第47話 一人と一匹、馬車に揺られて。
レティーとの別れの余韻もないまま、多忙な領主婦人のために少しでも時間を巻きたい馬車は、結構な速度を出して途中の村と町を駆け抜けた。砂埃を巻き上げるくらいの速度って……本当に余韻とか情緒とか何もない。想像以上に無。いや、命の危険は若干感じたか?
一回だけ途中の町で馬を取り替えたあとは、ノンストップのワンマン運行。悲劇を回避するために飲食は最小限に留めた。ただ一人馭者だけは生き生きしてて、領主の元にいる人材は妻を含めて有能だけど癖が強い人材しかいないんだなと、妙に納得した。
その後も忠太が転げ落ちないように手で包み込んでたけど、ちょいちょい車輪が石を踏むせいで、うっかり忠太を強めに握りしめそうになったりした。そんな状況だから車内でレベッカと打ち合わせをする……何てことも当然出来ず。
お尻の下から突き上げる衝撃に堪え続け。二人で睨み合う姿で舌を噛まないように、座席から転げ落ちないようにということだけを視線で送りあった。そんな地獄みたいな時間を過ごすこと丸一日。
早朝に出立したのに、王都の二つ手前にあたる町に到着したのは深夜といって差し支えない時間。お尻は痛いわ背中は痛いわ脹ら脛、太腿と言わず全身が痛怠くて、言葉がなかった。ウィンザー様の名前で取っていた宿屋は比較的立派なところでお風呂があったのは、本当に助かったよ……。
深夜だというのに馬車から降りた私達を出迎えてくれた宿の従業員に礼を言い、レベッカと忠太と……一人だけ元気な馭者と一緒に簡単な食事を食べ、風呂で溺死しかけ、寝る前のお休みの挨拶も髪を乾かす余力もなくベッドに倒れ込んで、泥のように眠った。
――翌日。
まだ固形物を食べる気力が湧かなかったものの、レベッカから「戦場に向かうのに食事を抜くのはお勧めしないわ」と不安になる発言を受け、強行軍で毛並みがパッサパサになっている忠太と戦慄しながら食べたのち、またも地獄の馬車移動。食べた物が逆流して迸る前に王都に到着出来たのは不幸中の幸いだ。
流石に王都に入ってからは馬車も一般のそれと変わらない速度に落ち着き、この旅で初めて窓の外の景色を見る余裕が出来た。とはいえ、たぶんもう目的地らしきものは見えて来ている。
「お、何か馬鹿デカイ建物が見えてきたけど……あれが学園?」
「ええ。でもあっちはいけすかない貴族階級の人間が通う学園で、マリ達が通う魔道具職人の学園はあっちの方よ」
向かい側に座るレベッカが薄く微笑みながら指差した方に視線を向けると、成程、私が最初に見ていた装飾過多な建物の遥か奥に、装飾を一切廃した建物が隠れるようにして建っていた。こうも歴然とした規模の違いとか一周回って笑える。
「格差が分かりやすくて良いな。これなら不慣れでもうっかり建物を間違ったりとかしなさそうだ」
【あからさまで いっそ すがすがしい】
「うふふ、そうでしょう? 手前の王立学園も能力があれば平民も受け入れるとは言っているけれど、平等だとは言っていないのよ……と。それで貴女には悪いのだけれど、ここからは徒歩でお願い。どこか陰で馬車から降りてもらうわ」
「あ? 何だよ、レベッカが最後まで付き添ってくれるんじゃないのか?」
【じまんじゃない ですが わたしとまり だけだと ふしんしゃ みえます】
ここまで連れてきてくれたのだから、てっきり中までついてきてくれると思っていたのに。いきなり知らない場所に放り込まれる不安が声音に出た。けれどレベッカは困ったように微笑み、それからふと寂しげな表情になる。
「本当はそうしたいけれど……ほら、わたしも王都では色々あった身だもの。マリも初日から悪目立ちをするのは嫌でしょう? 入学と入寮の手続きはしてあるから、門のところに立っている門番に声をかけて、この書状を見せたら良いわ。それとたぶん学園での授業は明日からになるだろうから、まずはあちらの学園内と女子寮を案内してもらって頂戴」
彼女のその言葉が馭者に聞こえていたかは分からない。でも実際にここに来るまでは領主夫人が乗っているとは思えないほど無遠慮に爆走していた馬車は、ゆっくりと大きな建物の陰に車体を寄せて、そのままそこで停まった。
外からは馬の荒い息遣いと、それを宥める馭者の声が聞こえる。正面に座ったレベッカは「ごめんなさいね」と、らしくもないしおらしさを見せた。ああ、くそ……まずったなぁ。
「違う。レベッカが謝る必要はないだろ。今のは私が無神経だったな。ごめん。そういうことなら了解だ」
【わざわざ ごみ みにいくひつよう ないですしね】
「だな。それに私としてもこのところお人好しの相手ばっかだったから、嫌な奴等の多い場所っていうのはちょうど良いんだ。前までは悪意の方に晒されることが多い生活だったし、色々と鈍ってるんだよ」
「でも……わたしは、王都のことも学園のことも何も知らない貴女を置き去りにするのよ? ビンタの一発や二発はされる覚悟よ」
そう言って胸を張るレベッカを前に、一体自分が普段人からどんな苛烈な奴だと思われているのかちょっと気になりはしたけど。ケモケモでパッサパサな毛並みの忠太が、静電気で捩れたヒゲを気にしつつ私達の間に割って入ってきた。
【ふふ れべっか まりなら だいじょうぶです まるごしで こんなとこ きませんよ それに わたしも いますから】
「そうそう。ほらこれ、小さな神様達も自衛手段代わりになるようにと思ってさ。だから安心しろって」
悲壮感を漂わせる彼女の眼前に、七十個の中からとりわけ相性の良さそうな気配を発していたピルケースを翳すと、何故か今度は心配そうな表情を浮かべるレベッカ。その姿を見て首を傾げる私の手を両手で包み込むように握りしめた彼女は、それこそとんでもなく真剣な表情で口を開いた。
「誰に何を言われて腹が立っても、絶対に学園を火の海に変えては駄目よ。せめて拳か蹴りで黙らせるの」
だからさぁ……どういうキャラ付けされてんの、私。
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