第114話 一人と一匹と一体、月に酒盛り。


 冷えたビールをあおって見上げた天井の隙間から月が見える。今夜の宴会場所はオーレルの森にある聖女の小屋だ。


 喉を滑り落ちていく労働者にとってエリクサーとも呼べる黄金色のそれは、カラカラに渇いた身体に染み渡った。クソ親共の命の水発言が分かるようになったのが腹立たしい。今頃向こうで揃って痛風にでもなってれば良いんだ。


 綺麗な物を見ながら心の中に黒い靄を飼う趣味もないので、もう片手に持っていたツマミのジャーキーを囓って幸福度を足す。すると今度は純粋に綺麗な月に集中出来た。やっぱりビールとジャーキーは無二の親友だ。でも――。


「んー……何かひと仕事終えた後の酒盛りにしちゃ味気ないなぁ」


 ビール臭い溜息をつきながら思わずそう漏らすと、床をぶち抜く木の根の上で揚げ空豆を囓っていた忠太が薄い耳をピクリと動かす。


 そのままカカカカッとネズミらしく空豆を食べきり、手についた塩を舐めとってからスマホを要求されたので、ビール缶をこかさないように注意しながら胸ポケットのスマホを取り出し、忠太の足許に置いた。


 すぐに【いちばんおおきかった おにきす いなく なりましたからね】と打ち込まれ、ああそうかと納得する。単純に物理的なのと視覚的なのの両方が失われたからかと。まだ別れてから数時間しか経っていないのに情けない。


「オニキスは金太郎と同じで飲み食い出来なかったけど、楽しそうだったもんな」


【きんたろうと わたしだけでは まり ふあんで さびしいですか】


「ん? そんなことはないぞ。前に戻っただけだからな。充分心強いし楽しい」


【おにきすに のってのいどう すきでした】


 しょんぼりと下がったヒゲと尻尾に不憫可愛さが滲むが、愛でている場合ではない。金太郎ですら大好きなポテトチップスのパーティー開けの手を止め、じっとこちらを見上げてくる。しくじったな。寂しいのは皆一緒だったのに。


「や、別に自分で歩けるから問題ないだろ。どうしても乗り物に乗りたくなったら、金太郎に箱背負わせて乗せてもらう。良いよな金太郎?」

 

 これ以上盛り下がらないよう明るい声でそう尋ねたら、金太郎が任せろとばかりにボディービルダーポーズを取ろうとして、後ろに転げた。関節ないもんなと苦笑しつつ短い手足をバタつかせる金太郎を助け起こすと、忠太が不満げにスマホを指すので覗き込む。


【まり そこはふつう わたしが ひとがたで せおうのが さきでは】


「えっ…………その発想はなかったな。だって忠太細っこいし。金太郎と違ってゴーレムでもないだろ」


【せおえますよ まりの ひとりやふたり】


「いや無理だってば。それに人化しても華奢だろ忠太は。絶対潰れるって。あと私は分裂しないぞ」


【ひとりや ふたりは ひゆ じんかしたら まりより ちからもちですよ ちいさいのは このすがたのとき だけです せおえますよ】


「どした、やけに食い下がるじゃん。もしかして酒飲んで酔ってる?」


【おさけ たしなみましたが よってません だけどまり しんじない こうなったら じつりょくこうし】

 

「はぁ? 馬鹿、んなことに貴重なポイント使うなっ――!」


 金太郎上げをした気はなかったのに、ムキになったハツカネズミが爆速でそう入力した直後、画面を素早くポイント使用画面に切り換えた忠太が淡く輝いて。阻止するために伸ばした手が突然現れた青年の肩にぶつかった。


「背負えますよ。何ならお姫様抱っこも出来ます。たぶん」


「ったく……たぶんで物言うな。腰いわすぞ」


「これでも筋トレしてるので大丈夫です。さぁマリ、立って下さい」


 こっちの先手を打てたことに機嫌を良くしたらしい忠太は、先に立ち上がって手を差し伸べてくる。月明かりが白い髪を銀色に縁取り、切れ長な紅い双眸が笑みの形に弧を描いた。幻想的な姿になった相棒に恥をかかせるのもなんだ。


 諦めて「お前の気がおんぶで済むなら……まぁ」と手を伸ばし、引き立たせてもらったその直後、足が地面から離れた。突然の無重力。心臓がキュッとなる。


「な、ばっ、おんぶだって言っただろうがぁぁぁ」


「背負うよりお姫様抱っこの方が力持ちさを証明出来るでしょう。どうですマリ、信じて頂けましたか?」


 そう自信ありげに上から私の顔を見下ろす忠太の腕に震えはない。背中と膝裏を固定された姿勢はびっくりするほど安定感があった。ハツカネズミの姿で一緒に行動する時間の方が長いと困惑するギャップだ。


 騙し討ちとか可愛くないし生意気だと思うのに、やけに嬉しそうなその顔を見ていたら怒る気にもなれない。人化しても忠太は忠太ってことか。


「はあぁ……分かった、信じたよ。侮って悪かった。だから下ろせ。んで、その姿の効力切れるまで今夜はとことん飲むぞ」


「ふふふ、了解しました」


 私が譲歩して望む結果が得られたからか、今度は素直にさっきまで座っていた場所に降ろしてくれる。いきなり視線の高さが変わって驚いた心臓も、これで大人しくなるだろう。気を紛らわせるために再び飲みかけのビールに手を伸ばせば、向かいに腰を下ろして酎ハイを手にした忠太が口を開いた。


「それはそうとマリ。オニキスの用事も済んだことですし、これから少し暇になりそうですね」


「そう言われてみれば確かに。ここ最近はずっとオニキス関連で動いてたからな」


「ですです。とはいえエドの店に卸す商品やフリマサイトの商品は、粗方スキルで量産出来るようになりましたからね。新しい作品を考えるか、はたまた全然別のことに手を出してみるのもありですよ」


「うーん……全然別のことか。悪くないけど漠然としてるし、何するかな。取り敢えず帰ったらレティーに遅いって怒られることしか確定してないわ」


 酒の酔いが良い感じに回ってきはじめた頭で私がポツポツ案を出す間、忠太は楽しそうに相槌を打ち、金太郎は酒量が増えすぎないようツマミを口に突っ込んでくれて。いよいよ姿勢もだらけて胡座から冷たい床に横になる頃。


 ふと気紛れに開いたアーカイブに、聖女の記載箇所が増えていることに気付いた。それを見て忠太達に明日読もうと言った気がしないでもないけど。


 フワフワする意識の端で『大丈夫ですよマリ。わたし達は貴女を置いてどこにもいきません』と。優しく囁かれながら頭を撫でられたと思ったのは、珍しく弱気になった心が見せた夢か幻。

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