第108話 一人と一匹、息抜きのはずが。


 チェスターの持ちかけてきたハチミツ農場の契約書に目を通してサインをし、書類の写しを受け取って別れた私達は、今度こそ元の一人と一匹と一体と一頭に戻った。あの賑やかさが嫌だったわけではないものの、身軽になったことが嬉しいような、少し寂しいような気を紛らわせようと深呼吸を一つ。


 体内の空気を入れ換え、肩に立ち上がって門の方を振り返る忠太に、スマホの画面を向けて「腹減らないか?」と尋ねたら、小首を傾げたハツカネズミは【へったかも】と打ち込んだ。


「それじゃ、まずはオニキスの記憶を取り戻すついでに軽く観光でもするか。私の前世いた国だと、何か歴史的に凄いことをした人間の逸話がある国は、確実に観光でそこを推してる。で、どこにでも歴史オタクは確実に一定層いるはずだ」


 名前を呼ばれたオニキスは嬉しそうに石畳を踏み鳴らす。あんまり期待させ過ぎるのは駄目だが、絶対遊んで思い出す方がショックも軽減出来る……と思う。この国がどういう感じなのかはまださっぱりだけど(田舎の方の話は豊富に聞けた)、王都の入口付近は見た感じ穏やかだ――と。


 手にしていたスマホに忠太のフリック入力の重みが伝わった。カツカツと画面に当たる爪の音が止んで、手首に伝わる振動が収まったのを合図に画面を見る。そこには今さら意外な文面が綴られていた。


【まり ときどき みかける たんご おたくって そもそも なんですか】


「あ、そっか、そうだよな。単語だけだと分かりにくいか。えぇと……元々は趣味なんだけど、それが好きすぎて特殊能力を持っちゃった野良の専門家かな、うん。人によっては学者よりも詳しいぞ」


 どうも一を聞いて十を知る忠太は、ふんわりとした感覚でオタクという言葉を理解していたみたいだ。少し考える素振りを見せたあとで【なにか すごそうな ひとたちですね】と打ち込む。こういうのは聞くより見せた方が分かりやすい。特に忠太の場合は。


「だろ? バイト先でオタクだった教えてくれた子が言うには、自分が好きな作品や物や歴史を辿ることを聖地巡礼って言うらしい。きっとここにも聖女オタクがいるからさ、人が多い通りを歩いて聖女について訊ねて回ろ。それでも行き詰まったら、その時はあの胡散臭いエリック? とかいうクソガキの家に行ってみよう」


 思いつき半分、経験半分にそう口にすれば、案外悪くない気がしてきた。隣の肩に乗った金太郎も大きく頷いているし、オニキスは相変わらずのご機嫌ぶりだ。この分ならあと少し〝聖女の真相〟まで寄り道をしても問題ないだろう。


 忠太の【さんせいです】の言葉で方針が決まったところで、心機一転、まだ右も左も知らない街にくり出した。アシュバフ国の王都デリドラードは当然ながら街の中に王城がある。前に広がる城下町を見下ろす城は、オルファネアの王都にあった城よりも武骨で物々しい。


 オルファネアはどっちかというと童話に出てきそうな華奢な城だったけど、アシュバフのそれは無駄を削ぎ落とした強そうなデザインだ。街並みもオルファネアの自由な区分けと違い、こっちの方がかっちり統一されている感じ。料理は香辛料を効かせた肉とチーズ等の乳製品が多くてパンは平べったい。


 それと少し歩いただけでも聖女通り、聖女広場、聖女の家(たぶん孤児院)、聖女医院、聖女教会、聖女の井戸、聖女の銅像、聖女の泉、聖女の占いの館――……あるわあるわ、犬も歩けば棒に当たるくらいの聖女人気。最初のうちは面白がっていられたものの、観光地の商魂逞しさに前世も異世界も関係ないのだと知った。


 あとは前世と変わらぬオタクの熱意。銅像に熱心に祈っていた薬師の卵だと言う子達は、聖女について尋ねた直後、挨拶時の穏やかさが嘘みたいな早口に身ぶり手振りも加わって怖かった。好きなことへの熱量がヤバイ。


 とはいえ、やっぱりそこはあのクソガキが話したような核心に触れるものはなく、どの話も脚色された〝物語〟の域を越えないもので、オニキスが記憶を取り戻す鍵にはならない。


 それでも楽しい経験というのはどれだけしても良いから、すぐ分かる眉唾ものな逸話でも追いかけて、熱狂的な聖女マニアの話に耳を傾けた。何よりも金太郎が目についた気になるものに向かって駆け、オニキスは店主や住人が語る聖女神話に耳を傾ける姿を見れば、まぁ良いかと思えるのだ。


 久々にこのメンバーだけでそんな時間を過ごすこと六時間半。そろそろ今日の聞き込みを終えて宿を探すか、一旦オーレルの森の小屋に転移して宿代を浮かせようかと話していたら、ある出店が視界に飛び込んできた。


 どこか見覚えのある飲み物を不思議そうに眺める一同に、ついつい観光地価格だというのに財布のヒモが緩んだ。キャラメル色の液体に何かの卵っぽい黒くて艶々した団子が沈んだあれ・・


【これ おいしいですね はじめての しょっかん】


「そりゃ良かった。でも液体の方は普通にミルクティーっぽいから良いけど、こっちのタピオカっぽいやつの材料が分からん。マルカに戻ったら再現してレティーにも食べさせてやりたいけどなぁ」


 吹きガラスのグラスに口をつけて飲みながら軽い気持ちでそう言えば、黒いタピオカ(仮)一粒を両手で持って食べていた忠太が、慌ててそれを口に詰め込んでスマホを欲しがる。ハンカチで小さな掌を拭ってスマホを貸せば、いつものように爆速で検索を始めた。


【たぴおか きゃっさば いもの でんぷんしつ とりのぞいたもの なるほど】


「そうそう、それ。テレビで作ってるとこ見たことあるけどさ、あんなの全然労力に見合わないって」


 暑さを紛らわせようと石壁に背を預けて他愛ない会話をしつつ、オニキスの方にグラスを傾けて中身を分けていると、忠太が【まりは なにかのおたく だったんですか】とスマホに打ち込んだ。簡単すぎる問いで考えるまでもない。


「いいや? びっくりするくらい無趣味だったな。今の方が多趣味なくらいだ」


 自虐するつもりじゃないけどポロッと溢れた本音に自分で苦笑したら、忠太と金太郎がオニキスの頭に飛び乗り、手を取り合ってVの字状にポーズをつけた。どんな感情なんだそれは。


 するとオニキスがこっそりとメンコに忍ばせた蔓から花を咲かせ、調子付いた二匹(?)がそのままクルクル踊り出したせいで、出店の店主が私を大道芸人だと勘違いして客引きバイトをする羽目に。


 最終的に道行く子供が親にタピオカ擬きをねだる行列が出来て、感激した店主からタピオカ(仮)レシピを教えてもらった。どんどん謎な技能が増えていくものの、楽しいから深くは考えないで良いか。


 …………良い、よな?

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