第60話 一匹と一人、お疲れさま。
土の臭い、人の声、風の音、血の臭い、火が薪の上を跳ねる音。
今の姿は人と同じでも暗がりでの視覚も嗅覚も聴覚も、ハツカネズミのものに寄っているから夜は比較的賑やかなので、本来あまり必要のないランプを点しているのは、マリのためだ。
同胞達があの時に放った閃光、爆音、衝撃。目の前で頭を消し飛ばされたパラミラの辛うじて残った痙攣する胴体。
個々の力は微々たるものでも、マリに見出だされて価値を与えられ、微かな自我を得た。それに報いようという思いの強さは大きかったのだろう。生身の身体でそれを一度に体感して吹き飛ばされたあの場面でマリを庇えたのも、気を失ったマリを抱き上げて移動出来たのも、同じ理由でこの器が育っていたおかげだ。
折りたたんだローブに頭を乗せて寝息を立てるマリの顔を眺めていたら、幌の向こう側に篝火で照らし出された人影が浮かび上がる。
板張りの荷台から腰をあげて幌の裾をめくると、そこに森の入口で護衛をしてくれた騎士が二人立っていた。マリが信じて任せただけあって、怪我らしい怪我もなく持ち場を護りきったのだ。
けれどだからといって奥を気にする二人に、無防備な姿のマリを見せるつもりはない。素早く荷台から降りて幌を閉ざすと、流石に女性の寝所を覗く非礼さに気付いたのか、そっと一歩ずつ後ろに下がって姿勢を正した。
「遅くにすみません。マリ様の様子はどうですか?」
「今はよく眠ってます。軽い脳震盪だと思うので朝には目を覚ましますよ。それより早く起きた場合はお知らせします」
「分かった。必要な物があったら言ってくれ。恩人達のためなら、深夜だろうが明け方だろうが何でも持ってこよう」
「おや、それは頼もしい。ですがこうして負傷者用に用意してあった幌馬車を一台丸ごと貸して下さっただけで、もう充分すぎますよ。あなた方もお疲れでしょうから、ゆっくり休んで下さい」
マリに対しての気遣いは嬉しいので素直にそう返せば、冷静そうな騎士は「君も疲れているだろう。安心して眠れるよう、見張りは任せてくれ」と言い、熱血漢そうな騎士も「そういうことだ。今日は本当に助かった」と言い残して、仲間達のいる方角へと去っていった。
周囲に漂う同胞の気配を感じつつ再び幌を開けて荷台へと戻る。規則正しいマリの寝息に耳を傾けながらその隣に腰を下ろした。
◆◆◆
ΨΦΔΔ■ΣΨΦ ΔΔΦ//ΨΨΦ 70000PP+
◆◆◆
スマホの画面をタップして新しく自分用に届いたメッセージを何度も読み直す。あれだけ危険な目に合ったにもかかわらず、増加値が充分とは言い難い。けれど今まで見たことのない項目が一つ増えていることが気になった。
ここ最近では以前までのように簡単にレベルが上がらないので、このポイントの大きさは無視出来ない。ただ肝心の内容に触れた部分の表記が何を表しているのか分からないのが問題だ。
「最後のこれは……普通の精霊文字ではないですね。高位精霊文字か?」
文字の部分を長押しして検索しようとしてみても当然のようにロックがかかる。タップしても同様だ。もう一通届いているメッセージは、恐らくマリの能力値アップの関係なので彼女と一緒に開封することにして、ひとまず現在の能力値をまとめてあるメモ帳を開いた。
◆◆◆
【称号=加護持ち見習いハンドクラフター】
※低レベルのレアアイテムを使った作品の複製が可能になる。
素材コピー初級☆6(一日十八回まで。簡単な造形に限る)
一度作ったアイテムの複製☆7(一日二十一個まで。レアアイテム品は不可)
レアアイテム拾得率の上昇。☆5
体力強化(体調不良時に微回復)☆2
手作り商品を売るフリマアプリで新着に三十分居座り続けられる。☆
着色・塗装(ただし単色無地に限る)☆2
製品耐久力微上昇。☆2
◆◆◆
最後の二つはこの間ようやく上げられたところだが、今の能力値だともう少し上げても良さそうだ。それに今回の件で体力強化はもっとしておいて損はない。むしろもっとあるべきだ。
