第59話 一人と一匹、と、怒れる小さな神々。

 騎士達から集めた札を直接触れ合わないようポケットに個別に詰めてから、もうかれこれ二十分。茂みに伏せながら大きな蜘蛛の巣を下から見上げる気分って、何か微妙だ。人生でこういう如何にもな待ち伏せをするとは思っていなかった。


 それも異世界で。巨大な蜘蛛を相手に。


 ここザリスの森はバシフィカの森と比べて割と鬱蒼としていて視界が悪い。植生の違いなのか蔓植物が多く、樹冠に絡まって足許が見えにくい。そんな環境も相まって、今から食べられる生き物の気持ちみたいなゾワゾワ感が這い上がってくる――と、急に横から伸びてきた手が私の手に重ねられた。


「緊張しているのですか、マリ」


「ん、あー……実はちょっとそう。騎士があんなに簡単に捕まったからな。足手まといにならないようにしないとって思ってさ」


「そうでしたか。マリは本当に真面目で優しいですね。けれどあまりあの糸に興味を示さないで。あてられますよ」


 フードを僅かに持ち上げて微笑みを浮かべた口許がゆっくりとそう動いたので、気を紛らわせるために「糸にあてられるって?」と尋ね返せば、忠太は「マリは勉強熱心ですね」と嬉しそうに頷いた。

 

「さっきの蜘蛛の魔物ですが、蜘蛛は蜘蛛でも種類が若干異なります。わたし達が倒した蜘蛛はハエトリ蜘蛛科ですが、騎士達を襲ったのははマリの世界で言う女郎蜘蛛科ですね」


「ヤドカリとタカアシガニみたいな違いなのか?」


「そうそう、そんな感じです。ちなみにさっきのがアダモラで、こちらは巣を張っての補食はしません。手で練った糸を投げ縄みたいに使って獲物を捕らえます。女郎蜘蛛っぽい方がパラミラで、こちらはこのように大きな巣を張って獲物を捕らえるんですよ。目撃証言だと派手なことから、恐らくメスの個体です。ちょうど産卵期とかぶったのかと」


 穏やかな声で続けられる説明からさらに、腹部は黄色と暗めの青色のしま模様になっていて、長い脚には黒地に黄色いラインが巻かれていると教わる。で、爪先(?)は赤らしい。成程な。聞くだけでも全身黒くて首の下だけ白いラインが入っているアダモラよりも、格段に綺麗そうだ。


「パラミラはアダモラよりも目が悪いんです。その代わりに種族の違うアダモラのオスにも効くフェロモンを持っている。というか、このフェロモンは人間にも効く厄介な代物でして。騎士の皆さんが良いように捕らわれていたのはそのせいですね。あとはこの大きな巣を張って、糸に触れた獲物の振動を頼りにやってきます」


 生き物を相手にする上で習性を教えてもらうのはとても大事だ。今回捕まってしまった騎士達もアダモラの方に気を取られすぎてさえいなければ、もう少し上手く立ち回れただろう。


 フェロモンの影響があまり残っていない一部の騎士達に、パラミラを守ろうとするであろうアダモラを倒してもらえるよう頼んだ。ここからだと見えにくいが、今も近くの茂みに私達と同じように伏せている。


 それに伴いフェロモンの影響が残っている人達は森の入口に撤退、まだ動ける人達は別動隊に救援要請に向かってもらった。


 比較的しっかりとした受け答えの出来た騎士達によれば、やっぱり本来ここにパラミラのような上位種の強い魔物がいることがおかしいらしい。どうなってるんだ。あんまり難しいことは分からないけど、科学の発展もないのに温暖化とかってするのか、なんてことを考えていたら――。


「マリ、パラミラに魅了されたアダモラ達が新しい獲物を連れてきたようです」


 忠太にそう囁かれて視線を巣から地上の方へと戻したら、毛の生えた脚がゾロゾロと見えて。白い糸でグルグル巻きにされているのは人間より大きいものから、ウサギ程度の小動物サイズまで様々だ。女王の歓心を買うための供物だろう。

 

 巣の空いている場所に張り付けようとしている姿は、初詣でおみくじをくくる枝を探す人に似ていて多少笑えるが、相手は人間を餌認定する魔物。慈悲はない。隣の忠太に視線をやれば、薄暗いフードの下から紅い瞳がこちらを見ていた。


 その視線に頷き「今だ!!」と叫ぶと周囲の茂みが揺れて、これまで煮え湯を飲まされていた騎士達が一斉に飛び出す。ヤル気満タンだ。私達もそれに倣って茂みから飛び出した。


