第153話 一人と一匹と一体、余白に挑む⑤


 駄神のご褒美という名の悪ふざけでいきなり訳の分からない世界線に飛ばされた昨日。感情の薄い偽物の私からの簡単な説明だけを頼りに、滞在時間四十八時間内にこちらの世界でやるべきことはすべてやった。


 それこそ暑苦しいスキンヘッドのオッサンが二十四時間暴れまわる、某海外ドラマかってくらいに走り回ったわ。流石に自分が死んだ現場に行ってみる気にはなれなかったけど、こっちでしか出来ないことをやったという達成感はある。


 忠太がワサビをガリと同じ感覚で食べてのたうち回ったのは予想外だったが、それも含めて前世への里帰り(?)感はあったかもしれない。


 二日目の午前中は無駄に地下鉄に乗ったり、バスに乗ったり、高層ビルの展望台に行ったり、服屋を覗いてみたり、デパ地下でお高い惣菜を三百グラムずつ買ったり。午後には印刷所から届く同人誌の受け取りがあるので、狭いテーブルに惣菜を広げつつ、偽物の私も巻き込んでトランプで好みの惣菜争奪戦を繰り広げた。


 しかしそれも元の世界に帰る時間が近づくにつれ、ゲームそっちのけで玄関ドアばかりが気になってくる。それこそテレビの選挙速報に出てくる政治家の事務所並に。そして配送予定時刻の午後九時――。


「うおぉ……凄いな、本当に翌日に届くなんて。金の力と職人の力は偉大だわ」


「ちゃんと製本もされていますし、心配だった背表紙の糊もしっかりしています。何より表紙が綺麗ですね」


「ほぅ、これが貴女達がこちらで為したかったことですか」


 書き溜めたノート二冊分の熱量(一冊分が分厚い)は、四百頁のB5サイズで上下巻という恐ろしいブツとして爆誕してしまった。四セットあるから全八冊。天竺からの経典かな? 表紙と背表紙にはちゃんと作者櫻子の名前が入っていた。


 興味深そうに私の偽物が本を手にしてパラパラと頁をめくっている横で、金太郎が本が入ってきた箱の中の緩衝材をちぎって遊んでいる。楽しげなのは結構だけど、発泡スチロールがフェルトの身体にくっついてあとで取るのが大変そうだ。


「表紙のデザインとか全然分からなかったから、向こうに内容の説明だけしてあとはお任せにしたんだよ。カバーは一日じゃ無理だっていうからナシにしたけど、代わりに乗っけられる豪華な装丁のは全部乗せにしといてくれって言っといた」


「ええ、マリ。この金と銀の箔押しが実に麗しいですね。何かコンセプトがあるのでしょうか?」


 翌日発送、少部数、特殊印刷の全部乗せな分、金額は相当厳つい。初めて刷ったけど昨日は値段の説明受けてる時点で、同人誌ってこんなに金がかかるもんなのかと慄いた。しかも絶対に全部が売れる保証もないらしいし……太い職についてないと一回で死ねる。


 帰り道に印刷所からのメールで見た金額をATMで振り込んだ時は、一瞬過呼吸を起こすかと思ったくらいに動悸がした。前世金額であれは心臓に悪い。何よりそこまでして作ってもらった本の中身が――。


「スタッフさんからの手紙が入ってたから読むな。えーと〝ご注文頂きました小説の口頭説明での内容が百合とブロマンスということでしたので、カラー表紙に黒と白と赤に絞ってのマットPPで怪しさを、上巻は百合の花、下巻はバラの花を豪華に配置して作風の匂わせ、四輪配置した花の部分だけ一輪ずつ金と銀の箔押しにして優雅さを。遊び紙は透ける白地に金の繊維を混ぜて秘事を演出してみました〟だってさ」


 そう……櫻子さんは意外にもゴリゴリお耽美系っていうのか、そっち系の小説書きだったのだ。文体が古風なせいでそこはかとない妖しさを感じさせる。翻訳しながら清書する時も忠太にはまだ早い表現というか、情操教育上まだ分からないだろうということが救いではある。


