして私に手を貸してを引き立たせてくれると、すぐに弟子を引き連れて護衛達の方に歩き出したので、私と忠太も慌ててその後に続く。怪我人を一ヶ所に集めて傷の具合を確かめている人の背後に立つと、ガープさんが口を開いた。


「今の戦闘で出た怪我人を運ぶ担架を作らせよう。他にも添え木や杖が必要そうな者はいるかね?」


 声をかけられた人物は振り返ると、その厳つい顔に困ったような、ホッとしたような何とも言えない表情を浮かべる。歳はエドとそう変わらなさそう。


 灰色の髪と黒い瞳が前世への郷愁を感じさせる人物は、さっき私達を逃がそうとしてくれた護衛隊長だ。服に大量についた血の割にどこも怪我をしている様子もないことから、どうやら全部ボルフォの返り血らしい。


「旦那、戻ってきちまったのかよ。森の外で待ってろってのに。だが助かる。傷の深さによっては町に助けを呼びに行かせる必要が出てくるっぽくてな。オレ達はここで迎えを待つつもりだが、旦那達はきちんと送らせるから安心してくれ」


 そう言って立ち上がった隊長はガープさん達に作って欲しい物の確認作業をし、動ける部下達に声をかけて材料の採取に向かわせるつもりで編成を始めた。するとそれまで大人しくしていた忠太がスマホを使いたがったので、こっそりポケットから取り出して右手の掌に忠太を乗せ、左手でスマホを翳してやる。


 一瞬だけ画面を前に小首を傾げて悩む素振りを見せたものの、すぐに【まり かれらのけが なおると うれしい】と打ち込まれた。


「それは当然嬉しいよ。怪我してる相手を前に何も出来ないのが歯痒いよな」


【ふむ わかりました】


「分かりましたって、まさか忠太が治療するのか? 傷の大きさを見てないから何とも言えないけど、無理だってば。今の忠太の回復魔法じゃ、忠太を縦横に一匹分の大きさまでだろ?」


 こういう事態をまったく考慮してなかった自分が腹立たしい。こんなことなら、もっと序盤のうちに忠太の回復魔法のレベルを上げておくべきだった。でもこちらの声が聞こえているのかいないのか、白いハツカネズミは私の目で追えない素早さでフリック入力をしていく。スマホを支えてる手首がガクガクするんだけど……。


 そうこうする間に話し合いが済んだのか、出発しようと動き出したグループに私と忠太も同行しようとしたら、不意に視線を感じて。周囲に視線を巡らせたていたら、隊長とバッチリ目があった。何故か手招かれたので、出発する採取部隊に後ろ髪を引かれつつ隊長の元へと歩いていくと――。


「さっきの火球だが、あれはあんたの宝飾具の仕業か?」


 目の前に到着した瞬間、ド直球にそう訊かれた。商品開発前ではあるけど一応はそうなので、やや警戒しながらも無言で頷く。頬に当たる毛の感触で肩に乗った忠太が膨らんでいるのが分かって、うっかり和みそうだ。


「さっきのやり取りを聞いてたなら分かると思うが、簡単に動かせない連中が三人ほどいる。だが血の臭いは当然魔物を引き寄せちまうんだよ」


「魔宝飾具師の私達に、怪我人の護衛に加われって言いたいんだな」


「話が早くて助かるぜ。頼めるか?」


 否とは言わせない声音でそう尋ねられるけど、たぶんもうあの一回で拾ったアイテムから供給出来る分の魔力は使いきったと思う。でも助けてくれた人達に何かしたい気持ちはあった。どうしようかと悩んでいると、肩に乗っていた忠太がまたスマホを欲しがる素振りを見せたので、メール機能にして差し出すと――。


【ごえい ひつようない かれらは まりを まもって くれた その おれいに きず なおせる しりあい よぶ】


「知り合い……って、精霊の?」


【です まりたちは ここでまつ】


 そうフリック入力した直後、いきなり忠太が肩から飛び降りて森の奥に駆け出して。待てと言われた私は勿論脊髄反射で忠太の後を追いかけた。

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