第106話 一人と一匹、最後の一仕事は甘い。


 前日の夜は最後の野営。王都まではもうあと一日とあって士気も高い。だから少しでも明るいうちの到着を目標に早朝に出発したまでは良かったが、問題はそのあとに発覚する。


 当初の目的よりもかなり大所帯になっていたせいで、最初に予定していたルートが使えなくなっていたことだ。馬車で通るには道幅が狭すぎた。すぐに地図にあった迂回路へと進路を変更したものの、長年街道として手入れされていなかった道が獣道のように細くなり、次第に森との境目があやふやになってしまった。


 そんなこんなで現在街道だった・・・・・そこを、魔物に気をつけつつかき分けて進んでいる最中だったのだが――。


「ここまで来て魔物の襲撃とか! もう王都と目と鼻の先やのに、王都の騎士団の連中は何やっとんねん~!!」


 ワァンワァン、ブゥンブゥンと統率の取れた警戒音が周囲に反響し、聴覚から恐怖を与えてくる。聞き慣れた……というほどでもないけど、前世でもある一定の場所で聞いたことのある音。


「おわわわ、レオン、出てくるな! こいつはお前が食える虫じゃないって。こんなとこにレッドスピアーの巣があるなんて聞いてないッスよー!?」


「こいつらの好きなベルベルの花が咲く時期にしても多すぎやん! 羽音怖ぁ! こんなよぉさんに刺されたら死んでまうっ!!」


「まったく同感だけど、二人共もう少し声の大きさ絞れって。下手に騒いで刺激するから警戒音が大きくなるんだ」


「そんな無茶なこと今言わんといてぇ!」


 蜂である。しかもかなりデカイ。前世でツツジの季節に公園の植え込みでよく出くわした。理由は狙いが同じ花の蜜だったからなわけだが。腹の足しにはならなくても、甘味は貴重だったし。吸いすぎて腹を壊したのも今となっては懐かしい。


 二歳か三歳児くらいの大きさの蜂が飛び回っている様は、かなり迫力があって怖い。見た目は普通に蜜蜂――と言いたいところだが、口に大きな牙がある。尻には針もバッチリあるな。エッダの言うようにこいつらに刺されたら、アナフィラキシー待ったなしだろう。医療の遅れていそうな世界でそれはヤバイ。


 顔立ちはミツバチなのにマッスル感はスズメバチのそれ。今は威嚇モードらしく、攻撃を仕掛けてこないが時間の問題か。二人だけでなく隊全体がそれこそ蜂の巣をつついた大騒ぎだ。護衛達も必死に宥めているが効果は芳しくない。しかし一部の商人連中は恐怖とは違った騒ぎ方をしているような気が……?


 忠太もそのことに気付いているようだ。金太郎が落ちないように尻尾で身体を巻いてやりつつ、自分も身を乗り出しピンク色の鼻を空に向けてひくつかせている。スマホで聞いてやれる状況じゃないから歯痒いな。


「ちょっと一旦頭冷やせ。商人と職人連中に呼びかけて森の外に出ろ。途中でラルー落っことさないようにな。デレクも一緒に行け。あ、念のためにオニキスもついていってやってくれ」


「え、マリさん達はどうするんッスか?」


「いや、どうするってなぁ……私達は元々護衛として雇われたわけだから、当然護衛連中と残って仕事するぞ。最初の賊討伐以来あんま護衛の仕事してなかったし。な、忠太、金太郎?」


 こちらの問いかけに懐で頷く一匹と一体。オニキスも一瞬迷ったようだが、すぐ控えめに頷いてくれた。


「はあぁ? そんなん無茶やん。強い言うても職人やで? もう本職雇ってんねんから一緒に隠れてようやぁ」


「金太郎もいるから大丈夫だって――と、そうだ。そんなに心配ならエッダの作った護符一個奢ってくれよ」


「あああああぁぁ、もう……! 一個と言わんと全部持っていきぃや!」


「太っ腹で助かる。使った分の支払いはあとでするから、なるべく使わないで済むように祈っといてくれよ。オニキスも二人を頼むな」


 まだまだ何か言いたそうな二人をオニキスに託して護衛達に合流すると、そこに意外な顔ぶれが数人いた。しかも異様にテンションが高い。後方に避難させようとする護衛達を説得しているのは一部の商人と職人達だ。全員合わせても二十人程度か。中には護衛達に武器を使うなと言う輩までいる。その筆頭に立っている人物を見て若干呆れた。