 私にも早いかなと思わせる直接的ではないけど、むしろ直接的な表現よりエロチシズムを感じさせる比喩表現がかなり多かった。あの頃の文学って現代よりも変t……アレな気がする。


 日記では普通に良家の奥様だった櫻子お嬢様が実際はどんな人だったのか、物凄く興味をそそられてしまった。特に百合の方。やけにリアルというか、生々しかったけど当時の女学校の実話ベースだったりしないよな? 考え過ぎだよな――と。


「素晴らしい解釈ですね。こういう類の印刷物に造形の深い担当さんだったようで良かった」


「ん、あ、おぅ……本当にな! 良い人に当たれて良かったよ。きっとコルテス夫人も喜ぶぞ」


 忠太の感心しきった声に現実に引き戻されたものの、動揺して声が裏返った。でも幸い忠太は気にならなかったようで「はい。ですが四冊も刷ったのですね?」と不思議そうに言う。そんな相棒に昨日担当してくれたお姉さんの言葉を授けようとしたり顔で頷く。


「何か担当の人が読む用と、保存用と、布教用がいるかもしれないって言うから。四セット目は私がもらうけど、あとの三セットはコルテス夫人に渡すよ。受け取ってくれるかはちょっと自信ないけど」


 欲しがってたから授けるだけだ。うん。そのあと禁書としてお焚き上げするか屋敷の図書室深くに封印するかはお任せで。私は前世の同じ国を生きた人の書いたものに興味があるだけだから。うん。


 心中で好奇心への言い訳をしていたら、ふとそれまで頁をめくっていた手を止めた私の偽物が「この本……布教用を***に下さることは出来ませんか?」と言い出した。真顔の自分と同じ顔と見つめ合うのって思ったより居心地悪い。


「読みたいのか?」


「はい。ここは退屈なので」


「え、でも外には――……」


「このアパートの敷地内からは出られません。何分特殊な存在ですから。交代要員もほとんど現れず、現れたとしても***が後任者に会うことはありません。交代と同時に消滅するので」


 ゆっくりと首を横に振る偽物を見て、忠太が少し悲しげな表情を浮かべた。優しい相棒には私と同じ顔の同族が置かれた立場に思うところがあるのだろう。


「そっかそっか。そういうことなら置いていくわ。あと無駄かもしれないけど、駄神にメールしとこうか? 呼び出せたら直接殴って交渉するんだけどな」


「マリ、殴って出来るのは交渉ではなく恐喝ですよ」


「駄神相手ならどっちでも良くないか?」


「それはそうですね」


 温厚で理性的な忠太的にもあの上司はアウトラインらしい。まぁ大概の人間からしたらアウトだろう。けれど偽物はまた首を横に振る。


「お気遣いに感謝します。ですがこれはここに配置される者への罰なので。そして貴女方には縁もなさそうだ。この本はありがたく頂きますが、代わりに***からはギフトを贈らせて頂きましょう」


 そう言って初めて仄かに笑った。そんな不穏な言葉の意味を聞こうとしたその時、私や忠太や金太郎を薄い金色の膜が覆った。


「時を綴ることを大切に思う貴女へ、新たに【スクロール】の能力を。どうかこの四十八時間を、***を忘れないで下さい」


「馬ぁ鹿。二度と会えないみたいに言うなっての。私達が駄神に気に入られてるってんなら、また来られるかもしれないだろ。その時には本の感想聞かせろよな」


「そうですよ。貴方も時間があるのなら書いてみては如何です。きっと良い暇潰しになりますよ」


 こちらの言葉にぽかんと口を開ける偽物の私と、ぼやけていく部屋が遠ざかり、握りしめたスマホから鳴り響くファンファーレの音が神経を逆撫でる。次に再び降り立ったのは二日前とまったく変わらないダンジョンの最奥で。手にしていたはずの本がないとスマホを見れば、画面に【自宅に転送しました】の文字。


「どうしたんですお嬢達、そんな端っこで壁なんか見つめて」


 明るく声をかけてきたハリスの従業員に「ふふ、何でもない」「ええ、何でもありません」と答えた私達を見て、金太郎が元気にザリヒゲを振り回した。

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