下級精霊のわたしはこの器が壊れたところで消滅するか、元のように自我を失くして大気に溶けるだけだが、マリはそれこそ文字通り〝死ぬほどの苦痛〟を味わうことになってしまう。人間は脆い。マリが死ぬようなことがあったら――。
「深夜に怖いことを考えるのは止しましょう。ああ、そうだ……この人化が解ける前にもう一度ポイントを消費して延長しないと」
怖くて堪らない。考えただけでも腹の底から冷たいものが沸き上がってくる。きっとまだ長時間の変化に慣れていないから不安になるのだ。そう思おうと独り言を呟き、心持ち輝きを増したローブのブローチに触れたその時、隣に寝ていたマリが身動ぎをした。
「目が覚めましたか?」
「うん、おはよ忠太……って、うーわー、嘘だろ……ランプ点けるような時間ってことは、もしかしなくても滅茶苦茶寝てた?」
「ふふ、おはようございます。気絶を睡眠換算するなら、ええ。とてもぐっすり眠ってました。どこも痛くありませんか? お水は飲みます?」
「どこも痛くないし、水も飲む。ありがと――……ていうかさ、忠太。そうじゃないだろ。ちょっと顔貸せ」
上半身を起こしたマリに手招かれたので水筒を持って慌てて傍に寄ると、頬を両側から包み込むようにして固定された。下から覗き込む視線にはやや不機嫌さが滲む。そのまま低く「座れ」と言われたので、恐々座った。
「この時間に人化してるってことは、かなりポイント消費したんじゃないか?」
「いいえ、微々たるものですよ」
「見え透いた嘘つくな……って、あー……違う。これじゃあただの八つ当たりだ。ごめん。それから忠太は怪我しなかったか?」
そう言って眉間に皺を刻んだマリが腹を立てているのは、わたしではなく自分自身らしかった。彼女の問いかけに小さく頷くと、マリの手はゆっくりと確認するみたいにわたしの頬を撫でた。
「普段偉そうなこと言ってるのに、私はお前に助けられてばっかだ。こんなの全然対等な関係じゃない。不平等だろ」
「そんなことは――、」
「ある。だから忠太、お前ももっと私に頼れ。相棒だろ。ひとまず私はもう大丈夫だから、次に人化が解けたら延長せずに寝てくれ。ずっと気を張って疲れたろ」
「そう……ですね。実はそろそろ時か、」
直後にストンと視界が低くなる。目の前が真っ暗で身体を覆うローブと服の重さに溺れそうだ。頭上から最後まで話せなかった言葉の意味を汲んでくれたマリの「忠太、ちょっと動いてみてくれ。ローブと服に紛れて本体がどこにいるのか分からん」という声。格好がつかないことこの上ない。
何とか服の海から這い出して、荷台に落ちたスマホに【じかんぎれ でした ふく つめものして ころがしといて ください】と打ち込んだ。
「分かった。バレたら面倒だもんな。顔覗かれたりしないように、私が膝枕でもしといてやろうか?」
【だめです ふくに しっと しそう】
「その姿になった途端に急に素直に我儘言うな。じゃあハツカネズミの忠太は抱っこしてやろう。それなら良いだろ?」
笑いを含んだ声と共に目の前に差し出された掌に片手で触れると、そっと優しく掬い上げられる。こうなってしまうと、わたしはもう守護精霊とは名ばかりのただのハツカネズミだ。不甲斐ないことにそう自覚した途端にドッとこれまでの疲れが押し寄せてくる。
【まりの てのひら あったかいです】
「そりゃな。今の今まで寝てたから体温が高いんだろ。ほら、もう寝た寝た」
【はい おやすみなさい まり】
「ん。おやすみ忠太、良い夢を」
頭の天辺を指先で引っ掻いてくれるマリの指が心地好くて、すぐに睡魔が襲ってきたから。今まさにこの瞬間が良い夢のようだと伝えることは出来なかった。
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