第159話 一人と一匹、星輪祭の夜に③


「うふふふふ、到着早々大変だったわねマリ。今度は来てくれてありがとう。嬉しいわ。本当はレベッカ様もお呼びしたかったのだけれど、身重ではしゃいでは危ないものね。彼女はお元気かしら?」


「いえ……お招き下さってありがとうございます。レベッカは母子共に順調らしいです。何でか今夜のお誘いのことを手紙に書く前に、先に向こうから〝ずるい!〟と書かれた手紙が届きましたけど」


「あ、それはね、妊娠中は暇だろうと思ってハリス運送に頼んで本を送ったのよ。その時に手紙も同封したものだから」


 双子のせいで一瞬で針の筵みたいになった同人誌会場から、ノーマルな招待客(付き添いの父親とか)がいる続きの間に救い出してくれたコルテス夫人は、そうより恐ろしいことになっていただろう可能性を口にして艶やかに笑った。でも成程な。


 それでレベッカからあの恨みがましい手紙がきたのか。ただあれって暇潰しとはいえ妊婦に勧めても良い内容だったっけ……? という疑問が残るが。


 疑いの視線を向けるも、コルテス夫人はにっこりと笑みを深めるだけ。紫色のグラデーションと差し色に銀をあしらったドレスは、彼女の年齢をさらに謎めかせている。前世の美魔女とは何だったのか。化粧だけではなし得ない、圧倒的な差を感じさせるものがあるな。


「こんなことなら挨拶なんて息子達に任せて、わたくしが直接出迎えれば良かったわね。それともハリスの坊やもいないようだったし、息子達も一緒に連れてきて素敵な装いの貴女をエスコートさせれば良かったかしら」


「や、それはもっと騒ぎになりそうなんで。むしろ悪いのはこの双子ですから」


 げっそりとしながらそう答え、給仕が差し出してくれたトレイの上からオレンジ色のカクテルを受け取り、チビリと口に含む。到着早々に変な汗をかいてしまった身体に柑橘系の品の良い酸味と甘味が染みる。


 ストールの隙間から顔を出した忠太にも少し舐めさせてやると、ピッとヒゲが上がった。美味しかったらしい。ピンク色の手を伸ばしてカクテルに少しだけ直接触れると、また引っ込めてペロペロと手を舐める。その姿はただのハツカネズミ以外の何者でもない。行儀が悪いけど可愛いから良いかと目を細めていたら――。


「「あら、酷いじゃないマリ。久しぶりに会った友人を売るつもり?」」


「どの口で言うんだどの口で。酷いのはお前らだろ。こっちが波風立てないように濁そうとしてるのに、二人して周囲を煽るからあんな地獄みたいな空気になったんだろが」


「「だって血を分けた半身と解釈違いで掴み合いの喧嘩になったら、他に作品を深掘りして話せる仲間を探すしかないでしょう?」」


「おーっと……清々しいまでに完全に自分達の都合だなぁ。素直に認めれば良いってもんじゃないからな? ちょっとは誤魔化せ」


 自由すぎる二人に溜息混じりにそう言えば、ストールのポケットから肩口まで登ってきた忠太がその小さい手で頬を撫でてくれた。ややペタペタするのと柑橘系の香りがするのはご愛敬だ。やんわりその手から逃れつつ「忠太……お前だけだ、私の味方は」と呟けば、慌ててストールのポケットまで戻った忠太がフリック入力を始める。絶対画面がベタベタになってるから、あとで蟻がたかる前に拭いておかねば――と。


【とうぜんです ねっとで このての しょうせつの たしなみかた しらべたので つぎにいかせるよう がんばりましょうね】


「いや、待て、待って。この手の小説の嗜み方って何? 忠太が読むにはまだ早い内容だから止めとこう。な? 私にもたぶん早いし? それにやっぱりこういうのは真の読者でないとさ、付け焼き刃は怪我の元って言うだろ」