「チェスター、何で代表者のお前が残ってるんだ。逃げ遅れか?」


「いいえマリさん。これは王都を前にして最後の大ボーナスです!」


「声がデカイって……何回目だこのやり取り。まぁ何でもいいから下がれって。道具を使って一帯の魔物を倒しきったら呼ぶから」


「ええ、そう言うだろうと思いました。貴方は護衛ですからね。ですがそれを止めさせるために我々がいるんですよ。ちょっと説明させて頂きますね」


 チェスターがそう言うや、私達の周囲に向こうが透けて見える程度の乳白色の膜が張った。瞬間外の羽音が聞こえなくなる。魔道具の一種だろう。チェスターの方を見れば落ち着き払って「十分だけ結界を発動させる魔道具です」と笑った。


 高価な物なんじゃないのかと思っていると、護衛達の間から「おぉ……これが結界か。初めて見た」「オレもだ。高いんだぜこれ」といった囁きが聞こえる。それを手で制してチェスターが口を開いた。


「この季節にここでレッドスピアーの巣に当たれるなんて、わたし達は運が良い。そこで護衛の方々にお願いがあります。レッドスピアーの退治に武器を使うことは極力避けて頂きたい」


「いや、無理だろ。結界の外見ろよ。臨戦態勢だぜ」


「はい、それは承知しています。ですが武器を使っての戦闘をしてしまうと、彼女達はこの森から出ていってしまいます」


「は? 別に良いだろそれで。ここにレッドスピアーの巣があったら次から街道として使いにくいだろ。魔物がいなくなることの何が問題なんだよ?」


 困惑した私の言葉に同調して頷く護衛達と、チェスター側について断固拒否の表情を浮かべる商人達。護衛達の誰もがこれまで人畜無害な夢追い人だと思っていた人物が、実は狂人なんじゃないかと思い始めたその時。


「レッドスピアーの蜜の採取量は普通の蜂の遥か上をいくんです。しかも植物系の魔物の蜜も採ってくるので味に深みがある。貴族達の間では幻の食材として人気を博しています。田舎出身者と蔑まれる商人としてこれ以上ない希望。なのでわたし共はこの隊に参加した商人達の連名で、ここを養蜂地にしたいと思いまして。ですから彼女達にここを離れられては困るんです!」


 生き生きと目を輝かせてやっぱり狂人な発言をするチェスターと、その賛同者達を前に、私を含めた護衛達の間から諦めを含んだ重い溜息が溢れた。


 結界の残り時間をフルに使って作戦を立てたあと、エッダからもらった護符を身につけた護衛達と一緒に、商人達からあるだけ集めたミントとローズマリーに火をつけ、優しい香りの煙を撒き散らしながら走り(この臭いと煙が嫌いらしい)。


 一時的に主のいなくなった馬鹿デカイ巣から数枚、蜜がぎっしり詰まったそれらを失敬して逃げるという山賊行為を働いた。百均の瓶に分けてもらった蜜はそれはとんでもなく甘くて美味で。


 散々怖がっていたはずのエッダとデレクも「何これ、めっちゃ美味しいやん!」「次は手伝うッス!」と現金なことを言ったものの、忠太がスマホに打ち込んだ【けっきょく いちばんこわいの にんげんですね】との文面に、それはそうだなと思ったけれど。


 異世界ハチミツは前世のミツバチの集めるハチミツよりも、ずっと複雑で濃厚で芳醇で……えーと、あれだ。


「マジで美味いなこれ。ヤバい」

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