「巣にはまだ触れるな! アダモラを減らしたら後は私達が何とかする!!」


 肺一杯に息を吸い込んでそう叫べば騎士達は心得たもので、巣に近付いていたアダモラ達を重点的に狙って刺し貫いていく。私と忠太も微力ながら彼等の隙をついて襲いかかるアダモラ達の相手を引き受けた。


 途中何度か忠太が咄嗟にローブの中に抱き寄せてくれたから、そのおかげで飛び散る蜘蛛の残骸や体液を頭からかぶることはなかったけど、肉が断ち切られる音と断末魔ばかりは遮れない。忠太がハツカネズミの時と同じお日様の匂いでなかったら、ローブの中で吐いてたところだ。


「どこにも怪我はありませんか、マリ?」


「おぅ、忠太が庇ってくれたからな。ありがとう。でも私のローブは学園の特別製でどのみち汚れないんだし、忠太の方が気を付けないとだろ」


「あぁ、そういえばそうでしたね。ついマリを汚物から守ろうとすっかり失念していました。心配して下さってありがとうございます」


 場違いなほど優しい声で嬉しそうにお礼を言ってくれる背後では、騎士達に恨みのこもった総攻撃を受けているアダモラ最後の一匹。正々堂々の騎士道精神が一切見えない絵面だ。しかもアダモラの目が潰れたイクラみたいになってるのもなかなかにグロい。チーズに続いて魚卵系もしばらく駄目だなこれは。


「忠太、そろそろ」


「はい、わたしもそう思っていました」


 短いやり取り。

 でも私達にはそれだけで充分だ。


「騎士の皆さん、アダモラの殲滅感謝します! これより先はわたし達魔宝飾具師にお任せ下さい!」


「入口付近でまた会おう! 行ってくれ!」


 合図の声を聞いた騎士達は無言で頷き、多少の戸惑いは見せたものの、全員統率の取れた動きで撤退していく。アダモラの死体の山の中に残るのは、私と忠太と……服のポケット越しに熱を発する小さい神々の宿る札だけだ。


 意を決して巣を揺らそうとローブの裾を巻き付けた私の手に、忠太の手が添えられる。二人一緒に「いっせーのー、」「で!!」のかけ声と共に力任せに巣を揺らしたその直後。油の切れた自転車ブレーキみたいな不快音が頭上から降ってくる。


 本能的な恐怖。一瞬巣を掴んだまま動きを止めた私の手を忠太が引っ張って、そのまま地面に倒れ込んだ。つい今まで自分がいた場所からシュウシュウと白い煙が上がっている。酸攻撃とか悪質か。


「ボサッとして悪い忠太!」


「大丈夫ですよマリ。わたしとあなたなら勝てます」


 言って、瞬時に引き立たせてくれる忠太。その力強さに恐怖が消えた。巣が大きくたわんだかと思うと、頭上から毒々しい色合いの蜘蛛が重さを感じさせない優雅さで、ふわりと目の前の地面に降り立つ。想像よりもデカイ。同時に仄かに百合に似た香りがした。


 これを嗅いだらまずい。直感で後ろに飛びずさって距離を取った目の前スレスレを、長くて鋭い脚が掠める。リーチまで馬鹿みたいにあるのかと息を飲んだその時、横から「マリに気安く手を伸ばすなど……万死に値します」と不穏な声がして炎が視界を遮った――が。


「おいおいおい、嘘だろ。虫のくせにケロッとしてんなよなぁ。今のポ○モンだったら効果絶大で死んでるぞ」


「あの表面のクチクラ装甲が邪魔ですね。ですが所詮は弱点。押せば折れます」


 酸攻撃には時間がかかるらしく、肉弾戦に絞ることにしてくれたようだ。これはこれで怖いけどあれよりかはマシ! ブチ切れて突進してくるパラミラの攻撃を躱しつつ、一枚、二枚、ほんの少しの時間差をつけて。打ち合わせてもいないのに、二人で距離を稼ぐために火属性の札を投げる。


 小さい神様達も私達に応えるように、派手な火花を咲かせてはクチクラの表面を溶かしていく。最初のひとかきこそ大きかったパラミラの攻撃も、徐々に爪先を削られることで怯み始めた。この瞬間を待ってたんだ!


「忠太!」


「マリ!」


 合図はそれだけで。これまでザリガニみたいに後ろ向きで逃げていたのを、グルッと反転。パラミラに背中を向けて全力疾走で距離を一気に開ける。からの再び反転。つんのめりそうになる私の手首を忠太が掴み、二人で再び相対したパラミラは怒り心頭。金切り声をあげる大きな口めがけて――。


「「これで終わりだ!!」」


 ポケットから取り出した属性違いの札を力一杯投擲した先で、色とりどりの火花が散った。

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