 自分でも思いのほか切羽詰まった声が出た。それくらい可愛らしいハツカネズミの姿から放たれるにはパワーワード過ぎた。生シル○ニアからそんな話は聞きたくない。


「過保護ねぇ、マリは。チュータは賢いのだから読んでも大丈夫ではなくて?」


「コルテス夫人、忠太は賢いからこそつける知識の順番を大事にしたいんです」


「なら普通の恋愛小説からで良いんじゃない? 一応会場内に通常の恋愛本を扱っているところもあるわよ。あとで向こうの会場に戻って何冊か見繕えば良いわね」


「確かにマリの言う通り情緒や情操教育も必要だわ。初心者に優しい純愛物もあったはずだから。チュータがローローとヨーヨーみたいになったら困るもの」


「ローローとヨーヨーみたいにって……二人ともあいつらの目の前で読んでたのか? あの本を? 確か挿絵入りだったよな?」


【ほほう それで どうなったんです】


「「〝雄と雌でないと生殖出来ないのにそういう行為するのって無意味じゃね?〟ですって。考え方が即物的で情緒がないのよね」」


「止めろ止めろ止めろ。そういうのを忠太に聞かせるな。この話はここまで!」


 ローローとヨーヨーの言い分は動物としてというか、生物として当然の疑問だろう。従魔は普通にそうやって血を繋ぐことも出来そうな見た目ではあるし。


 一方精霊がどうやって増えるのかは知らないが、そういう行為は必要なさそうなだけに耳に入れたくない。忠太はずっとその毛皮の如く真っ白で清らかなままでいてほしい。


「「過保護! 学びの機会を奪うのは横暴よ!? それにマリ、貴女だってロビンというお相手がいるのだから他人事ではないのよ?」」


「ええい喧しい、何が学びか! うちの純粋な相棒をそっちに引っ張り込もうとするな。しかもロビンと私はそういう関係じゃないっての」


 ストールの前を閉ざして必死で双子から忠太を遠ざけていると、コルテス夫人が口許に扇を添えるのも忘れて弾けるように笑い出した。私達の馬鹿馬鹿しい小説談義に堪えきれなくなったらしい。


「ああ、ごめんなさいね笑ったりして……でも、ふふふっ。ここでずっと可愛らしい小鳥達の声を聞くのも悪くないのだけれど、そろそろパーティーらしいこともしましょうか。あちらの会場にいる出版社の人達への顔合わせはあとにして、ひとまずダンスは如何?」


 目尻に溜まった涙を拭いながらそう言った夫人に「私達はただの職人なので、ダンスは踊れないです」と告げたら、それを聞いた双子が「「マリは踊れないの?」」と至極不思議そうな顔で尋ねてきた。あれ? 何かその聞き方だと――。


「もしかしてだけど、二人は踊れる……のか?」


「ええ。一番簡単なステップくらいならね。これでも実家は商人だもの。商機がかかれば憶えるわ」


「とは言っても、お招きを受けてから二週間で憶えたから不安は残るけれどね」


 可憐に微笑む双子のその言葉に周囲の男性陣が耳をそばだてたのが分かる。悪気のない声音で「「レベッカ様の職人なのだから、マリも踊れるのでしょう?」」と言われ、絶望にゴクリと喉を鳴らした背後から「お嬢」と呼ばれて勢いよく振り返れば、コーディーがこちらにやってくるところだった。すると三人から――、


「ちょうど良いわ。一番最初は知り合いと踊って慣らせば?」


「そうね。緊張をほぐすのは大切だわ」


「あら、こういう場でのダンスに慣れていないなら長男を貸すわよ。親の欲目だけれどダンスは上手だから、あの子にリードを任せると良いわ。さ、あの彼も連れてホールに行きましょう」


 こっちが口を挟む隙すら与えられずに連行される私のストールの内側で、忠太がひっそりと動画を見ていた。ハツカネズミにダンスは関係ないもんな……むしろここにくるまでの馬車に必要な役どころだし。


 でもせめて懐にいてくれるだけでも心強いかと無理矢理納得しかけたその時、夫人が「ダンスに不馴れなら、ストールは邪魔かもしれないわね。クローク係に預けましょう」との親切心で、私の最後の味方も剥ぎ取ってしまった。

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