第38話 一人と一匹、火事場の力に目覚める。

 小さいからこそあの奇妙な鳴き声と見た目に愛嬌のあるハイエナも、こんなに大型化すると笑えない。徐々に包囲網を狭め、仲間同士で合図を送り合う様が悪魔的ですらあった。もしもまた来世があるならサバンナでハイエナ見たら逃げる。


 護衛の人達が円形の陣を取ったまま武器で魔物を牽制し、私を含めた職人達を庇いながらジリジリと森の入口へと後退しているけど、これは一気に飛びかかられたらあっという間に瓦解するだろう。胸ポケットにいる忠太も毛を膨らませて警戒態勢に入っている。


 撤退中に走ることがあれば落っことしてしまいそうなので、宥めるように小さな頭を撫でてからポケットの蓋を閉めた――が、収納されたことに納得がいかないのか、隙間からピンク色の鼻先を突き出して暴れる。でも許せ忠太。状況が状況だけに無視だ。


 汗臭い筋肉の壁に囲われているのに少しも安心出来ない。狩られる恐怖。生きてるうえで最も原始的な死の感じ方に胃が引き絞られる。


「あの、ここって普段からこんなのがいるんです……か?」


「いいや、儂らは普段からこの森を採取場に選んでおるが……こんな数のボルフォは初めて見る。いつもは肉食とはいえもう少し小さい魔物ばかりだ。ただ行商人達が気になることを言っておった」


 緊張感に心臓が痛いくらい脈打つけど、何も知らないことには対処も出来ない。緊張でもつれる舌を何とか動かしてさらに「気になること?」と重ねた。


「この森より王都に近い遺跡で魔物狩りがあったそうだ。考えられるとしたら、そこに巣を作っていた魔物達がこちらに流れて来たのだろう。儂の注意不足だ。君にも弟子達にも酷いことをしてしまった……本当にすまない」


 そんな県境でイノシシ追いかけてたら隣の県に逃げ込んだみたいなノリか。確かにあり得るけど止めろと言いたい。猟師の数が少なくて中途半端に傷負わせた挙げ句逃げられるのが一番怖いんだよ。


 祖父といっても差し支えない年齢のガープさんはこちらの質問に答えてくれつつ、ただ採取にくっついてきた弟子でもない私を背に庇ってくれる。長年家具職人をしてきたその腕は、前世そこら辺にいた高校生男子達よりも逞しい。


 全体的にCMのゲームキャラで見るずんぐりしたドワーフ体型だし、武器があればそこそこ戦えそうだ。実際さっきまで和気藹々と採取をしていた時は、弟子の誰かがガープさんの武勇伝を語り出したりして盛り上がった。でもそんなガープさんが気落ちして謝罪してくれるということは……よっぽど分が悪い。


 項垂れながら何かに祈るように印を切る、家具職人のガープさん。ガープさんを取り囲むようにしている弟子達は、そんな彼に「師匠のせいじゃないですよ」「ああ、仕留め損なった奴等のせいだぜ」と声をかけている。勿論私もそう思う。悪いのは力量が伴わないのに出向いて仕留め損なった奴等だ。


 他の工房の職人達よりも年齢層が高いからだろうか、皆動揺はしているものの誰も円陣形を乱さない。中心にガープさんと私を庇って移動してくれている。そしてガープさんは私を庇ってくれている。対してこっちは守られているだけ。完全に足を引っ張ってるのは明らかだ。


 ――と、考え込んでいるうちに胸ポケットの忠太がやけに静かになっていた。まさか窒息したのかと慌ててポケットの蓋を開けると、小さなピンク色の手が伸びてきて私の指を掴み、軽く歯を立てられてしまう。小声で「ごめん」と謝れば、紅い双眸でこちらを見上げて「チチッ」と鳴いた。許してくれるらしい。良かった。


 けれど忠太はまだ何かを訴えるように、反対側の胸ポケットに入ったスマホを気にしている。私がスマホを出そうか逡巡したその時、護衛の中でも一番古参ぽい人物が視線だけこちらに寄越して口を開いた。

 

「すまんが旦那方、このままだと埒が開かん。陣を二つに割る。オレを含めた囮の奴等が散開してボルフォ共を撹乱する間に、あんた等は残った護衛の連中と一緒に森の入口を目指せ。こいつ等は本来縄張り意識が強い。ましてや前の縄張りを失ったところだ。深追いはして来ないだろう」


 彼の言葉に一瞬この場の時間が止まる。当然実際には止まっていないし、ガープさん達もすぐに護衛の彼等が捨て身の覚悟で逃がしてくれるつもりなのだと悟った。だけど――。


「そのようなことをしても、ボルフォ共は仲間を置いて逃げた儂らを討ち漏らさん。無駄に陣を崩して死期を早めるような真似はしてくれるな」


「ガープの旦那、あんたとは長い付き合いだ。性格も良く知ってる。それは旦那も同じことだろ。それこそここに魔法使いの一人でもいれば良かったんだがな……そら、もう行け」


 職人達と護衛達の間で交わされた別れの言葉。そんな古参護衛の最後の言葉に忠太が今日イチの反応を見せた。ここまできたら流石にスマホがなくても分かる。簡単な魔法で良い。獣が何を怖がるかはきっと共通だ。忠太を見下ろすと、見上げてきていた紅い双眸と視線がぶつかる。


 〝わかった?〟

 〝分かった!〟


 私と忠太が通じ合った直後、半分に割れた円形陣。


 囮の前衛を置いて下がる後衛の護衛達に背中を押されるが、私は流れに逆らって反転。そのまま背負っていた鞄を前に持ってきて中身を漁りながら前進する私を、周囲が叱る声が聞こえたけど。


 目の前で囮になった護衛達に狙いを定めて飛びかかるボルフォ。爪が、牙が、肉を裂いて、赤が散る。用心深くて臆病な均衡が途切れた途端に上がる悲鳴、怒号、咆哮。全部が全部許せない。こんなところで死んで、死なせて、たまるかよ!


 止めようとする腕を振り払って採取したアイテムの入った袋を取り出し、ポケットに入れた懐中時計型のピルケースの蓋を開けて。そこに御座おはす小さな神様達に、願った。


「ここにある物なら全部食べて良い! 助けてくれ小さな神様! この場にいるあの獣共を炎で蹴散らして!!」


 情けなく震える声で叫んだ願いに応えるように、胸ポケットのスマホが激しく震えて。アイテム袋が目映く光ったと思った瞬間無数の火球が現れ、護衛達に襲いかかるボルフォ達を直撃した。毛皮の焼ける臭いと獣の悲鳴。


 突然の攻撃にパニックを起こしたボルフォ達の隙をつき、今度は護衛達の方が血気盛んになって、後退していた一部の護衛達が反転して私の横を駆け抜けていく。後はもう水を得た魚のように残虐性を見せる護衛の皆さん。ガープさん達が戻って来ないことを考えれば彼等の撤退は成功したんだろう。


 安心した途端に膝が震えて動けなくなった私の周囲を蛍火みたいな火球が踊る。それを目で追っていたら、いつの間にか肩口によじ登ってきていた忠太が湿った鼻先を頬に押し付けてきて。どこか誇らしそうに「チュッ」と鳴いた。

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