♕幕間♕ 幸せ者になれましたの。
貴族の娘に生まれたからには、努力をするのは当然ですの。この手に持つのはお茶菓子とティーカップ、ペンと本と刺繍針。人によっては楽器や楽譜もあるかしら? でも持てることを許された物に然したる差などありはしない。
口にしても良いのは上辺だけの高貴な言葉。内心グチャグチャな感情も、決して表に出してはいけないわ。身体に傷を作るなんてもってのほか。そんなのは当然のことなのよ。生まれた時から婚約者が決まっているのだって普通のことなの。
だから貴族の子女の多くは恋を知らないわ。それも燃えるような恋だなんて、そんなもの。したところで領民達の益にはならない。わたくし達の指が傷付かないでも許されるのは、税金を納めてくれる領民達の利益にいつかなるから。
――貴族の娘に生まれたからには。
――愛されないのが、当然なのよ。
でも、夢見るくらいなら許されたって良いでしょう? 生まれた頃から一緒にいた、自分と同じ立場の婚約者と、その本当の恋が出来ると思うくらい。だけど、そう思っていたのはわたくしだけだった。
『〝レベッカ・ミラ・ヴィリアーズ! 貴女のように貴族階級を振りかざし、弱者を虐げるような傲慢な女性とはもうやっていけない! 今夜ここで貴女との婚約を破棄する!〟』
心変わりしたならそう言えば良いのよ。何もお相手のか弱そうな下級貴族の女性の腰を抱いて、社交場の真ん中でそんな頭の悪い喜劇を演じなくても、別室でこっそりそう言ってくれたのなら良かったの。
そうでなかったら、種無しになるか、式の最中に泣いて縋ってくるか、取り巻き連中共々、死んだ方がマシというくらい酷い目に合うようなティアラを、マリに注文したりしなかった。ちゃんとこっそり憧れていたように、幸せな花嫁になれるようにと注文したのに。
そんなことを考えながら、隣で微かな寝息を立てているフレディ様の髪を指で梳いていたら、ふと意識を取り戻した彼が、まだぼんやりとした様子で「ん……今度は……どうしたのですか、レベッカ」と尋ねて下さった。
気怠げで思慮深そうな眼差しに胸の奥でトクリと心臓が跳ねる音がする。マリのくれたお薬の威力は絶大だったから、体力が限界だったフレディ様には少し無理をさせてしまったかしらね。
「いいえ何も? ただ……そうですわね。わたくしはここに嫁いで、今夜名実共に貴方の妻になれて、本当に幸せ者だわと思っておりました」
そう思ったままの言葉を口にすると、フレディ様は一瞬だけ虚を衝かれたような表情になって。だけどすぐに気弱そうな優しい微笑みを下さった。
「それはそれは……こちらこそ。貴女がわたしの元へ来てくれて嬉しいよ、お転婆な奥方殿。ただ出来れば次は少々手加減して頂けるとありがたいのだが」
「あら、それは出来ないご相談ですわ旦那様。わたくし、愛を全力で与えて求めることに目覚めてしまいましたもの」
込み上げる幸せな笑いをそのままに彼の薄い胸板に頬を擦り寄せれば、彼はほんの僅かに身動いで。すぐにまた困ったように苦笑して、壊れ物を扱うみたいにわたくしの頭を撫でて下さるから。この後に起き出して書類の整理なんて出来ないように、たくさん愛を囁くことにした。
――翌日。
「はい、それじゃあこれが昨日のお薬代と、今度うちの工房に新しく導入したい道具類の総額な」
昨夜の協力者で功労者なマリは、そう言って涼しい顔でわたくしの目の前に自身の魔晶盤を翳した。本来この額面を確認する人間がここにいないのだから、当然ですわね。画面にある品物の名前からではさっぱりどういった道具か想像もつかないけれど、彼女が欲しがるのだから希少な物なのでしょう。
「結構かかりますのね」
「あー、まぁな。中古じゃなくて新品が欲しいから。職人って言ったって、親方の下についてるわけじゃないし。そういう時は道具類を奮発して、その性能に能力を底上げしてもらうんだよ」
「ああ成程。そういうことなら一理ありますわね。理解しましたわ」
一応尋ねてみたら彼女らしい発言で安心した。向上心のある職人に投資することは新しい喜びを生むもの。
控えていた使用人に紙に書き写しておくよう頼めば「畏まりました奥様」と。それはそれは嬉しそうに応じてもらえた。その理由はと言えば――。
「ところでさ、ウィンザー様の姿が見えないんだけど生きてるの?」
「勿論。おかげさまで今は二週間ぶりくらいにまともな睡眠をとられておりますわ。これにはわたくしも屋敷の者達もホッとしているのよ」
――ということなので。なかなか眠らない、迫らない主人にいい加減気を揉んでいた使用人達にとっても、昨夜のわたくしの蛮行は二重三重に喜ばしいことだったみたい。淑女らしくないと呆れられていなくて良かったわ。
「あー……はいはい。察し。こっちもレベッカの方が元気に見送りに出てくるとは思わなかったけど、そういうことなら健康的には良かったのか」
【いっしゅん おーばーどーす かと あせりました】
「な。大丈夫そうで良かった良かった。それじゃあ、私達もそろそろ工房に帰るわ。またなレベッカ」
「ええ……あの、マリ」
「ん?」
「また今度、何か注文に行くわ」
「は? 別に注文する物が特になくても遊びに来れば良いだろ。無駄遣いはすんなよ。あ、でもお茶は出すけどお菓子は持参してくれよな。嗜好品は高いからさ」
そんな風に大きく唇を持ち上げてカラリと笑う彼女の人柄が好き。大雑把で、あまり人の地位に興味がなくて、遠慮もないし、それなのに傍目には分からないくらい深いところが柔らかくて優しい。
「んー、でもあれだ。友達が訪ねて来てくれるってのも悪くないな。やっぱ椅子を二脚買っといて良かったな、忠太」
【む それなら もういっきゃく ほしいです】
「何でだよ。忠太は私の肩か膝に乗るのは嫌なのか?」
【ともだち ふえたら どうするです】
「友達ってそんなにポンポン増えるもんじゃないだろ。当分二脚で良いって」
【おこ】
「その表現はもうかなり古いかなぁ」
【ぴえん】
「どっちもどっちだよ。どこでそんな古い情報拾ってきたんだよ」
こちらが言い出せなかった言葉をサラリと織り込んで、しかも嬉しいオマケも添えてくれるのに。そんな気遣いが出来るはずの彼女達が唐突に始めた言葉遊びの前に、わたくしも
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